(2)入果見参

 綾浜市、太平洋沿岸に面し、近年人口の流入著しい新興都市である。緒羽途が暮らす宿宮区は地価も高く市内では高級住宅街とも目されている。父母は将来的な綾浜の発展を見越してここに生活の拠点を定めて家を建てたという。一方で隣接する船越区は古くからの街並みと新興の集合住宅街が併存しており、両区は規模の小さい河川によって分断する形で隣り合っている。


 宿宮中央駅、多くの路線が乗り継ぐハブ駅であり、ショッピングモールやレストラン街に接続している。そこで姉の婚約者、栗駒地誠司とその娘と一応の挨拶となった。


 自宅から徒歩で駅ビルまでやってくると姉の背中に語り掛けた。

「ほんとにちょっと挨拶するだけだぜ、すぐ帰るから」

「ええ」


 普段から押しの強い木乃香らしからぬ小声であった。姉も彼女なりに不安を抱いているのかもしれない。義理の娘になるかもしれない少女との関係構築について考えなくてはならない上、緒羽途に対してどういう印象を持つか、わかったものではない。


「もう少しリラックスして、あんたはただでさえ目つきがちょっと悪いんだから……」

「余計なお世話だ……」

 ショッピングセンターを抜けてエスカレーターを上がり、五階に来た。


「あのお店よ」

「ああ……」

 落ち着いた色彩のカフェが見えた。気が進まないまま、足の任せるままに店に踏み込む。


「えっと……」

 店内に入り、木乃香が辺りを見回すと、

「ああ、誠司さん」

 一人の男性が手を掲げている。木乃香が店員にあの席に着く旨を伝えると、緒羽途も手足の筋が固いものに巻き付けられるような感覚を覚えた。

 ため息をついて席に向かった。


 木乃香に恥をかかせない程度に挨拶を済ませるとすぐ退散するつもりでいる。

「やあ、こんにちは、木乃香さん、緒羽途くんも」

「え、ええ……」

 いきなり男性が寄ってきて頭を下げたので、こちらも同じようにする。


「お待たせ、誠司さん」

「いやいや、今日は悪いね、僕の方から伺うのが筋かと思ったんだけど」

 さりげなく眼前の男性に観察の視線を送る。さっぱりした短髪にすがすがしい笑顔、純朴でさわやかな好青年といった印象である。第一印象としては特に不安を抱かせる要素はない。


「緒羽途くん、僕のことは覚えてないよね。前に一度お宅までお邪魔させてもらったことがあるけど。改めて、初めまして栗駒地誠司です」

「え、ええ、少しだけ、覚えてはいます。俺の方も一応、初めまして、堂場緒羽途、です……」

 誠司なる男性と握手を交わす。温かみを感じる手だった。


「北条電工という会社に勤めている、今年で三十三才になる」

「鴎凛高校の一年、十六才です」


「うん、聞いているよ。すごいね、あそこに入るのは難しかっただろう」

「……いえ、スポーツ推薦でしたから……」

 忌まわしい記憶が一瞬脳裏をかすめたがすぐ振り払った。


「緒羽途は昔からサッカーをやっていて」

「姉さん、その話はいいから……! ……?」

 視線を感じた気がした。


 誠司が座っていたボックス席、そこに座っている誰かの背が見える。


「……」

 誰か、など考えるまでもない。こちらに来る気配すらないということは、今回の父親の縁談が意に沿わないものであることも想像に難くない。


「さあ、二人ともこっちに」

 誠司の後を追う形で重い気分のまま、ボックス席までやってきた。


「こんにちは、入果ちゃん」

 木乃香が柔い笑みで固い表情のまま視線をテーブルに落としている少女に頭を下げた。


 少女は、

「……」

 なにか声を発しようとしたが、断念するように会釈しただけだった。


「入果、お二人にちゃんとご挨拶を」

 誠司が少女に呼びかけるが、腰を上げようとはしなかった。


 目線をテーブルに下げている少女に視線を移した。長い髪を左側頭部でまとめて垂らしている。サイドテールという髪型だろう。体格は小さめ、自分よりも頭八割分くらい小さい背丈に見えた。幼さを感じる顔立ちに大きな瞳、美少女といっても差し支えないだろう。

 イルカ……と言ったか……。

 とりあえず名前は覚えた。


「あ……いいの、入果ちゃんも少し緊張してるんでしょうし。ねえ……?」

 木乃香が気をつかうように少女に目線を向けると、再び会釈を返した、が、緒羽途の方は見ようともしない。

「とりあえず二人とも席に……」

 誠司に促されて着座する。


「紹介する。この娘は栗駒地入果、僕の娘で十五才の中学三年生だ。船越にある西椿中学校という学校に通っている」

「……」

 身じろぎもしない入果なる少女。空気と一体化でもしているかのような静けさだった。誠司の冷汗が見えてしまった。


 三十三才の男性の十五才の娘、誠司が十八ほどでもうけた子供ということになるが、特に興味はわかないし事情を尋ねる気も全くない。木乃香さえ納得していればいいのだ。


「堂場緒羽途です」

 シンプルにそれだけを言った。

 やはりというか少女は無反応だった。


 なんの憤りも不快感もない、すべては想定の範囲内である。そして自分の方向性もはっきりした。軽く咳払いすると、誠司に向き直った。


「ええー、まずは栗駒地さん、この度はご婚約おめでとうございます」

「ありがとう、緒羽途くん。突然の話で驚いただろう?」


「いえいえ、……まあ、ちょっと驚いたといえば驚きはしましたけど、今は安心しました。誠司さんしっかりした人みたいですし、姉も行き遅れにならずにすんでよかったと思ってます」

 木乃香に横腹を肘で突かれた。


「ただ……まあ、なんといいますか……。そちらの彼女の方は心中複雑なようですが……」

 乾いた視線を少女に送る。


「あ、ああ、入果、緒羽途くんに返事を……」

 その必要はないと手振りで伝えた。


「栗駒地入果さん……でしたか?」

 少女が、一瞬、顔を上げて目線を合わせた。わずかな交錯を終えるとまた顔を伏せた。


「これからお父さんと姉は夫婦になるべく生活を共にするようになりますが、安心してください。俺はこれまで通り実家暮らしになりますんで、特に関わることもないでしょう」


「緒羽途……!」

 姉の叱責にも動じない。

「まあ、姉とは仲良くやってもらえると助かりますがね。それじゃ」

 腰を上げた。


「姉さんのこと、よろしくお願いします栗駒地さん」

 誠司に一礼するとそのまま席を立った。


「緒羽途待ちなさい!」

 木乃香の制止も振り切るように足を進める。もうこれ以上、あの空間にいるのは耐えられそうになかった。



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