……なるほど、カンニングか。

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「……なるほど、カンニングか」

「誤解だ」

「やりやがったな」


 違う! そうじゃないんだよ!

 真相を聞けば「ズルい」と言われるけど、少なくともカンニングではない。


「ごめん。和輝の勝負と関係なく、それなりに良い点をとらないと親に白い目を向けられるから……」

「何に対する謝罪だよ。まあ、今回はオレも失敗したし……」


 和輝はさほどショックを受けていない。

 七十に届かない自身の点数を見たときから、こうなることは察していたのかもしれない。


「フフ。笑うがいい。オレは勝負に勝つべく古典担当の瑞橋みずはし先生に補習を頼み込んだのにこのザマだ」

「なんだと……」


 よりによってあの瑞橋先生か……。


 このクラスでも古典を教えてくれる瑞橋先生は良く言えば真面目で合理的な性分だが、悪く言えば神経質ゆえに不機嫌になりやすい。

 この厄介な性格のせいで、生徒から怖がられている。


 ちなみに「合理的」を別の言葉で説明すると、「自分の利益を中心に物事が円滑に進むよう考える」になる。


 だから自分に合わせてくれない人は、知性がなくて察しが悪い馬鹿だと問答無用で見下す。


 誰だって近づきたくないのに、和輝は頭を下げたのか。

 あの自己中心的な人が、個別に補習に付き合ってくれるとは思えないけど……。


「はじめは『授業中にきちんと説明を聞いていれば補習の必要はない』って睨まれた」

「けど和輝はめげなかった。睨まれても」

「十分程度の補習を三回だけ」

「あの人が折れたのか。珍しい。


 合計三十分。少ないような気もする。


 和輝は満足げに微笑んでいるが……なんか、笑顔が乾いている。

 補習を思いだしているのか、目から感情がなくなった。


「……の予定だったけど、三分だけだった」


 かなり減ってるよ。

 一回三分はさすがに少ない。

 なんて声をかけていいのやら。


「あの先生、四月の天気並みに気分が変わりやすいから……」

「そんなロマンチックに表現しても、心が和らがない」

「それにしても短いよな。合わせても十分に満たない」

「と、思うじゃん。違うんだな、これが。一回あたりが三分って意味じゃないんだよ」

「……まさか」

「二回目と三回目はなかった」

「補習になったのか?」

「どの辺りがわからないのか尋ねられたから、どんな問題がでてくるのかわからないと答えた」


 直球というか潔い。

 先生の反応が気になる。


「授業中に配布したプリントを渡された。全部覚えなさいって。あと、単語帳から十問だすから暗記しとけと……」


 声がだんだん小さくなっていく。

 完全に声が聞こえなくなると、和輝は頭をかかえてうずくまった。



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「だからオレは単語帳を借りたし、もらったプリントを暗記した。はじめてカンニングペーパーを作らなかったよ。それなのに……」

