(3)覚知不能

 クラブ終えて虎鉄に肩を貸しながら、校門前に向かう。

「大丈夫か?」

「平気だって……」

 あの後保健室で簡単な治療を施したが虎徹の足元はまだあまり安定していない。


「……どうしたんだ?」

「なにが……?」

「疲れているように見える」

 それも体ではなく精神が、である。


「へっ、お前こそ久々に走り込んでちょっと足に来てるんじゃないのか」

「否定はしないが……」


 正門前まで来ると、

「にぃにー」

 入果が駆け寄ってきた。


「なんだ、まだ帰ってなかったのか?」

「ぶー、今日は燕とブラスバンド部の人たちとレクやってたの」

 礼美と日葵が誘ったのだろう。燕もこちらに来た。


「緒羽途さん、月山さんも……! どうしたんですか……⁉」

「やあ、燕ちゃん、ハハッ、ちょっと練習でヘマやっちゃって」


「一人で帰れるか?」

「大した距離じゃないし、なんとでもなるわ」


「いえ、とがめたらいけません。少し待っててください」

 燕が携帯を取り出した。


 ほどなく黒塗りの高級車が来着し、正門前に止まると、緒羽途も目が丸くなった。

「さあ、お二人ともどうぞ」

「あ、ああ、すまない……」


 虎鉄を支えながら、最後列に乗車すると燕と入果も続いた。


 虎鉄の家である宿宮区立花町の鉄板焼き店、七福八宝は地理データにあっため、すぐに車は発車した。


「すごいんだな、燕ちゃんのご実家って……」

 高級感あふれる社内の内装に虎鉄が感嘆を漏らす。


「……足はまだ痛みますか?」

「どうってことないよ、一晩寝ればもうすぐに戻るだろ」


「ちょうど、明日はクラブも休みだし……な?」

 さりげなく虎徹の表情を盗み見るようにした。やはり、判然としない重い影が差しているようにうかがえた。


「ああ……」

「よくご養生してください……」

 燕も声の張りのなさからもなんとなく気づいているよう様子に見える。虎鉄が、なにか普段の精彩を欠いているということに。


 一体どうしたんだ……?

 この場で無理に問いただすほど無粋ではないが、モヤモヤしたものが拭えないでいる。


「こてっちゃん、あたしのエナジーリフレッシュ飲む?」

 入果が栄養ドリンクを一つ差し出した。


「ハハ、ありがとう入果ちゃん」

 通りに面した虎鉄の家の店の前で車を止めると、全員で降車した。


「燕ちゃん、ありがとう。助かったよ」

「送っただけです、月山さんにとって足は命でしょう。無茶はなさらずに」


「ああ……緒羽途、また明日……」

「うん……」


「こてっちゃん、またねー」

 車が出ると、街灯が灯りはじめた。


「……月山さん、元気がないように見えましたが、なにかあったのでしょうか?」

「うーん、俺にもわからないんだけど……」


 思えば今朝に唐突に練習への参加を促されたのもなにか違和感がある。普段の虎鉄ならあそこまで直接的に言ってはこない。気を紛らわしたいような意図があったのではないだろうか。


「……にぃに、今日はこてっちゃんのクラブでサッカーやってたの?」

「え? あ、ああ……」


「ふーん……」

 センシティブな話題になるだけに、入果も言葉を選んでいる気配がある。燕がやさし気に微笑んでくれた。


 送ってくれた燕に礼を述べて別れると、自宅へと入った。

「ただいまー」

 帰宅の声を上げる入果。自分が家にいない時も言ってそうな気がした。


「にぃに、今日は木乃香さん献立でいい?」

「ああ」

 木乃香が作った献立が生活マニュアルにファイリングしてある。簡単に手に入る材料ばかりなので、なにを作るか迷ったときはこれを使うことにしている。


「冷凍してあるサンマ焼いちゃうね、おひたしも仕込んであるから」

「俺はなにをすればいい?」


「お米といで、お皿出しといて」

「わかった」

 結局、家での自炊は入果が仕切るパターンが常道になってしまった。その分、後片付けや他の仕事は買って出てバランスを取ってやろうと思っている。


 夕食後、自室でスマートフォンを充電中、グループチャットにメッセージが来た。日葵から、明日は碧音が家の法事で休むようで、いつもの面々で一緒に昼食を取りたいとのことだった。


