まるで木の下を通っただけなのに慌てて逃げるスズメ集団のようだ。
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まるで木の下を通っただけなのに慌てて逃げるスズメ集団のようだ。
ホームルームが終わるなり、クラスメイトは一斉に教室を出て行く。
できることなら、僕もそのうちの一人でありたかった。
よりによって、厄介な人に居残りを命じられた。
無駄な時間を嫌うあの人がわざわざ放課後に時間を作った。
その理由を考えると胃のあたりが痛い。
気が済むまで八つ当たりを受けるかもしれない。
覚悟を決めていると、瑞橋先生が教室に入ってきた。
初手で暴言やタックルを警戒していたのに、先生がまずドアを内側から鍵をかけた。
それから窓がちゃんと閉まっているか一つ一つ確認していく。
え? そこまでしますか?
いざという時に逃げられないじゃないですか。
悲鳴をあげても助けがこないじゃないですか。
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「ああ、誤解しないで。間違って人が入ってこないようにしているの。シューキチくんのプライバシーを守るためなの。あなたにとって都合の悪い話だから。聞かれたくないでしょう?」
「あの……どうして瑞橋先生なんですか? 僕の担任や世界史の教師ならまだしも……」
「あなたがカンニングをしたからです」
それ以外に何があるのかと言わんばかりに、先生は堂々と言った。
不正行為を咎めるのは間違っていない。
それでも一言だけ言わせてほしい。
あなたが叱る筋は通っていない。
「しょ、証拠でもあるのですか? カンニングペーパーはシュレッダーにかけておいたのに……」
「隠滅してもわかるのよ。あんな高得点なんてあり得ない」
「高得点? 世界史は平均点よりわずかに上でしたけど……」
「ねえ、さっきから会話が噛み合っていないことに気づいてる?」
鋭い眼光を向けられて息を飲む。
ここが家庭科室じゃなくてよかった。
衝動的に包丁を持って迫ってきそうなオーラを放っている。
しかし油断してはならない。
記憶違いでなければ、教卓の中に画鋲が入っている。
この人の性格を考えると、ためらいなく撒き散らすだろう。それも人に向かって。
どうか気づかれませんように。
「誤魔化さないでちょうだい。ていうか、本当はわかっているのでしょう。いつまでとぼけているの?」
「いえ、そんなつもりはまったくありません」
「あからさまに別の話を持ち出して話を逸らしているじゃない」
「先生、僕たちは何の話をしているのでしょう?」
「だから! 古典の試験であなたがカンニングをしたから叱っているのよ!」
先生は、近くにあった机を蹴り飛ばした。
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しかし、殺気を放ちだした先生を見れば見るほど、僕の心は落ち着きを取り戻していた。
カンニング? 古典で? なんだ。それなら無実じゃないか。
「誤解です。僕がカンニングをしたのは古典ではありません」
「まだとぼけるのね」
「証拠があれば考えを改めます」
「言ったわね。受けてたつわ」
証拠なんてあるわけがない。
それなのに先生は獲物を狙う獣のようにぎらついていた。
小さく息を吸うと、高得点があり得ない理由をまくしたてた。
「いつもボーっとしてやる気のない態度で話を聞いていて、音読を頼まれても覇気のない声で読み上げて、解答を板書するのに筆圧の薄い小さな字で書く中平シューキチくんが、毎回熱心に授業を受けている
「そ、そんな……」
それは酷い。先生の口から放たれたギスギスしたものは根拠ではなく偏見だ。
贔屓にしている生徒より点数が高いことに納得がいかないのだ。
ただ、先生が下した中平シューキチの評価は間違っていない。
良くも悪くも目立ちたくなかったので、優等生にもヤンキーにもならないように中間の立ち位置を意識していた。
その努力が裏目にでた。
だが自業自得にしては不憫だ。
全力を尽くしただけなのに、この点数はあり得ないと実力を否定された。
一回も授業をサボっていない。まして居眠りなんてしていない。
やる気が見えないだけで不真面目ですか?
