(6)二人のアウトセット

「ああ……! もう……!」

 喧しい廊下を抜けて、二階の庭園に出た。


 向かいの二号館を見ると既に生徒は自由気ままに散り始めていた。校舎の一通りの案内は済んで、本日の公式スケジュールは終わったようだ。 


 あとは午後からのクラブオリエンテーションだけである。学校外の活動をやってい

ない生徒の大多数は参加する。


「……」

 一年前は野心に燃えていた。ここで成り上がって、結果を残し、「あいつらを」見返してやりたいとすら思っていた。


 だが、今はもう火が消えて、心も灰色にしけっている。自分をたぎらせてくれる燃料はどこにもない。あと二年、こんな抜け殻のような生活を送るのかと思うと気が重くなってくる。


 携帯にメッセージ、入果からである。

『今から行くじぇい。ツバメちんも一緒だから紹介するね。ほんじゃ後ほど』

 あの少女も一緒らしい。


 貸しロッカーに鞄を放り込むと、階段を降りて行く。その時である。

「……!」

 一人の教職員が反対に上がってきた。マネキンのような無機質な顔つき、感情を感じさせない目、機械のような精密な足取り、あの男である。


 縁のある相手だけに無視するのわけにもいかないので、軽く会釈して通り過ぎようとした。


「堂場」

 低くて重い声にびくりとする。呼び止められるとは想定していなかった。


「……なんです?」

「ネクタイが曲がっているぞ、しゃんとしろ」

 それだけ言うと、そのまま行ってしまった。


 ただそれだけのやり取り、にも関わらずおかしな汗が首筋に垂れてくる。彼はなにも訊かない。訊かれたことがない。サッカーを続けるのかどうかを。

 サッカー部元顧問、大東平八郎であった。


 第一食堂、第一とあるが規模は第二食堂よりやや狭く、どちらかというとカフェテリアのような印象を受ける。中二階のラウンジは、学内ヒエラルキー上位を自認している、と陰口を叩かれている運動部やクリークたちが専用席のように常駐しているため他の生徒はあまり近寄らない。


 緒羽途も一応去年はあそこの側だったのだが、生来の一匹狼的な性情もあってほとんど足を運んだことはない。


 食堂の入り口付近では早くも各クラブの勧誘合戦が始まっており、熱気のある掛け声とともに大量のチラシが配られていた。


 喧騒をかき分けて屋外テラスへ向かう。

「お……」

 もう見慣れたサイドテールを発見。複数の女子と和気あいあいとおしゃべりしていた。


「あ、にぃに。こっちこっち!」

 視線が一気に集まって、思わず身構えそうになった。フィールドプレイヤーであった時の癖である。


「じゃじゃーん、あたしのお兄ちゃんでーす!」

 なにがじゃじゃーんだ……。


「栗駒地さん、お兄さんがいたんだ」

「こんにちは、お兄さん」

「え、ええ、こんにちは」

 少し緊張を感じる表情の女子生徒たちとあいさつを交わす。


「栗駒地さん、それじゃあまた後で」

「はいはーい、まったねー」

 女子生徒たちは近くのテーブル席に移動していった。


「へーい、にいやん、向こうの席行こうぜー」

「今の子たちも中学の知り合いか?」

「うんにゃ、さっき知り合ったばかりの同じクラスの子」

「……すごいな、お前」

「なにがー?」


 入果はコミュニケーション力が高いらしい。他の女子生徒はまだお互いに距離を測っていたように見えた。初対面なのだから当然と言えば当然だが、こういう時に会話のリード役を務めてくれる人間というのはありがたいだろう。


