第6話 父親

 集落に戻り最初に行ったのは傷の手当だった。

 傷口を水で洗い土などを落とし、母から貰った傷薬を塗ると清潔な包帯で巻く。

 骨折した右腕は当て木を充てがい包帯で固定して治るのを待たなければならない。外骨格の無茶はかなり響いているようで、ひと月は治らないとのことだ。


「疲れた……」


 テントに戻り、椅子に深く腰掛けると息を吐いた。


 まだ体に痛みは残るが、それでも生きている実感がある。天井に手を伸ばし、熱くなっている顔に手を置いた。

 暫くすると、腹からクゥと間の抜けた音がなり、正常に戻る。


(生の実感は得難いものだ。が……予想していた以上に精神、肉体ともに疲れたしお腹が空いた)


 張り詰めていた筋肉が弛緩し、体に重くのしかかる疲れは運動した後のように心地よい。

 死者は疲れを感じないし食事も取らない。疲れを感じ、食欲があるのは生者だからこそのものなのだ。


「確か保存食のドライフルーツがあった筈……と」


 動くのも億劫で、ため息をつくと影に魔力を与え触手を生み出して操る。

棚の中からドライフルーツの入った袋を回収し、ドライフルーツを口にする。


 濃縮された果実の甘味を舌に感じ、口元が緩む。


「よう、生きているか?」


 不躾にテントの扉が開き、バジリスクの男が入ってくる。


 男を一言で表すなら魔族の武人だろう。

 長身痩躯、しかし無駄な脂肪の全てを削ぎ落とした肉体であることは一目見れば分かる。

 体を最低限の防具と毛皮のマントを羽織るだけの簡素ながら荒々しさを感じる装束で身を包み、背に斧を背負う。

 男の名はグランドール・セイラム。

 壮年のバジリスクであり、私の父でもある男であった。


 即座に緩んでいた口元を引き締め、床に胡座をかいたバジリスクの男に視線を向ける。


「何のようだクソ親父。今日は疲れたから帰ってくれ」

「なあに、娘の状況が心配で見るのは親心みたいなもんだ」

「ほざけ。訓練中に私を殺しかけた男が何を言っている」


 歳の割に幼く、しかし本質的な獰猛さを隠そうともしない笑みに目隠しの下の目を細め、警戒心を跳ね上げる。


 私の魔法の基礎、体術の基礎を教えたのは他でもない目の前にいるグランドールであった。

 その性質は残忍で悪辣。魔族の狂気を濃縮させたような怪物であり、実の娘に対して本気で殺しにかかるほどその本能に正直だ。


「それで、要件はなんだ」

「なあに、お前はこの集落の掟に従って戦闘訓練を大人たちに混じってやることになる。その事を伝えに来ただけだ」

「……そういえばそんな事言ってたな」


 この集落の訓練は子どもと大人の二つに分けて実施している。そうしないと大人の魔族が放つ攻撃で簡単に死んでしまい、下が育たないためだ。

 そのため基本的には種族毎の成人年齢になるまでは子供の訓練を行うが、たった一つ例外がある。

 それは『奴隷以外の人族を殺した者は大人の訓練に参加する』というものだ。

 基本的に集落に近づくのは冒険者しかおらず、また冒険者も魔族を殺すため冒険者を返り討ちにすることは大人たちと同格であることを示している。


「確か、最初の説明の時に言っていたな。……興味が無くて聞き流していたが」

「俺としても娘が10歳で冒険者を殺すとは思ってもいなかったぜ。けどまぁ、今のお前じゃ大人たちに混ざれば確実にお前が死ぬし何人か死人が出る」

「だろうな」


 魔族の訓練は蠱毒に近い。


 強い虫を殺し合わせその中で生き残った者、勝ち残った者が大人になる。

 魔族の大人とは総じて身体能力や状況判断能力、その他戦う能力や生存する能力が高い。高い者しか生き残れないからだが、その首魁である親父は集落最強と言える。


(親父をして死人が出る、というのは影魔法を使う私に殺される人がいるということか)


 影を操る影魔法は正面戦闘より奇襲に長けている。


 足元、袖口、裾口、その他様々な場所に常に警戒をし続けなければならず処理能力に過大な負荷を与える。

 そんな状況になれば不意打ちで殺される人も出てくる。集落の長でもある親父からすれば、それは痛手でしかない。


「だから、数ヶ月の間は俺がお前を鍛える。なあに、お前は女房に似て魔法の才能がある。すぐに慣れるだろうよ」


 そう言って親父は凶暴な笑みを浮かべテントを立ち去る。

 その様子に私は肩を竦め、ため息をつく。


(親父からすれば私を鍛えるのは高級豚を育てる事に大差ない。いや、親である以前に魔族か)


 魔族は親子愛を有さない。


 親である前に魔族であり、子である前に魔族。そのため、魔族の親が子に向ける感情は師弟愛や自分の分身に近い。

 叩けば必ず伸びる。自分の子供なんだからこれくらい簡単にできる。むしろ何故出来ないんだ――少なくとも、グランドールはそう考えているのだ。


(子供の意思というものは尊重しない……前世風に言えば『毒親』に近い。それに答えれてしまう土壌のある魔族だけが魔族社会で地位を得れる。……私には関係ないがな)


 魔族社会で地位を上げるつもりはない。

 元より、集団や組織に縛られるつもりも毛頭ない。

 だからこそ、個人の武力というものに焦点を当てているのだ。


「……まぁ、今は傷が治るのを待つだけだな」


 骨折の完治にはひと月の時間がかかる。

 それまでは戦闘訓練に参加せず、傷の治療に専念すべきなのだ。



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