【第3話】売れるかどうかじゃない、売るんだよ。

 会社で一番偉いのは、誰だろう。

 決定権を持つという意味ではきっと、取締役だ。あるいは最高経営責任者CEO。現場で責任を持つという意味なら専務や部長といった監督役だろう。


 僕の属する会社は、友人3人でがノリで作ったとしか言えない会社だ。互いに敬語を使いはしないし、序列なんてのは決めるのがバカバカしいだけだった。


 でも、決定権を握っているのはいつもアイツだ。何度も別れと再会を繰り返した僕たちが、今こうして同じ場所で管巻いているのも、全部アイツの言葉がきっかけだった。




「やっぱさ。最初にタツオが言ってた、アレで何とか行けねえかな」




 僕たちの会社"Chamber"の社長を務めるアイツ──オサムがこう言い出したら、結論はこれで決まりであった。


 オサムは、場の間合いを読むのが上手い。


 とことんまで会議がダレて、そこにいるみんなが結論を欲しがった時に、それまで出てきた中で一番収まりの良さそうな意見をポン、と再提示する力に長けていた。小学校の授業で一緒になったグループ学習の時も、中学でやったプレゼンテーション授業の時も。大学で再会して、クラスの奴らとグループディスカッションに臨んだ時もそうだ。

 オサムは、いつでもそうだった。自分は何もやらないという顔をしながら、いざという時は進んでエンジンの火を噴かそうとする、危険な男だった。


 ただ、発案者は僕である。わざわざ却下された意見をもう一度持ち出してきた、その理由は聞きたかった。


「タツオの言ってた『親に叱られてもやりたくなる』ようなガキの気持ちに訴えるってネタ。色々考えたけど、あれに勝てるアイデアは思いつかんかったわ」


「でも……」


 僕の話したアイデア、つまりを商品にするという発想は二重の意味で退けられたはずだ。


 一つに、お金を出すほどの需要がない。また二つ目の難点が致命的で、単純に教育に悪い。印象面でも、健康的な側面をとっても爪を噛むという行為は非常に印象がよろしくない。だから、子供やその親には売ろうとしても、買ってくれないと。そう言われたばかりなのだ。


 僕は、営業を担当するウルカの顔を見た。

 彼女は不服そうな顔つきで、なにか観念したように言う。


「ま、こーなったら仕方ないか。男2人のバカが賛同したら、私はいつも譲歩するしかないんだし」


「仕方ないって、なんだよ。や、僕が発案してなんだけど本当に爪噛みをホビーにしていいの? 色々な層の親御さんに怒られないか?」


「なによ。反対してほしいの?」


「そうじゃないよ。でも、なんか……違うだろ。最初は反対してたのにさ」


 宗旨替えをした理由を知りたいのである。

 オサムの声に従いたくなるのは、経験則やその場の空気から僕も分かる。

 でも、のは何かが違う気がする。3人で、"Chamber"という会社に集まって真剣に話せるのは──今夜が、最後になるかもしれないのに。


 僕は、そんな感傷を直接話せるわけもなく、けれどウルカに今以上の言葉を求めて彼女の顔を見た。ウルカもまた、ぱちりと開いた瞳で僕に目を合わせていた。


「私、タツオの思い付いた玩具に『売れてほしくない』って言ったよね」


「お、おう」


「でも、『売りたくない』とも『売れない』とも言ってないよ。タツオが本気で売れるものを作るなら、私は死ぬ気で売る方法を考えるだけだから」


 ウルカにはもう、オサムの暴走を止める気がないらしかった。


 思えば、集団にいるとき、彼女はいつもポジショントークを好んでブレーキ役を買って出た。よくいえば冷静、悪く言えば逆張り。そのくせ、一度気分が乗ると「」なんて言い出しながらアクセルをベタ踏みする女だった。小学校の頃、縄跳び大会で高難度技を使った大逆転を狙った時もそうだった。大学で久しぶりに会った瞬間、僕とオサムを自分のサークルに拉致りやがったのもそうだ。

 ウルカは、いつでもそうだった。日頃はクールぶってる癖に、本当はきっかけさえあれば前に出たくて仕方がなくて荒ぶっている、危険な女だった。


 でも、待ってほしい。今まではそれでよくても今は違う。だって、これが最後かもしれない。今までこれで失敗してきたんだから──。


「それって、逆じゃない?」


「え?」


っておかしくない? タツオの開発もそう。オサムが持ってきてくれた資材やルートの伝手もそう。私たちのやり方って、普通の会社じゃ考えられないバカそのものだったけど──」


 バカ、バカ、バカと。

 散々言ってきたウルカの口から出てきた言葉は、今度はただの罵倒ではなかった。


「──バカだったけど、やってきたことはいつでも本気だったでしょう」


「ウルカ……」


「フィードバックだって、企画ごとに毎回やってる。まだ1年も経ってないのに、ここで私たちのやり方に逆らうのは、それこそリスクがあると思う。どの道体力も時間もないなら、使える手段の中で一番縋れるものを使い尽くさないとダメよ」


