なぜ肩を見ているのか尋ねる前に、枝光はからかうように口のはしをつりあげた。

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 なぜ肩を見ているのか尋ねる前に、枝光はからかうように口のはしをつりあげた。

 しかし慎重深い目つきをしている。これより先、兄の反応を見逃すものかと、目をきらめかせている。


「女でもフったか?」

「は?」


 質問の意図が見えない。

 なぜ、「告白されたか?」ではなく「フったか?」と尋ねたのだろう。


「恋愛とは無縁の学校生活を送っているよ。告白なんてもってのほか」

「意外だな。『兄ちゃんモテそうなのに』」


 たいして驚いていない様子で放ったその声は、ザワリと耳に残った。

 枝光と話していると、なんとなく嘘を感じ取れる時がある。


「わかった。じゃあ廊下で足を踏んづけたわけだ。だから怒ってんだよ。気づかなかったとはいえ、その時に謝っとけばな……って、そりゃ矛盾か」


 枝光は咳をするように肩を揺らして笑った。自分の発言がツボに入ったらしい。

 いきなり女子が出てきたが、ピンとこない。


「これは何の話? 枝光には何が見えている?」

「怒った女の顔が兄ちゃんの体にかぶさっていたんだ。かなり大きな顔だよ。ウケる」

「ウケるのか」


 幽霊なら心当たりがある。

 森井を錯乱させた危険な立方体をまだポケットに入れたままだ。

 しかし、枝光は首をかしげた。


「あれは生霊だよ。明確に兄ちゃんへ感情を向けているから、はっきり見えた」

「生霊?」

「真面目だけど我慢強い方じゃない。神経質で融通が効かない。お、その顔つきだと、誰のことかわかったみたいだな」

「………………それ、マジなの?」


 その特徴が当てはまる女性は、放課後に石を押し付けてきたあの人しか思いつかない。

 解放されたと思ったのに、生霊がついてきたのか……って、マズイな。

 ちゃんと“箱”を使うのか監視しているじゃないか!



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「枝光さんに相談がありまして……」

「お祓いは僕の専門外だぜ。そもそも戦力にならない」

「そういうことじゃなくて……もっとフランクな話なんだけど……」

「フランクな相談をするには兄ちゃんの顔色が悪いけどな。それとも肩の力を抜いて話を聞いてくれって意味か?」


 顔色の悪い兄を前にしても枝光はへらへらしている。まあいい。

 深刻な事態を聞いてともに暗くなるより、問題を受け流してくれる方が気は紛れる場合だってある。


「まったく親しくない人が『あなたのことが心配だから』といきなり石を渡してきたらどうする?」

「なにそれ怪しい! もちろん受け取るぜ!」

「その石を枕の下に置いて寝るだけで素晴らしい生活が待っている。どう思う?」

「疑わしいな。試してみようぜ!」

「あ、違うんだ……。そういう意欲的な反応は求めていない」


 怪しいから手を出すべきではない。そういう前提で話を進めたいのに足並みがそろわない。


 おかしいな、本来の枝光は注意深くて警戒心が強い性格なのに。なんで目を輝かせているのだろう。


「お兄ちゃん、深刻な相談は俺にするべきじゃないよ? つーわけだから、面白がりながら聞いてやる。ていうか、見せてくれよ。持っているだろ?」

「ポケットに出したとたん森井が取り乱した。警戒した方がいい」



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 森井の名前を出したとたん、枝光が目を大きく見開いた。


「それ、いつの話? 森井ちゃんは大丈夫かな?」

「枝光が帰ってくるまでの出来事だよ。清末兄さんが助けてくれた」

「マジかよ。森井ちゃんがパニックになるって、かなりやべーじゃん。『兄ちゃんが口車に乗って幸せになろうとしなくてよかった』」


 枝光はわざとらしく胸を撫で下ろしながら僕を見た。

 今更幸せになっても意味のない僕に、なにを言っているのやら。


「まさか。僕は幸福を求めるより、これ以上不幸にならないよう努めるよ」

「僕と同じこと言ってんじゃねーぞ腹が立つ。……そんなこと言わないの。空気を悪くして僕を困らせないで」

「ここからが相談だけど、おそらくそのやべー物を押し付けた人物が生き霊の正体だと思う。どうしよう。やっぱり使った方がいいだろうか?」


 おちゃらけていた枝光が固まった。うん、そうだね。今の発言はおかしいよねー。


 ところが枝光は馬鹿にするそぶりを見せなかった。

 ただ、最初こそ神妙な面持ちで兄の顔色をうかがっていたが、本気で迷っていると分かるなり鼻で笑いやがった。


「……いやいやいやいや。なんでそうなる? 兄ちゃんはソレが危険だと理解しているだろ?」



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さっきまではいい加減に会話のラリーを続けていたのに、目の色が変わっている。


 はっきりと否定せずに、まずは愚兄の意見を聞き出す。雑談を楽しんでいるのではなければ判断だ。


「生き霊を飛ばすほど、使わせたがっているんだよ。あの人のことだから、枕にしないで親戚に渡したら本気で怒るに違いない」

「見えない顔色をうかがってんじゃねーよ。問題はそこじゃないってのに」


 枝光は笑顔を装っているものの、目が泳いでいる。兄をどう説得しようか思案している。


 やれやれと小さく息を吐くと、枝光は真面目な声で話しかけた。

 しっかりしてくれよと言いたげに僕を見ながら。


「じゃあ質問。なんでそいつは兄ちゃんに石を使わせたがる?」

「自分が手を出して追い詰められているから。助かるために他の人に転嫁しようとたくらんでいる」

「あー、なるほど。ホラー小説でたまに見かける展開だな。でもさ、たとえ兄ちゃんが指示に従ったとしても、そいつが追い詰められたままだったら?」


 枝光の想定する最悪の可能性に、ハッとなる。

 そうだ。なんで、実行しても意味がない場合を忘れていたのだろう。


「そうか。僕が損をするだけだ」

「よし、気づいたな。わかったならその石をよこせ」


 枝光はどこか安心した様子で、手のひらをこちらへ向けた。



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 予定通り真田家に石を預けたけれど、安心するにはまだ早い。