「たしかに配布されたプリントと単語さえ覚えとけば落第点はとらない。でも……」


 でも、和輝は高得点をとりたかった。

 先生は、和輝が頭を下げてでも補習を受けたい理由をはき違えたばかりに、見当違いなアドバイスをしてしまった。


「和輝……それでも僕は、お前が高得点をとっていなくてよかったと安心している」

「最低じゃねーか! 友達なら応援してくれよ。せっかくあの子に会えるチャンスだったのに」


 いつのまにか友達認定されていた。

 この前は立ちはだかる壁で、その前は永遠のライバルだったのに。

 次はなんだろう。


「本当にあいつとは会わない方がいいんだって。和輝が殴られても止める自信がない」

「殴られるの? アッキーがイメージしているのは、初対面のシチュエーションだよな?」

「初対面の方が殴ってくるよ」


 正確には、初対面で馴れ馴れしく踏み込んでくる奴には容赦しない。

 仲良くなりたがっている相手に付き合うほどあいつは優しくない。


 せめて心霊スポットに行って心霊写真を撮ったり、幽霊を肩に乗せていれば、対応は変わるだろう。

 でも幽霊がいそうな場所に行きたがらない和輝にそんなアドバイスをしても無駄だ。


「仕方がないから他の手を打つか……。ラブレターはどうだろう? 受け取ってくれると思うか?」

「僕が音読する前提で書いてくれ」

「手紙までチェックされんの⁉︎ それは流石に割り込みすぎだ!」


 本人に渡せば開封するまでもなくゴミ箱行きだ。問答無用で読み上げた方がまだ届く。


「それとも夢の中で会いにいけばいいのか? 今日から明晰夢の練習でもはじめるか」

「楽しくおしゃべりできたら、そいつは偽物だと思っていいから」

「さっきから酷いな! 少しくらい夢を見させてくれよ。なんだかアッキーばかり恵まれてズルいだろ。とくにこのタイミングで夢のお告げとか……あ?」


 なにを思ったのか、急に和輝の顔つきは険しくなった。

 真剣になにかを考えている。話しかけにくい雰囲気だ。



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「知らせようとしたんだよな。しかも急いで……」

「ただの良い夢なんだから、深刻に考えなくて良いよ。仮に警告が本当だったとしても和輝に関係ない」

「ああ、アッキーはそういう風に受け取ったのか。オレとしたことが、墓穴を掘ったか」

「墓穴? 何のこと?」

「いやなんでもない。それより、悪い夢から覚めるには鏡を覗き込めば良いらしい」


 和輝は視線を逸らした。

 強引に話を逸らされたような気がしたが、追及しないでおいた。


 それにオカルト系統の雑学は好きなので、その豆知識について詳しく聞こうじゃないか。


「悪い夢をいる時、原因は背後にいるそうだ。だから鏡を覗けば、必然と後ろに居る何かが映るんだよ」

「姿を見たあとはどう倒す? 僕はお祓いなんてできない」

「アッキーは知らないのか? 魔除けとして重宝されている鏡は、良くないものを跳ね返す効果があるんだよ。だから、映せばこっちの勝ちなんだ」


 あまり難しく考えなくていいと、和輝はあっけらかんとしていた。


 たしかに、鏡は剣や勾玉と合わせて三種の神器と呼ばれている。

 あらためて鏡の強さを感じた。


 しかし夢なのだから多少理不尽な内容でも受け入れてしまうだろう。

 それに悪い夢だと気づいても、都合よく鏡なんて落ちているものか?


