第14話
水島響を抱き締め、里村悠希は全力で哭いていた。
――反応良し。
「咲! 咲ィィィィ!! 許さない! 絶対に許さない!!」
自分より、親しい誰かが傷付くことの方に怒りを覚えるタイプ。本当に優しい性質を持っていなければ、そうはならない。言葉にするのは簡単だが、素子はその手のタイプの人間を見たことがない。……この日まで。
(素敵です)
男女の別に関わらず、人と人との間に繋がりが生まれる瞬間は本当に美しいと思う。
この場合、友情。
発見後、すぐさま病院に担ぎ込まれた水島響から、悠希は離れなかった。素子もその悠希から離れず、ひたすら言葉を掛け、咽び泣く悠希を励まし続けた。
「彼は強い人です。その……何と言っていいか分かりませんが、きっと大丈夫です」
「……!」
強く首を振って悠希は答えなかったが、こういう時のお礼は後で倍返しと相場が決まっている。素子に焦りはない。
「悠希くん、先ずは落ち着きましょう」
人気を避けた病院の待合室で、素子は悠希を抱き寄せる。
「……警察に、通報しますね」
「…………」
悠希は泣き腫らして赤くなった目を向け、静かに頷いた。
これで沢田咲はおしまいだ。後は素子が黙っていても、問題は解決する。涙を流し、震える悠希の身体を抱き締め、素子は幸せだった。
◇◇
時刻が午後八時を超え、悠希が落ち着きを取り戻した辺りで、病院には悠希の両親も駆け付けた。
事情の説明は悠希から行われ、その経緯に二人は驚きを隠せないようだった。
素子が初めて見る悠希の父は険しい表情。
「……そうか。咲ちゃんが……」
物静かで理性的なタイプ。一瞬だけではあったものの、胡散臭そうな視線を向けられたことを確認して、素子は視線を隠した。
「悠希、あなたは大丈夫だったの?」
先ず、悠希の身を案じる母親の方は激情家。
「……うん、片桐さんが居てくれたから……」
「……そう、よかった……」
安堵の笑みを浮かべ、素子を見るその瞳には強い好感が浮かんでいる。でも、一瞬後には表情を引き締めた。
「それで、水島くんは大丈夫なの?」
水島響を案じるその言葉に、悠希の父も表情を引き締めた。
「水島くん……水島くんは……」
優しくて、本当に可愛いひと。容姿もそうだが、性質もこの上なく好ましい。そんなことを考える素子は、思わず微笑んでしまいそうになりながら、ぽろぽろと大粒の涙を流し、再び嗚咽を吐き出した悠希を抱き締めた。
「……」
悠希の父は、煙たそうな半目の眼差し。
「あなたは……?」
一方、少し驚いたように目を見開く悠希の母が覗かせたのは強い好奇心。
「申し遅れました。悠希くんのクラスメイトで、片桐素子です」
片桐素子は油断しない。
悠希の母からは好意と信用を得たが、父の方からは強い警戒を買っている。二人と顔を合わせるのはこれが初めてだが、先ずは半分。
沢田咲の居場所を半分削り取った。
父親の方は少し時間が掛かりそうだが、特に問題ない。用心深い性質なのだろう。この手のタイプの信頼を勝ち取るには時間を掛けること。時間は山ほどある。ゆっくり地盤を固めて行けばいい。
沢田咲は、もう終わっている。
素子は次のステージに進む。焦らず、騒がず。きっちり積み上げ、悠希の『愛情』を勝ち取る。そうすることが出来たら、父親が抱いた不信感も自然に消え去る。だから全然問題ない。
素子は、この結果を是とした。
◇◇
その翌日から、素子は野球部のバッテリー二人を伴って悠希の家に通い詰めるようになった。
素子の可愛いひとは、優しいが少しか弱い側面がある。しっかり抱き締め、包み込む必要がある。
片桐素子は油断しない。
自分一人で全てを賄えると思い込みはしない。足らない部分はバッテリーの二人に補わせる。二人は素子と悠希の関係に好意的で、水島響との関係も良好だ。協力の要請には快く応じてくれた。
落ち込み、鬱(ふさ)ぎ込みがちになった悠希には、明るいバッテリーの二人が適任だ。この二人の来訪は、悠希の母もそうだが、父の方も諸手を上げて歓迎した。
「二人は野球部か……そうか……野球って、いいよな……!」
「あらあらまあまあ。二人はよく食べるわねえ!」
スポーツマン二人は好印象。特に、二人が悠希と友情を結ぶようになった経緯には、悠希の両親も目に涙を浮かべていた。
「ウチの子は友人に恵まれたわねえ……」
しみじみと言う悠希の母が素子を見詰める瞳に強い信頼が浮かぶようになるまで、大した時間は掛からなかった。
時間を追って、父の方も警戒が和らいで行く。バッテリーの二人はお調子者だが友情に厚く、それが素子に替わって警戒を解いて行く。
その後のことも考えていなければ、完全に勝ったとは言えない。
バッテリーの二人がお茶を濁している合間、素子はしっかり悠希に寄り添う。
「悠希くん、おはようございます」
「おはよ……」
「相馬くんと若竹くん、もう下で待ってますよ?」
「……相馬くんと若竹くんって、誰さ」
素子は噴き出した。
「野球部のバッテリーですよ」
「ああ……右肩上がりの男とソウルマンか……」
「着替え、手伝いますね」
登校前の、僅かな時間。二人きりの僅かな逢瀬。繰り返すことで、関係は自然に深まる。
「キスしますよ」
「……まだ、歯磨きしてない……」
「気にしません」
舌を入れて引かれてしまったこともあったけれど。
片桐素子は微笑む。
後は時間さえあればいい。全ては自然な形で素子の手に転がり込む。無理をする必要は全くない。
「悠希くん、好きですよ」
「うん、僕も……」
この日、はにかむように笑った素子の可愛いひとは、まだ少し元気がないけれど。
片桐素子は、優しく微笑っていた。
しかし――
警察に追われている沢田咲は行方知れずになっていて、まだ捕まっていない。
バッテリーの二人を伴わせるのは護衛も兼ねてのことだ。
沢田咲が警察に捕まるのは時間の問題だろう。九分九厘勝っている。だが――
――素子は、まだ、完全に勝ってはいない。
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