(2)入果とともに
虎徹や礼美とわかれて、夕暮れの家路につく二人。
「強い人だね、碧音くん」
「ああ……」
入果の言葉に心底同意する。同時に、たった一度の挫折で半年以上もくすぶった自分があまりにも情けないと思う。
「……あ」
ふらりと足がもつれてしまった。
「にぃに⁉」
入果が駆け寄って体を支えるようにした。手振りで問題ないと伝える。
「ちょっと立ちくらんだだけ……」
「大丈夫⁉ 怪我してない⁉」
緒羽途の言葉を遮るほどの勢いで、心配する入果にこちらまで不安になってきた。
「なんともない、久々にフル出場してちょっと体力配分ミスっただけだ」
ストライカーズはこの地区ではかなりの強豪故に、こちらも今日はずいぶん走らされた。
「う……く……」
「入果……?」
こちらの腕を抱いて、はらはらと涙を流す入果に呆然としてしまった。
「ど、どうしたんだ……? いや……帰るぞ」
幸い自宅まではもう目と鼻の先である。それでも引っ付いたまま離れようとしない入果を抱えながら歩くのは疲労した体には骨だった。
自宅のドアを開けて、靴を脱いで廊下に倒れ込んだ。ようやく人目を気にする必要はなくなったが入果はまだ離れてくれない。
「入果……また……あれか……?」
「……わが……んない……」
幼児のように泣きむせぶ入果。
「……リビングに……」
サイドテールの少女は顔を腕にこすり付けて返答に代えた。
リビングまで移動すると、ソファに沈み込みながら入果を腕に抱き支える。
熟した柿のような色の夕日が窓から差し込むと、カラスの鳴き声が耳に入ってきた。
「……」
入果の心になにがあったのか。
思い当たる節としては、ここ数日の碧音の危難しかない。入果は純粋といっていい。あの東根帝都の常軌を逸した害意を目の当たりにしたことで、毒気のようなものを浴びて情緒不安を起こしているのかもしれない。
まいったな……。
これでは誠司にあわせる顔がない。木乃香も入果を心配して、こちらに戻ってくるかもしれない。今の入果を守らなくてはならないのは、自分である。
「入果……今度のゴールデンウィーク、一緒に北海道までに行ってみるか? 誠司さんたちの家まで」
「……」
入果が頬を横に揺らす。
「気にすることなんてないと思うぞ、誠司さんも入果の顔を見ておいた方が安心できるだろう」
「いいの……。パパンに……心配かけたく、ない……」
髪をつかむ。一人では、具体的に入果を元気づけてやるプランが思い浮かばないのは自身の器量のなさに他ならない。
「……そういえば……」
あのイベントを思い出していた。
「にぃに……?」
「入果……俺に、ダンスを教えてくれないか?」
鴎凛高校の現校舎は系属の大学が有するキャンパスを改築したものである。故に高校では珍しい施設もいくつか見られる。
このレクリエーションホールもその一つである。
「ほら、にぃに、こっちこっち」
「あ、ああ……」
覚悟を決めてきたつもりだったが、この期に及んで足が重くなってきた。
今日はゴールデンウィーク前のダンスパーティーでホールが占有される。佳樹のク
ラブが主催するもので招待に応じる形でやってきた。
まいったな……。
もう少し、一部のクリークだけで参加するような小規模なものとおもっていたが、予想を超える数の生徒たちであふれている。
「あそこで受け付けやってるみたい」
「うん……」
やはり、といったところだった。並んでいるのはカップルばかりである。
「飛び入りも歓迎しますよー。同性、ご友人同士でも遠慮なくどうぞー」
運営のクラブが気恥ずかしがって参加をためらっているらしい生徒たちに呼びかけた
覚悟を決めた息を吐くと、受付のテーブルまで進んでペンを手に取った、ところでやつの声がした。
「ありゃ緒羽途?」
「げっ……」
佳樹とご対面である。
「こんちはー佳樹くん」
「やあ、いらっしゃい入果ちゃん。お兄さんと参加?」
「そうでーす」
冷や汗を握りつぶした手でペンを走らせる。佳樹が意地の悪い笑みをチラリと見せた。
「それじゃこれ二人ともどうぞ。参加証になるワッペンだから、ドリンクも飲み放題になるよ」
「ありがとー」
「緒羽途は転ばないようにね」
「アリガト……」
入果の腕を引きながらホールへと突入することにした。
半円形のダンスホールではきらびやかなライトが交差し、奥にはドリンクバーのような席も見える。
「鴎凛にこんな建物があったなんて……」
「にぃに初めて? 私は練習でよく来るけど」
「ああ……」
落ち着きなく視線を遊ばせる。朴念仁を絵に描いたような自分には心底似つかわしくない場所であるというのが率直な感想だが、このイベントは入果のため使わせてもらうと決めている。
タキシード姿のスタッフがマイクを持ってパーティーの開催を告げた。
カジュアルなダンス・ミュージックが流れるとホール中央で何組かの女子生徒たちが踊りを披露した。開演の舞というやつだろうか。
「あれ舞踊団の先輩たちだよ」
足取りの固い参加者たちも運営に背中を押されて中央へと移動し始めた。
「ほら、あたしたちも行こ」
「……お手柔らかに頼む……」
自然な動作で腕を組んできた入果に合わせながら、輪の中へ入っていった。
入果以外は誰も自分など見ていないというのに、周りの視線が気になって仕方ない。教わったばかりの不器用な足さばきは初めて公式戦の芝生を踏んだ時の懐かしい記憶を想起させた。
「おしおし、なかなかいいぞ。にぃに、やっぱりスポーツやってるだけあって飲み込みはやいよ」
先生はそうおっしゃるが、緒羽途の方はリズムについていくのに必死に神経を集中させており返事もできない。
わ、わん、ツー、すりー……ああ! わからん!
