(2)覚知不能

 鴎凛は広大な敷地を活用してスポーツにも力を入れている。高校では、芝生のコートも有するがサッカー部の廃部以来、長らくラグビー部に独占されていたが、今年からフットボール同好会も使用を開始した。


 その近くの建物にはロッカールームやミーティングルームがあり部室として機能している。


「ここだ、久々だろうけど」

「ああ……」

 虎鉄がドアを開くと。おしゃべり中の部員たちが、一斉にこちらを向いた。


「……」

 気まずい思いで顔をそらすと、全員が駆け寄ってきた。


「堂場じゃねえか!」

「ど、同好会、入ってくれるのか⁉」


 予想外、としか表現しようがない。無視されるか嫌味を言われるか程度で済めばマシと思っていたところ、歓喜の声が上がったのに呆然としてしまった。


 見知った顔の一年生がやってきた。

「堂場さん……」

「やあ……折爪……」

 柔い笑みを浮かべる折爪樹生、昔スクールで轡を並べてサッカーに夢中になったあの頃を思い出した。


「あー、緒羽途は今日はちょっと見学したいってだけだから……」

 背後のドアが開かれた。


「あ……先生」

 全員が礼をすると、緒羽途も同じようにした。


 相変わらずの能面顔、大東平八郎である。同好会でも彼が顧問のようだ。横には、今年三年になる元サッカー部キーパーの薬師岳浩輔もいた。


「……」

 二人ともこの場に緒羽途がいることに微塵も気に掛ける様子はない。


「先生、今週の練習予定案です。五月の練習試合についても書いてありますから」

 虎鉄が書類一式を差し出すと無言で受け取った。


「それと今日は緒羽途も見学に来ていて……」

「そんなものはどうでもいい、次の試合でどれだけお前たちがチームを作れているのか見る」


「評価次第では部に昇格させてもらえて公式戦にも出れるんですよね……⁉」

 部員の一人が食い下がるように尋ねた。


「ああ……」

 大東はそのまま振り返ってドアノブに手をかけた。


「何度も言ってるが、同好会の運営はお前たちに任せてある。誰を加えようが知ったことじゃないが感情を処理できない人間に合わせてやれば、その先にあるのは自滅だぞ」

 それだけ言うと、大東は出て行った。猛獣が去ってくれたような、虚脱感がある。


「……薬師岳さん……お久しぶり……です」

 薬師岳浩輔に目を向けるとつまらなそうに顔をそらして、


「さっさと出ろ、練習始めるぞ。……月山、このクラブはお前が部長だ。お前の決定に異議を唱える気はないが、俺はやる気のあるやつだけしかいらん、と言っておく」とだけ述べた。


 


 体操着の上にゲスト用のゼッケンをつけてベンチに腰掛けながら、緑の芝生を駆け回る同好会の面々を見守る。


 ずいぶん少なくなったもんだ……。

 ピッチを駆ける部員たちを見てそういう感想を抱いた。鴎凛のサッカー部はそれなりに強く、部員も五十名はいたはず。


 当然ながら緒羽途と揉めた当時の三年生は今や一人もいない。当時二年生だった数人もその派閥だったが、やはり在籍してはいないようである。あんな公式戦を侮辱するような輩の入会など虎鉄が許すはずもないのでこれも当然である。


「ふう……」

 血が騒いだわけではないが、ボケっと見ているだけでは、みんなも落ち着かないだろう。腰を上げた。


「虎鉄、俺もちょっとやってみていいか?」

「あ……、ああ!」


 今日は基礎練習のようで、ラダーを使ったアジリティトレーニング、マーカードリブルなど初歩的な練習をこなしていく。懐かしい芝生の感触に足がもたれそうになった。


 七対七のミニゲームになると、一旦抜けることにした。

 水道で顔を洗っていると、背後に気配を感じて振り返った。


「薬師岳さん?」

 薬師岳が険しい顔つきで立っていた。


「……どうし……。……言いたいことあるならはっきり言ってください……」

 空気を軽く吸う音を聴いた。


「……お前には失望している……」

「……でしょうね」

 ぶ厚い黒い雲が太陽を隠していき、辺り一帯の照度が低下した。


「言っておくが断じて去年の公式戦の話じゃない。あれはどう考えても、あのクソバカどもが悪いし、お前の側に落ち度があったとも思っていない」

「……」


「だが!」

 薬師岳が歯を食いしばり、コンクリートの地面を足で叩いた。


「その後のお前は一体なんだ⁉ 部を存続させようともせずいじけて惰性のままに無為な時間を過ごして……! 気が向いたのかなんだか知らんが今になってノコノコ現れやがって……月山のやつがここまで再建するのにどれだけ苦労してきたと思ってる⁉ 一度でもあいつを手伝ったことがあるのか⁉」

 返す言葉もない。


「あの上級生たちとうまくやれなかったのは仕方がない……。だが、それで……たった一度の失敗でサッカーそのものを放り投げたお前は馬鹿だ……。去年、元エールスのジュニアユースでエースだったお前が入ってきたときは興奮した。すごいやつがうちに来た、今年は全国出場も狙えるかもしれないと。実際お前の実力は傑出していた、周りの人間を動かすほどの力があった」

 うつむいた顔を上げられなくなっていた。


「あれだけの才能を持ちながら……今のお前は、人生の無駄遣いをしている……」

 薬師岳が振り返った。


「はっきりさせておけ、やめるか続けるか……。半端な気分で参加されても迷惑だ」

 薬師岳の姿が見えなくなってから、崩れそうな膝を叩いた。

 今言われたことは、正論であると自覚せざるを得なかった。


 向上心もやる気もないのに集団にまぎれれば何者かになった気になる、そんな人間を誰よりも嫌悪していたはずなのに、これでは同じところに落ちていると言われても仕方がない。


 ポケットのカード入れから、あるものを取り出した。

 スポーツシティの利用券を、破り捨てた。



 ピッチに戻ると、なにやら騒々しい。虎鉄が座り込んでおり、立とうとして他のメンバーにいさめられていた。

「どうした?」


「ああ、堂場さん、月山さんが足をくじいたみたいで……」

 樹生が答える。


「ちょっとバランス崩しただけだ。たいしたことないって」

「いや、虎鉄、ベンチで休め。俺が代わりに入る」


「え……? あ、わかった……」

 虎鉄がベンチに着いて、笛を取った。


 ミニゲーム終了の笛が鳴る。リードを保ち勝利となったが、気分は重い。

 

 ここまで鈍っていたか……。

 かつての感覚が取り戻せず、動きの読みも外れることが多かった。相手の次のアクションなど半年前までは、考えるまでもなく直感頼みですら容易に見切れた。


「よし、今日はここまで」

 虎鉄がやってくる。


「堂場くん、今日はどうだった……?」

 部員一人が控えめに尋ねてきた。


「ああ、久々で楽しかったよ」

「うん……またいつでも来てよ」

 西から降る陽光が芝生を黄金に彩っていく。


 息をついてから、薬師岳の方に向かった。

「お疲れ様です」

「……ああ、お疲れ」


「……あの、俺……」

「……なんだ?」

 どうしても、最後の一言が言えない。


「……明日は休みだ。少し頭を冷やして考えてこい」

「はい……」


「それと……今日のお前はなかなかよかったぞ、単に遊んでいただけじゃなかったみたいだな」

 最後のその声は、少しやさしかった。

 


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