第3話 おうちデ-ト
じめじめとした蒸し暑い日が続くわりに、強い日差しと暗い空のコントラストが気になる夏の、日曜のある朝、彼女が久しぶりに僕の家へと遊びに来た。
両親は買い物に出かけていておらず、時折、車の出入りが聞こえてくる家もあったものの、草刈りも先週で終わり、ご近所も静かだった。
僕は、二階の自室に彼女を案内し、アイスコーヒーと彼女が買ってきてくれたレモンタルトを出しながら、比較的落ち着いた気分で過ごしていた。
「久しぶりだね。潤くんち来たの」
ブルーに白の細いストライプが入った涼しげなシャツワンピースを着た彼女が、少しはにかんだように言う。
「そうだね。大学の時以来かな?」
外では、街中で、週一回は会うようにしていたものの、住んでいる地域が違うこともあり、社会人になってからは、お互いの家を行き来することは、すっかり少なくなっていた。
仕事の話はあまりせず、いつものように、お互いの近況や、趣味の話をしていると、二軒先の、坂の上り口に近い家の方から、子ども達の騒ぐ声と、子ども用プールで遊ぶ音がしてきた。
「懐かしいね」
マドラーで、アイスコーヒーの中に入れた、ガムシロップとミルクをかき混ぜながら、彼女が言った。
今日は、二階のベランダで、子どもをプールに入れている、佐藤さんちの方から声は聞こえないものの、僕は内心、いつ、彼女が正義感を発揮するのか気になって、ヒヤヒヤしていた。
お隣の銭形さんちは、お嬢さんが小学二年生になって、子ども用プールを卒業したけど、この暑さのせいか、子どもが小学校に入学しても、子ども用プールを卒業しない家が多く、少子化が社会問題になっているのが嘘のように、この辺りは子どもの数が多く、毎日うるさかった。
昨年、二軒先に引っ越して来た、沼高さん以外のご近所さん達は、子どもをプールに入れても、一日一回、三十分から一時間以内で済ましていたと思うけど、奥さんが大らか?で、自宅の前で、駐車場経営もされている沼高さんちは、朝から夕方六時過ぎまで、二人のお子さん達を順番にプールに入れていた。
お昼に素麺を食べていても、子ども達のはしゃぐ声と水音と、奥さんの、「ちょっと、まだ入るの?お昼ごはんなんですけど?」と子ども達に聞く、甘い声が聞こえてきて、急いで見たくもない、テレビの情報番組の音量を上げても、かき消せないほどだった。
僕は、そろそろ来るぞ……と思った。
今日も、沼高さんの奥さんが、玄関先に簡易椅子を出して、前庭の突き当たり、以前、ピアノ教室をされていた井植さん側で、幼稚園の年長さんくらいの男の子と二、三歳くらいの妹を交代でプールに入れていた。
日曜は休みのはずの旦那さんは、今朝も六時過ぎ頃から仕事に行っていないのか、駐車場の自宅スペースに、旦那さんが仕事仲間のおじさん達と夕方取りに来たり、家族でどこかへ出かける時に使用する白のセレナが置いてあったけど……。
沼高さんの隣の、本山さんちのお嬢さんは、物音に敏感で、子どもや車の音が耳に刺さることで有名だった。
自宅で、フリーランスのような仕事をされているらしいけど、沼高さん達とはすこぶる相性が悪かった。
総合建設・不動産一般の会社を経営されているらしい、沼高さんの息子さんの家が、その本山さんのお嬢さんの部屋の前に建ち、沼高さんの、お向かいのご実家のお父さんの話では、「全部大手に任せると高いから、後は自分達でやる」と、玄関先の階段や石畳、ポーチや、塀や、照明などを、手を動かすより、口を動かすのが大好きな職人さん達を呼んできて、多い時でも、二、三人で、一日が終わっても殆ど仕事が進んでいないようなペースでやっていた。
僕は仕事でいなかったけど、母の話では、職人さん達の、「おい、これ、全部俺達二人でやるのか?」、「終わらねえぞ……」という声や、「おい、そんなことも出来んのか!」と新人さんを偉そうに怒鳴りつける先輩の声などが聞こえていたらしい。
それで、ついに我慢しきれなくなった、本山さんのお嬢さんと揉めた。
それで、沼高さんの奥さんは玄関前の石畳のデザインを簡素なものに変えて、職人さん達は、井植さん側の奥の、平子さん側で、またもや、防音シートなしで、石を切ったらしいのだが、これがものすごい音だったらしい。
