第三章 二人のアウトセット

(1)二人のアウトセット

 

  堂場邸はこの地域の住宅としては平均的な規模だが、それでも部屋数には余裕がある。父は祖父からの遺産を使ってこの家を建てたため、両親との死別後もローンなどの負担が木乃香と緒羽途に残ることもなかった。木乃香が幼少のころは祖母も同居していたという。


 姉弟二人だけの生活になった後は、一人、家で姉の帰りを待つのが怖かった記憶がある。


 荷物を抱えながら階段を上る。

 今日から正式に同居人となる彼女が選んだ一室は、物すら置いていない完全な空き部屋だった。


「入るぞ」

「どうぞー」

 段ボールのざわざわした感触というのは手をむずがゆくなった。


「ここでいいか?」

「おーけー、ありがとー」


 入果の私物が入った段ボール箱を床に置いた。ここが新たに彼女の部屋となる。殺風景な部屋の窓には白いカーテンがかかり、床には持ち込まれたカーペットやら木製の机やらが置かれてすっかり様変わりしていた。


 棚には謎のペンギンのぬいぐるみに明日から使用される学校の制服が積まれており、早くも女子部屋らしくなっている。


「この部屋でよかったのか? ここよりも広い客間なら空いてるが」

「うん、前のマンションでの部屋と間取りが似てるから落ち着くのここ」

 荷物を開封整理している入果が背中で応えた。既に夕刻を回っており、窓はオレンジ色に染まっていた。


「ふむ……」

 昨日、誠司と入果はこれまで暮らしていたマンションを引き払った。大がかりな荷物は堂場邸に運んでしまい、北海道には最小限のものだけを持っていくという。

 今朝方、二人は札幌に飛び、入果との共同生活一日目が始まった。


「なにも今日中に全部やらなくてもいいだろ。明日は入学式なんだし、体力は温存しとけ」

「そだね。うーし、とりあえずこんなもんでいっか。それじゃあ、緒羽途きゅん」

 入果が振り返って、目を輝かせる。


「きゅんはやめろ……」

「それじゃあ……緒羽途くん、引っ越し蕎麦ごちそうするぜ」

 サッと袋蕎麦を両手に掲げた。


「……とその前に……」

「なんだよ?」

「あたし、緒羽途くんのことなんて呼んだらいい?」

「い、いや好きに呼べよ」


「じゃあ緒羽途きゅん」

「それはやめろ」

「んもー、わがままだな」

「お前に言われちゃおしまいだよ……」


「……っていうか、あたしの方が年下だしぃ居候だしぃ、もうちょっと下手に出た方がいいかな。主様、今日からこの入果めをかわいがってくださいまし……」

 青いものが顔に浮き上がってきた。


「俺も決めておいた方がいいと思うことがあるんだが」

「なにー?」

「俺たち……対外的にというか、世間的には……その……兄妹ってことで通さないか?」

「……」


「いや、お前さえよければだぞ……! その面倒だろいちいち関係を説明するとかそういうの」

「うん! それいい! すごくいい‼」

 入果が一気に顔を近づけたので、のけぞってしまった。


「おーし! それじゃああたしは今日から緒羽途きゅんの妹だー! それじゃあ兄者と呼ぶね」

「やめろ……」

「じゃあお兄様」

「変態かと思われるだろうが…」


「うーん……じゃあ……にぃに!」

 もうこのあたりで妥協した方がいいだろう。


「ああ、いいよ、それで……」

「よっしゃー!」

 引っ越し作業の疲労などみじんも感じさせない元気さに呆れる思いだった。


 しばらくの休憩の後、初めての二人だけの夕食となった。

 蕎麦をすすりながら、これまでの木乃香との生活を改めて説明しておく。

掃除やゴミ出しの当番、洗濯や洗い物のルールなど、堂場家と栗駒地家で大きな差違は見られなかったので調整自体はスムーズに決まった。


「ご飯は普段どうしてんの?」

「姉さんの指示で俺がご飯炊きや仕込みをやって、帰宅した姉さんが料理するってパターンが多かった」


「よーし、それじゃあ明日からあたしが木乃香さんの役割を引き継ぐぜえ」

「ダメだ、事前に約束しただろ。家事は公平に分担だ」


 立場的には自分が家主で彼女は居候と言えなくもないが、同居人として受け入れると決めた以上は対等な関係を構築すると決意している。木乃香からもその辺りの姿勢は順守するように言い含められているが、なによりも入果に嫌われて、この家の空気を険悪なものにはしたくないのである。


 あの後、しばらく木乃香も交えた三人で新生活の予行演習をやった。入果は父子家庭で育ってきただけあって、日常生活に関わる事柄は大体こなせるようである。


「でも兄に、料理とかできるの?」

「カレーとか簡単なものなら作れるよ」

「ほー」

「それよりこれ……」


 ファイリングした生活マニュアルを手に取りながら、明日の予定を確認する。

「明日、入学式だぞ。制服の準備とかできてるか?」

 入果が指をサムズアップさせた。


「もち、鴎凛の制服ってかーいーよねー」

「服なんかどうでもいい。場所はここから徒歩で十五分程度だ」

 ファイルを広げて場所を指さす。


「うんうん、近くて助かるぅ」

「変なキャッチセールスや呼び止めは全部無視しろ。特に初日は気をつけろよ、学校の近くでおかしな勧誘や個人情報集めてる詐欺業者が新入生をターゲットに群がってくるって教員たちも警戒してる」


「ああ、そんなことも書いてあるね」

 入果が入学案内の用紙を手に取った。

「入学式の後に、クラス分け、そんでもってクラブオリエンテーションか……。にぃにはなんのクラブやってんの?」

 訊かれると覚悟はしていたが、気が重くなってきた。


「別になんもやってないよ……」

「うーん……? なんでぇ?」

「……特にやりたいこともないし」

 胃に熱したものを落とし込んだような苦々しさが沸き起こってきた。


「でもスポーツ推薦だったんでしょ?」

「……どうだっていいだろそんなの」

 入果の目を見られなくなっていた。


「あ……」

 携帯の着信に救われた。


「ごめん、ちょっと……」

 立ち上がって廊下に出る。メッセージが一件。

「……」


『明日、オリエンテーション一応やることになった。よかった見に来いよ』


 足元が沼に沈む心地を覚える。


『それとさ、あのことはもう気にすることないと思うぞ。少なくとも同学年でお前のこと悪く言ってるやつは今のメンバーには一人もいない。あいつらももういなくなったわけだしな。ゼロから立ち上げていくのも面白いと思ってる。そんじゃ、明日学校で』


 過呼吸の気を感じて壁に手をついた。

「……無理なんだよ、もう……」

 肺の奥から絞り出したような小声だった。


「どったの?」

 ギョッとして振り返った。入果がいつのまにか背後まで接近していた。

「友人……からだ」


「顔色悪いよ?」

「……お、お前の引っ越しの手伝いやらベッドの組み立てやらでくたびれたんだよ……!」

 失言だったかと思ったが、入果は特に気を悪くした様子はない。


「うん、そっかー。そうかもね、ちょっと待ってお風呂沸かしてくるから」

「え?」

 まだ日も沈み切っていないのに風呂はどうかと思ったが、少し頭をリフレッシュさせた方がいいとの自覚はある。

 ステップを踏むようにバスルームに向かう入果の足の細さを意味もなく見つめた。


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