夢を見た張本人なのに、一番遅れている

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 夢を見た張本人なのに、一番遅れている。

 さて、思考を切り替えてみよう。


 人間を狂わせる怪物から逃げているつもりだったけど、真相は違う。

 怪物に奪われた皮を取り戻すべく追いかけていたようだ。


 ……いや、取り戻していない。

 目が合えば問答無用で皮膚を剥ぐのだから。


「誰の葬式なのか判明すれば怪物を当てられる。そして怪物候補は五人もいる……いや、お茶をいれていた女性は違うか。あそこで皮を取り返していれば葬式は始まっていた……」


 枝光は好奇心で目を光らせている。ジグゾーパズルのピースが足りなくても、手持ちのピースで完成に近づけようとするタイプだ。


 ゲーム感覚で怪物探しに取り込んでいるものの、ふざけている雰囲気はない。

 その証拠に口角は上がっているが目は笑っていない。

 本気で当てるつもりだ。なぜなら……。


「兄ちゃんは途中で起きたんだ。次に眠るとあの夢の続きがはじまると想定して、誰にどんな質問をするか考えよう」

「枝光君。わざわざ推理せずともみんな屋敷から出れば早いだろう」



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「……二人とも、真剣に考えてくれてありがとう。でも、たぶん手遅れだ」


 怪物を当てるよう迫られた時、僕は思考を放棄していた。

 炎の勢いは凄まじく、屋敷やあの場にいた人々だけでなく庭の木花を飲み込んでいった。足元にまで近づいてきたが、僕に引火しなかった。


 なぜなら僕に解答権があったからだ。

 間違えると、とんでもないことが起きそうな予感もあったけど、なにより延命のために答えなかったのだ。


 僕が夢から覚めれば怪物を当てる救世主がいなくなる。

 そのまま檻は壊れて怪物は自由になった。


 思考を手放しておきながら、この結末だけは予感できた。


「でも、あの夢でおしまいではないだろ?」


 同じく夢を見ていた枝光は、共感を求めてきた。


「……うまく説明できないけど、まだ怪物につきまとわれる予感がある」


 夢を通して僕は怪物を認識した。

 それだけで充分だ。怪物は存在意義を見出した。

 だから怪物は僕の周りをうろつく。なぜか確信があった。



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 その確信の延長で、怪物の幻覚を現実で見るかもしれないという不安が拭えない。

 実際に瑞橋先生は、何かから逃げていた。


「あー、アメリカ人の肩こり現象みたいな理屈だな」


 枝光はあぐらをかいた。丸太のごとく横たわる兄から降りる気配はない。


「なんだよ突然。アメリカ人の肩こりは特別なのか?」

「知らないのかよ兄ちゃん。『肩こり』という言葉はアメリカにはないんだよ。でもその言葉を覚えたアメリカ人は肩こりになるって一説だ」


 ああ、思い出した。

 サピア・ウォーフ仮説だっけ? 

 言語によって世界を形成する。そんな考え方だったような。まあ、言語というより認識だ。


 肩こりを知ったから肩こりが発生した。

 夢を見たから怪物の脅威を知った。


「怪物を何度も見たら火にまつわる死を遂げるんだっけ? でもそれって夢だけの設定じゃないの? めんどくせー。やってらんないよ」


 枝光は大きくあくびをした。

 さっきまで模範した人間を当てようと目をギラつかせていたのに、やる気をなくしている。


 お、おかしいな。本来の枝光は物事を深刻に考えてくれるのに。


 そういえば、枝光は僕の夢を頼りに今後の方針を決めている。枝光だって石を枕にして寝ていたのだから奇妙な夢を見ていた筈なのに。



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 僕の訝しげな視線に気づくと、枝光はなんてことないといったふうに手を振った。


「兄ちゃんが選んでいない方のルートを選んだよ」

「え? 誰が?」

「誰がって……あのさ、兄ちゃんは屋敷にあがる直前に、屋敷を管理している加納家の人に話を聞こうと考えたじゃん? そのときお手伝いさんはなんて答えたっけ?」

「ご主人は別件でいない。奥様は近くにいるから話ができる」

「違うよ。旦那様は屋敷から離れた倉庫にいると答えた。屋敷には入るなと和尚に言われたのだから、まずは旦那に話を聞くだろ?」

「あ。そうか」


 そうだった。あの小間使いに近い方を案内されたんだ。

 話を聞くために屋敷へ上がらなければならないと腹をくくったけど、安全な方を見落としていた。


「おっと? その反応を見ると、流されるまま屋敷に入ったな? まあ気持ちは分かるよ。誘導されたらついていくものだ」


 だけど枝光は踏みとどまった。それでいい。正解だ。

 一方僕は流された。そのせいで余計な事情に巻き込まれたあげく、怪物を見つけるよう強要された。


 冷静に考えれば、怪物の問題は加納家が担当だ。

 まったくの素人に怪物を当てさせようとする流れは悪意でしかない。

 


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 ちなみに別ルートを選んだ枝光は、和尚に頼まれていた桐の箱にたどり着いた。

