真田きょうだいと合流し箱を分析する

日が昇る頃には病人になりきっていた

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 日が昇る頃には病人になりきっていた。

 今にも死にそうな声で学校に連絡をいれたあと、真田きょうだいのいる家へ行くために準備する。

 のん気に授業を受けている心の余裕なんてない。


 重い脚を動かして駅に向かう。

 朝ご飯は食べられなかったのに、電車の振動で吐きそうになった。


 目的の建物が見えたちょうどその時、戸が開いた。

 外へ顔を出した森井と目があった。

 ああ来たかと、妙に納得した表情だった。


「で、秋吉殿はどんな夢を見た?」

「屋上で亜紀さんが殺された」

「それは彼女の望んでいたことだと思うか?」

「わからない。そもそも人形に死にたい願望なんてあるのか……」

「人形だからこそ、自在に動ける人間を操った。と、枝光君は言っていたぞ」

「あの夢を枝光も見ていた? 薄々感じていたが、あの記者は枝光だったのか。無事か?」

「かなり取り乱しているが問題はない」

「は?」

「ようやく大人しくなったが、ちょっとした刺激でまた泣き喚くだろう。……ああ、気にするな。問題ない」


 森井は声を張って「問題ない」と報告した。

 声が小さくて聞き返したわけじゃないのに。


 当然、安心できない。

 夢を見たせいで枝光が取り乱したのに問題ない?


 人形にされそうになっていたが、逆に言いくるめていた。

 ピンチから免れたはずなのに、まだ続きがあったのか?


「こら秋吉殿、放心している場合ではない。思考を停止するな」

「いやだって枝光が……」

「心配なら質問に答えろ。秋吉殿はどこにいた?」

「傍観者として二人のやり取りを見下ろしていた」

「校内をうろついたか?」

「していない」

「聞こえたか枝光君。お兄ちゃんは無事だ」



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 森井が家の奥へ声をかけて数秒後、亀の歩みのようなスピードで枝光が姿を現した。

 疲弊でげっそりしている。しかも目が赤く腫れている。


 校長が火だるまになった後に僕は目を覚ましたけど、枝光は散々な目に遭ったようだ。力になれずに申し訳ない。


「秋吉殿が校内をうろついたあげくに狂っていないか、心配で慌てふためいていた」

「なんだ、そんなこと」


 胸を撫で下ろした瞬間、枝光は一気に距離を詰めると、ためらいなく膝蹴りをはなった。


 その一撃がみぞおちにヒットしたかと思うと──地面に崩れ落ちていた。

 必死に酸素を取り込むと、ヒューヒューと気管が変な音をたてている。

 アレ? 意外と強めのキックだったのね……。


「え、えだ、みつ……?」

「そんなこと? へえ、よくそんなこと言えたね」


 兄を見下す目が冷ややかだった。

 そ、そんなに怒るほどのことだっけ? 

 まだ『そんなこと』しか言っていないけど、気に触るようなことをしたのなら、ぜひ謝らせてください。

 ごめんなさい。


「お兄ちゃんは呪われているんだよ? 狂ってしまうんだよ? それなのに、どうして平然としているの?」


 平然という言葉を選んだけど、本当は見抜かれている。


 本当はこう言いたいのだ。


 軽んじているよね? 

 なんで危機感を持たないの? 

 なんでお兄ちゃんを心配している僕に気づかないの?


「僕の代わりに言うけどね、お兄ちゃんは自分勝手なんだよ!」


 張り裂けそうな涙声で枝光は叫んだ。

 

 リスクを負うのは自分一人でよかったのに。

 なんでお兄ちゃんまで呪いに近づいたのか意味がわらないし、いまだ緊張感のない態度も気に食わない。

 情報収集も分析もこっちでやるから、せめて夢の中で生き残る努力くらいしてよ。


 泣き腫らした目が懇願している。



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「預けたのになんで戻ってきたの? 不幸になりたいの? 死にたいの? だったら僕の知らない場所で僕に気づかれずにくたばればいいんだあ! うわああ!」


 顔を覆ってしゃがみこんだ。


 しかし僕は罪悪感より恐怖心が込み上げてきた。同じだ。うずくまる瑞橋先生と重ねてしまう。


 枝光の精神が不安定なのは、夢の影響も関係しているではないか? 

