(5)蹴れない理由
六限目が終わり、バッグに教科書、ノートを詰めていると、文庫サイズの小説一冊を見つけたことで済ますべき用事を思い出した。
「あ……そうだ、これ今日までに返さないと……」
この校舎から接続されている中央図書室に向かう途中で窓から空を見た。雲は停滞しており、風は凪いでいるようだ。
こういう日はイレギュラーが起こりにくくシュートの弾道も読みやすくなる、などといったことはサッカーに打ち込んでいた時期はよく考えたものである。
「ハァ……」
図書室に入ると、
「……」
またあの男の姿を見つけた。
アズマネと言われていたあの暴力的な男がいるのだが、広い図書室の中を、なにをするわけでもなくウロウロしている、かと思いきや角の近くで片足を壁につけてポーズでも取るかのように佇立し始めた。
なんだあいつ……? なにやってんだ?
気にしても仕方ないので、カウンターまで行くと本を返却した。そのまま出ようとしたところで、見知った顔を一人見つけた。
右手に見えるテーブル席で無心になにかの本を読みこんでいる。
「……恵庭?」
「え……、ああ!」
大声で反応されたため、のけぞってしまった。
「わ、悪い……」
「ごめん……!」
二人同時に謝るという構図となった。
「どうしたの堂場くん? 図書室なんでくるんだ、めずらしいね、読書家なのカナ!」
あまりにおかしな態度に冷汗が浮き出てくる。明らかに日葵は動揺している。
「借りてた本を返しに来ただけだよ……たまたま恵庭が目に入ったから、邪魔して悪い」
「ううん! 邪魔なんて全然してないヨ!」
「そうか……それじゃ俺はこれで……」
早々に去った方がいいと思い踵を返したところで、
「待って……」
日葵に腕を取られた。
「な、なに……?」
「ちょっと相談したいことがあって……」
「相談?」
日葵が辺りを窺うようにすると隣の椅子を引いた。やむを得ず腰を下ろす。
「あの……堂場くん、女の子と付き合ったことってある……?」
「へ? いや、ないない、ありません!」
自分で言っていて情けないと思ってしまった。
「それじゃあ、告白されたりしたことは?」
「ない……あ……一度だけ……」
「ほんと⁉」
両手で声のボリュームを抑えてほしいと念を送る。
「でもあれは……ほんとに一方通行だったんだ、中二の時に、クラスメイトに転校する女の子がいて……それで転校の前日にいきなり呼び出されて……」
「それで⁉」
「落ち着いて……。それでまあ、お別れする前に言っておきたかったみたいなこと言われて……。そのままこっちの返事とかも聞かないで行っちゃった。それだけの話」
狐に化かされたような心地のまま去っていく彼女の背を見つめた記憶を想起する。
「はぁ……。もしその子が転校なんかしなかったら付き合ってた……?」
「さあねえ……、あまり話したこともない人だったし……今となっちゃ、なんとも言えないな」
「なんかいいなぁ……うん、気持ちを押し殺したままじゃ、きっとこの先の人生ずっと後悔することになっちゃうもんね……」
「そうかもね……」
彼女の顔は笑顔だったが、振り返って去っていったときは果たしてどうだったのだろうか。そんなことを考えてしまった。
「堂場くんは誰かを好きになったりとか、したことある……?」
「いや別に……。あ……」
ある記憶がよみがえってきた。
あの時……河川敷で……。
近づきたかった、どうしても近づけなかった。ちょっと話をする程度できたはずなのに。もう顔も思い出せない少女の記憶。
あれは……。
恋、だったのかもしれない。
「あの?」
「え?」
「大丈夫……?」
日葵が不安そうな視線を寄せていたことに気づいた。
「あ、ああ! ちょっと考え事してたわ……ハハ……。でも恵庭、なんで急にそんなこと……。……!」
聞くのかといい終わる前に、鋭いなにかの気を感じて立ち上がった。
「堂場くん?」
敵意のある気を感じたが気のせいだっただろうか。
「どうし……あ……」
日葵が誰かを見つけた。緒羽途も視線を向けると、あのアズマネなる男が横まで来ていた。
「あの……」
男が日葵の呼び声でこちらに首を向けた。
「こんにちは」
「……ああ、お前か」
「東根くん……だっけ?」
軽く顎を鳴らすようにした。
「なにそいつ……?」
やたら低くて柄の悪さがにじみ出ている声だった。
「え? あ、この人はクラスメイトでお友達の堂場くんです」
会釈する気にもなれない。初対面なのに、そいつ、呼ばわりされては。
「……ハッ、だっせ」
「あ、東根くん……」
「じゃあな、日葵」
男が出口へと向かっていく、その足取りは軽いように見えた。
「ごめん、堂場くん……」
「……恵庭、あいつなに?」
「入学式オリエンテーション委員会で一緒だった人」
「ふーん……」
「アハハ……ちょっと突っ張ってるみたいなところある人みたいだね」
日葵のような少女には関わってほしくないタイプに感じた。
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