(6)覚知不能

 昨日も来た七福八宝の暖簾をくぐる。

「ただいまー」

「らっしゃい‼」

 豪快な挨拶が飛んできた。


 中年の男性がこちらに振り向いた。

「……ってなんだ虎鉄か、店の入り口から入ってくんじゃねえって普段から言ってんだろうが。……おや、おめえは……」


「お久しぶりです……」

「おう、ええっと虎鉄と同じクラブの……ドバタくんだったか?」

「堂場緒羽途です……」

 後ろの二人が笑いをかみ殺した。


「親父、さっき言った通り……」

「ああ、お前のダチか。奥の座敷空けてあるからそこ使え」

「うん」


「お邪魔します」

 入果と燕が虎徹の父に頭を下げた。


「って女の子かよ、どこで引っかけてきたんだ? ああん?」

「へえ! 若の彼女っすか?」

 ほかの男性店員たちが駆け寄ってきた。


「緒羽途の妹とその友人だよ! 昨日話しただろ、そちらが足を怪我した俺を送ってくださった椛沢燕さんだ」

「椛沢燕と申します」

 燕が丁寧に頭を下げて挨拶をする。


「ああ、君がか。ほ! そりゃ感謝しねえとな、よし! お代はいらねえから好きなだけ食ってけ!」

 話が終わりそうにないと見た虎鉄が三人の背を押すようにして、奥の個室まで案内した。


「ハァ……悪い、親父はいつもあんな調子で一度、話し出したら止まらないんだ」

「い、いや、元気そうでなによりというか」


「わー、なに頼もっかなー」

 早くも入果はメニューをテーブルに広げていた。


「ハハ、好きなもの注文してくれ。その前にドリンクだな、なにがいい?」

 適当にお茶とジュースを注文する。

 ほどなく虎鉄の母親がくると、昨日の件で燕に丁寧に礼を述べてくれた。


「今日はよろしかったのですか、月山さん? 私、別に大したことはしてませんが……」

「いやいや、それにお礼ってだけじゃなくて、今度の練習試合に向けての景気付けしたかったってのもあるから」


「ハッハッハ、入果ちゃんは幸運の女神だからね。ありがたくごちそうになりますです」

「お前はなにもしてないだろ……」


「でも、日葵ちゃんたちは呼ばなくてよかったの?」

「……うん、佳喜と八乙女は都合が悪くて、日葵は、白地の帰りを待って、チャットするみたいなこと言ってたから……」

 虎鉄は嘘が苦手だと思う。


「まあ、いいだろ今日は四人で楽しもう」

 フォローを入れて会話の流れを断ち切っておく。

「はい」

 相変わらずの健啖家の入果は肉やら魚やらを豪快に焼いては平らげていく。


「入果、あまり一気に焼き過ぎるな、煙いし焦げつくだろうが」

「すぐ食べちゃうからいいの」

「ったく、ちょっとは遠慮しろ」

 虎鉄はほほえまし気にドリンクを口にしているが、箸の方はあまり進んでいない。


「燕、こういうお店来たことある?」

「ええ、まあ一応……」

 高級店だろうと想像はつく。


 一息ついたところで、虎鉄がトイレに立ち上がったため、緒羽途もついていくことにした。


「虎鉄、やっぱり食欲わかないか?」

「まあ、ちょっとな……まだ全部をふっ切るのは難しいみたいだ。でもだいぶ楽になったよ。あの娘たちに来てもらえてよかった……。あの二人を見ていると、なんていうか、気分が浄化されるというか、澱みみたいなものが抜けていく感じになるんだ」


 善性を持った人間と交流すればそれだけで心が洗われるということだろう。入果と燕では性格は大きく異なるにも関わらず、親友足りえるのはそういう部分で結ばれているからなのかもしれない。