家の中にいるのが苦痛なほど、近所に鳴り響いて仕方がなかったので、場所を変えて、病院のバスなどが停まる、公衆電話や郵便ポストがある公道で切ったらしいのだが、音はあまり変わらなかったらしい。
やっと、工事が終わった後も、何やかやと不具合が見つかったらしく、沼高さんの奥さんの悲鳴が聞え、そのたびに、お向かいの、沼高さんのご実家のお父さんが、何故か、息子さんの家に入ることなく、職人さん達にスマホで電話して、また職人さん達が呼ばれ、また大声で作業するということを繰り返していたらしい。
沼高さんは、駐車場と家の間の、細い隙間があいた塀にライトを四個、駐車場の入り口と自分達の車を置く駐車スペースの間に細長い電灯が二つついたライトを二本、玄関ドアの隣の白い雨樋に黒のライトを一つ、ポーチの横にも細長い黒のポールを立てて白いライトを一本、「危ないから」と防犯を理由に設置した時も、角度をはかることなく設置したようで、帰宅して自宅に入ろうとした本山さんの娘さんの目を何度も射て、また揉めた。
今度こそ、ようやく工事も終わっただろうという頃に、沼高さんのお父さんが主に工事に関わった職人さん達、三人を車で夕食に呼んで、息子の沼高さんと孫の長男くんだけを呼び出し、テレビドラマか何かのように、自分は駐車場の前に立ち、後ろに控えた職人さん達が見守る中、「おいで」というようにしゃがんで、両手を広げ、孫(長男くん)を呼んで挨拶させたり、沼高さんも、自分が連れて帰ってきた職人仲間に、家を直して貰ったり、照明を調節したりして貰っていた。
沼高さん達が引っ越してくるまで、子どもが多いわりに、この辺りはわりと静かだったのだが、沼高さんちの来客は、奥さんの友達も含め、声が大きく、テンションの高い人達が多くて、車で賑やかにやって来ては、元気よく、「おっじゃましま~~す!!」とおどけたように叫んで、手土産などを前後にブンブン振り回しながら、まるで子どもの遠足か何かのように、更に本山さんのお嬢さんを刺激するようなことをして、一列に並んで家の中へと入って行き、開いた扉から、子ども達のはしゃぎ回る声も聞えていたらしい。
井植さん側のバルコニーで、バーベキューをしていたこともあったらしく、沼高さんの実家のお父さんが、
「今、息子の家」
と、スマホで友人に話し、お母さんが、
「ふふ、お腹減ったなあ」
と孫に話しかける声が聞えてきたこともあった。
駐車場経営を一番に考えたせいか、あるいは、本山さんちが、「泥棒に入られるから切るように」と警察から松の伐採を求められる前にそれをあてにして家を建てることを決めたからか、よく知らないけど、沼高さんの家は、この辺りの家とは少し違っていた。
縦長ではなく、横に長い家は、この辺りにも何軒かあるのだけど、
「最近は、住宅メーカーもアドバイスせえへんのかな?」
と、本山さんの奥さんともたまにお喋りしたり、物々交換したりする母が言っていたのだが、勝手口を作らず、お向かいの実家のお父さんの部下や来客、遊び仲間達も使う自分達の駐車スペースも、門も、ポーチも、玄関も、階段も、お風呂、そして、おそらくトイレや台所も、音や光の出る施設は、全て、本山さんの方に作ってしまったらしい。
警察の指導に従ったせいで、その音を遮る樹木がなくなってしまった本山さんは、最初、揉め事を嫌うお父さんが、緑のカーテンで何とかしようとしたらしいのだが、当然、そのような簡単なものでは防ぐことが出来ず、直接交渉に至ったというわけだった。
僕はここで育ったので、ご近所のことはある程度知ってはいるものの、高齢のせいか、噂好きで、突撃取材もしていた梅木さんのおばあさんが近所にその成果をばら撒かなくなったので、“沼高・本山問題”については、あまり詳しいことはよく知らないのだが、それからも、相性の悪い沼高さん達と本山さんのお嬢さんは揉め続け、現在に至るらしい。
ここは田舎なので、親の実家が近くにあったり、隣にあったりするご家庭もある。
近所の犬の吠え声がうるさくて、うっかり注意してしまったら、保健所に持ち込まれたということもあったので、みんな、わりと、犬の鳴き声に関しては黙殺してた。
夫の実家の向かいに新居を建てたものの、どうやら、沼高さんの奥さんと義理のお母さんは、あまり気安い関係ではなかったらしい。