 まあ、人懐っこい感じするしな……。

 そのあたりは素直に評価してもいいと思えた。


「一緒に食べなくてよかったのか?」

「にぃにと一緒がいいの……。なんちってー!」

 心中で思ったことを撤回して口を塞いでやりたくなったが耐える。


「あ……燕ー、こっちこっち」

 あのショートヘアの少女がやってきた。


「お待たせ、入果。堂場さんも」

「あ、ああ……」

 近くのテーブル席に三人で着いた。


「そんじゃー紹介するね、この子は椛沢燕、あたしとは中学生のころからマブなんよ」

「なんだよマブって」

「強敵と書いて友と読む的なあれ」

 当の本人はクスリとも笑わず、入果の話を聞いている。


「いやあ、西椿から鴎凛に行く生徒少ないから燕ちんが同じクラスで助かったわ」

「そうね、気を利かせてくれたのかしら……」


「あ、ご飯の前になんか飲み物、持ってくるね」

 入果が急な動作で起立した。


「私も行くわ」

「いいの、あちきに任せて。燕なんにする?」

「ミルクティー、ないならカフェオレでもいいわ」

「ほーい、にぃには?」

「レモネード、それとこれ使え」

 財布からチケットを取り出す。


「なにこれ?」

「五百円分のミールクーポンだ、今週で期限切れだから全部使い切っていい、椛沢さんの分も頼む」

 生徒向けに配布されているものである。


「おおお‼ にいやんすっげえ!」

「わかったから、あまりでかい声を出すな……」

 何人かなにごとかとこちらを視線を寄せた。


「行ってきやーす!」

 入果が去ると、当然、燕と二人きりという状況となる。


「ありがとうございます、堂場さん」

「いや……それより……」

「はい……?」


「なにも訊かないんだな? 俺とあいつのこと」

「ああ……入果のお連れの方というならちゃんとした方なのでしょう。話しておきたいというなら聞いておきますが」


 肩の力が抜けていった。燕なる少女はずいぶんと入果のことを信頼しているようである。


「う、うん……一応知っといて。単刀直入に言うが、あいつとは縁戚になったばかりだ。俺の姉があいつの父親と結婚したんだ。それで」


「……そうでしたか。……ああ、なるほど、あなた木乃香さんの弟なんですね?」

「姉さんを知っているのか?」


「はい、知り合ったばかりですが、入果の家に遊びに行ったときに何度かお会いしています。先日は中学卒業のお祝いを入果と一緒にしていただきました」

 話が通りやすくて助かった思いだった。


「そうだったの。それで俺は姉さんからあいつの力になるように言われてて……」

「承知しました、堂場緒羽途さん」

 興味本位に深入りするつもりはないといった意思を感じ取った。


「まあ、そういうわけだから……」

 さすがにこの場で同居しているとまでは言えなかった。


「……」

「……椛沢さん?」

 燕がどこか一点を注視している。


「あれを」

「え?」

 燕が顎を振った先に視線を移した。


 サイドテールの女子生徒が、男数人に話しかけられている。いかにもなチャラついた成り、学内でもクレームが出ているナンパ系のクリークだろう。


「あいつら……!」

 両手でテーブルを叩くように立ち上がると、現場に急行した。


「君、かわいいね。どこ中出身?」

「いやあ、アハハ……」


 トレーにドリンクを乗せた入果は笑顔を装いつつも、困惑している様がはっきりと見えた。男たちは何気に退路を塞ぐような意地の悪い立ち位置にいる。


「俺らのテーブルに来ない? この後、新入生歓迎コンパやるんだけど」

「おい」

「あ?」

 男たちが振り向く。即座に不愉快そうにねめつけてきた。


「なに、お前?」

「そいつは俺の連れだ。失せろ」

「はあ? 二年坊がなに言ってやが……。……!」

 ナンパグループのうち、一人には見覚えがあった。


「お、お前……堂……」

「……」

 一学年上のサッカー部の元部員、それも「あの試合」にいた。この男がリーダー格のようだ。


「い、行くぞ……」

「え……?」

 元部員の男が撤退を指示すると、男たちが苦虫を嚙み潰したような顔で引き下がっていく。


「入果」

「え……?」


 入果の様子を窺うと、微かに見えてしまった。足が震えている様を。


 憤激が発した熱が顔に拡がっていく。去っていく男たちの背に蹴りを入れてやりたい衝動に駆られた。


「戻るぞ」

「う、うん……」


 入果を先導するにように歩く。何人かの生徒が感嘆する目線を投げかけていたが憤慨の爆発を押し殺す緒羽途が気づくことはなかった。


 席に戻ると、燕が歩み寄ってきた。

「入果、大丈夫?」

「うん、なんともねえぜ! ガハハッ!」


「堂場さん、お疲れ様です」

「いや別に……」


 大したことでもなかったというように腰を下ろすが、入果を怯えさせたあのチンピラたちへの怒りが御しきれない思いだった。


 チッ……あのカス野郎……。ナンパサークルなんか始めてやがったのか。ゴミがゴミにふさわしいところに身を落として、反吐が出る……!

 心中で散々に毒づく。


「ほいこれ、にぃにの」

「ああ……。うん……?」

 レモネードを受け取ると目元を伏せた燕の口の口角が少し窄んだように見えた。微笑んだ、のだろう


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