 なんだか距離ができちゃったな……友人が恋人持ちになるってこういうことか。

 普段のメンバーから一人抜けただけでもわりと物寂しくなるものだった。日葵の側も気にしているのかもしれない。


「まあ、今はあいつがいるからまったく退屈しないけど……」

 ベッドに仰向けになりながら独り言をつぶやく。


「……」

 身を起こした。なんとなく入果の声が聴きたくなった。その理由はわからない。


 一階に降りるとリビングから声が響いてくる。入果がなにかの映画かドラマでも見ているのだろう。足を向けて、リビングに入ると、


「……入果……?」

 ソファでクッションを抱きかかえたまま入果が動きを止めている。


「おい……! ま、また!」

 気鬱を引き起こす黒い風が来たのかと駆け寄った。入果が手でこちらを制するようにした。


「だいじょうぶ……。今日のは、大したことないから……」

 顔に力の入っていない笑みを浮かべる。


「……大丈夫には見えないな、ちょっと早いけど、もう寝るか?」

「平気……」


「……なにかしてほしいことはあるか?」

「よし……入果ちゃんのかわいいところを十個答えなさい」


「やっぱりもう寝ろ、お前」

「こんにゃろめ」

 確かに前ほど重い症状ではないようである。


「……膝枕して」

「え……? あ、ああ、そんなことなら……」

 ソファに腰を落とすと入果が倒れ込んできた。


「お、おい……」

 体を丸めて頭を緒羽途の膝に乗せる。


「……入果ちゃんの頭をなでる許可をやろう……」

 呆れ混じりの息を吐いて、右手を入果の側頭部に乗せた。


「もっと強く……強すぎるぞ馬鹿……ひゃ!」

 膝の上の小さな暴君の頬に指をめり込ませた。

「なにすんじゃ!」


「……お前、あまり俺を怖がらなくなったな」

「……怖くなんて……ないし……」


「最初の方めっちゃ警戒してたろ。そんなビビりのくせに、なんでここで暮らしたいなんて言いだしたのか、よくわからなかったが……まあいいそんな話……」

 テレビの電源を落とした。


「今日、フットボール同好会に行った……」

「うん……入部、いや入会か……するの?」


「わからない……。まだ迷ってる」

 弱弱しい目線を宙に遊ばせた。


「自由な時間がなくなるのが嫌だとか、意地を張ってるとか、そういう事情じゃないんだ……。俺が入ったらまた……」

「他の人と亀裂を作ってしまう……」

 入果の言葉に小さくうなずいた。


「どうしたらいいと思う……?」

「入果、お兄ちゃんのかっこいいところがみたいなぁ、なんちって!」


「お前に訊いた俺がアホだった……」

「待たれよ、今のはアメリカンジョークというやつよ」

 どのあたりがアメリカンなのかよくわからない。


「私は……自分のやりたいことなら迷わずやると思う……。失敗したらどうしようとか、恥かいたら嫌だなとか、そういうのは考え……なくもないけど、後回しでいい、やりたいからやる。まずそれが一番」


「……そうか」

「にぃにの気持ち次第だよ、伝えたいことがあるならちゃんと伝えないと、私に言えるのはそれだけ……」


 簡単なことを言われたが、その簡単なことができないのが今の緒羽途である。人より優れた人間になる、実力を見せれば人も結果もついてくる。ずっとそれでやってきた、それで勝ってきたのだ。それ以外の生き方など考えたことすらない。


「入果……?」

 いつのまにか寝入っていたようだ。小さな寝息を立てている。小さな顔をなんとなしにみつめる。


 あどけなさを残す少女の寝顔、薄いピンクの唇。あまり意識してこなかったが、入果の容貌は美麗と認めざるを得ない。


「……」

 魔が差した。


 そっと顔を近づけてみた。起きる気配はない、そのまま……。


「……ったく!」

 寸前まで近づけた顔を戻して自分で自分の頬をはたいた。






 深夜の通り道に鈍い音が響き渡る。

「……けんな……ざけんな……! ざけんじゃねえ‼」


 怨嗟のにじんだ息を漏らして、憎しみの限りの蹴りで自販機にひびを入れている男がいる。


「なんで……なんで……あんなゴミクズが……! 俺の、俺のおおおおおおおお‼」

 

 あってはならないものを見た。あってはならない現実を耳にした。

 喉が痛むほどに叫び、憎しみを全力でかみしめて怨敵の姿を脳裏に描く。


「殺す‼ ぜってええぶっ殺す‼」

 耐えかねたように自販機が防犯ベルを発動させると、慌てて身をひるがえしてその場から逃亡した。




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