第2話 ナノボットと遺伝子編集

 無限の闘争に命や尊厳を奪い合う、刀と血飛沫の時代。

 それが戦国時代のすべてだった。

 室町幕府や守護大名に代わって、戦国大名が土地や人を支配する。

 武力行使を手段として。

 野蛮にも力で奪い合う。

 室町幕府後期にある地球の日本エリアは、運営・管理する者たちに『シルルRPG──戦国──』と呼ばれていた。

 地球には現在、新しく生まれた人類が暮らす。

 もともと地球に暮らしていた約八十億人の人間は、今や八百万人に減少している。

 約七十九億人の人間が、スーパーAIに殺されたのだ。

 生き残った八百万人は、火星に移住している。

 運営・管理する会社の名前は『ジブリールなの』。ナノテクノロジーを研究・開発する会社だ。

 創業者のジブリールがお茶目な性格ゆえに、小ばかにしたような社名になった。

「こん、こん、こわり、こんこわり! ようこそ、シルルRPG──戦国──のせかいへ!」

 彼女は『シルルRPG──戦国──』の運営と管理及び、ナノデバイスを開発する者の一人。手話単語の狐の手指動作を行いつつ挨拶をする。ふざけているのではない。彼女は大まじめだ。

「案内させていただきます、白誠あきせフワリと申します。本日はよろしくお願いいたします」

「ご丁寧にどうも。はじめまして、神宮寺悠真じんぐうじゆうまです。よろしくお願いいたします」

 フワリの頭には、白銀色の尖った狐耳が存在する。

 同じく白銀のふわふわの尻尾は、無意識なのか左右に揺れている。

 白銀のロングヘアには黒いリボン。ゆるりとローポニーテールに一つ結び。向かって右側のフェイスラインに沿った髪の束は三つ編みにされている。

 透き通った緑玉りょくぎょく色の瞳。

 華奢で美しいしなやかな肢体は、露出激しい破廉恥な陰陽師スタイルの白い和服で彩っている。

 いやらしさは感じない。とても清楚に着こなしている。

 彼女の物腰のやわらかさが清純にみせるのか、露出度に反して、澄んだ印象を与えている。

 まじめだが、少しドジで親しみやすい彼女は、二十一世紀前半に大人気を博したバーチャル・バルバーであり、バーチャルアイドルグループ『ヘルハウス』一期生のアイドルだった。けれども今のフワリはバーチャルではない。

 ゲノムと呼ばれる生体の設計図を基にRNAは、筋肉や皮膚、毛髪、爪などの合成に指示を出すことで生物の身体をつくり上げる。

 二〇二三年、フクロオオカミの標本から皮膚と骨格筋のRNAの抽出・解析に成功。

 二〇ニ九年、人類の知能を超えスーパーAIとなる。

 そして二〇四五年、人工的に自我をつくることが可能となった。

 これにより遺伝子やナノ粒子、脳の研究は、加速度的に増した。

 スーパーAIは、生物すべての脳や遺伝子をスキャンしてデータとして蓄積し続けた。平たく言うと、人類を生成したり、遺伝子を編集したり、絶滅種を復活させたりすることが可能となっている。

『ジブリールなの』によって遺伝子編集されたケモ耳少女の身体に生まれ変わったフワリ。リアルなケモ耳少女の身体への転生と言い換えることもできる。

 ちなみに、地球の日本エリアに暮らす獣人たちは、自らが、遺伝子編集された人間であることを知らない。もちろん地球の人間たちもそれを知らず、妖怪やあやかしと呼んでいた。他方、本人たちは人間と区別して左螺旋ひだりらせんと名乗っている。

 フワリも地球の獣人も同じ、左螺旋であり、あやかしだ。遺伝子編集された人間でもある。

『シルルRPG──戦国──』の開発者にして、受付窓口嬢を自ら買って出た左螺旋の一人、フワリは働き者だ。

「こちらへどうぞ。工場長がお待ちです」

「……えっと、工場長というのは?」

「あ、すみません。つい癖で。本来、チーフ・テクノロジー・オフィサーやチーフ・テクニカル・オフィサー、最高技術責任者などと言われるのでしょうが、本人、ナノ工場のトップなんだから工場長だと言い張っておりまして」

 フワリは比較的早口である。

「……なるほど」

 CTOなんかより工場長の方が生産的だから偉いのでアル! やせこけた工場長は偉大だ。

『シルルRPG──戦国──』たった一人のプレイヤーに、悠真が選ばれたことには理由がある。

 二十世紀後半、神宮寺家はファッション通販サイト『モワンヌ・エ・スーリ』を設立。急成長を遂げた『モワンヌ・エ・スーリ』は、莫大な資金の一部を未来の衣料品開発費に当てたのだ。その一つがナノファブリックである。

 二〇三三年、どの会社よりも早く開始されたナノファブリックの衣料品サービスは、『モワンヌ・エ・スーリ』を世界トップの衣料品メーカーにステップアップさせた。

『モワンヌ・エ・スーリ』の製品は、太めのブレスレットとアンクレットを左右の腕と足に装着するだけでいい。

 体内に埋め込まれたMR技術が映し出す複合現実のデジタル情報から服を選ぶだけで服が身を包む。ブレスレットとアンクレットからその服を構成するナノファブリックが身体に沿って拡散し、服の形をつくりあげるのだ。

 指輪、イヤリング、ペンダント、時計などの装飾品も形成できる。髪型までもが自由自在。破損しても自動で修復される。修理不要。

 タイマー機能を使って自動でファッションを着替える設定もできる。ファッションデータは常に更新かつ増加しており定額制。好きなファッションブランドの新作は別料金。

 ゲームのアバターに着せるファッションと同じように、いつでもどこでも、買ってすぐに服を着替えることができる。色の変更も可能。洗濯する必要もない。

 ナノファブリックは名目上、他者のナノファブリックと混ざってしまう心配がない。一人ひとり異なる、DNAの塩基配列を識別認証しているからだ。

 自分以外の人間に服を着せることはできない。もちろん、他者のナノファブリックを操作して、服を脱がすこともできない。

 複雑な二重螺旋構造を持つDNAを標的にする以上、例外や事故も少なくないのだが……。

 当時『モワンヌ・エ・スーリ』のナノファブリックサービスは世界のマーケットシェア第一位、シェア率六十四・七パーセントを占めていた。

 ジブリールに目をつけられた理由がこれだ。要因の一つとして、未公開株式であったことも、企業売却を容易にしていた。

 すべての株式を持つ悠真が株式を売りたいと発言し、取締役会であっさり承認されたのだ。

 ジブリ―ルは、『シルルRPG──戦国──』たった一人のプレイヤーになる権利と『モワンヌ・エ・スーリ』の株式を交換した。

 フワリの案内に従って歩くこの場所は、悠真を不思議な感覚で包み込む。

 西暦二一二六年のナノテクノロジー関連企業にいるはずだ。しかしながら悠真は、古都に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 息をのむほどに美しく色づいた薄紅葉のアーチ。

 足元には風流な石畳。

 両脇には、桃色の菊と紅葉が一緒にそよそよと揺れている。

 花や草木が、悠真を歓迎していた。

「つきました。どうぞお入りください」

 案内された場所はとても小さく質素な日本家屋。

 木製の狭い玄関。

 古びた木製の引き戸に閉ざされている。

 悠真は少し緊張しながら、フワリが開けた扉に足を踏み入れた。

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