【第2話】やるなと言われたことをやりたくなる、そんな悪ガキの心理を突く。

 僕たちはバカだ。たまたま気が合う友達の思い付きに乗ってしまった、3人のバカだ。そんなバカが寄り合い作った零細企業を、救うことになる契機は僕の言葉だった。


……を売ったらどうだろう?」


 思い付きを、口にした僕。──商品開発を担当するタツオ。

 首を傾げる友人A。──一応、僕らのリーダーであるオサム。

 はぁ、と大袈裟に訊いてくるのは──ツッコミ役のウルカ。


 会社の起死回生をかけて、ホビー業界へ旋風を巻き起こすために僕が発案したのは『爪』だった。


「ほら。爪って、子供がよく噛んで注意されるでしょ?」


 要は、子供の本能に訴えるホビーを売ればいいのだ。

 口が寂しい。手をいじりたい。噛んだ時の、"ブチっ"とした感触が心地いい。そういう原初的な衝動を叶えてやる品物があれば、どうだろう。


 僕らに他の商品を開発する余力はない。一発の銃弾しか撃てない狩人が、銃弾の威力を引き上げるためには、ターゲットにヒットしやすい心理を──本能に根差したそれを突いてやることが近道ではないだろうか。


「あれだよ、無限にプチプチを遊べる玩具と同じだよ。玩具だから遊んでも注意されないし、堂々と爪を噛める。だから子供にはきっと売れるよ。……どう、かな」


 オサムとウルカは、黙ったまま。僕は羞恥心を覚えて、語尾が小さくなってしまう。

 反応が芳しくなかったから非難されると思ったけれど、2人は何も言わずに考えている。僕のアイデアを、考えてくれている。


 本気だ、と今さらに感じた。

 なし崩しに流れている会議でも。子供の思い付きみたいなきっかけで走り出した会社でも。──オサムもウルカも、僕たち3人の居場所を守るために、本気なのだと。僕の言葉で真剣に考えこんだ2人を見て、直感する。


 ちょっとした間と、緊張。

 思わぬきっかけで沈みかけた空気を破るのは、オサムの声だった。


「目の付け所はいいと思う」


 褒めてもらえて、ほっとした。

 でも、目の付け所『は』という留保を読み取ってしまい、僕は身構える。


「訊くけどよ、タツオ。爪売るったって付け爪じゃねーよな? ただ売るだけじゃ化粧品と競合して呑まれるぞ」


「や、イメージは手袋だよ。指先が爪になってて、もう、質感が自分の身体に近いそのまんまの爪を噛む的な。ほら、前に作った『毒手』があるからさ。その応用で、できないかと」


 以前、Chamberが売り出した『毒手』(※版権関係の係争を避けるために商品名は別にした)はフィット感と重量へこだわり抜いて作った商品だ。結果的には売れなかったけど、コストと品質をギリギリまでせめぎ合わせた経験が、今になって生きてくる。……そんな願望があった。


 願望という言葉は伏せて僕が解説すると、オサムは頷いてくれる。

 ただ、好感触を示していたのはそこまでだった。


「いいと思うけど、多分売れねーよな」


「え……」


 なんでと問う猶予を与える間もなく、オサムは続ける。


「爪噛みってさ、まー楽しいけどそのために金出すほどの娯楽じゃないだろ。それこそタツオ、お前が言った無限のプチプチと同じ……。やってて楽しいけど、いざ遊びとして夢中になるかというと、違うっつうか。なんか、分かんね?」


 僕は、言葉を返せなかった。

 言われて見ると、その通りかもしれない。


 僕自身、プチプチが好きだ。大型の配達物があった日などは、大きな包装材を床に広げて目いっぱい楽しんだことがある。でも、プチプチはそれだけだ。楽しいけれど、プチプチを楽しむためにわざわざ包装材を買おうとか、親にねだろうと思ったことは生まれてこの方一度もなかった。


 ただ、それは僕とオサムの主観的な意見である。

 実際はプチプチを娯楽として飽きずに消費できる層もあるのだろう。だからこそ、無限のプチプチは商品として流通し、こうして名を残している。


 ただ、爪を噛むのがプチプチと同等以上の娯楽だと仮定しても──。

 プチプチがそれ自体商品として成立しても──「爪」はそのままで売れない理由がある。


「私は……こういう言い方はしたくないけど、そんな商品、売れてほしくないと思う」


 ぼやけた考えを浮かべていると、ウルカが僕へ追撃してきた。


 