「大事にしろよな、二人とも……」

「ああ……」

 席に戻ると、虎徹も多少は気分が晴れたのか、ラストオーダー間際まで歓談に耽った。


「あ、やべ、もうこんな時間か。緒羽途と入果ちゃんはともかく、燕ちゃんは門限とか大丈夫?」

「はい、今日はちゃんと伝えてありますから、それに両親は私が学校の友人たちと積極的に交流することを勧めてますので」

 意外とフランクな家らしい。


 会計はちゃんと済ませようと思ったが、今日の分はもう終えちまったからさっさと帰れという虎鉄の父親の弁であった。

 昨日、同様、燕の車で送ってもらうことになった。


「月山さん、今日はありがとうございました」

「こてっちゃん、ごちそうさまー!」


「また来てよ二人とも」

「はい」

 その時であった。虎鉄に携帯に着信がきた。


「ちょっとごめん……」

 虎鉄が携帯を手に取り、脇に寄った。


「日葵? どうしたんだ? ……え? いや……知らないけど」

 日葵からのようだ。


「予定よりも長引いたとかそういう話じゃないのか? とりあえずもう少し待ってみたら? うん、それじゃ……」

「虎鉄、恵庭から?」


「ああ、今なんか……。いや大したことじゃないだろう、それじゃあ、三人ともまた学校で」

「はーい」

 車に乗り込む前に虎鉄が肩に手を置いた。


「緒羽途……次の試合、できれば……頼む……」

「……わかった」

 ドアが閉じられる。車が走り出すと、虎徹の心意気に応えなくてはならないと手を強く握り込んだ。









 夜の街、ビルとビルの合間にある街灯も差さない小さな隙間、その闇の中で一人の男が荒い息をつきながら、喜びに身を震わせていた。

 思いのほかうまくいったことにほくそ笑む。


「へ……へへへへ! ざまあみやがれ……!」


 くぐもった声で快哉を叫ぶと、得物を床に放り投げた。完全に成し遂げた達成感に酔いしれながら、彼女の顔を思い浮かべて悦に入る。

 明日の学校が実に楽しみだった。





 いつものように登校し、教室まで向かう。その途中のことだった。


「……それマジか?」

「ああ、今職員室は大パニックになってる」

 廊下で数人の生徒が噂話をしているだけ、なのに、


「……」

 なにかが引っかかる。目を向けてみた。


「死んだのそいつ?」

「さあ、まだなんとも。まあ死ななかったとしてもやばいだろうけど」

 予鈴がなったので、足早に教室に向かった。


「おはよう」

 虎鉄、礼美、佳喜が固まっていたので、挨拶をする。


「よう、おはよう緒羽途」

 虎鉄の顔の血色は少し良くなったように見えた。


「あの、堂場……日葵を知らない……?」

 礼美が尋ねてきた。

「え? 恵庭がどうかしたの?」


「昨晩から連絡が取れなくて学校にもまだ来ていないみたいで……」

 顔を見合わせる男三人。


「電源が切れてるだけとかじゃないの?」

 佳喜が述べる。


「それならそれでいいんだけど……」

「あ……そういや昨日……」


「虎鉄、なんか知ってんの?」

「いや……昨日少し話したんだけど……」

 そこでドアの開く音がすると、女性の担任が慌て足で教室に入ってきた。


「み、みなさん……! 緊急連絡事項があります……」

 全員の視線が集中する。


「本日は、臨時休校となりますので速やかに下校してください……」

 数秒の間を置いてから教室に喝采が起こった。


「静粛に! これから話すことをよく聴いてください!」

 担任が息を呑んだ。


「昨日の夜八時頃、宿宮区で通り魔と思しき人物に本校の生徒が襲撃を受けました……!」

 しゅう……げき?


「生徒の名前は、白地碧音くん、です……」

「え……?」

 緒羽途と周りにいる三人全員が脈すら停止したかのように凍りついた。


「白地くんは現在、病院に搬送されて治療を受けていますが、意識不明の重体ということです……」

 理解が追いつかず、焦燥と緊張で汗が噴き出てきた。

 白地が……襲われて……意識不明……?


「学校は緊急の保護者集会を開いて対応を検討することにしました。生徒の皆さんは速やかに下校してください。なお、白地くんと同じブラスバンド部の方やなにか事情に心当たりがある生徒はこの後の聞き取りに協力してください」


 白い静寂の中で、何気ない日常を回り続ける歯車が欠けていく音を聴いた。


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