第九章 入果とともに

(1)入果とともに

 

 芝生を踏み、飛翔する。敵がコート外にクリアしようとしたボールをインサイドで拾うと、中央へ視線を走らせた。虎鉄が詰めているのを確認する、この間コンマ0、5秒ほど。


 蹴り上げたボールは中央にクロスとなって舞い戻り、フォワードの虎鉄がヘディングで敵ゴールへと叩き込んだ。


 喝采もなく、声援もない静かな試合であったが、ピッチのメンバーたちは小さな喜びを爆発させた。ほどなく二点のリードを保ったまま、試合終了の笛が鳴った。


 公式記録がかかっているわけでもないありふれた練習試合だが、鴎凛フットボール同好会にとっては大きな意味を持つ勝利だった。


 部員たちは対戦相手の宿宮ストライカーズユースの面々と握手を交わすと、緊張の面持ちで監督の大東平八郎の前に並び出た。


「……お疲れさまでした、監督」

「ああ、お疲れ」

 まぶたを閉じて何かを思案する大東を全員がかたずをのんで見つめた。


「……とりあえず、チームをとしての体裁は整ったと見よう」

「そ、それじゃあ!」


「……インターハイ予選に向けて練度を高めておけ、恥をかきたくないならな」

 耳をつんざくほどの喝さいが沸き起こった。


「……」

 ただ一人、緒羽途だけは沈黙を保ったまま、空に顔を向けた。


 去年の夏の大会予選以来、胸の奥に巣食っていた負の念を発するなにかは完全に霧散した。これで同好会は正式な部活に格上げされる。クラブに対してもある程度のけじめをつけられたと思いたいところだった。


「緒羽途! やったぜおい!」

「ああ……」


「やっぱりお前がいないと締まらない……。あ……、これで……、終わりってわけじゃないよな……?」

 全員が視線を向けてきた。


 もう腹はくくっている。一歩前に出た。


「みんな……俺も、今日からまたやらせてもらいたい」

「よし!」

 謎の拍手が起きた。

「そ、そんじゃ……!」

 撤収しようとしたところ、背中を軽く叩かれた。


「踏ん切りがついたんなら、もう迷うな」

「はい、薬師岳さん、これからもゴールをお願いします」

 穏やかにほほ笑む薬師岳に頭を下げると、大東を探した。既にバッグを手に持っており、このままだと直帰だろう。慌てて、大東の背を向けて走り出した。


「先生……!」

「……なんだ?」


「……独り言と思って聞いて下さい」

「……」


「俺はこれまで自分を伝えることを怠っていたと自覚しました。ピッチにいるのはすべて、自分を含めて、勝つための最適解を探して回り続けるコマでしかないと……」


 徹底的な優勝劣敗、弱肉強食のジュニアユースの世界で生きてきたことで選手が人格を持った人間であることをいつからか忘れていたのだ。


「もっと他人を知って、自分を伝えていれば、去年のあの試合のようなことは避けることができたかもしれません」

 自分は正道を尽くしたが、外道を働いたのは向こうと外面的な部分しか見えてなかった。


「俺がすべきことだったのは、あの上級生たちを見限ることじゃなくて、彼らと向き合うことだったんだと思います……」

「……そうか」


 大東は背を向けて歩き出した。シンプルな相づち一つしかもらえなかったが、足りなかった点はだいぶ積むことができたと、その背が語っていた。


 大きく息を吐いたところで、

「ひゃ!」

 頬に冷たい感触が走った。


「にぃに、お疲れー」

 入果がレモネードの缶を差し出してきた。


「お、お前、なんで……」

「んー、ちょっくら自主練でもしようかなと」

 怪しげな手振りの上に、目が思いっきり嘘をついている。


「……世話になった」

「にゃん?」


「復帰することにした」

「そう……、お、お、お……」


「お……?」

 入果が何かをためるように身をかがめる。


「おっしゃーーーーー‼」

「な、なんでお前が……」


「いやあ、まあなんとなく」

 海に漂うイカのような舞を披露する入果。


「よーし、今日は入果ちゃん特製ディナーを振舞ってやろう」

「その……感謝する」


「おう、楽しみにしておけい」

「そのことじゃない……。その……ここまで来れたのって、たぶん、お前のおかげ……だと思うから……」


「なんであたしぃ?」

「入果が……いいだろ! とにかく感謝しといてやる、ありがたく思え」


「ほうほう。それなら今度……まあ、いいや後で話そ。これから病院行くんでしょ」

「ああ……」

 着替えると、三人で市民病院に向かうことになった。

 

