第七章 覚知不能
(1)覚知不能
ベイサイドパークの出来事から数日が経った。
「ふんふんふふーん」
登校中、鼻歌を歌いながら道行く入果の後ろを歩く。まだあの時のことが頭に残っている。
恵庭と白地がねえ……。
確かに二人で食事に行ったことなどそれらしい段階というか、手順みたいなものは目にしてきた。それを置いても突拍子のなさのようなものは拭えないでいる。
観覧車に二人で乗っている間に、想いを告白して交際を申し入れるとは、朴念仁な緒羽途ですらずいぶんロマンのある話に思えた。
入果が振り返った。
「ねえねえ、日葵ちゃんたち恋人同士になれてよかったよね」
「そうだな……」
碧音は男として申し分ない。まじめで実直な気質も日葵によく合っていると思う。一方でなにか違和感のようなものを覚えないわけではない。
恵庭のやつ……。
先日、図書館で話した時、なにかを迷っているような気配が今思えばあったと感じる。自分があんな話をしたために、意識せずして日葵の背中を押してしまったのかもしれない。
まあ、あの二人なら大丈夫だと思うが……。
変な方向に転がることもあるまいと、言い聞かせるようにした。
左肩を誰かが叩いた。
「あ……ぬぉ!」
入果の指が頬にめり込んだ。子供っぽいいたずらをする。
「なんだよ⁉」
「何考え事してんだよぉ~。……ふーん、ひょっとして……」
「あ……?」
「お兄ちゃん……実は日葵ちゃんのことが好きだったりして!」
「アホめ」
下手に相手にすると際限なく調子に乗るのでスルー推奨と判断する。
「う……う……。あいつは俺のステディになるはずだったのに、と涙にむせびながら臍を噛む緒羽途少年であった……」
入果を無視して、先を歩くことにした。
「でもね、入果ちゃんは、そういう悲しみを乗り越えて人間は強くなっていくものだと信じてるの……おわ!」
三文芝居を続ける入果が緒羽途の背にぶつかり変な声を出したのと、緒羽途の携帯に着信が来たのは同時だった。
「虎鉄……?」
虎鉄が今日の練習にちょっと顔を出してみないか、と誘ってきた。
「……」
とりあえず、今日の昼に話そうと返しておいた。
教室に入ると、いつものように虎鉄、佳喜、礼美、日葵が机を囲んでなにやら話している。
「あ……おはよう、堂場くん」
日葵が朗らかな笑顔を向けてきた。
「ああ、おはよう」
「えっと……この間はごめんね、あんなことに付き合わせちゃったみたいで」
「い、いや別に……。まあ驚いたと言えばそうだけど……」
あの後、二人だけで話すことがたくさんあるだろうと思い、日葵と碧音とは別れて六人で夕食をレストランでとった。
「入果ちゃんたちにも悪いことしちゃったかな……?」
「全然。あいつ家に帰っても興奮しっぱなしで、変なダンス踊ってたよ」
礼美が苦笑して口を開いた。
「日葵、今日のお昼は白地と?」
「う、うん……第二食堂でって約束してて……」
「わかった」
「はー、それにしても意外だったなぁ。僕たちのクリークで恵庭さんが最初に恋人持ちになっちゃうなんて」
「もう……佳喜くんの意地悪」
日葵が口を曲げる。
「それはちょっとあるわね……。日葵ってこういっちゃなんだけど子供っぽいし」
「礼美ちゃんまで!」
「はー私にもいい人現れないかなー」
「口を開けて待ってるだけじゃダメでしょ。八乙女さんは強面なんだから」
豪快にどつかれた佳喜、笑いが起こる。そこで予鈴がなった。
四限終了のチャイムが鳴った。今日の四限は学年全体で大講堂での講演授業ということで、順番に講堂から出ることとなった。伸びをして順番を待っていると、
「おや……」
碧音が日葵の席にやってきた。仲睦まじげに話す二人、やがてそろって講堂から退出していく様子を結構な数の生徒が驚いた顔で見ている。
二人はお互いの関係を隠し立てする気はないようである。
「緒羽途」
虎鉄が来た。
