(10)二人のアウトセット

 どうにも足取りが頼りない入果を気にかけながら、宿宮中央駅近くの複合施設までやってきた。ニ、三階は多くの飲食店が入居するダイニングエリアとなっている。


「なんにすんの?」

「今日はお前のお祝いだからお前が決めていいぞ」


「そういわれると迷っちゃうのよねー。にいやん、デートとかでどんな店入るの?」

「……」


「にいやん?」

「早く決めろ……」

 緒羽途は沈みゆく夕日を見ていた。


 結局、無難に家族向けの洋食店となった。

 席に案内されると、入果がメニューを手に取り目をキラキラさせている様子を見ると、少し安堵した。ほどなく店員を呼出した。


「シーザーサラダと特大キノコハンバーグに塩焼きチキン、ライスは大盛りで後、コーンスープお願いします」

 さっきまであの沈みようだったのに大した健啖ぶりである。


「にぃには?」

「日替わりで」

「はい」


 注文を終えてウキウキ顔になっている入果を見れば、こちらも気分が軽くなりようやく人心地ついた気がした。。


「ここ、俺は初めてだが、誠司さんとよく来る店なのか?」

「よくって程でもないけど、結構来てるね。季節メニューとかあるから飽きないし」


「ふむ……」

 店内は家族連れが多く、はしゃいでいる子どもが親から叱責されるという光景を既に二回ほど見ている。


「帰るの遅かったよね」

「……ああ」


「なにしてたの……って訊いたら、またお前には関係ない、かな?」

「……ちょっと運動……いや遊んでただけだ」

 あんなものは練習と呼ぶのにすら値しないのは承知している。


「携帯使っていい?」

「……? 好きにしろよ」

 料理を撮影して画像保存でもするのかと思ったら、入果はなにか入力し始めた。


「なにしてんだ?」

「今日の思い出を記録しておくの、いつかアルバムを見返したらこんな楽しいことがあったんだって、忘れないようにするために」


「たかが、外食でなに言ってんだよ……」

「たかがじゃないよ。こんな小さなことでも大事なこと……、ううん、この先きっと大事な支えになってくれることなの」

 入果がやさし気に微笑む。


「人間ってさ、嫌なことや辛かったことは簡単に思い出すけど、楽しかったことやうれしかったことは思い出せなくなっちゃうものなんだって。あの時、ああしていれば、あんなことしなければって、損したことや傷つけられたことって忘れないじゃん? それがどんどん嫌な記憶を引き出してそれだけしか思い出せなくなる。だから、私は、大人になってそうなったときに、忘れないようにするために記録しておくの。自分の人生はこんな充実してたんだって……」


 入果の瞳の奥に、はかなくも強さを感じる輝きが見えた。


「辛いことがあっても私にはそんなのどうでもいいくらい楽しい思い出がたくさんあるんだぞって。恨みや後悔だけが自分の人生のすべてだったなんて思いたくない、そんなものに支配されて生きるなんて嫌じゃん。だから、あたしは、こうやって人生を作っていく」