数日のレッスンなど付け焼刃にしかならない。学校のフォークダンスすら避けてきた緒羽途にとってダンスは未知の魔術に思えた。
「う……ッ!」
とうとう足をもつれさせてしまった。崩れそうになるも、
「あ……」
入果にあっさりと引き戻されて、元の流れへと復帰した。
大丈夫、小さな口がそう述べてくれた。薄紅色の唇は、不覚にも美しく見えた。
「……」
入果に任せるように踊り続けた。
二曲目が終わるころに一旦、中央のサークルから外れて休憩することにした。
息を切らしてテーブルに手をつく。
「んもー、情けないね。まだ二曲だよ?」
「悪かったな……不慣れなんだよ」
この疲労は神経を使い過ぎたことに起因している。 体力で入果に後れを取るとは思えない。とはいえ、汗一つかいていない入果には内心で感嘆の念を抱いた。
「それよかいいのか? この後、舞踊団の演目だろ?」
「行かないよ。今日は、にぃにと踊るって決めてるから」
「そ、そう……」
ドリンクを手に取ると顔を天井に向けた。
「……ねえ、今日はどうして?」
「へ?」
「だからなんで参加しようと思ったの?」
「……あー、その……うん、あれだあれ」
「あれ?」
「だから……、フッ……人生の新しい境地を開拓するのもいいかと」
「……」
「真顔で見るな……。いいだろ別に、俺だって羽目を外してパーリーピーポーになりたい時だってあんだよ」
「ふーん……」
入果がストローに口をつけてジュースを吸い上げる。少し迷ったがやはり話しておくことにした。
「……入果、またあれが来たら、いつでも俺に言え。ちゃんと俺が支えるから……」
「……うん……」
曲がしっとりとした旋律に変わっていく。
「あー来た来た」
「え?」
入果が手を振ると、虎徹と燕、それと予想外の二人の姿を発見した。
「い! 白地⁉」
碧音に駆け寄る。隣には日葵もいる。
「やあ、二人とも」
杖をついてギブスをつけた碧音が微笑みかけてきた。
「お前、大丈夫なのか。こんなところに来て……」
「リハビリも兼ねて外出が許されたから、ちょっと見物するのもいいかなって。さすがに踊るのは無理だけどね」
碧音を不安げに見つめる日葵、近くには念のためか車いすも持参したようだ。虎徹と燕の表情も固い。
「見苦しかったかな? こんな姿でにぎやかなところに来るなんて」
「いやいや!」「いえいえ!」
入果と同時に碧音をフォローした。
「碧音くん、向こうで休も……」
「うん、それじゃみんな、こっちは気にしないで楽しんでって」
日葵が碧音の手を引いて、ホールを出ていく。ここの音量はやはり碧音の傷に障るかもしれないという配慮だろう。
「白地さんと日葵さん大丈夫でしょうか……?」
燕が不安げに二人の背を見送る。虎徹が目を閉じて口を開いた。
「俺たちにできることはすべてしたよ。後は……あの二人を信じてやればいい」
吹っ切れたような声に聴こえた。虎徹もようやく自身の想いに終止符を打つことができたのかもしれない。
曲がまた変わっていく。今度はアップテンポで昇っていくようなリズムが館内に響き渡る。
「あーこれ好き! にぃに踊ろ」
「……お、おし、やってやろう」
虎徹がニヤリとした視線を送ってきたので意地になって入果の手を握って見せた。
「おお……!」
横目で虎徹を睨んでから、ダンスフロアに乗り込んでいく。
「……虎徹さん、私たちも踊りませんか?」
「へ? あ、ああ……俺なんかでよければ……」
背後のやり取りに吹き出した。燕はそれとなく虎徹の失恋を察していたのだろう。
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