(3)二人のアウトセット

 夢というのは一説には記憶の整理作業が見せる幻覚のようなものと聞いたことがある。


 意識の奔流、まとまりのない場面の連続。

 自分が見る夢は、思い出したくもない記憶ばかりだ。


『……残念だが……。……堂場、お前は……』

『一人でやってろバーカ……』

『何でここに来たんだよ……』

『天才様がなんかおっしゃってるぜ……』

『あーあ、みんな楽しくやってたのによ……』

『わかった……そういう心持でいるならもう続ける必要はない……』


 息が苦しい。首を絞められているような過呼吸に襲われる。


 汗が噴き出てくる。氷の槍が胸をえぐってくる。


 俺は……俺は……! 俺は……間違えてなんか……ない!

 声は言葉をかたどることなく宙に呑まれていった。

 赤い霧をかき分けるように前に進む。その先に見えたのは、


 あ……?

『お……お……おーばーと、きゅーん!』

 へ……?

 あのサイドテールだった。



「朝だぞー!」

 ゆっさゆっさとベッドが揺れる。


「う……」

「へいへい! ウェイクアップ、タフガイ!」

 重さを感じる。なにかが自分の上で暴れている。


「起きろーーーーー‼」

「え……?」

 目を見開いた。


「わああああああ‼」

「うああああああ‼」

 ベッドから跳ね起きると、自分にのしかかって無体を働いていた闖入者の絶叫が直撃した。


「あーおっどろいたー」

「お……お……」

「おん?」

 視界に入っているのは、まぎれもなく昨日から同棲、ならぬ共同生活を始めた少女である。


「ぐっもにーん、にぃにー」

「な、なにやってんだお前……?」


「いやあ一度体験してみたかったんだわ。お兄ちゃんをー起こしにいくー妹ってやつ……。いやーん、もー!」

 アヒル座りでベッドの上に陣取っている入果を見れば、まなじりが苛立ちで震えてきた。


「降りろバカヤロー!」

「きゃん!」

 強引に布団を引っぺがすと入果が床に転げ落ちた。


「なんだよーもー! チュウで起こされる方がよかったのかよー」

「ふざけんな! 勝手に俺の部屋に入るな!」

 木乃香ですらノックなしに踏み込むような真似はしなかった。


「わーった、わーった。それよか時計見てみ」

「あ……」

 既に七時半を回っている。焦るほどの時刻ではないが余裕とも言えない。


「朝食の用意できてるぜー。だいぶ汗ばんでるみたいだから、さっさと顔洗って降りといでー」

 それだけ言うと入果は部屋から出て行った。


 入果が開けたのか、窓の隙間からは小鳥が暢気なさえずりを伝えてきた。

 額の汗を手で拭う。朝一でここまで大声を張り上げたことなどかつてなかった。今日から、これが日常になるのかと思うと、胃もたれしそうだった。

 

 洗顔と歯磨きを終えてダイニングのドアの前に立つと、なにかを焼く音が聴こえてきた。


「……!」

 久々の感覚に一瞬、木乃香が帰ってきたのかと思ったが、そんなはずもない。


 ドアを開くと入果がすぐ隣にあるキッチンでフライパンを揺らしていた。

「よっと」

 目玉焼きをフライ返しで皿にのせるとミニトマトを添えた。


「ソースとかかけるー?」

「いや……。それより悪いお前一人にやらせちゃって……」

 木乃香作成の生活マニュアルによると朝食は共同で作る決まりである。


「にいたん、昨日、あーしの引っ越し作業でくたびれさせちゃったからね、いいってことよ」

 インスタントコーヒーをコップに注ぐと、つい手癖でもう一つ作りそうになってしまった。


「お前、朝はなに飲むんだ?」

「ぎゅうにゅー」

「わかった」

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。


 ほどなく配膳を終えて朝食となった。

「それじゃ、いただきます」

 向かいの席で両手を合わせる入果。無言のまま端が焦げ付いた食パンをかじった。


「おい、いただきます、しろよ」

「小学校かここは……」


「んもー、木乃香さんはちゃんとやってたのに、どうして君はそうなるのかなー」

「朝食の時くらい口数を減らせないのかお前は」


「まー、わたし居候だし、にぃにの習慣に合わせますよ、はい」

 すねたように入果が牛乳をがぶ飲みする。


「今日さ、学校終わったら、このあたり改めて案内してもらいたいんだけど、何時ごろ帰るー?」

「……五時には戻る」


「うにゃ? 午後はオリエンテーションやったらすぐ終わりでしょ、なんでそんなに遅くなるの?」

「ちょっと寄るところがあって……」


「どこ?」

「……いいだろ、どこだって……。帰りは、一人で帰って来れるか?」

「子供じゃないんだからできますー」


 誠司に託されたようなものなので入果のことは放置というわけにはいかないが、どこまで関与していくのがベターなのかは手探りで進めていくしかないと感じている。


「帰ったら、このあたりのスーパー案内して。冷蔵庫見たらいろいろ不足してるみたいだから」

「わかった」

 時刻は八時を回ろうとしていた。


 ブレザーの制服に着替えてから玄関外で入果を待つ。今日の風は勢いがあり、雲がかなりの速さで流れていくのが見えた。


「へい、お待ち」

 鴎凛の制服姿に着替えた入果がやってきた。思ったより様になっている。


「今から学校まで行くけど……」

「わっきゅわっきゅ」


「ちゃんと道を覚えておけ。案内人をやるのは今日だけだ」

「えー?」

 入果が不服そうに頬を膨らませた。


「お前だって、俺と一緒に登校している姿を人に見られたくないだろ」

「べっつにー?」


「ともかく、今日だけだ。行くぞ」

 敷地の外に出る。道路には所々霜が張っており、例年の四月よりも気温は低く感じられた。


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