第二章 彼女の流儀
(1)彼女の流儀
春休みも最後の週、予想外の事態に見舞われることとなった。
落ち着かない手つきで来客用のカップにコーヒーを注ぐ。ちらりとダイニングテーブルに腰かけているゲストに視線を向けると、にんまりとした、それでいて不気味な笑みが見えてしまった。怖い。
「とりあえず、これ……」
コーヒーをテーブルに置く。
「おーテンキュー、緒羽途きゅん、ミルクもらっていい?」
「好きにしろ……それとキュンはやめろ……」
改めて椅子に腰を下ろすと、彼女の姿を見つめて記憶を精査する。人違いではという疑念がまだ拭えていない。
「一応確認しておくが……」
「なんじゃ?」
「君、栗駒地入果さん……でいいのか……?」
「いえーす」
「誠司さんの娘の、だぞ……?」
「うぃうぃ」
「実は双子の姉か妹……とかじゃないだろうな……?」
「だー! もう疑り深いやっちゃなー。ほらこれこれ」
入果、と名乗る少女が財布からなにかのカードを出した。西椿中学校三年生栗駒地入果、とある。生徒証のようだ。
「どや?」
「……偽造かもしれない」
「どんだけ猜疑心が強いのよあんた⁉」
頭を押さえて考えを練る。
ああ……そうだ。
自分と彼女しか知らないことを尋ねればいいのだと思い当たった。
「この間、宿宮中央駅近くのショッピングモールのカフェで会った……よな?」
「おう、緒羽途きゅ……緒羽途くん、投げやりなお祝い述べたらすぐ帰っちゃったよね。やめなよああいうの、パパンは気にしてないけど木乃香さんが気を悪くするだろー」
どうやら間違いなくあの時、対面した栗駒地入果本人のようである。
「なんであんなことしたんだよー?」
「なんでって……いや、俺の方こそ訊きたいんだが……。君、なんでそんなあの時と違うんだ……?」
「んにゃ?」
「だ、だから、最初にあのカフェで会った時は……まるで、その……借りてきた猫みたいに大人しかったような気がした……んだが」
入果がカップに口を付けたまま目をぱちくりさせた。
「……ああ、まあ、あんときはね……。フッ……ぬしがどのような人物か見定めようかと思ってのう……オホホ、まあ猫かぶってたってわけよ」
「ほ、ほんとに? 今の性格が……本性というか地金というか……」
「そう……真のアテクシ……」
両頬に手を当てて勝手に恍惚となる入果。
「……それで、俺に何の用……? あ……」
先ほど何か言っていた。確か、
「お父さんが転勤になるとか……?」
「そそ、いきなり、ほんといきなりの話でねー。シャチョーさん前から札幌進出を予定していたんだけど、そこに赴任する人がなんかダメになっちって、パパンが急遽代理で行く羽目になったんだって。こっちは新婚間近だってのに鬼かよコンチクショー」
「それで……姉さんも?」
「うん、木乃香さんも会社が気をきかせて札幌の支社に転勤させてくれるみたい」
「そりゃ……よかった。え……? でも、お前は……」
確か鴎凛高校に受かったと言っており、合格証も目にしている、当然、この街に残らなければ通学は叶わなくなる。
「そこよ、大将」
入果の瞳が輝きを投射した。
「別にあたし一人、船越の家に残ってもなんともないんだけどー。ほら、あの二人新婚じゃん? これからお金たくさん必要になるじゃん? 少しでも節約できる方がいいじゃん?」
「そりゃ、まあ……」
「あたし一人のためにマンション維持するよりもー、お姉さまのご実家に寄生……じゃなくて居候させてもらったほうが負担が少なくてバッチグーってわけよ! ここからなら高校も近いしな、ニャハハ!」
「あ、ああ……なるほど……って! な、なにめちゃくちゃいってんだ⁉」
「にゃー?」
「にゃーじゃない! 勝手に決めるなそんなこと!」
「緒羽途きゅんは反対なの?」
「当たり前だろ! 大体お前……親の了解はちゃんと取って話進めてるのか⁉」
「うんにゃ、ちょうど昨日思いついたばかり。そんでちょっと話したけど、とりあえずパパンは大混乱って感じだったわこれが。木乃香さんも猛反対」
「馬鹿か⁉ そうなるに決まってるだろ!」
「ちょっと落ち着けって」
入果が猛獣をたしなめるように両手を掲げた。
「だから勢いで既成事実を作った方がよいかと思って、この儀に及んだ次第でござる」
「バカなの君⁉」
「だから落ち着けって」
大声を出し過ぎたせいで過呼吸気味になってきた。
入果が目を閉じて腕を組んだ。
「今話したこと、嘘じゃないよ。でもねそこにプラスアルファな要素が……いや、こっちが本題なんだよね」
「コッチってドッチ⁉」
「ちょいと訊いてもいいかな?」
「なんだよ⁉」
入果が目を見開いてこちらまっすぐに見据えた。
「緒羽途くんさ……ご両親とは早いうちにお別れしたんだよね?」
「……それがなんだよ?」
「そんでもってお姉さんの木乃香さんに育てられたわけだ」
「……そうだが……」
「木乃香さん、君のためにすごいがんばったよね」
「それは……そうだろう」
「大学卒業して新卒一年目の女性が男の子を一人で育てるってとんでもなく大変なことだったと思う」
「な、なにを……」
なにを言い出すのかと目が点になった。
「緒羽途くんのために我慢してきたことや後回しにしなくちゃいけなかったこと、たくさんあったんじゃないかな?」
「あ……」
心臓に、触れられたような悪寒がした。
「木乃香さん、そろそろ自分の幸せを優先してもいい頃だと思わない?」
声が出ない。ずっと木乃香のすぐそばにいながら、そんなことは考えたことすらなかった。
「まずはそれを考えてほしい。そして次に話すのはあたしのこと」
「え……?」
入果の瞳が一瞬憂いに震えたように見えた。
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