 明日になれば、先生はちゃんと“箱”を使ったのか確認するだろう。

 それこそ深刻に考えないといけない問題だ。


「いいか? 質問に答える側に回るなよ。不利になるから。むしろ質問しろ。情報を聞き出せ」


 枝光は狡猾な笑みを浮かべ、手のひらの上で石を転がした。

 ボードゲームで逆転をうかがっている時も似たような表情を浮かべている。つまり、この状況を楽しんでいる。


 兄のピンチな時にへらへら笑うんじゃない。実家にいた頃の枝光なら、もっと深刻に受け止めてくれたのにな。


「ムリムリ! お兄ちゃんはただでさえ小心者なのに、俺のために頑張ってボロを出しちゃうんだ! 可哀想だよ!」


 もう一人の心優しい枝光が心配してくれているのに心がえぐれる。そんなことはないと否定できないだけに、精神的ダメージが大きい。


「私はビビリだな。 この一点張りで押し通せばいいんだよ」

「アレってなんだ?」

「さあ? そこは相手が勝手に解釈してくれるから、真面目に考えなくていいよ」


 なるほどね、とりあえずリアクションさえしておけば相手は納得してくれるか。

 たとえ不満を言われても、「でも言われた通りに寝ました」と一点張りで押し通そう。



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「できれば、誰に石をもらったのか聞いてほしいが……無理だな。ごめん期待し過ぎた」


 おい枝光、謝罪しておきながら、失望したと言わんばかりにため息をつくな。何気に傷つく。


 そりゃあなら情報を聞き出すことくらい造作もないが、世の中の人間全員がうまく会話できると思わないでほしい。


 さっきから僕の心はズタボロだ。もっと兄ちゃんに優しくしてください。お願いします。


「だって無理なものは無理だろ?」

「…………」

「じゃあ、せめて伝言を頼めるか? もちろん拒否は認めるぜ」

「ぜひやらせてください」


 自分本位なあの人が、こちらの声に耳を傾けてくれるとは思えないけど、まあダメ元で伝えてみようかな。

 どうか挑発的な言葉ではありませんように。


。……それだけだよ」

「それだけ?」

「ついでにその反応をよく見といてくれよ。真田を知っているかの確認を取るだけな。簡単だろ」

「わかったけど……どういうことだ?」

「それよりお兄ちゃん。トランプしようよ」


 石をポケットに入れるなり、枝光が毒気のない笑顔をつくった。


 話が終わったから入れ替わったのだ。メッセージを伝えてくれれば、詳しいことは知らなくてもいいと判断した結果、僕は理由を教えてもらえなかった。


 まあいいさ。余計なことをしてボロを出すぐらいなら最低限のお願いだけこなそう。



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「清末さんはゲームが苦手で、森井ちゃんは数字に馴染めないんだよ。だからお兄ちゃんがいるときじゃないと遊べないよ」

「いいよ。枝光が満足するまで遊ぼう」


 霊能力者のための訓練場でもあるこの家には、トランプやオセロや百人一首などのおもちゃが置いてある。


 僕がきょうだい達と打ち解けようと、実家から持ち出したものだ。

 ところが清末兄さんと森井はゲームが大の苦手で、まともにあつかえるのは枝光しかいない。


「オセロなら森井ちゃんもできるよ」

「白と黒だけだから?」

「シンプルだしね。ちなみに清末さんはしりとりを練習しているよ」


 しりとりって練習するものだったのか。

 たしかに今までやったことがないのならルールを覚えるまで苦労するのかもしれない。


 とくに清末兄さんは、僕らが当たり前にできることができないから、いろいろと苦労している。

 それにしても、しりとりって難しいか?


「いつか僕と遊ぶために頑張っているって言ってたよ」

「本人がんだ……。なんか意外」


 物静かで植物のようなあの人は、基本的に指示に従う性分だ。主張なんてしない。

 人間は長く生きていれば、自分の意思で努力するように変化するのか。


 変化といえば、枝光とこうしてカードゲームをしている現実を、僕は信じきれずにいる。


 むかしは、ままこだからといって僕とペアを組んでいた。いつも隣にいた枝光が、今では一人で手札をあつかっている。こんな日が訪れるなんて思いもしなかった。



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「それにしても呪いの石ね。いかにも俺が興味を持ちそうだね」


 枝光はニコニコ笑っていた。


「つ、使うなよ。本当に危険だから」

「大丈夫だよ。さすがに退屈だからって、僕に迷惑をかけたりしないよ」


 そりゃそうか。あいつが好奇心で呪いに近づいたことなんて過去に一度もない。


「月末にお祖母様が訪問されて、引き取った写真や人形を回収してくるんだ。この石も渡しておくね」

「たのむ」


 巡り巡ってこの得体の知れない石は正しい処置をうける。

 二度と被害者はでない。

 これにて一件落着……と言うのは、まだ早いか。


 明日先生に、枝光から託されたメッセージを伝えよう。

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