第八章 卑怯者

(1)卑怯者


 目的の場所にタクシーが停車した。


「会計は僕がやっとくよ、三人は先に行って」

「悪い佳喜!」

「あとで払うから!」

 ドアが開かれると飛び出すほどの勢いで、外に出た。


 綾浜第三市民病院、ここに碧音は搬送されたと担任から聞き出している。

 ロビーに駆け込むと、なにごとかと来院客が目を向けてきた。受付に真っすぐに向かう。


「すみません! ここに鴎凛高校の生徒が運び込まれたと聞いたんですが!」

 礼美の大声に受付のスタッフが目を丸くした。


「え、ええ、あなたたちは……?」

「その生徒の友人です!」

 学生証を突き付けるように出す。職員がファイルを取り出した。


「……ああ、白地碧音さんのご学友ということでよろしいでしょうか?」

「はい!」


「白地さんは二階の西棟奥にある集中治療室にいます……。面会謝絶の状態ですが、隣にご家族用の控え室がありますので、まずはそちらにお願いします」

「わかりました……!」


「病院内は走らないようにお願いします」

「はい!」

 ちょうど佳喜も追いついたところで、西棟へ向かった。


 集中治療室……。


 名称を聞くだけで緊張の汗が浮かび、碧音がのっぴきならない状態にあることが推察できる。


 部屋の近くでは学校関係者と思しき人物と警察官がなにか話をしていた。そこを横切り、控え室のドアを開いたところ、


「あ……!」

 そこには、彼女がいた。いきなり入ってきた緒羽途たちを見て、呆然となっている。


「……日葵」

 虎鉄が一歩前に出た。


「……う……あ……うわあああああああ‼」

 日葵が号泣して虎鉄に抱きついてきた。


 事件が起こったのは、昨日のちょうど午後八時を回ろうかという時間帯、白地碧音の住居近くでのことだった。


 その日、白地碧音は親戚の家まで法事に赴いていた。その帰りのことである。自宅の最寄り駅に着いた際に、碧音は買い物があるから後から帰宅すると述べて、両親と別れた。


 買い物を終えた碧音は帰路につき、自宅近辺の道路の角に差しかかったその時、と思われる。

 何者かが背後から、おそらく鈍器の類で碧音の頭を強打したのである。


 突然の頭部への衝撃に碧音は昏倒して倒れ込み、そのまま気を失った。


 さらに恐るべきことに碧音を襲撃した何者かはそれで終わりとせず、地に伏せた碧音に執拗に追撃を加えたのである。肩、腕、背中などを凶器で容赦なく殴打したようで、骨の一部にはひびが入っており、衣服の汚れから蹴りもくらわせたことが判明している。


 鈍い音を聴いた現場近くの家の住人が窓を空けると、驚いた犯人は逃亡したという。あとに残されたのは無残な姿に変わり果てて、うつぶせに倒れた碧音だけだった。駆け付けたその住人は仰天し、直ちに救急車を呼んだ。後、数分処置が遅れていれば、命は尽きていたかもしれないとは緊急治療にあたった医師の談である。


 犯人は依然として捕まっていないが、被害者の受けた打撲の甚大さと現場から足早に逃亡した俊敏さから考えて若い男である可能性が高い、と警察は見ている。


 別室で警察からの説明を受けた緒羽途たち四人は、ただ、戦慄して、立ち尽くす以外できなくなった。あまりにも凶悪、凄惨の骨頂、なによりも卑怯卑劣を極めている。闇に乗じての不意打ちから、昏倒した相手への無慈悲な追い打ち。もはや人間ではない、鬼畜の所業である。


「あ……あ、ああ……」

「八乙女!」

 衝撃のあまりバランスを崩して倒れそうになった礼美をとっさに支えて、椅子に座らせた。


「君たちなにか心当たりはないかな?」

 警察官が手帳を持ちながら問いかけてきた。


「あるわけないでしょう……!」

 佳喜がここまで真剣な声を出すのは初めてのような気がする。


 確かに心当たりなど全く思い浮かばない。あの善良が服を着て歩いているような碧音にここまでの憎悪をたぎらせる何者かがいたなど想像がつかない。


 誰……誰なんだ……?


