(4)卑怯者

 学校近くの大公園、噴水広場前のベンチは恋人たちの憩いの場として宿宮区民には人気がある。その場所に、一人の男が影に潜んでいる。

 東根帝都は、手に持ったダンベルを握り込んだ。


 ちくしょう……。

 日葵の男が白地とかいうやつではなかったことに、いきり立っていた。


 まさかあの堂場とかいうやつと日葵が恋仲だったなど、いずれにせよ自分以外の男が日葵と交際するなど断じて認めるわけにはいかない。


 恵庭日葵は自分の女でなくてはならなかった。野球部にいたころ、たまたま演奏する彼女を見て見初めたのである。透き通るような声、童女のような愛らしい笑み、なにもかもが自分の理想の具現化に見えた。


 運動部の代表格である野球部をシメれば、多くの人間が自分に一目置く。恵庭日葵も自身に憧憬のまなざしを送ってくるだろう。そう思い、野球部を仕切ろうとしたが、ほかの部員たちは帝都のやり方を認めなかった。それどころかレギュラーに定着できなかったことで、帝都は軽く見られるようになった。その劣等感は仕切り癖を過激化させた。このクラブをシメることができなければ恵庭日葵は手に入らないと思っていた。


 暴力事件から野球部は放逐されたが、恵庭日葵のことは諦める気はまったくなかった。さりげなく彼女の視界に入り、バットの素振りやスクワットをやってみせて気を引くとしたがうまくいかなかった。 


 日葵が新入生歓迎オリエンテーション委員会に入った時は後を追って、自分も委員になった。そこで初めて日葵と話をすることができた時は心臓が飛び跳ねるほどにときめいた。


 この少女は絶対自分の女にしなければならない、そう思って来る日も恵庭日葵の周囲をそれとなく徘徊して彼女の目に留まるよう奇行を繰り返した。


 だがある日見てしまった。恵庭日葵が楽しそうに話すグループ、クリークというやつを。そこで彼女と楽し気に話す一人の男を見て、殺意すら抱いた。同じクラブの男らしい。


 あんな貧弱そうな男に自分が劣っているはずもないと思っていたが、数日後、あってはならない光景を大講堂で目にした。


 あの男、白地碧音が日葵と仲睦まじげに歩いている姿を。付き合っているという噂を聞いたときは世界が闇に包まれた気分になった。


 苛立ちから音楽室に侵入して、憂さ晴らしに飾られていた表彰状を叩き壊して名簿を盗み、やつの情報を入手した。


 白地碧音について調べ上げたが不快極まる気分になった。

 ブラスバンド部の俊英として周りから好感と尊敬を集めており、教員たちからの信頼も厚い。知れば知るほど、嫌悪感が沸き上がってきた。


 白地碧音をつぶす。そう決意したのは一瞬のことだった。


 盗んだ名簿からやつの住所をしらべて帰宅時間を見計らって闇討ちにした。ダンベルで後頭部を激しく叩き、二度と楽器を持てない体にしてやろうと念入りに腕をつぶした。

 すべてはうまくいったはずだった。


「ドウバとかいいやがったなあの野郎……」

 日葵が付き合っていたのはあの時、図書館で見たいけすかない男だったとは。白地碧音と同じように潰してやると、殺意を新たに、獲物が訪れるのを待った。



「……!」


 二人が現れた、堂場とカチューシャをつけた女子、恵庭日葵である。二人は仲睦まじげにベンチに並んで腰をかけた。


「きょ、今日の君は一段ときれいだ……」

「ありがとう、緒羽途くん……」

 得物を手に握り、襲撃の機会をうかがう。


「緒羽途くん、私のこと好き……?」

「え? あ……ああ、も……もち、好き……です」


「ほんと、うれしい。あたしも緒羽途きゅんのこと大好き」

「そ、そうなんだー」


「そうだ、私、ダーリンのためにペプカコーラ買ってきてあーげる」

「あ、ありがとう。い……日葵さん……」


「ダメよ……ハニーって呼んでくれないと……」

「あ、あんがと……はにー……」


 これ以上は聞くに堪えない、日葵が離れて目につかなくなったと同時に飛び出した。一気呵成にやつを叩く。

 得物を振り上げた、その瞬間だった。


「ぐあ!」

 突然の強烈なライトに視界がホワイトアウトした。


「はい、撮った」

「なに……!」

 一人の男がスマートフォンのカメラをこちらに向けていた。


「おっかないね君、幸せそうなカップ見ると襲いたくなっちゃう衝動でもあるわけ?」



 佳喜がたった今、撮影した動画を男に突きつける。闇に潜みながら、小型のダンベルを手に持ち、突如としてそれを振りかざして襲い掛かろうとした過程が克明に記録されていた。


「な、なんだてめえ⁉」

 東根が再びダンベルを振り上げたので、とっさに佳喜の前に出た。


「東根帝都だな……?」

「ああ⁉」


「いきなり襲いかかって来るとはどういう料簡だ、俺様はい……日葵とイチャイチャしていただけだ」

「ぐ……て、てめえ!」

 男がダンベルを投げつけようとしたところ、


「ぐわ!」

 背後から腕をねじり上げられた。


「とうとう尻尾を出したな、どチンピラが……」

 虎鉄がダンベルを奪取して、草むらに放り投げると、東根を蹴り倒した。


「て、てめえ、あの時の……」

「……東根、先日、白地碧音を闇討ちしたのはお前だな……?」


「……知らねえよ」

「……死んだぞ、あいつ」

 東根の顔が青ざめた。


「警察はもうお前を特定している。殺人の容疑でお前は逮捕される。一生、檻の中だな……いや死刑になる」


「し、死刑⁉」

「ああ、間違いなく死刑だ」


「馬鹿言ってんじゃねえ! ちょっと小突いてやっただけだぞ⁉ あの程度のことで死ぬあのクソ野郎がわりいんだろうが⁉」

 佳喜が吹き出した。


「あーあ……」

「な……」


「全部嘘だよ、バーカ」

 実に堂に入った虎鉄の芝居であった。


「あー今のも録音してあるから、ほい」

 佳喜が音声データを再生した。東根の自供以外のなにものでもない。

 口元震わせながら、呆然とする東根。


「にぃに、終わった?」

「バカ! 来るな!」

 東根が物陰から現れた少女を見て、飛び起きた。


「え、恵庭!」

「うーん? ここにいるのは……そうあたくし、入果ちゃんどあー!」

 日葵に扮していた入果がカチューシャを外して、かつらを脱いだ。


「あ……! ぐぁ! ああ!」

 驚愕のあまり、意味不明な声を出しながら、東根が後退していく。はめられたという現実をようやく理解したらしい。踵を返して逃げようとしたが、


「ぐあ!」

 虎鉄が襟首をつかんで再び地面に転がした。


「二度とあいつの名前を口にするんじゃねえ……マジでぶっ殺すぞ」

 本気で人を殺せる声というのを初めて聴いた。


「ぐ……あ……てめえら……殺す!」

「おう、やってみろ」

 対峙する虎鉄と東根。緒羽途は手振りで入果に後退するよう指示すると、佳喜とともに東根を取り囲む位置についた。


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