第10話

 男女の別に関わらず、人と人との間に繋がりが生まれる瞬間は本当に美しいと思う。


 端的に言って、入学当初の水島響はクズだった。

 目が合った。肩がぶつかった。適当な理由を付けては喧嘩ばかり。なんとなく、なんて言う理由もあった。

 そんなクズが排斥対象になるのは当然のこと。彼と同じタイプの質の悪そうなクズが中心になって何やら企んでいたが、素子は一切興味を引かれなかった。

 だから、それを見たのは偶々だ。


 里村悠希が、こっそりと一枚のメモ紙を水島響に手渡した。


 水島響は一瞬不可解な表情を浮かべながらもメモ紙に視線を落とし、それから顔色を変えた。


「……」


 水島響は口元を押さえ、深く考え込む様子。誰も気付かなかったが何かが変わったことに、素子は気付いた。


 水島響はその後、行った『家庭訪問』で12人の出来損ないを叩きのめし、それから無駄な喧嘩をすることはなくなった。

 ある日の放課後のこと。


「おう……里村……あのよぅ……」


「なんだ、水島くんか。これからゲーセンに行くから付き合え」


「お、おう……」


「質の悪そうなヤツがいるんだ。君なら上手くやるだろう」


「……」


「僕は格闘ゲームをする。君はリアルファイトをやれ」


 神妙な面持ちの水島響だったが、男臭い笑みを浮かべたあと、何だかんだと軽口を叩きながら、里村悠希と教室を出て行った。


「…………」


 不器用で可愛らしい友情が生まれた瞬間だ。

 体格も性格も大きく違う二人だが、立場は五分と五分。それが何とも微笑ましい。一部始終を見守った素子の胸も、じんわりと暖かくなる一幕だった。


 いい話だ。


 ここまでは。


◇◇


 水島響は気分屋だ。行動にはムラがあり、敵も多い。彼と友誼を結ぶことは、彼と同じ敵を持つことと同義だった。


 教科書に落書きしたり、靴を捨てたりの地味な嫌がらせが悠希に始まった。


 悠希は何も言わない。


 水島響は気付かない。


 いつからか、片桐素子は爪を噛むようになった。


◇◇


 里村悠希の机に、心ない内容の落書きがしてあった。


 ――チビ、水島と一緒に学校辞めろ――


 素子はこの日も爪を噛む。


 悠希と目が合った。


 ハッとして目を逸らしそうになった素子だったが、何とか踏み留まった。合わせた目と目を逸らさない。


 ――大丈夫ですか?


 ――平気。


 言葉はなかったが、アイコンタクトで伝わった。里村悠希はふわりと笑う。


 ずきん、と素子の胸が痛んだ。


 黙って机の落書きを消す悠希の元に沢田咲が歩み寄り、低い声で呟いた。


「……誰がやったんだ……?」


「なんのこと?」


 気丈な悠希の態度に、咲は小さく舌打ちした。


「じゃあ、パン買ってこい」


「……うん」


 素子はガリガリと爪を噛む。


◇◇


 水島響。お前は有罪だ。


◇◇


 周囲は、水島響の味方をした悠希に対する制裁という意味でこの嫌がらせを行っていた。

 これは一過性のものだ。

 クラスメイトが厭うのは水島響であり、里村悠希ではない。素子はそう思ったし、悠希もそう思うのか、息を潜めて堪え忍んでいる。

 だが――


「おい、悠希。歌え」


「……え?」


「ほら、今朝テレビでやってたアレだ。サビんとこだけでいいから歌え」


 沢田咲が、突拍子もなく歌えと悠希に命令しているのを見て、素子の頭は沸騰した。


 二人が幼馴染だということは知っていたが、周囲の雰囲気に便乗する形で行われる咲の行為は、嫌がらせの範疇を超え、最早いじめだった。


 クラスメイトの嘲笑の中、悠希が泣きそうな顔で流行りのポップスを歌い――


 その日、素子は泣いた。


◇◇


 ――大丈夫ですか?


◇◇


 無口な性格が仇になり、素子は見つめることしかできない。

 悠希は見つめ返すだけだ。

 しかし、その一瞬が百万の言葉を交わすより、より多くを雄弁に語っているように感じた。

 言葉はないが、通じ合っている。漠然とした好感が好意に変わる。

 ――気のせいだ。

 自分勝手に盛り上がっているだけ。素子はそう思うことで、好意を捩じ伏せた。


 この気持ちが、勘違いだったらどうする。


 その思いが素子の行動を鈍らせた。同時に憎悪を募らせるようになったのもこの頃からだ。


 暇を見て護身術の教室に通い、対象を制圧する為の技術を学んだ。取り分け、素子が好んだのは関節技だ。柔術の流れを組む格闘技術の一つで、指一本掴むことが出来れば相手を制圧できる。満遍なく強くなる必要はない。相手を上回る技術が一つあれば、それでよかった。


 素子が『勝つ』為に設定した時間は一年。


 鉄の忍耐。石の辛抱。


 片桐素子は、完璧に勝つ為に全てを構築する。


 語らず、見つめ合う瞬間が重なる度に、素子の好意は強くなる。


 ――大丈夫ですか?


 語らず、見つめ合う瞬間が重なる度に、素子の憎悪は強くなる。


◇◇


 ――水島響、お前は有罪だ。


◇◇


 沢田咲、お前は万死に値する。


◇◇


 一年後、素子は水島響を体育館裏に呼び出し、そこで知り得る全てを告げた。


「お前は、友達面しているだけのクズです」


「…………」


 一年越しの断罪に、水島響は俯いて言葉もなく。


 気付かなかったから。


 助けを求めなかったから。


 言い訳は全て卑劣である。罪の重さは友情の重さに比例する。水島響は唇を噛み締め、ひたすら無言だった。


「お前のようなクズが、行き当たりばったりで何かやらかすのとは訳が違うんですよ」


「…………」


 勝つ為の駒が増える。


「そう。黙って殴られなさい。お前は必ず無茶苦茶にされるから。それで全ての罪が雪がれる」


「……」


 水島響は、黙って頷いた。


◇◇


 片桐素子が沢田咲を徹底的に撃ち破ったその日の夕方。


 水島響は、公園の植え込みに投げ込まれるようにして眠っていた。


 その顔は、右目があった部分にぽっかりと大穴が空いている。棒状の何か――おそらく竹刀か木刀のようなもので突かれたのだ。


 excellent(素晴らしい)!


 素子は嗤う。


「……お、お……さ、さささ里村か? お、おお俺、頑張ったんだけど、ががが我慢できなくて――」


 茜色の夕陽で染まる公園で、悠希は血塗れになった水島響を抱き締め、獣のような慟哭の声を上げた。


「咲! 咲ィィィィ!! 許さない! 絶対に許さない!!」


 友情の重さは憎悪の重さに比例する。


 男女の別に関わらず、人と人との間に繋がりが生まれる瞬間は本当に美しいと思う。


 この日、幼馴染に対する親愛は嫌悪と呪詛に取って変わった。



 ――完全 勝利――



 素子は嗤った。

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