(5)覚知不能
「……?」
部室前まで来たところで異変を察知した。
壁に背中をつけて耳をそばだてる。内部から人の気配がする。誰かがいる。
妙だな……今日は休みのはずだが……。
ペタンという低い音がした。壁を擦るような音、と表するべきか。中で行われているのは不審な挙動であるように感じる。
部室荒らしか……?
生徒の社会モラルが高いこの学校ではあるが、そういう手合いが過去いなかったわけではない。
一気に部屋のドアを開いた。
「ッ! 誰……。え……?」
そこで目にした光景が、わからなかった。
「虎鉄……?」
虎鉄なのだが、様子がおかしい。壁に手を付けて、目から熱いものを流している。
「お……ばと……」
「ど、どうしたんだ……? なに泣いてなんか……」
「あ……ああ、ほんとだ。べそかいてるよおれ……あはは、だせえなおい……」
「なにがあった……⁉」
「やれやれ……まさかお前に見られちまうなんてな……。なに大したことじゃねえよ……。俺がのろまで間抜けなアホだったってだけの話さ……」
「な、なに言ってんだ……?」
虎鉄が弛緩し切ったように長椅子に腰を落とした。そして、刑事の追及に折れて犯行を自供する容疑者のような顔になっていった。
夕照が差し込む部室に虫の調べが鳴り響く。長椅子に腰掛けながら思いもよらない話を聞かされることとなった。
「恵庭のことが……」
「ああ、好きだった……みたいなんだ……」
虎鉄が大仰な仕草で天井を仰ぐ。
「みたい……?」
「俺自身、気づいてなかったってことだよ……」
自嘲がにじんだ声だった。
「あいつとは幼馴染だって話はしたよな?」
「ああ、幼稚園の頃から一緒だったとか」
「そ、親同士も仕事の関係で知り合いでな、日葵の両親は共働きな上、親父さんの方はしょっちゅう出張に行ってたから、よくうちに預けられてたんだ。そんでもってうちは客商売だろ。だから子ども同士、二階の子供部屋で遊ばせておけば手がかからないでいいって考えだったんだろう。そんな流れがずっと続いて、いつのまにか俺とあいつは兄妹みたいな関係になっていったわけだ」
「ふむ」
「別にうっとうしく思ったことは一度もなかったよ、見てて飽きないしなあいつ。小、中、高とずっとそんな調子でやってきた。だけど……今年の四月の初めにいきなり、訊かれたんだ。私に恋人ができたら虎鉄ちゃん寂しい? ってさ……」
だんだん話が読めてきた。
「びっくりしたというよりからかってんじゃないのかって思ったけど、日葵は本気で訊いてるみたいだった。それで、相手は誰なんだって訊いたら……」
「白地だったわけか……」
「ああ……」
「もっともその時点じゃ日葵も仮定の話だと思ってたらしい。白地とはブラスバンド部でいつのまにか親密になっていって、ある日、食事に誘われたんだとさ」
緒羽途も入学式の日に入果と食事に行ったときにあの二人を目撃している。その日の出来事だったかと合点がいった。
「それでも一度きりのデートで終わるだろうとおもってたんだが、白地は本気だった。本気で日葵に惚れちまったみたいで、その後にあいつから訊かれたんだよ。日葵になんだったかな……ああ、恵庭さんに交際を申し入れてもいいかって。ずいぶん固い表現するよなあいつ」
喉の奥の力が抜けたような苦笑だった。
「付き合いの長い君に筋を通しておきたい、だそうだ……まいったよ、ここまで堂々と言われちまうとな……。どう答えたらいいのかわからなかった、なのに心にもない言葉が口から出てしまった。あいつとはただの幼馴染でなんでもない、応援してるからがんばれってさ……。俺もあいつが好きだからってなんで言えなかったんだろうな……。ガキみたいな意地なんか捨てちまえばよかったんだ……」
「そうか……」
「日葵にも同じことようなことをまた訊かれた、白地くんと付き合うことになったらどう思うって……。そして、俺は言っちまった……。付き合ってみてもいいんじゃないかって……」
虎鉄がどっさりと仰向けになった。
「その瞬間だったんだろうな……俺は戦わずして、負けた……。不戦敗だよ……」
「……」
「それでもあいつとは、ただの友達、親友、幼馴染なだけだって言い聞かせたんだが……。あの二人が付き合い始めると、もう自分に嘘がつけなくなっちまった……。これからはもう二人だけで遊んだりもできなくなるし、ちょっとした買い物にも行けなくなる……そう思うと、すっげえ寂しくなっちまってさ……。とうとう自覚しまったんだ、俺は日葵のことが好きだったんだって……」
ようやく、すべてを吐き出したようだ。
「後悔先に立たずとはよくいったもんだよ……。もしあの時、日葵に俺もお前が好きだって言ってたんなら別の未来もあったのかなって……」
同じことを思った。日葵が虎鉄を男としてまったく意識していないなら他人との交際の是非などを訊くわけがない。
「お前鋭いよな、昨日、動きが鈍くなっていたのはずっとそんなこと考えてたからだよ。情けねえよな、俺がこんなもろいやつだったなんて……」
「……虎鉄……こんなこというのはすごく無責任だと思うけど、このまま終わらせていいのか? あの二人付き合い始めてまだ日が浅いし、ひょっとしたらってこともあるかもしれないぞ。改めて……言えなかったことはっきり言った方が色々すっきりするんじゃ……」
虎鉄は黙って首を横に振った。
「ダメさ、そんなの……。男気がなさすぎる。今更そんな話をしたって困らせるか、軽蔑されるかのどっちかだろう……。それに、今の日葵、ほんとに楽しそうなんだ。白地はしっかりしてるやつだし、心配するようなこともない。結局、踏み出せなかった俺が全部悪いんだ……」
虎鉄が体を起こした。
「……緒羽途、入果ちゃんと燕ちゃんはまだ学校にいるかな?」
「え? この時間ならまだいると思うけど……」
「それじゃあ、ちょっと頼みたいんだが……」
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