第4話

 ぐるぐると頭の中が回っている。

 天井のシミを数える僕の脳裏に浮かぶのは、幼馴染みの咲のこと。


 ――北条と、激しく求め合っていた。


 頭の中が、ぐわんぐわん鳴ってボンヤリする。

 あのDVDを見た僕は盛大に嘔吐した直後、急激に体調を崩した。


 小学生の頃に戻ったような気がした。


 当時の僕は、よく熱を出して学校を休んだ。咲はその都度お見舞いにやって来て、心配そうに僕の額に手を当てている。

 あの頃の咲は冗談でも僕を殴るなんてことはしなかった。



 ――あたしの命を、分けてあげられればいいのに。



 振り返った思い出は美しすぎて。


 どうしてこんなことになったんだろう……。


 ボンヤリと霞む意識の中、僕は目を閉じて咲の思い出を振り払った。


 片桐さん……。


 昨日、咲に殴られた片桐さんは、その後、病院に行くと言って学校には来なかった。

 咲も来てない。こちらは無断欠席。あの公園で別れてそれきり。殴られて、それでも学校に行った僕が馬鹿みたいだ。

 ……あのDVD。

 咲には何か言いたいことがあったみたいだし、片桐さんは片桐さんで何か隠しているような気がする。


 39度2分。

 久し振りの発熱は、強かに僕の体力を削り取った。

 薄い粘膜を貼り付けられたように感じるぼけた世界の中、時間は、ゆったりと過ぎて行った。


◇◇


 昼過ぎ、母さんがお粥を持って僕の部屋までやって来た。

 母さんは無言。

 僕に食事を摂らせる間も、寝汗にまみれたパジャマを着替えさせ、身体を拭いてくれる間も、ずっと無言。

 押し込めたような沈黙の中に、ごとごとと煮えたぎる熔岩の怒りを感じて、僕はちょっとした恐怖に震えた。


◇◇


 夕暮れ過ぎて、仕事を終えたばかりの父さんがやって来た。

 父さんは眉を寄せて、悲しそうな、少し困ったような表情。


「……身体の具合はどうだ?」


「うん、大分いいよ」


 僕は頷いた。

 睡眠を摂って、しっかり休養を取ることで体調は幾分持ち直した感じ。まだ熱っぽいけど、昼間ほど悪くない。明日は学校にも行けそうだ。


「そっか」


 父さんは安心したように頷き返して、それから言った。


「……少し聞きたいことがあるんだけど、今いいか?」


「……? いいよ?」


 父さんは深く頷き、僕が寝ているベッドに腰掛けると、考え込むように視線を落とした。


「……先ず、あのDVDのことだけど、すまん。父さんたちが馬鹿だった」


「……」


 何と答えていいかよく分からなかったから、僕は黙ったままでいた。

 父さんたちが、咲との関係を勘違いしていたのは事実だけど、僕も訂正することをしなかった。責めるのは違うし、この謝罪を受けて頷くのも違う。

 僕のそんな困惑を見取ったのか、父さんも複雑な面持ちで頷いただけだった。

 続けて言った。


「……昨日は手紙と写真だったんだよ」


「え?」


「……」


 父さんは、じっと目を合わせたままでいて、それはなんだか、僕の中の何かを見抜こうとしているように思えたし、少し間を置くことで、僕に何かしら心の準備をさせようとしているようにも見える。

 暫くの間を置いて、父さんは険しい表情になった。


「……消印なかったから、差出人はウチに直接投函したんだと思うけど、手紙は……咲ちゃんのことを告発する内容のものだったよ」


「告発?」


 父さんは頷いた。


「……咲ちゃんが、他の誰かと付き合ってる、とか。それはまぁ、父さんちょっと、いやかなりショックだったけど、それはしょうがない。恋愛なんて個人のもんだしな。でも……」


 そこで父さんは少し言葉を濁した。


「……写真は二枚入ってて、それは……咲ちゃんが、その……知らない男の子と抱き合ってるのが一枚と……もう一枚は、おまえの襟首持って、壁に押し付けて……そこだけ見たら、なんて言うか……」


「いじめられているように見える」


「そう」


 僕の言葉に、父さんは難しい表情で頷いた。


「勿論、父さん驚いたんだけど、その……写真で見た咲ちゃんは、ちょっと辛そうに見えて……」

「……」

「それについては、咲ちゃんと話してみたいって思ったんだ。でも……」

「母さんは違った」

「そう」

「……」


 大体、話の内容が見えて来た。

 つまり昨日の朝、咲を告発する内容の手紙と写真を態々ウチまでやって来て投函した人物がいる。

 それについて、父さんは詳しく話をしたいと思ったけど、母さんは問答無用でキレた。

 咲曰く――



『あたしは、悠希に相応しくないって……おばさん……もう、来るなって……』



 それが昨日のこと。


「母さん凄い剣幕で咲ちゃんに詰め寄って、どういうことか説明しろって……」

「……」

「咲ちゃん、よっぽど焦ったんだろうな。しどろもどろになって……あの子らしくなかったな……いや、それはまぁしょうがないけど、問題は……」

「……?」

「咲ちゃん、殆どのこと認めちゃったんだよ」

「ああ、それで……母さんが怒ったんだ……」


 父さんは疲れたように、小さく溜め息を吐き出した。


「そう、母さんが怒るの無理ないんだよ。でも……昨日の手紙と写真については、誰かの悪意みたいなものを感じた……っていうのが父さんの意見」


「……うん」


 父さんは冷静だ。

 客観的にこの出来事を振り返った時、何者かの悪意を感じた。詳しい事情を咲から聞く必要があると思った。


「……そこに今朝のDVDだ」


 そこまで言って、父さんは厳しい表情になった。


「あれはダメ押しだよ。あれ見た以上、父さんも母さんも、咲ちゃんにキツい対応せざるを得ない」


 ここまで父さんは、なるべく客観的な意見を述べることに努めていた。母さんはともかく、父さん自身は咲から理由を聞くつもりでいた。

 でも今朝のDVDで話は変わった。

 父さんは気が進まないのか、やっぱり疲れた表情。


「……父さん、咲ちゃんも心配だけど、あんなDVD送ってまで咲ちゃんの立場なくした人のことも気掛かりだよ」




『おまえだ。おまえがやったんだろ。あの手紙と作り物のゲスな写真。全部、台無しにしやがって……!』



『ごめんなさいごめんなさい……私はとんでもない馬鹿者です。全てを読みきったつもりでいました。本当にごめんなさい……!』



 片桐さん……。

 脳裏に過ったのは、僕を好きだと言ってくれた眼鏡のクールビューティー。


「……咲ちゃんを貶めることで、得する誰かっているか?」


「……」


 僕が黙ったままでいると、父さんは困ったように眉を下げた。


「……思い当たる人がいるんだな。んじゃ、父さんの意見だけ言っとくぞ?」


「うん」


「手紙とDVD送ってきたその人は、おまえに凄く執着してる。相手が女の子なら、とても怖い子だから、気を付けなさい」



 ――あの子には、気を付けなさい――



 知らない子連れの女の人の言葉。

 あの時は、咲を指して言ったことだと思ったけど、今はもう分からない。分からなくなった。でも……

 片桐さんが、僕に凄く執着していたとして、それはいけないことなんだろうか。


 満更でもない僕が、いた。

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