(5)卑怯者

「あず……ああ、もうお前に名前なんていらねえな。おい、カス野郎、お前はずっと、日葵の周辺をチョロチョロしていやがった。そうすれば自分を認知してもらえて、親しくなれると思っていたからだ。もっともてめーの方から話しかけるなりして、アプローチする努力は毛ほどもしてなかったようだがな」


 東根が歯ぎしりしながら虎鉄を睨みつける。


「おめでたいやつだよ、お前は……。クソみたいなプライドは絶対に守ろうとするくせに、他人から好かれる努力はなにもしない。お前の世界にはお前以外、誰も人間がいないからだ。誰もがお前の決めた独りよがりの法律に従わなければいけないと思ってる、従わないものは殴る、野球部でも委員会でもずっとそうしてきたんだろ? けし粒みたいに小さな世界の独裁者だ。だが、誰もお前の決めた手前勝手なルールなんか認めちゃいない。お前の夢の国の国民はお前だけだ」


 虎鉄から容赦ない言葉の殴打を浴びせられた東根が目を血走らせて肩を震わせる。今にも虎鉄に殴りかかりそうだった。


「……お……」

「なんだ? 言いたいことがあるな言ってみろ」

 虎鉄が侮蔑のまなざしとともにそう述べた。


「俺は! ずっと恵庭の近くにいた! あのクソ野郎よりもずっと前からだ! それを……! それをあのクソ野郎が……そうだ! あのクソ野郎が、恵庭を脅して無理やりてめえの女にしやがったからだ! だから俺がぶっ潰した!」

 開いた口がふさがらなくなった。


「虎鉄、もうこいつとは話すだけ無駄だ」

 虎鉄が嘆息する。


「俺は誰よりも恵庭のことを想ってきた!」

「……ざけんな」

「あ……」


「言葉で伝えようともしない想いなんて伝わるわけねえだろ‼」

 辺りの木々から鳥が一斉に飛び出すほどの大喝であった。


「お前は傷つくのが怖くて好意を持っている相手に自分から話しかけることすらできない弱虫で、自分以外の男が彼女を手に入れることが許せない……最低の卑怯者だ!」


「う……あ……ぐ!」

 東根がダンベルを拾い上げた。虎鉄をめがけて突進してくる。


「ぐあああああああ‼」

「虎鉄!」

「来るな!」

 虎鉄が庇いに入った緒羽途を押しのけて迎撃の構えを取ったが、


「あ!」

 黒い影が虎鉄の前に現れ、


「がっ!」

 東根の関節をひねり上げて制圧した。


「え……?」

 その男の顔はよく知っている。


「堂場、月山、離れていろ。そこの君たちもだ」

 大東平八郎だった。


「せ、先生……!」

 緒羽途、虎鉄とともに目を丸くする。さらにパトカーのサイレンが近づいてきた。


 東根の関節は完全に極められており、大東に姿勢を崩されて地面に膝をついた。手際のよさに、大東が一時期、陸上自衛隊に身を置いてそこでレンジャー資格を取ったことがあるとのうわさを思い出していた。


「なんでここに……?」

「……すみません、私がお願いしました」

 燕が横合いからやってきた。


「つ、燕ちゃん、危ないから!」

 燕をかばうように前に出たが、もはや東根に抵抗する力は残されていないようで、ひざまずかされながら、苦し気にうめいている。


「大東先生は、父と昔、同級生でして……」

「へ、へえ……」

 そんなことに驚いている場合ではない。


「虎鉄!」

 礼美が駆けてくる。


「あんたら、無茶すんじゃないって言ったでしょうが!」

 さらに後方から見知った顔が現れた。


「あ……! 恵庭!」

 日葵がいた。目元は暗いが、瞳には力がこもっている。日葵はまっすぐと拘束されている東根の前まで行くと、凍りつくようなまなざしで東根を見据えた。


「え、えに……」

「……今の話、全部聞きました……」

 東根がパクパクと口を震わせると、顔をそらした。


「あなたは……女の子と目を合わせることすらできないんですね……」

 絶望を目に映した東根、顔面が痙攣したように歪み、その口からは混乱の涎が垂れ出ている。


「白地くんを傷つけたあなたを許すことは絶対にできません、刑務所でもどこでも行って罪を償ってください。そして、二度と私と彼の前に現れないで……!」


 日葵が東根に背を向けた。永久凍土の雪原のような空気が漂う中、こと切れる寸前の獣のようなうめき声が夜の公園に響き渡っていく。東根の、本人にしか見えない矮小な矜持は完全に砕かれ、小さな独裁者は栄光の椅子から転げ落ちて行った。


 パトカーが数台止まると警官が駆けてくる様が見えた。

「警察には俺の方から説明する、お前たちはもう行け」

「は、はい」


 大東に礼を述べると、日葵の背を追って全員が歩き出した。

 人気のない公園奥の池の前で水面をじっと見つめる日葵。全員が苦し気な視線をその背に向ける。自身が原因で恋人が重傷を負ったという心の傷はいかほどか。


 チラリと虎鉄の方を見るが、黙して目を閉じている。もう彼女を慰めてやれる立場に自分はいないことを自身に自覚させるかのように。


 入果が背中をそっと叩いてきた。このまま地蔵みたいに立ち尽くしているわけにもいくまい。意を決して自分が声をかけることにした。


「恵庭……」

 恵庭が振り返ると、はかなげな微笑を浮かべた。


「……堂場くん、虎鉄ちゃんに佳樹くん、入果ちゃんもありがとう……」

 首を横に振る。あの凶漢が成敗されたところで白地が全快するわけでもないし、日葵の無念も晴れることはない。


「とりあえず、やれることはやった。後は、あいつの回復を祈るとしよう」

「うん……」

 携帯に着信音が礼美のものだった。


「ごめん、ちょっと……」

 礼美が脇に寄る。


「虎鉄ちゃん、怪我してない?」

「してないよ、そっちこそ見るからに寝不足だぞ、ウサギの目になってるわ」

「もう……!」

 ようやく少しだけ笑うことができた。


「わかった! すぐ向かうから!」

 礼美の大声に全員が振り向いた。


「日葵……! 今ブラバンの連中からの連絡で、白地が……目を覚ましたって‼」

「本当か⁉」

 虎鉄が駆け寄る。


「ええ! 日葵と話したがってるっていうから早く病院に……日葵?」

 日葵に向けると、微弱に足を震わせて瞳は全く焦点があっていない。


「ひ、日葵さん……」

 燕が心配して、背中をさすってやると、


「あ……う……あ……ああ! うあああああ……‼」

 少女は、その場にくず折れて、慟哭し続けた。


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