 ドアが開く。憔悴しきった顔の鴎凛の生徒たちが入ってきた。ブラスバンド部の部員たちだろう。警察が今度はそちらに向かった。


「虎鉄……?」

 虎鉄がおぼつかない足取りで部屋から出ていく。あとを追った。


 再び、控え室前まで来て、ドア窓から中を覗き込む。

 日葵は心労のあまり横になっており、上から毛布をかけられていた。奥では祈るように手を組み合わせている中年の婦人が男性に支えられている。碧音の両親だろう。


「お、おい……」

 虎鉄がフラフラと非常階段へと流れて行った。

 薄暗い階段前の一角で虎鉄が壁に手をついて身を震わせている。


「虎鉄、どうした?」

「……がう……」


「え?」

 歯が合わさる音が出るほどに口元を震わせていた。


「違う……俺じゃ……俺じゃないんだ……!」

 すさまじい表情でこちらに顔を向けた。


「な、なにいって……」

「俺じゃない! やったのは俺じゃないんだ! ……そんな、そんなことするわけ……!」


「落ち着け馬鹿野郎‼」

 大喝一声で虎鉄が固まった。


「さっき警察から聞いただろ。事件が起こったのは昨日の夜八時頃だ。その間、俺たちはなにをしていた? 俺とお前と、入果に燕ちゃん、四人でずっと七福八宝で駄弁りながら鉄板突っついてたんだぞ! お前が影分身でもしてなけれりゃ犯人になれるわけない。そうだろ!」


「あ……ああ……そうだ……」

 虎鉄が汗まみれの顔を手で拭う。


「いくら恵庭のことがあったからって……。……え?」

 恵庭という言葉がなにか引っかかった。


「緒羽途……?」

「あ……いや、ともかく一旦、みんなと俺たちでなにができるか話し合ってみよう」

「ああ……」


 別室に戻り部屋のドアを開いたところ、怒号が鳴り響いた。

「俺たちを疑ってるっていうんですか⁉」


「い、いや、そういうわけじゃないが……」

 ブラスバンド部の男子部員たちが警察官に食ってかかっている。礼美たちも女子部員も眉を憤りでゆがめていた。


「八乙女、なにが?」

「……警察はクラブ内での内輪もめだったんじゃないかと疑ってるみたい……」

 大会に出るための椅子は限られていることから、そういう推測に行き当たったのだろう。


「そんな安直なもんじゃないだろう」

「悔しい……今の状況じゃなにも証明する術がない」

 麗美が肩を震わせながら手を握り込んだ。


「そうだな……」

 早急に犯人を挙げなければ、クラブ活動どころではないかもしれない。


「にぃに!」

 声の方に顔。向けると入果がドアの向こうから飛び込んできた。後ろには燕もいる。


「入果、燕ちゃんも……」

「白地くんが怪我をしたって聞いて……!」

 一年にも情報は回っていたようだ。


「怪我どころじゃない……意識が戻らないまま昏睡してる」

「そんな……」

 青ざめる二人を見れば、こちらもやりきれない怒りで身もだえしそうだった。


「日葵さんは……?」

 燕が苦し気な声で尋ねた。


「向こうの控え室で休んでる。昨日の夜にはもう知らされていたみたいで、ろくに眠れてなかったみたいだ」

「ああ……」

 燕が手を額につけて嘆いた。



「いい加減にしてください!」

 後ろから大声が爆発した。


「一体、なんの理由があってうちの部員が白地くんを襲ったなどと疑っているのですか⁉」

 礼美が男子たちの前に立って警察と対峙している。

 警察がため息をついて退散していく。


「八乙女、大丈夫か?」

 手振りで問題ないと伝えるも、礼美の顔にも疲労がにじんでいるのが如実に見て取れる。


「礼美ちゃん……」

「ああ、入果ちゃんたちも来てくれたのね……ありがとう……」

 抱き合う二人。虎鉄がやってきた。


「……ちょっと向こうで話したいんだが」

「ああ……」

 先ほどの階段のスペースに六人で集まった。



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