 同じ組織の営業に決して言わせてはいけない、賛か否かで言えば、これ以上ない否の言葉だ。発案者として反論しようと思ったのだが……僕自身、その矢先に彼女の意見へ心当たりが思い浮かんで、ここでも、何も言えなくなっていた。


「爪噛み、確かにしたいと思う子供は少なくないと思う。矯正されてもやめようとしないケースが後を絶たないのは、子供たちに重要ちゅうどくせいがあることの証拠だしね。……でも、だからこそ、親が許さないんじゃ……ない、かな」


 その時、オサムが「これ見てみ」と僕らの前に手を突き出した。

 彼が手に持つのは、スマートフォンの画面である。


『感染症の危険』

『手の美観、美容』

『爪の変形』

『清潔感の欠如』

『マナー』


 抽象的な気分に関わるものから、具体的なリスクに関するものまで、爪を噛む癖の悪影響について語った化粧品メーカーの公式サイトだった。


『──オシャレをすることで、子供は自分の身体を健康に保つことへ関心を強めます。背伸びと思わず、お子様の"かわいい"を親子で一緒に探してみましょう』


 こうして、僕のアイデアはとん挫した。


 言われてみれば……いや、考えるまでもなく、その通りだ。化粧品でもないのに「噛める爪」が商品になるはずもない。いくら楽しいからといっても、人前で耳掃除をしたり、鼻に指を突っ込んだりするような仕草を奨励する商品は売れない。ウケを狙いたがる中高生以上に対象年齢を上げた、ジョークグッズならあるいは……それくらいか。


「ま、ジョークグッズは売れなかったけど。例の『毒手』な」


「オサム。……やめてくれよ」


 一回コケた開発品のリベンジを狙った浅ましさを見抜かれた気がして、僕はまた恥ずかしくなった。


 と、いうわけで僕のアイデアは2人にコテンパンにされた。思い付きを否定されるのは当然として、普段はちゃらんぽらんな友人たちに真面目に反対されると流石に堪える。


 でも、嫌な気分ではなかった。2人とも、それだけ真剣な気分で僕の思い付きにも向き合ってくれたのだ。そもそも、僕は開発。今のように企画へ参加することもあるけれど、つくる/つくる/つくるのが僕の仕事であって、アイデアは他の2人でいい。


 こう思い直して、僕は再び2人に向き合う。

 ややあって、ウルカが『洋画に出てくる冒険者気分になれるムチ』はどうだと言い始め、僕が安全面や遊び方に難を示して取り下げる。続いてオサムが『永遠に味がなくならないガム』を発案し、僕とウルカで技術面や販路の課題を挙げ、没にする。


 こうやって幾つものくだらないアイデアが、誰か1人の口の端に昇って、2人に反対されながら消えていった。


 アイデアを生み出すために有効な手法、ブレインストーミング。その基本は『他人の発言を否定しないこと』だという。でも僕たちはそんなことはお構いなしで、ああでもない、こうでもないと否定と思い付きをぶつけ合った。語り合った。考えて、考えて、一緒に考え続けて。それで何かを話してみると他の2人にはねのけられて、結局何も形にならなくて。


 思えば『毒手』でも『ブレードホルダー』でも、『デンデン太鼓』でもそうだった。会議なんて形だけのものになって、だらだらと話し続けて、最後にオサムが「もうこれでいいんじゃねえ?」と言い出したものに僕たちが乗っかって、企画の輪郭が定まるのだ。


 適当で、ふざけたノリで、楽しかった。

 僕たちはこういうことができるから3人で会社を作ったのだし、こんなことだから、会社を潰すのだと思う。


 これが最後の企画会議になるかもしれない。

 もはや会議とも言えない、ぐだぐだとした空気が漂い──日付が変わる頃になって、オサムがついに言い出した。




「やっぱさ。最初にタツオが言ってた、アレで何とか行けねえかな」




 適当に言い出したはずの、浅ましい願望。

 社運を託した爪先程度の小さな灯りが、熱を持ち始めた瞬間だった。

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