「ああ、虎鉄……今日だけどさ……」
「ああ……」
鼓動に乱れはない。頭の中にもあの黒い靄はかからない。今なら言えるはず。
「同好会の練習……見て見ようかと」
「マジか⁉」
首を縦に振った。
「よし! 部室は前と同じ部屋だからウェアは……」
「ま、待てって、見るだけだから……もちろん着替えはするけど」
「……わかった、それでもいいから来てくれ」
「ああ……。……?」
その時わずかに垣間見えた。
「どうした?」
「虎鉄……ちょっと調子悪いか?」
虎鉄の目の色に疲労のようなものが浮かんでいるのが。
「え? い、いや別になんともないけど」
「ならいいけど……」
講堂から出る途中、通路となっている廊下でなにかの怒鳴り声が聴こえた。数人の生徒が誰かに食ってかかっている。
「なんだありゃ?」
虎鉄が眉間にしわを寄せた。生徒数人が睨んでいる男、そのしかっめつら顔には見覚えがあった。
あいつは……。
あの東根という男である。
「なにがあったの?」
近くのクラスメイトの男子生徒に子細を問う。
「い、いや、わからないんだけど……。あっちの男が、いきなり誰かを後ろから殴って……」
「なに……?」
三対一の図式になっている。
「いきなりなにすんだよ⁉」
後頭部を押さえながら殴られたと思しき生徒が怒声を上げる。
「……てめえがわりいんだろ……」
東根がゆらりとした動作でドスの効いた声を発した。
「何が悪いってんだよ?」
殴られた男子の連れの生徒が問う。
「てめえが……授業中にくっちゃべってからだ」
「はあ⁉」
緒羽途も心中で同じ声が出ていた。東根なる男の見るからに不良めいた格好と言葉遣い、とても授業のマナーを守るようなまじめなタイプには見えない。それが他人に教育的鉄拳制裁を行うなどへそで茶がわきそうな話だった。
「だからって殴らなくたって……」
「るせえよ……ッ!」
「うあ!」
別の大人しそうな生徒がいさめるも東根が蹴りを入れた。あまりにも破壊的な行動に緒羽途も言葉を失う。
「お前!」
飛び出したのは虎鉄だった。
「なんだてめえ」
「なんだじゃない、なんのつもりだ、停学になりたいのか?」
停学、という言葉で男がややひるんだ。あたりがざわめき始める。
「俺はそのゴミをしつけてやっただけだ……!」
「こいつらに問題があったかどうかは教員たちが判断することだ。お前じゃない、まして人を殴るって言うのがどういうことかわかってやってるのか? 小学校じゃねえんだぞ!」
虎鉄の怒号に男が殺気すらにじんだ顔になる。
「お前……確か野球部の……」
「ああ⁉」
東根が獣のような咆哮を上げると緒羽途も前に出た。
「てめえは……!」
黙して東根を睨みつける。向こうも先日、対面したことを思い出したようだ。
なんなんだこいつ……?
怒り、恨み、怨念、憎悪、あらゆる負の感情が渦巻いて見える。たった一度、図書館で相対した以外の関係性などないにもかかわらずである。
「なんだ! なにをやっている!」
後方から教員たちの声が響いてくると東根は舌打ちをして、その場から去っていった。
「……大丈夫か?」
「う、うん、ありがとう、月山くん」
顔見知りだったらしい。生徒たちは散り始めて騒ぎは収束に向かい始めた。
「どうする? 問題にするか?」
「いや、いいよ。あんなのと関わり合いになりたくないし……」
「一応保健室に行った方がいい」
「うん、助かったよ。二人とも、ありがとう」
殴られた生徒が肩を借りて歩いていく。
「虎鉄、さっきのチンピラを知っているのか?」
「いや、よくは知らないけど、野球部の部員から聞いたことがある。なにか問題起こしてやめたとか」
「ふん……」
鴎凛の生徒とは思えない粗暴ぶりに緒羽途も鼻白むばかりだった。
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