「……運が良かっただけです。たまたま……そう、本当にたまたまヤマが当たっただけです。お願いします。そういうことにしてください」
「その発言は、カンニングをうやむやにしたい気持ちのあらわれとみなします」
信用されていないと、シンプルな意思疎通さえ困難になると痛感した。
反論も正論も先生には届かない。まだ無駄な抵抗をしていると呆れた目を向けられるだけ。
もともと自分の意見を押し通す人だから、意に反する声は聞こえないのだろう。
ならば確固たる意思を揺るがしてみせよう。
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間違えても睨まないように。
堂々と、自分の方こそ正しいのだと言わんばかりの態度を装って、対話を試みる。
「わかりました」
「ついに認めたわね」
「僕はカンニングなんてしていません。けれど先生は僕の不正を注意したい。どちらかが折れるまで、無駄な押し問答が続くとわかりました」
案の定先生は不機嫌になった。
「あなたが認めればいいの。そうすれば次の段階へ行けるの」
「僕は無罪を主張します。仮に僕が不正行為に手を出したとしても、痕跡が見つからないのなら、しらばっくれます」
「じゃあ証拠を持ってきなさい。自分がカニングをしていない証拠を」
「証拠なんて必要ありません。もっと手短に白黒つける方法があります。たった今からテストをおこなえばいいのです」
今から出された問題を口頭で答える。
もし答えられなければカンニングをしていた証明になる。
このルールだと先生が有利になる。それでも挑みますという姿勢を先生にアピールする。
熱意におされたのか、先生は目を逸らした。
好機を感じた。押し切ればなんとかなりそう!
「いやよ。時間の無駄」
「なら、一問だけに減らしましょう。時間が惜しいのでしたら、解説とか省いて答えだけ言いますから」
古典が得意である姿を貫いて話を進めていく。
お願いします。諦めてください。
この際うやむやにされてもいい。
今回は見逃してあげる。でも次は許さないから。そう言ってくれれば十分だった。
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「……どーして、こうなっちゃうのかなー」
瑞橋先生の声は怒りを通り越して無感情だった。想定していたように物事が進まなくて、ふてくされている。
「違うのよ、違うの。私はシューキチくんを心配しているだけなの。いつも幽霊のように気分の沈んだ顔をしていて、カンニングにまで手を出した中平シューキチくんを心配しているだけなの」
僕は耳を疑った。
カンニングを問い詰めるのはまだわかる。
だけど心配ってなんだ?
自分さえよければ、あとはどうだっていいこの人が?
ありえない。
「カンニングなんてどうだっていい。はじめから咎めるつもりはなかったの。問題行動を起こしたシューキチくんの心の内を聞きたかったの。ねえ、悩みとか抱えているんじゃない?」
「いえ、ありません」
生きているのなら、劣等感や不満はつきものだ。
今のところ、心が打ちのめされるような挫折や失敗に出会っていないし、その時は折り合いをつけて生きていけばいい。
だから先生、余計なお世話です。
「本当に? 本当は蓋をして見ないようにしているのでしょう? 本当は我慢してやり過ごそうとしているのでしょう?」
今まで聞いたことのない優しい声に背筋が凍る。気味が悪い。
何をたくらんでいるのだろう?
早くここから逃げ出したい衝動にかけられる。
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「僕は悩みを親友に打ち明けるタイプなので瑞橋先生には迷惑をかけません」
「シューキチくんに親友なんていないわよ」
その場しのぎの嘘を吐いたら目にも止まらぬ速さで切り返された。
たしかに和輝の関係は友情ではないけど、はたから見れば友達だと勘違いされてもおかしくはないと思うんだけどな。
会話をしているだけの関係が友情としてカウントされないのなら、友達のいる高校生は全国に何人いるのだろう。
「そんな寂しい学校生活を送っていれば、シューキチくんの心がすさんで当然だわ」
本人は同情的な態度をとっているつもりでも、あきらかに見下されている感覚がまとわりつく。
カンニング疑惑は免れたけど、話の終着点が見えない。
この人は何がしたい?
