その⑥

 ――お待ちください!


 兵の一人がわたくしの腕を掴もうとしたその刹那、アリス様が叫ばれました。

「陛下。私の話はまだ終わっておりません。エーリカ嬢を捕らえるならどうかそのあとに。不自然だとは思いませんか」

「なにが変だと言うのですか」

「レーヴェン公爵。娘が捕らわれそうになっているのに、なぜ止めようとしないのですか。仮にエーリカ嬢が罪人だったとしても庇う素振りを見せるのが父親でないのですか」

 アリス様の鋭い視線は陛下の後ろで見物人と化した父上に向けられます。確かにその通りです。実の娘が罪人呼ばわりされているのです。もちろん父上がそのような素振りを見せるなどあり得ないとわたくしは知っています。ですが、たとえ明白な証拠があったとしても異を申し立てるのが世間一般の常識なのでしょう。それを知っているからなのかアリス様は厳しい視線を父上に向けられ、サミル様に自らのお考えを述べられます。

「陛下。確かにエーリカ嬢は私の命を狙いました。しかしそこには抗えない深い訳があったと思うのです」

「裏で手を引いている者がいると仰りたいのですか」

「エーリカ嬢は『ある方の命令』だと私に懺悔いたしました。その『ある方』とはそこにいるレーヴェン公爵。あなたです!」

 真っすぐ、父上に人差し指を向けるアリス様はさながら推理小説の主人公が犯人を追い詰めるように語り始めました。

「エーリカ嬢は『ある方からの命令だ』と貴方に命じられたと私に言いました。覚えがありますよね」

「畏れ多くもそのような記憶はございません。此度の件はわが娘、エーリカが勝手に行ったこと。罰を受けるの当然のことです」

「ですが、一国の王女を狙ったとなればそれは大逆も同然。あなた自身も罰を受けることになりますよね」

「なにが言いたいのですか。私はただ、娘にはそれ相応の処罰が必要と考えただけ。それだけのことでございます」

 父上、あなたはあくまでも白を切るつもりなのですね。自分には関係ないと言わんばかりに父上は早くわたくしを連れて行けと衛兵を睨みつけます。アリス様はそんな父上の態度に嫌気がさしたのでしょう。今度はサミル様の方を向き、比較的穏やか口調である質問をされました。

「私は先ほど『ある方の命令だ』と申しました。陛下、この『ある方』とはだれのことだと思われますか」

「私が命じたと、そう言いたいのですか」

「少なくともエーリカ嬢はレーヴェン公爵からそのように聞かされたと私に言いました。そうだよね。エリィ?」

「……はい」

 兵に囲まれたわたくしは小さく頷き、サミル様にまだお伝えしていなかった事実をお話しました。

「父上からはサミル様の御命令であると聞かされました。陛下がアリス様の殺害を望まれていると、そう言われました」

「ふざけるな! そのようなことを口にした覚えはない!」

 玉座から立ち上がり、身振りを交えてわたくしの証言を否定する陛下の顔は怒りに満ちていました。衛兵に早くわたくしを連れ出せと叫ぶその姿はまさに鬼の形相そのもので、これほど激怒されている陛下を見るのは後にも先にもこの時だけでした。ですがアリス様は「なるほど」と呟き、場違いなほど冷静にある仮説を立てられました。

「陛下の命ではない。となれば、だれかが陛下の名を騙ってエリィを陥れたってことになりますね」

「この女の言葉を信じると言うのですかっ」

「信じます」

 怒り心頭の陛下を前に強い口調で明言されるアリス様は少し間を置き、再度「信じます」と言われました。その堂々たる姿にこの場にいた者すべてが圧倒され、サミル様も意表を突かれたように目を丸くされます。

「私はエリィの言葉を信じます」

「なぜ信じるのですか。この女は殿下を殺そうとしたのですよ!」

「ではなぜ私は生きているのですか」

「っ⁉」

「本当に殺意があったのあれば手段を厭わず手に掛けていたはず。しかしエリィはそこまでしなかった。つまりそこに彼女の深意はなかった、私はそう考えます」

 一歩、また一歩と前へ歩き出すアリス様の向かう先には陛下の姿がありました。

「エリィは泣きながら全てを話してくれました。その言葉に、涙に嘘はないと確信しております」

 ゆっくりと、しかし着実に玉座へ近づくアリス様の目的はサミル様ではありません。真っすぐ陛下へ近づかれているように見えますが、その先に見据えているのは父上の姿。わたくしにはそう見えました。その証拠に玉座の前まで歩みを進めるとそのまま陛下の横を通り過ぎ、わたくしから見て玉座の右後方に控えている父上の前まで行かれました。

「貴方が首謀者ですよね。レーヴェン公爵」

「アリス殿下。お戯れにも程がございます。私は陛下にお仕えする宰相です。なぜ王命と偽ってまで殿下殺しを企てなければならないのですか」

「以前、お会いした時のことを覚えていらっしゃいますか」

「さて。殿下とは何度もお会いしておりますがいつのことでしょうか」

「先月のことです。その場には陛下もおられましたが、貴方からだけ敵意のようなものを感じました」

 先月――おそらくあの時のことを言われているのでしょう。いきなりサミル様にお会いしたいと言われて半ば押し掛ける格好で謁見したあの時、父上は確かにアリス様へ不敵な笑みを送っていました。