日中は、奥さんのご両親がよく白のトヨタの軽自動車でやって来て、お隣との緊張関係を知らないのか、奥さんのお母さんが、本山さんちを照らしている門の脇を指さして、笑いながら、「あの子、こんなん植えてるわ」と、ごま塩頭の夫、沼高さんの奥さんのお父さんに言っていたと母から聞いた。
夕方六時頃になると、今度は、白のメルセデス・ベンツで仕事から帰ってきた義理のお母さんがいろいろ持って来て、
「何か、困ったことはない?」
と嫁に聞き、
「う、うん」
と、三十分くらい、毎日のように、家の前、つまり、本山さんのお嬢さんの部屋の前で、二人でぎこちない会話を交わしていたらしい。
(ニュースを見ながら、僕が夕飯を食べる傍らで、うちの母親も、「何で、入ってもらわないんだろうね?」と言っていたので、よく覚えている。)
夫の両親と家族旅行から帰宅した時も、どちらの家にも入らず、駐車場か、お向かいの、沼高さんの実家の前で雑談してた。
よほど楽しかったらしく、上の男の子が、「もう、おばあちゃんとこ行く!」と言って、大人の笑いを誘っていた。
その他にも、沼高さんの駐車場利用者の一人が、ほぼ毎朝、早い時には五時四十五分頃、遅くても六時前に、バン!バン!と何度もホンダの白い軽自動車のドアを開け閉めして出て行ったりして、仕事が終わって休んだばかりの本山さんのお嬢さんを起こしたり、子どもを非常に可愛がっている沼高さんの奥さんが、相変わらずのマイペースさで、しょっちゅう車を出して、保育園に通わせているかは不明だが、それくらいの女の子を連れて、上の男の子を幼稚園へ送り迎えしたり、習い事や遊びに連れて行ったり、一緒に買い物に出かけたり、友達の子を預かったり、宅急便や個宅のドライバーさんに駐車場を使わせてあげたりして、いろいろ、本山さんのお嬢さんの部屋の前で劇場を繰り広げていたらしい。
そこだけ避ければいいものを……。
本山さんの奥さんが、沼高さんの奥さんと話しに行ったとき、沼高さんの奥さんは、
「よそには何も言われたことがない」
ときっぱり言い切ったらしい。
(うちの母親は、「そりゃ、そうだ。よそは、みんな裏を向いてるか、横だもの」と言っていたけど。)
……始まった。
何度、本山さんのお嬢さんと揉めても懲りない沼高さんの奥さんが、上の子をプールに入れた後、本山さんのお嬢さんの部屋の前にあるポーチという名の物置で、何やらガサゴソし始め、出した物を何度も自分達の駐車スペースに止めてあるホンダの黒の軽自動車に運ぶ音が聞こえてきた。
(固定資産税対策か何か知らないけど、沼高さんちには、物置がない。)
その音に我慢が出来なくなってきた本山さんのお嬢さんが大きな声で怒り始めても、子ども達は構わず二人で騒ぎ続け、
「あ、ちょっと待って」
母親の止める声も聞かず、駐車場の外へと出ようとした。
これはマズイぞ……と僕も思っていたところ、
「もしもし、はい、」
スマホで、どこかへ電話をしている彼女の声が耳に飛び込んできた。
「子どもに心ない言葉を浴びせている大人がいるんです。はい、住所ですか?ちょっと待って下さい」
彼女は、スマホを保留にすると、僕の方へと向き直り、
「潤くん、潤くんちって、番地何番だっけ?」
と聞いてきた。
「別れよう」
自分でも驚くくらい、言葉がハッキリと口からこぼれ落ちてきた。
「は?」
「僕は、君のことが好きだけど、君の正義感について行く自信がないよ」
「あ、ちょっと待って下さい」
彼女は、鞄からアドレス帳を取り出すと、僕の家の番地を警察に伝え、
「ここから坂の方へ、二軒先の家です。看板に、カナーンモータープールって書いてあったと思います。あと、子ども達が、道路に出ようとしてて危ないです。私ですか?私は、通行人です」
と言った。
電話が終わった後、警察の到着を待たずに、僕は彼女を駅まで車で送っていった。
僕は、彼女と違って、特に正義感も強くない、普通の人間だし、沼高さん達と本山さんのお嬢さん、どちらに対しても思い入れはなかったし、今までもこれからも、積極的に近所のことに首を突っ込みたくなかった。よほどのことがない限り、彼女のように通報する気もなかった。
正義感の強い彼女 狩野すみか @antenna80-80
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