 まずはなだめるべきなのに、そんなことを考えてしまう。


「え、枝光! しっかりしろ!」

「なーんちって」


 嘲笑を含んだ声が返ってきた。

 チェシャ猫のようにニヤニヤ笑いの枝光が、何事もなかったかのように立ち上がった。


「枝光、その、ごめん……」

「気にしなくていいよ、兄ちゃん。私は僕を基準に行動している。僕だったら兄を心配するだろうと分析して実行しているだけだ。よって『私の涙は本音じゃない』」

「え? あ…………へえ」


 土下座する心づもりはできていたのに、思考が停止した。


 涙は本音じゃない。そのセリフを頭の中で繰り返すうちに心が冷たくなっていく。


 あー、じゃあ演技だったんだ。

 演技で蹴りつけたりするんだ。

 全然手加減してくれなかったな。

 うわあ、怖いなあ。


 枝光はもう一度、気にするなよと言ってくれた。

 気の毒な人に優しくするような声音だった。



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「しんちゃん、ひかる、朝ごはんの準備が……春川くん?」


 外に出てきた清末兄さんが、大きく目を見開いて固まっている。

 いつも寝ぼけて眼でぼんやりしているのに、この時は、はっきりといた。


「清末兄さん?」

「……」


 愕然した表情のままゆっくりと近づいてくると、慎重に手を伸ばした。

 いつもとは違う兄さんの反応に、森井と枝光も神妙な顔つきで見守っている。


「兄さん! なに!」

「……」


 肩に手を瞬間、ほっと息を吐いた。僕にはなぜか安堵の表情を浮かべているように見えた。


「ふ、触れられる。じゃあ、霊体ではありません。おかえりなさい春山くん」

 春山? あ、もしかして……。

「は、春山じゃなくて春川だよ。いや、違う……違うんだよ、清末兄さん」

「よくぞ無事に帰ってきました」


 清末兄さんは、戸惑いと罪悪感の混ざった表情に気づかないまま喋り続ける。


「みんな、春原くんを心配していましたよ。これから他のきょうだいに怒られるかもしれませんが、それは心配のあらわれです」

「あの、兄さん……」

「お腹は空いませんか? 僕、玉子焼きが上手に焼けるようになりました」

「兄さん! 僕は秋吉です!」

「え……」


 弾んでいた声が、一瞬で凍った。

 兄さんがまじまじと見つめる。狐につままれたような呆然とした面持ちに、まだ現実を受け入れたくなさそうな困惑をにじませていた。


「兄さんは、人違いをしているよ! 僕は、秋吉だ」


 聞き取れるようにゆっくりと伝える。

 間違いを正すと、みるみる彼の顔から感情がなくなっていく。

 いつも通りの覇気のない顔だが、この時は物悲しそうなオーラを放っている。

 見ているこっちの心が痛くなった。


 そうか、兄さんは服で人を判定しているのか。

 今日はジャージを着ているから、いつもジャージを着ていたあの人と間違えた。


 勘弁してよ。

 そんな反応をされるのなら別の服にしておくべきだった。


「清末兄さん、家に戻るぞ。あんな奴が戻ってくるわけがないだろう」


 森井が苛立った声で言った。

 あの人が嫌いだからって、そんなに冷たく突き放さなくてもいいのに。


「きっとどこかで元気に過ごしているよ」


 ごめん兄さん、これくらいしか言ってあげられない。


「はい……。まだ生きているといいのですが」


 あの清末兄さん落ち込んでいる。家に戻る背中から哀愁が伝わってくる。


「今日は休学なのか。このあと図書館で調べ物をするが、秋吉殿も同行するか?」


 遮るように、森井が僕の目の前に移動した。

 清末兄さんのことなど気にかけるなと仏頂面が訴えてくる。



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「……行かせてください。ごめんなさい」

「なぜ謝る? あの人は勝手に誤解して落ち込んでいるだけだ。秋吉殿が罪悪感を抱くのは違うだろう?」

「そう言ってくれるとありがたい。……ところで、もう一つ僕に言うことがあると思うんだけど」


 枝光に蹴りを入れられたみぞおちをさすると、森井は首を傾げた。


「秋吉殿も枝光君も愚かだな。どちらも自業自得なのに。お互いを心配して関係が険悪になっている」

「……枝光に蹴られた僕を気にかける言葉は?」

「災難だったな」


 そっけないというべきか、どこか上の空だった。

 何故そんなことで仲が悪くなるのだろうという疑問に気を取られて、全然同情してくれない。


 彼女の感性では、泣き喚いたあげくに実の兄に激怒した枝光が、未知の生き物に見えていたのかもしれない。


「清末兄さんが手を打ってくれたんだ。死にやしない」


 合理的な彼女らしい考え方だ。

 理屈はわかるけど、僕はどうも納得がいかない。

 兄さんを信頼していないわけではないが、すんなり割り切れない。


「だいたい夢の中で腹を刺されても、現実の肉体に損傷はない。気をつけるべきは、夢の影響が現実に反映されることだ」


 うん、そうだね。

 先生は何かに追われていた。

 夢から覚めたからといって現実で警戒を解いてはいけない。


 奇妙な夢では人間は狂ったりしない。

 でも怪物が現実の世界でも危害を加えるのなら、僕らは間違いなく頭がいかれるだろう。

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