「私はいわば居候の身。ある程度のことには寛容でいたいと思っておりますが、明らかな敵意を向けられるとさすがに警戒せざる得ません」

「畏れ多くも、そのような態度を取った覚えはございません。不愉快な思いをされたならお詫びを――」

「詫びるならエリィに詫びなさい!」

「っ⁉」

「レーヴェン公爵。貴方は私を殺すために娘を利用した。さらにはエリィの陛下に対する忠誠心を利用した。違いますか」

「仮にそうだとして、私には殿下を殺害する理由などございません」

「私がこの国にとって脅威、そう思ったのでしょう? エリィから聞いています。父上はことある毎に私のことを脅威だと言っていると」

 詰め寄るアリス様に父上は一歩も下がることなく、真正面からアリス様を見つめています。

「おそらく貴方は私の父、前フェリルゼトーヌ王が理想として掲げた市民主義の考えがクーゼウィンに浸透するのを恐れたのでないですか」

「…………」

「クーゼウィンもフェリルゼトーヌ同様、貴族中心の社会です。そこにフェリルゼトーヌ王が掲げた市民中心の国造りという考えが入れば――わかりますよね。貴方はそれを恐れた」

「だから貴女を殺そうと思い立ったと?」

「フェリルゼトーヌでは私は死んだことになっています。いまさら死んだところでなんの問題もない。そう考えたのではないですか?」

 アリス様の言葉にはなんの根拠もありません。ただ筋が通っていると言うだけで裏付けるものはなにもありません。父上が認めなければわたくしを守る為にアリス様が思いついた虚言として片付けられてしまいかねません。わたくしにアリス様殺害を命じたのは事実ですが証拠がない以上、父上の出方次第ですべてが決まります。

 なにか言いたいことはあるか。アリス様がそう尋ねられても父上はなにも答えません。しばらくの沈黙を挟み、ようやく口を開いたかと思えば大きく息を吐くのでした。

「まったく、頭の切れる王女には困ったものだ」

 アリス様に向けてそう不満を口にする父上の言葉はただそれだけですべてを物語り、アリス様の虚言が事実となった瞬間でした。同時に陛下と父上との間にあった主従関係も崩れるのでした。一度は座り直した玉座から再び立ち上がった陛下はアリス様を押し退けるようにして父上に詰め寄り「なぜだ」と詰問されます。

「なぜ殿下を狙った! なぜ王命だと偽った! 答えよ!」

「王命? 私は貴様を一度も王だと思ったことはない!」

「っ⁉」

「本気で貴様のようなガキを王と認めていると思ったか。ふざけるな!」

 本性を現した、そう表現するのが良いのでしょうか。主君に聞く口とは思えない乱暴な言葉を使う父上にサミル様は思わず後退りされます。

「どうした。臣下に怖気づくのか」

「コルネリオっ! 貴様――っ」

「所詮貴様は飾りなのだ。エーリカ!」

 突然わたくしの名を呼んだ父上はニヤッと不敵な笑みを見せ「殺せ」と言いました。サミル様を殺せとわたくしが腰に下げている剣に目をやる父上に臣下としての忠誠心は微塵も残っていませんでした。もしかしたら陛下が即位されてからずっとこの時を待っていたのかもしれません。陛下を消し去り自ら王に君臨する日を貴方は待ちわびていたのですね。

「なにをしている! この期に及んでまだこのガキに忠誠を誓うと言うのか!」

「わたくしは……」

「エーリカ!」

 陛下とアリス様は父上の傍にいます。位置関係だけを見れば人質に取られているも同然なのです。本来、陛下をお守りするはずの衛兵たちも状況を理解するので精一杯の様子。だれも陛下たちへ近付こうとしません。もしここでわたくしが剣を抜けばさすがに兵たちも動きを見せるはず。ですが――

「なにをしている! 父である私の言うことが聞けぬのかっ」

「わたくしは……」

「エーリカ!」

「わたくしはサミル様に忠誠を誓った騎士です! なにより陛下の妃となる女です! 陛下に刃を向けるなど出来ません!」

 初めて歯向かいました。これまで父上の言いなりだった自分とは思えない程はっきりと意思を伝えたわたくしは憎しみと悲しみが入り混じった目で父上を睨みつけます。これ以上はたとえ父が相手でも許す訳には参りません。わたくしはもうこの人の操り人形ではありません。

 わたくしのそんな決意を察してなのか、不測に備え剣を抜こうとする兵たちを止められるサミル様は父上を捕らえるよう命じられました。さすがの父上も娘からの思わぬ反逆には思考が追い付かないようです。抵抗することなく四方を囲まれた父上はそこでようやく事態を把握するのでした。ですが既に自由を奪われた父上はただ汚い言葉を陛下に吐き捨て、そんな家臣に動じることなく陛下は宣告されます。

「コルネリオ。貴様をアリス殿下への大逆の罪で拘束する」

 陛下の宣告と同時に両脇を兵に掴まれる父上は不愉快極まりないといった顔でわたくしを睨みつけ、謁見の間から連れ出される姿に罪を悔いている様子はありませんでした。

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