「……そうか……」

 なにか形容しようのない感情の塊が胸に詰まる。入果は、自分が思っている以上に心根が強いのかもしれない。


「つーわけで、今日のご飯は、共用のカードからじゃなくてにいやんの持ちね」

「ああ」

「へ……?」


「……なんだよ?」

「お前そこは、ふざけんな! って突っ込むところだろおい!」

 身を乗り出して指を突き出してくる入果。


「あまり大きな声を出すな……。今日はお前のお祝いだって言ったろ」

「うわあ、かっこつけちゃってますよこの人。それともなんか、ユーはベリイベリイりっちもんどなんか、あんだーすたん?」


「別に飯程度なんてことはない。個人的なものは普段から自分のポケットマネー使ってんだよ俺は。親が残してくれた貯金があるから」

「ああ……そうなんだ、ごめん。でも、それはあれだ。だからこそ無駄遣いしちゃダメだぞ」

「姉さんのようなことを言うんだな……」


 父母の遺産と保険金が入ってくる個人口座があるが、木乃香からは、そちらは将来に備えて極力、手を付けないようにと普段から念を押されている。


「よーし、これからは、にぃにに色んなものおねだりしちゃうぞぉ」

「ふざけんな」

 そんなこんなの食事となった。


 一時間後、入果が注文した皿とプレート、カップは見事空になっていた


「ふぃー食った食った、余は満足じゃ」

「ったく、さっきまで風邪ひいた猫みたいにしょげてたくせに、よくそんなに腹に入るな」

 そうは言うものの入果が元気を取り戻したことでこちらも気分が楽になった。


「デザートにプリン、頼んでいい?」

「まだ食うのか⁉」

 それなりに運動した自分ですらこれ以上、口に物が入る気がしない。どうやってこの細身を維持しているのか知りたくなってくるものだった。


 適当に駄弁っている間に、店内も人気がなくなってきた。そろそろラストオーダーを取り始める時間だろう。


「そろそろ、撤収するぞ」

「うん」

 ジャケットを手に取った。


 会計を終えて、店の外に出るとモール内も人の姿はまばらになっていた。伸びをして、視線を出入口に向けると、

「……!」

 知り合いの姿が、見えてしまった。それも意外な組み合わせである。


「ウヒヒ、ゴチになりやした兄貴」

「……来い」


「ほわ!」

 入果の手を引いて脇に隠れる。死角になっている空スペースから外を窺うようにした。


「な、なに?」

「ちょっと静かに……」


「だ、ダメだよ、お礼にちょっとサービスしてほしいなんて、私たちまだ出会って日も浅いしなにより今は兄妹だし」

「静かにしろ……!」

 やはり勘違いなどではない。通路の先にいるのは、


「……恵庭……それにあいつは……」

 恵庭日葵と、今日、体育館裏で会ったあの男子生徒、白地碧音だった。


「なぁに、にぃにの知り合い?」

 向こうも食事を終えたばかりのようで、照れくさそうになにやらおしゃべりに耽っている。


 初々しい少年少女の交流といった印象以外のものは感じ取れない。


 あの二人、付き合ってるのか……?


 状況だけを見ればそう考えるのが妥当だろう。とはいえ、鴎凛の生徒がここまで来るのは珍しい気がした。知り合いに出くわさないようにするための密会、などという想像が頭をもたげる。


「話かけないの?」

「……いや、いい。帰るぞ」

 横の経路にそれて別の出口に向かうことにした。


 付き合っているにせよ、そういう話を持ち掛けるためのデートにせよ、顔見知りに目撃されたくはないだろう。野次馬趣味はないので、なにも見なかったことにして、去ることにした。


 誰かと家に帰るというのは久々な気がした。街灯の下を歩く緒羽途のすぐ後に、入果がついて歩く。


「いやあ、密度の高い一日でしたなぁ」

「おまえのおかげでな……。学校、楽しめそうか?」


「うん、燕もいるし、クラスメイトのみんなとも楽しくやれそう」

「ならいいが……」

 軽くかかとで地面を叩いて靴擦れを直す。


「あ、あのさ……」

「あん?」

 入果が頬を赤らめてなにやらモジモジしている。


「……まだ食い足りないのか? 菓子でも買って帰るか?」

「ちがーーーーう!」

 大声を控えるように手振りで示した。


「今日、食堂で助けてくれて……ありがと……」

「……ああ」


「それと……ご飯、おいしかった」

「……ああ」

 入果がステップを踏み、空を舞うような動作で前に出る。


「先に帰ってお風呂わかしてくる!」


 星空の下、駆けていく入果の背中を見つめる。


 入果と二人だけの生活は、存外、木乃香が去って以来の寂しさを埋めてくれるのかもしれない、と思い始めていた。

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