 僕は、何も言えなかった。

 ただ、これが最後かもしれないという感傷に浸って、彼女へ何らビジョンもなしに詰問した自分が恥ずかしかった。


「ちょっと集中して考えてみる。悪いけど、いったん会議は中断しない?」


 彼女がそう言うと、いつものようになし崩し的に──しかし今まで以上の熱を持って、企画会議は一時解散となった。




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 僕たちが間借りしている、雑居ビルの屋上。

 深夜1時に吹く風が、オサムの吐いたタバコの煙を夜空へ散らした。


「寒ぃなあ」


 オサムは暖を取るように手をすり合わせている。僕はあまり寒いと感じないが、夏でもないし、夜風が吹けば確かに寒いと感じるだろうか。


「あのさ。ウルカがいるところじゃ言えなかったんだけどよ」


「なんだよ」


「この会社。"Chamber"が倒産したらさ……」


 最後まで聞かずに、僕はオサムへ言う。


「やめろよ」


「なんだよ」


「やめろ。そういう感傷に浸るのは、せめて全部の結果が出てからだろ」


「は? カンショウって……なんの話だよ」


「とにかく、やめろっての。縁起悪いだろ。よしてくれよ」


 こだわりすぎかと思ったけれど、言わずにはいられなかった。


 僕は、バカだ。ガキだ。おまけにダメ人間だ。

 仕事に熱中するとうそぶいて、自分の技と知識を試すことが出来ればそれでいいだけの子供だ。気の合うやつだけで働けるこの会社が好きだったし、そんなんだから、オサムが思い付きで言い出したことに乗っかって、この会社に移ってきてしまった。


 別に、言霊ことだまを信じるなんてわけじゃない。でも、ほんの少しでも、3人のいるこの場所がなくなるなんて想像するのが嫌だった。自分でも、あまりに子供じみた心境で恥ずかしいけど言わずにはいられなかったのだ。


 そんな僕を、オサムは真顔で見つめている。恥ずかしいことを言ったとは思うが、彼はさほど意外でもない様子で、真顔のままこんなことを言ってきた。


「やっぱさ。3人で色々やんの、楽しかったよな」


「あー! だからやめろよ、そういうの!」


 僕が大声で言うと、オサムは笑い出す。

 マジでやめてと言いながら、しょうがないので僕も笑う。三十路になった男2人で気味の悪い笑みを浮かべて、オサムがタバコを吸い終わるのを待ってから、2人でウルカのいる場所へ戻っていった。




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 どん詰まりに行き詰まった会社。

 自暴自棄になり、それまでの身勝手路線を改めもせずに破産するまで同じ失敗を繰り返そうとするバカな会社。

 傍から見れば、後ろ指を差されても何も言えない僕らの会社。

 次の商品が売れなければ、間違いなくショートする。がけっぷちを目前にして、僕たちの耳へ届いたのは彼女の短い言葉だった。


「売り方、思い付いたよ」


 たった一人しかいない営業部。肩書き上はその長である僕らの友達。推野おしのウルカは、確かにそう口にした。


「マジか。流石ウルカじゃん」


 耳を疑うばかりの僕と違い、オサムは軽薄な口調で真偽を問う。

 ただ、彼も遊びではない。仮にも僕ら3人の長として、営業部長のウルカを更に問い詰める。


「お前のことは全面的に信じてる。ただ……社運を懸けた商品だ。販売戦略を、社長の俺は聞いておかなきゃならねえ」


だけね。まで詰めて考えられなかったから」


 ウルカは、所々で訂正を加えながら、つっかえつっかえに話した。


 冷静であろうと努めつつ、けれど心の性根はホットな彼女らしからぬ、ぎこちなさである。つまりは思い付き。アイデアの寄せ集めと直感で構成した彼女なりの戦略だということが、言葉を継ぐたびに理解されてくる。


「あのさ、タツオ。アンタ言ってたじゃん。オサムが『マニキュアじゃねえよな』とか言った後に『手袋で作る』みたいなの」


「あ、ああ」


「それで思ったんだけど……」


 ウルカに請われ、僕はその場で何点かのイラストを描いた。


 パッと頭に浮かべただけの、人の、手のイラストだ。

 小さな子供が親に叱られてもなかなかやめられない、爪を噛むという悪癖を肯定するために考えた、手袋ないしはアームカバー、その指先に爪状の何かがくっついた、ただのイラストだ(爪部分の材質や名称は何でもよかった。本物の爪のように、噛むことを楽しめるものであれば)。


 ウルカは手のイラストを指さしながら、二言、三言、続けて何かを話し続ける。その言葉を聞いていく内に、オサムは眉を八の字に広げ、ひそめて、眉間にしわを寄せ、無言のまま彼女の声を聞き続けた。


「──て、わけでさ。技術面の課題が多すぎて、タツオの腕に負担かけると思うんだ。だからこれは思い付きってだけで、明日になったらブラッシュアップした改善案を……」


 ウルカが話を打ち切ろうとする。


「やるよ」


 僕は、この熱を切らさないために即答する。


「安心しろ、ウルカ。ウルカが売ってくれるって言うなら、僕はこれで作る。納期はいつでもいい。死んでも間に合わせるから、できたらウルカはそれを死んでも売ってくれ」


「アホ。30代のおっさんが『死んでも』とか簡単に言うんじゃないの」


 彼女は、僕の頭をぺちんと叩いた。


「んなこと言われても、全然かっこよくないから」


「まーいいじゃんよ。こういう時くらい、中学生みたいなこと言わせろって」


 僕とウルカが始めようとしたガキっぽい言い争いを、オサムが未然に仲裁してくれる。


「ウルカの案によれば、だ。──まずは『爪』を『肌のささくれ』に直すところから、だな!」


 彼の声をきっかけに、僕たちの方針は定まった。


 3人だけの会社の社長、杜本もりもと 長虫おさむ

 1人だけの営業部を仕切る営業部長、推野おしの 売流華うるか

 たった1人で開発を行う商品開発部顧問の僕、開戸ひらど 発夫たつお


 合縁奇縁で寄り集まった僕らの会社の運命が、これで決まる。

 僕らが社運を託すのは、ほんのに意味を持たせた──くだらない思い付きで生まれただけの、商品だった。

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