第12話 沢田 咲4
終わりってのは、日常に紛れてやって来る。それはいつだって唐突で、残酷で――
その日、アイツは待ち合わせの場所で待っていてくれなかった。
そんなことは初めてだった。
問い詰めてやろうとは思わない。ただ、どうして……。
翌朝、いつものようにアイツの家に顔を出したあたしに、おばさんが鬼みたいな形相で詰め寄って来て、尖った声で叫んだ。
「……あんたは!」
そこに居たのは、あたしが知っているアイツの『お母さん』じゃなかった。酷く興奮して感情の統制が取れてない。怒りに支配されたそれは、正にヒステリー。
おばさんの変貌に、あたしは一発でブルッた。
「来なさいッ!」
そう言って、おばさんがあたしの肩口を引っ張る。爪が刺さって凄く痛い。
連れて行かれた先は、家の中じゃなくて裏の庭先。そこでは、アイツの『お父さん』が顰めっ面で待っていた。
「……咲ちゃん……」
おじさんは怒ってない。でもあたしを見る目には、はっきりとした失望の色が浮かんでいて――
あたしは泣きそうになった。
今まで、悠希にやって来たことが全部バレたんだって、すぐに分かった。それ以外のことで、こうなるなんてあり得ない。
おじさんは溜め息混じりに首を振って、おばさんの肩に手を置いた。
「母さん、少し落ち着け」
「……!」
その制止の言葉に、おばさんは歯軋りしながら地面を踏み鳴らし、何度も首を振った。
堪えきれない怒りを振り切るように、何度も何度も首を振った。
「あんたって娘は……!」
呻くように言葉を絞り出したおばさんの目は怒りに燃えていて、目が合ったあたしの歯は、強い恐怖でガチガチ鳴った。
「説明しなさいッ!!」
そう言って、おばさんがあたしに突きつけて来た写真を見て、あたしは唇まで震えた。
「――!」
写真の中のあたしは、口元を残忍に歪めて悠希の襟首を捻り上げている。――怒る訳だ。
でも、いつ撮られた?
頭の中がぐるぐる回る。何か言わなきゃ。でも、あたしが悠希をいたぶったことは変わらない。
「……あんた、悠希を苛めてたの…………!」
痛烈な非難の言葉は、鋭いナイフみたいにあたしの胸を切りつける。
「……………………」
あたしは何も答えられずにいて――
黙り込んだあたしに、眉を下げたおじさんが困ったように言った。
「……手紙が届いたんだよ……」
「手紙……?」
おじさんは小さく頷き、一枚の便箋を差し出した。
それは、白く、素っ気ない一枚の便箋。
「……」
それを受け取り、あたしは悲鳴を上げそうになった。
いつ、どこで、どんな風に、あたしが悠希をいたぶったか。使い走りさせ、竹刀で小突き、時には犬の泣き真似をさせ、流行りのポップスを歌わせ――
一切の主観を交えず、事実だけを綴るあまりにも深刻で残酷な、告発の文面。
「……」
釈明の言葉なんて、ある訳ない。
「……あんたは、強くて正しい娘だって思っていたのに! 信じていたのに……!」
がっくりと項垂れたあたしに失望の言葉を吐き出したおばさんの目元に、じわっと涙の粒が盛り上がり、それは殴られるよりもよっぽど堪えた。
「……」
沈黙は肯定の証。あたしは何も答えられずにいた。
「……!」
おばさんが黙ってもう一枚の写真を押し付けて来て、あたしはその写真に力なく視線を落とし――
「……なっ」
今度は、驚きの言葉と共に、固まった。
なんだ、これ……?
写真の中では、あたしと勘違い野郎の北条が抱き合っている。
本当に、よく出来てた。
目線もバッチリ合ってるし、この二人は『そういう』関係なんだって言われたら、誰でも納得すると思う。そういう写真。
「……ち、違うっ!」
唯一残った真実を踏みつけられたように感じて、あたしは叫んだ。
合成写真。手間も時間も掛かるけど、元になる写真があれば、今の時代誰でも作れる。問題は、突き付けられた真実の中で、唯一それだけが作り物だってこと。
「…………ちがぅ」
それだけを否定しても、信じてもらえないなんてことは分かってる。
「……」
おばさんは黙って首を振ったけど、おじさんは少し考える風だったのが唯一の救い。
あたしが好きなのは、愛してるのは、いつだって一人だった。でも、あたしが悠希を傷付けたことは紛れもない事実で。
目元を赤くして、おばさんが悔しそうに呟いた。
「……あんたは、ウチの息子に相応しくない」
おばさんは、いつだってあたしの味方だった。
「出て行きなさい。あんたはもう、二度とウチに来るんじゃない」
「……」
――最悪。
不誠実で、裏切者のあたし。
◇◇
……誰が、あんなことを……
真っ先に思い浮かんだのは、あの眼鏡女だ。でも、あたしだって敵がいない訳じゃない。
――里村くんって、可愛いよね。
うっせえ、アイツに関わるな!
――咲は、里村くんとは何でもないの?
……だったら、なんだ?
認めたくないけど、アイツは意外とモテるんだ。
小さくて可愛いとか、割と面白いとか、優しいとか、結構いいヤツだとか。そんなこと、あたしは物心ついた時から知ってるっつの。
物欲しそうに見てんじゃねーよ。
アイツの家から逃げ出してすぐ、あたしはソッコー北条のクソ野郎に電話した。
あの作り物のゲスな写真。
あれは北条の協力なしに作ることは出来ない。あの勘違い野郎が一枚噛んでることだけは間違いない。
「…………」
何度も北条に電話を掛けるけど、繋がらない。数回コールの後、切断される感じ。
「クソ……クッソ……!」
何もかもが出鱈目で、無茶苦茶になった気がした。
小さい頃から今まで、ずっとアイツと一緒だったのに、もうやめろなんて言われても、どうすればいいかなんて分からない。アイツを取り上げられたあたしに、いったい何が残るんだろう。
おばさんはもう駄目だ。あたしは、あの人の信頼を裏切った。そこはおじさんに期待するしかないけど、あの人は腰が重たい所がある。
あたしは必死に考えて、とりあえず悠希に謝ろうって思った。北条のクソ野郎のことを説明しなきゃいけない。あたしが悠希を裏切って、北条とどうにかなってたなんて思われたら――
そう思うと、あたしは泣きそうになった。おじさんとおばさんのことは大きな問題だけど、アイツほどじゃない。
「ちゃんとしなきゃ……」
色々なことを整理する。正直に話せば、悠希はきっと分かってくれる。
最悪……おじさんとおばさんは、もういい……アイツだけ居てくれたら、それで……
なんで、こんなことになったんだ?
この時のあたしは、眼鏡女のことを疑いながらも、まだ確信出来ずにいた。
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