「このままじゃあなただって嫌でしょう」
「はあ……」
「今回はカンニングだったけど、今後はタバコに手を出すかもしれない。そんなの可哀想だわ」
「はあ……」
「きっと嫌なことが重なってるのよ。運気が下がっていると言うべきかしら」
「はあ……」
「…………さっきから気の抜けた返事しかしねえなぁ!」
椅子が飛んできた。
顔に直撃しなかったものの、通り過ぎたあとに風圧が頬をかすめた。冷や汗がこめかみを伝う。
「察してよ! 私は、今のシューチキくんがダメだから、変わるべきだと言ってるの。どーして伝わらないの? はっきり言いにくい内容なんだから聞く側が勘づいたっていいじゃない」
教卓を激しく叩きながら先生は叫ぶ。
騒ぎを駆けつけて誰か来てくれないかな。
あ、でもドアは鍵がかかっているから、自力でなんとかするしかないか。
「気が利かずもうしわけありませんでした。先生の気遣いに気づかない僕はバカです」
「分かってくれればいいの」
一瞬で先生は笑顔を取り戻した。
さっきまでの激怒が嘘みたいだ。
いや、話を有利に進めるための演技だったのかもしれない。
「こちらこそ、ごめんなさい。いきなり変われなんて言われたから驚くわね。何言ってんだろうってなるわよね」
「あ、はい……」
「…………………………『はい』? 否定しないの?」
「先生は改善する提案があるのですか? バカな僕には思いつかないので、ぜひ教えてください」
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瑞橋先生は満面の笑みで真っ黒な立方体を見せてくれた。
大きさはピンポン玉くらいだ。
「これは箱です」
「でも先生、蓋がありません」
「悪いものを収納するので箱で間違いありません。それにあの人が箱だと言っていたの。箱でないわけがないのよ」
「なるほど。先生に箱の説明をした人に詳細を聞いた方が早そうですね。あの人って誰ですか?」
「これを枕の下にしのばせて眠りにつくの。それだけでシューキチくんの悪い運気を吸い取ってくれるの」
「はい、素晴らしいです」
こちらの質問は受け付けないようだ。
信じがたい話だが、先生の目は本気だ。
実際に使ってなにかしらの効果があったのだろう。
だからカンニングをでっちあげてまで、箱を押し付けようとしている。
なんでだろうね?
「すごいのよ。一日目から効果がでたわ。上手く説明できないけど、急に良くなったのよ。本当よ。信じなさい」
「これって先生の私物なんですか? 恐れ多くてお借りできません! 弁償するお金なんてありません」
「あげるわ。私はもういらないから! だから所有権はあなたに譲るわよ」
こんなに素晴らしい箱なのに、一刻も早く手放したがっている。
なにかウラがある。ここで頷けば後悔することになる。
わかっている。わかっているけど……。
「……先生がいらないのなら、引き取ります」
血相を変えて箱を差し出す先生が悲痛で、見ていられなくなった。
使うかどうかは別にして、受け取るべきなのだろう。
それがこの場における正しい行動だから。
「そう! そうよ! 分かればいいの! 今日は早く寝なさい。絶対よ。はい解散」
「し、失礼します」
本来の目的が達成したのか、あっさりと教室を追い出された。
やっと解放されたが、逆に悶々としている。
カンニングとか、生徒を心配とか、正直言って回りくどい。要するに先生は幸福になる箱を押し付けたかっただけじゃないか。
いつもなら苦笑いで済まされる理不尽でも、虫の居所が悪いと苛立ってくる。
結局のところ、箱を受け取ってくれるのなら誰でもよかったのだ。
それなら赤点を取った生徒でもいい筈じゃないか。
こいつだったらすんなり渡せそうとでも思っていた?
なめやがって。
思惑通り受け取ってやったよ。どうだ、嬉しいか。
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「そういえば、廊下にいたのは誰だろう」
物騒な物音が何度も発生したのに、誰も駆けつけてこなかった。
だが、既に廊下で突っ立っている人影がいた。
曇りガラスが、微動だにしない人型のシルエットをうつしだしていた。
先生のよく分からない話にいまいち集中できなかったのは、この人影の正体が気になっていたからだ。
教師ならあとでこのやりとりを聞けばいいから盗み聞きなんてしない。
よって生徒だと考えられる。野次馬め。うらやましい。
消化できない感情をかかえて校門を抜けると疲れが押し寄せてきた。
あらためて先生から押し付けられた立方体を観察する。
夕陽にかざすと、光沢のない四角の黒色がはっきりと主張していた。
「この硬さは……石? こんなに綺麗な立方体は珍しいから……削って整えた?」
石は宿るという。
だから川の石は拾ってはいけないし、山の石は崇める対象となる。
先生の反応から考えられることは二つ。
本当にこの石は危険である。
石を渡された何者かに騙されて、危険だと信じ込んでいる。
どちらにせよ、万が一の危険性を警戒したほうがいい。
もしここに親戚がいれば、一目で危険なのか見定めてくれただろう。
僕の親戚はいわくつきの取り扱いに慣れている。
ちょうどこれから親戚の家に行くので、品定めしてもらおう。
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