「とにかく悪夢には鏡だから。ちゃんと覚えとけよ」

「もしいくら探しても鏡がなかったら?」

「諦めろ」


 まさかの即答だった。真剣な表情から嘘をついているようには見えないけれど、あからさまに他人事である。


「……ちなみに、鏡のおかげで悪夢から助かった人に会ったことはあるか?」

「知らん。だって、この知識は人づてに聞いたから。名前はド忘れしたけど……あいつだよ」

「あいつと言われても、僕はわからない」

「この学校にいるだろ……あー、すっかり忘れちまったな」


 和輝はこめかみを小突いているが、教えてくれた人物を思い出せそうにない。


 もっとも名前をだされてもわからないと思うよ。


 常に一人でいるせいで、クラスメイトの名前さえ覚えていない。

 しかも和輝は違うクラスだ。


 せっかく思い出せても共有できないのでは和輝が気の毒だ。

 さりげなく話の軌道を変える。


「大事なのは教えてくれた人より回避法だ」

「悪夢に巻き込まれたら鏡な」

「いちおう覚えおく。……ありがとう和輝」



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 ありがとう和輝、おかげで少しばかり気がまぎれたよ。


 とりあえず、いつか訪れるかもしれない悪夢より、確実に起きる危険を警戒しておこう。


 親戚が危険を知らせてくれた夢。

 ただの夢だと割り切ってもいいが、警告してくれたのがあの人だからな。油断はできない。


 まだ目覚めたばかりだ。問題はこれからやってくる。

 今か今かと待つだけでも神経が擦り減っていく。

 集中力が切れる前に遭遇できますように。


中平なかだいらくん。シューキチくん」


 古典の瑞橋先生が教室に入ってきた。


 彼女は黒い長髪をお団子にまとめ、ナイロン製のロングスカートをはいている。

 これがいつもの格好なので、たとえ後ろ姿でも視界に入った瞬間にビビる生徒が続出している。


 校則で、髪をお団子結びにしてはいけないのは、瑞橋先生が原因と思われる。


「いるよね? なんで返事しないの? みんなで匿ってるの? 隠れんぼ? 私もいれて。シューキチくんはどこにいるのか教えて」


 午前中に古典を終わらせ気が緩んでいた生徒たちは、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。


 ここで何も言わないと「なんで黙っているの?」と怒られ、「わかりません」と答えると「なんでわからないの?」と怒られる。


 どちらがマシか、試されている。


「あ、はい……」


 一瞬で静かになった教室で、おそるおそる手を挙げると、先生は冷たい視線をこちらに向けた。


 席についたままなのだから、真っ先にこっちを確認すればいいのに。


「探したのよ」

「お疲れ様です」

「ここにいたのね。そうよね、普通に考えたら教室にいたっていいものね。でも普通、逃げ出したと思うじゃない」


 無表情なのに声色は優しい。

 その場にいた誰もが、彼女の怒りを察した。

 そしてみんなが彼女に寄り添った。


 ただでさえ機嫌が悪いのに、散々校内を探し回ったあげく本人が教室でくつろいでいたら、怒りが頂点に達するのも頷ける。


 つまり早く見つかれば先生は不機嫌程度で済まされていた。


 こころなしか、見当違いの非難をクラスメイトから浴びたような気がする。まったくもって理不尽である。


 みんなは誤解しているが、もし無礼を働いたのなら、自分から謝りに行く。


「先生。僕は秋吉あきよしです。それと、逃げ出す理由なんてありません」

「知らないフリ? 演じているの? ふざけないで。私には通用しないわ」

「どういうことですか? 僕にはさっぱりです。お手数をかけますが、事情を教えてください。お願いします」

「いやよ。このあと四組で授業があるの。もうすぐ次の授業が始まるわ。シューキチくんがなかなか見つからなかったせいで、説明する時間がなくなったのよ」


 過去のおこないを遡ってみるが、いつ先生を怒らせたのかわからない。


 人に恨まれないよう消極的で受身な学校生活を送ってきたはずなのに、いつ怒りを買ってしまったというのだろう?


 とりあえず相手は、謝れば満足するタイプの人間だ。

 ここは素直に謝っておこう。


「……僕は何に対して謝罪すればいいのですか?」

「話を聞く姿勢は素晴らしいわ。でも中平シューキチくんだって一人の人間としてプライバシーがあります。放課後、この教室に残りなさい。戸締まりは私がするから」


 死刑宣告のように冷たく言い放つと、先生は教室を出ていった。

 重苦しい空気が室内にこもる。蛇は去ったが蛙たちは動けずにいる。


 曇りガラスに濁る先生の影が完全に見えなくなると、突然肩をつかまれた。和輝だ。


「アッキー! 何したんだよ!」

「ぼ、僕がききたい!」

「あの先生って、授業の邪魔さえしなければ怒らないのに! アハハ。こりゃレアだな!」


 目を輝かせている。こいつ、自分は危害が及ばないからって楽しそうに笑ってやがる。


 しかし和輝だけを責めるのは不公平だ。

 自分は無関係だと安心した空気に取り残される惨めさは、けっこうこたえる。


「勘弁してくれ。僕は本当に


 世界史の教師だったら話は別だけど。

 と、いうのもこの中平秋吉、赤点を避ける苦肉の策として、世界史の試験だけカンニングというタブーを犯したのである。


 咎められる心当たりはあるけれど、古典の先生に呼び出される理由は見当たらない。


「本当に僕? 人違いじゃない? というか、人違いであってほしい」

「勇気を出して尋ねたら? 人違いならはっきり否定するべきだが、そもそも先生が聞く耳を持つかといわれると……なあ」

「うん、わかってる。目をつけられた時点で終わりなんだ」


 和輝を皮切りに活気を取り戻した教室で、ため息をついた。

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