第3話
翌日、家に奇妙なDVDが届いた。
初めて客観視する彼は、口元を歪めた奇妙な笑顔で笑っていた。
この世界で『彼』のことを一番理解しているのは僕だという自信があった。
見ていられない。
ふと視線を横に向けると、テレビの画面に釘付けになり、微動だにしない母さんは無表情。ただ、強く握り締めた拳の指先が白くなっている。
父さんは苦しそうに顔を歪め、しかし、画面から目を離さない。
血を吐くように、言った。
「俺は、なんて思い違いを……」
それは、血を吐くような思いの悔恨の言葉。
画面の中の咲は楽しそうに笑っていた。――父さんや母さんの前では、決して見せない溌剌とした心からの残酷な笑顔。
『よーし、次、犬の真似な』
『……』
画面の中の僕が笑っていた。
眦に大粒の涙を溜め、哀しそうに、それでも心からの笑顔。
「……」
母さんは瞬き一つせず、テレビの画面から目を逸らさないでいる。まるで表情がないことが堪らなく恐ろしい。
画面の中の景色が入れ換わった。
剣道部のロッカールームで咲と他の女子部員たちがいて、談笑している。
誰かが言った。
『咲、バスケ部の北条くんと付き合ってるって本当?』
『え? あ、ああ……』
一瞬、咲は視線を泳がせ、それでも確かに――頷いた。
ショックのようなものはない。
幼馴染みとは言え、僕が咲を好きだったことは一度もなかったから。
でも、おかしい。
良くも悪くも、咲は一日中、僕にべったりでバスケ部の北条になんか会ったことはない。
押し付けがましく僕の世話を焼く傍らで北条と付き合っていたのなら、なかなか咲も隅に置けない。
そんなことをつらつらと考えていると、テレビの画面がまた暗転した。
今度は教室の中。
『あたしはツブが入ったやつ買ってこいって言っただろ!!』
『沢田、鬼畜~』
周囲に居た咲の友だち連中が笑い、その中で、僕はうっすら涙を目に溜めて小さく頷く。
笑う。
みんな、笑う。
でも――
『コラッ! アバズレ!! 聞いてりゃ調子こきやがって!』
机を蹴っ飛ばし、立ち上がったのは水島くんだ。
その剣幕に咲は少し怯み、それでも負けじと席を立って吠えた。
『うっせえ、チンピラ!』
あのときの水島くんは、僕が止めなければ、きっと咲を殴っていたと思う。
画面がまた暗転する。
クラス前の廊下で、咲に襟首を捕まれた僕が壁に押し付けられている。
『おらっ、ワンだ! ワンって言ってみろ!!』
『……』
僕はやっぱり目に涙を溜めていて、それでも笑みを浮かべているのは、これを冗談の一つとして処理するため。
本気でいたら、僕なんて……
『ほらっ、鳴けよ!』
僕なんて……
笑う。
みんな笑う。
これは冗談なのだと。
僕は……
『……わんっ、わんわんっ!』
僕は……
『ちょっと待て……!』
険しい声で言ったのはソウルマンと右肩上がりの男のバッテリー。二人とも腕組みして、咲に半目の煙るような視線を向けている。
僕は滲む世界の中でバッテリーの二人組を見つめていて。
このあとは何もなかったけど、二人は、きっと心の中で咲を殴ったんだと思う。
水島くんもバッテリーも、僕に同情の言葉は言わない。大丈夫か、なんて口が裂けても言わない。
そんなことをされたら、僕は彼らの友人でいられない。
僕も、ありがとうとは言わない。
そんなことをしたら、彼らが僕の友人でいられなくなる。
僕はそのDVDを見ながら、いつしか泣いていて。
母さんは口元を押さえ、低く嗚咽を洩らし、父さんも涙を流しながら、それでもDVDの一部始終を見逃すまいと、袖で目を擦りながら僕とテレビの画面とを交互に見詰めている。
絞り出すように、父さんが言った。
「……俺たちが馬鹿だった」
しゃくり上げながら、母さんが頷く。
「悠くん、ごめんね……本当にごめんねぇ……」
画面が暗転する。
今度映ったのは、夕暮れどきの校舎だった。
茜色の陽が長く差していて、辺りは少し薄暗い。
画面が少し上下している。撮影はスマホでやっているようだ。
校舎裏では、学生服の男が映っていて、女子生徒と抱き合ってキスしている。
男子生徒は北条。女子生徒の方は顔がよく見えない。身長はすらりと高く180㎝くらいあるだろうか。北条より高い。
二人は激しく求め合う。
息継ぎするのも面倒臭そうに舌を絡ませ、お互いの身体をまさぐり合う。
北条の身長は170㎝オーバーだ。本人に確認した訳じゃないけど、おそらく173くらいだろう。この身長を超える女子は、僕の知る限り――
その瞬間、胃に込み上げるものがあった。
僕は盛大に嘔吐した。
咲が何処の馬の骨とデキようが、僕には全然関係ない。そう思っていたのに――
気持ち悪かった。
僕は心の何処かで、咲の存在に安心していたのだろうか。父さんがそう信じ込んでいたように、将来は咲と結ばれるように勘違いしていたのだろうか。
よく分からない。
でも、僕は、これまでずっと一緒にいたはずの幼馴染みのことが酷く気味の悪いものに思えて堪らず、盛大に胃の中身を撒き散らした。
父さんと母さんが慌てふためいて僕に駆け寄って来る。
何か言っているようだけど、言葉はとても遠く聞こえた。
僕は、ただひたすら気持ち悪くて。
幼馴染み面して、僕に付きまとっていた咲のことがひたすら気持ち悪くて。
込み上げる吐き気は一向に収まる気配を見せず、僕はただ吐き続けた。
その日、二年ぶりに学校を休む羽目になった。
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