 あれから白地は意識を取り戻し、会話ができるほどに回復した。検査の結果、手や腕の神経は無事で、脳にも異常はなかったが、骨に負った傷に関しては容易に治癒できるものでなく長期のリハビリを要するとのことであった。


 東根帝都は警察に傷害及び殺人未遂の容疑で、逮捕された。本人はひたすら黙秘しているが、押収されたダンベルから検出されたDNAや事件現場近くの防犯カメラの映像、そして緒羽途らが提出した本人の自白を録音したデータなどから、犯人と断定されている。事件の重大さからも刑事処分になる公算が高く、退学も避けられないだろう。


「まあそれで一件落着ってわけにはいかないけどな……」

「そうだね……」

 歩きながら話す虎鉄と入果の重い声に、緒羽途も気持ちが沈む。


 碧音は、事件の全容を聞かされても、なんら感情的に憤ることもなくひたすら日葵を気遣い、すぐによくなると気丈さを見せた。東根に関しても恨み言を述べはせず、憐れむようなことさえ言う度量には、驚きを通り越して呆れてしまった。


 病院のロビー前まで来ると、受付を済ませて碧音の病室に向かう。


「白地、堂場だ。入っても大丈夫か?」

「どうぞー」

 日葵の声だった。中に入ると病室には日葵と礼美が既に来ていた。


「やあ、堂場くん」

 碧音が体を起こそうとしたので、慌てて手振りで制止した。腕に巻かれたギブスがなんとも痛々しい。


 調子はどうだ、と尋ねていいような空気ではない。日葵が椅子を引いてくれたので腰を落とした。

「痛むか?」

「ううん」


「頭の怪我は……」

 首を横に振る白地。


「そっちの方は問題ないよ、後遺症にもならないって、背中と足の打撲傷の方ももう完治している。あとはこっちだね……」


 白地がギブスの腕を小さく持ち上げた。日葵が泣き出しそうな顔を俯けると、入果と虎鉄も瞳を暗ませた。


「まあ、指は無傷だったのがついてたね」

 ちょっと転んでケガをした程度の話でもするかのような笑顔である。あんな理不尽な目にあっても、ついてた、とまでと言える心持の強さに感心するばかりだった。


「えっと、日葵ちゃん」

 碧音が日葵に呼びかけた。


「なに、碧音くん?」

「悪いんだけど、一階まで行ってみんなの飲み物買ってきてもらえないかな。お金はそこの巾着袋に入ってるから」


「お、おい、別に俺たちそんな長居するつもりないからいいって」

 虎鉄が述べるも碧音は首を横に振った。


「うん、行ってくるね」

 日葵が部屋を出ていくと、碧音は緒羽途に向き直った。


「さて、堂場くんと入果ちゃんにはまだちゃんとお礼言ってなかったね」

「え?」

「にゃ?」


「僕が眠っているあいだ、真相を暴いて彼と対峙してくれたんだろう。虎鉄くんたちから聞いたよ、全部君たちがやってくれたって」


「あ……いや」

 恨みがましい目で虎鉄を睨むと、どこ吹く風だった。


「ありがとう、二人とも……」

「いえいえ」

 入果とまったく同じリアクションを取っていた。


「別に大したことはしてない。なんとなく、わかったんだよ。あいつの仕業だろうって。それにしたって馬鹿な野郎だ。あそこまで衝動的に行動してれば、俺たちが特定できていなかったとしても、いずれ警察に捕まっただろうさ」


「うん……。でも……かわいそうな人だなとも思うんだ」

「お、おい……!」

 入果と虎鉄も目を丸くした。


「どうしても好きな人に向き合うことができなくて、そういう方向でしか自分の想いを表現できなかったっていうのは悲しいことだと思う……」

「……そうだとしても、お前がそんなこと気にする必要はない……」

「うん……」

 歯をかみしめる虎鉄の姿を見てしまえば、もうこれ以上あの男の話はすべきではないととっさに判断できた。


「ともかく……あんなゴミのことはもういい。あとは警察の処分に任せよう。間違いなく学校も退学だから、二人とももう安心してくれ」

 聞くべきか迷ったがやはり聞いておこうと息を整えた。


「楽器は続けられそうか……?」

「大丈夫、秋の大会オーディションまでには間に合わせるよ」

 礼美が視線を俯けた。

 後は適当な世間話をしてから、病室を後にした。


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