 とのろが、和尚に渡すことはできなかった。

 ちゃんと本来の目的をはたしたのに。


「なぜか寺と和尚は炎に包まれていた。だからおつかいは失敗」

「そんなことってあるのかよ……」


 枝光の行動は正解だ。それなのにこの結末なのか。

 問題を差し出しておきながら解決させない。


 理不尽で腹立たしいけれど当然だ。

 人を呪うための箱ならば、易々と助かる手段を与えたりしない。


落とし前をつけるために怪物を見つけなきゃならないと思ったんだけど、この感情は誘導されてるな。あ……」


 しまったと、枝光が額を抑えてうなだれた。

 夢の中でやりたいことがあったのに、目が覚めたあとで、思い出したような反応だ。


「箱を見つけたのに開けていない! ちくしょう! 確認しておけばよかったよ!」


 あちゃーと額を叩きながら、落胆の声をあげた。

 楽しければなんでもアリの枝光として、真面目におつかいを済ませるだけでは失態なのだ。


「何が入っていたのか、枝光君は想像できそうか?」

「わからねえ。蓋を開けると目が合って狂うって予感はあった。なんでだろ? この理由を判明するためにも中身を確認すればよかった」

「相変わらず枝光君は旺盛だな。本当に箱を開けなくてよかった」


 森井の目つきは冷ややかになった。

 カンが働いているのに箱を開けたがる思考が理解できないのだ。


 僕も森井に同感だ。

 枝光が余計な怪我を負わなくてよかったよ。



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「屋敷ルートの方が楽しいな。スリルがある。さすが兄ちゃん。エンターテイナーの鑑だ」

「褒められても嬉しくない……」



 屋敷にあがった僕は無謀な怪物当てを強いられ、おつかいを遂行した枝光君ははぐらかされた。

 どちらの夢も、炎がすべてを焼き尽くして終わっている。


 そう。あの夢は燃え尽きて終わった。

 では次に怪物はどうしかけてくる? 


「皮を剥がされる。脳に異常をきたす。火事に見舞われる。この三つが身に起こるかもしれない最悪な事態だな」


 僕の疑問に答えるように、枝光はウキウキしながら怪物の攻撃を挙げた。


「やべーな。楽しみだ」

「楽しむな。枝光君はもっと緊張感を抱くべきだ」


 森井は呆れているが、否定はしない。


 現実的に考えて、全身の皮を剥かれる状況なんてありえない。

 どういう経緯で起こるのか問いただしたいが、説明できなくても現実に起こり得てしまうのが怪異なのである。


 そんな不条理な世界を森井たちは生きている。



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「もっと情報が欲しい。秋吉殿にいわくつきの石を押し付けた教師に話を聞きたいので、明日にでもここへ連れてこい」

「そ、それは無理だ……」


 先生はひどく錯乱した挙句、倒れてしまった。

 意識を取り戻しても、不安定な精神状況では簡単な質疑応答もままならない。

 いや、通常でも意思疎通を図るのは困難だ。


「その人が錯乱して倒れたのは怪物のせい? なら兄ちゃんも同じ末路を辿るのか?」


 だから、なんで枝光は声を弾ませているんだ? 自分も例外でないことを忘れるなよ。


「先生は目を押さえて叫ぶ前に、追いつかれたと言っていた。それ以外のことは、わからない」

「チッ、役立たずめ。錯乱する前にもっと情報をよこしやがれ!」


 枝光は腕まくりをしながら、演技がかった口調で怒鳴った。楽しんでやがる。羨ましくなってきた。


「情報聴取は不可能か。とりあえず、今日はここまでだな」


 階段を登る足音を聞いて森井が切り上げた。割烹着姿の清末兄さんが部屋に入ってきた。


「夕飯ができました。人参と里芋を煮こみました。あと魚を焼きました。秋吉くんも食べますか?」

「じゃあ僕は帰るから。お疲れ様」


 これ以上長居はできない。

 逃げるように駅まで走った。



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 いつもより遅い帰宅だが、家の窓から明かりは見えない。父より先に、自宅に到着できてよかった。


 流しの下からコーラ缶を取り出す。三口ほど胃に流し込むと腹が膨れた。今日はこれで充分な気がする。


 ご飯は買うなり作るなり好きにしなさいと父は言うが、親戚の家で食べることは許さないだろう。

 なぜなら真田家を敬遠しているから。


 枝光がいなくなったあと、父は残った息子に二つの要求を託した。

 真田家には近づくな。

 優秀であれ。


「だからテストでカンニングなんかしたんだよ。ふざけんな」


 心の中で言ったつもりが、声に出てしまった。

 反射的に口を押さえた僕の視界に、もう片方の手で握られた缶コーラが入った。

 コーラ。そういえば、飲んでいたんだ。


「……」


 今日は騒がしい一日だった。自覚していないだけで疲れているのだろう。


 自室のベッドで目を瞑ると、意識が浮上する感覚に包まれた。

 眠りにつく前兆だ。


 浮遊感睨みを委ねていると、脳裏にあるイメージが広がった。

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