第6話:レイジーさま

12月に入り、グロワールは本格的に冬の季節を迎えた。山の付近には雪も降り始め、吐く息が白く染まる。息を吸えば、しんとした澄み渡る空気が肺を満たす。行き交う人々も厚手のコートに手袋をして、それぞれに寒さを乗り切っていた。

バザールの休みの日、ユバは借家の倉庫で木箱をひとつひとつ開けて、ひとり在庫の棚卸をしていた。帳簿にメモをとり、ごそごそと在庫を漁っては数量を確認して片付けている。倉庫の中はひんやりと冷えているが、寒いからといって倉庫に火元を用意するわけにもいかず、暖もとらずに手を動かしていた。

ふと、倉庫の扉をノックする音がした。

「ユバ、もうすぐお昼ができるわよ」

セリンの声だった。セリンはそのまま扉を開ける。ユバは顔をあげた。

「ああ、ありがとう」

「棚卸?」

「ああ。そろそろグロワールを発って清蘭へ向かう。年末は清蘭で過ごすことになるな」

「あら、そうなのね。うふふ、そうしたら清蘭でもシェンジャ祭りをするのね。清蘭のシェンジャは年始だから」

「ふふ、そうなるな。というわけで、そろそろ仕入れの時期だ。仕入れ内容が出たら、また分担して仕入れをしよう」

「はーい!」

セリンは倉庫の寒さに少しぷるぷると震える。ユバに一言告げて倉庫を出ようとしたところで、倉庫の外からライテルの声がした。

「おーい、ユバー!おきゃくさーん!!」

「む」

「あら、お客さんですって」

「わかった、すぐいこう」

ユバは棚卸のメモをとり、帳簿をしまってセリンとともに倉庫を出た。


玄関へ向かうと、衛士が来客と応対していた。衛士の前には小さな人影。見慣れたその影は、『しろくまさん』の件でリフ・カーフィラに依頼してきた、ジマとシター兄弟だった。

「やあユバ君、お客さんだよ」

「ユバさん!!」

「おひさしぶりです!!」

ジマとシターはユバを見てぺこりと頭を下げる。ふたりとも少しだけ、背が高くなっただろうか。ユバは顔を綻ばせ、礼をした。

「これはジマ様、シター様。ご無沙汰しております。お元気でしたか」

「はいっ!!元気です!!」

「まいにちいっぱいべんきょーしてるんだよ!!」

「それは何よりです。寒いでしょう、どうぞ中へ」

「はい!お邪魔します!」

「おじゃましまーす!!」

ジマとシターを借家にあげる。セリンが人数分のお茶を淹れ、衛士とライテルが椅子を持ってくる。あいにく子供用の椅子の用意がなく、シターには少しテーブルが高く座りにくそうに見えたが、本人はあまり気にしていないようだった。

「学校はどうだい?楽しく勉強できているかな」

「はい!だんだん難しくなってきたけど、わからないことは聞いてがんばってます!」

「にーちゃんがおしえてくれるんだよ!できたらいっぱいほめてくれるの!!」

「へえ、いーじゃん!兄ちゃんがんばってんな!!」

楽しそうに笑う兄弟に、ライテルもにかっと笑いかける。ジマはうれしそうに照れ笑いをすると、ふと顔を曇らせて、少し悩んだような顔をした。

「それで、学校のことなんですけど……今日は依頼じゃなくて、どうしたらいいのかなって相談っていうか……」

「……ふむ。何かありましたか?私どもで力になれることでしたら、お伺いいたします」

ユバがそっと話を促す。ジマはひとつ頷いて、言った。

「ありがとうございます。あの……

 最近、学校と孤児院で、『レイジーさま』っていうのが流行ってて……」

「『レイジーさま』?」

聞いたこともない言葉に、4人は疑問符を浮かべた。ジマは続けた。

「はい。ウワサ自体は、この前のしろくまさんの前からあったんですけど、最近すごい流行ってて……みんなその話をしてるんです。

 『レイジーさま』っていうのは、オレの行ってるギムナジウムとか孤児院で流行ってる『おまじない』で、レイジーさまっていうのがどんな願い事も叶えてくれるっていうやつなんです」

「あのね、午後4時44分に、ルイン地区の拝火神殿にひとりで行くんだ!で、礼拝堂のまんなかに立って、『レイジーさま、レイジーさま』って言って、そのあとにねがいごとを言うと叶えてくれるんだって!」

「なるほど、よくある都市伝説だね」

ふむふむ、と衛士は相槌を打つ。自分がかつて教えていた筆学所でも、そういった話が生徒たちの間で定期的に流行っていた。衛士はどこかなつかしい気持ちになった。ジマもその言葉に頷いたが、でも、と顔を暗くした。

「その『レイジーさま』をやった人が、みんな行方不明になってるんです。

 ギムナジウムでも、孤児院でも、『レイジーさま』をやりに行くって言ってた子が、みんないなくなって……学校にも、家にも、孤児院にも戻っていないんです」

「……そうなの?」

「そう!おれの小学校でも、『レイジーさま』をやったやつがみんないなくなって、せんせーが『レイジーさま』は絶対やってはいけませんよー、って言ってた!!」

「オレのギムナジウムでも孤児院でも、そう言われました。『レイジーさま』は危ないから、絶対やっちゃダメって……でもみんな、ダメって言われるとやりたくなるみたいで、友達もみんなルイン地区に行くって言ってて……

 ユバさん、こういう時って、どうしたらいいと思いますか」

ジマは困ったように、ユバの顔を見た。ユバはひととおりの話を聞くと、なるほど、と頷いた。

「ギムナジウムや孤児院に、軍の方がいらしたことはありますか」

「あ、あります!ギムナジウムとか孤児院の人が呼んだみたいで、いなくなった子たちを探してほしいって」

ライテルがいちど席を立ち、棚から新聞を持ってくる。記事を漁ると、目を引くものがあった。

「たしかに、行方不明者続出の記事が出てんな。大人もいるっぽい」

ライテルは記事をユバに渡した。3日前の新聞だった。

『ナゾの行方不明者続出 連続拉致か

行方不明者は以前から定期的にグロワール軍に届け出が出されているが、ここ数カ月で行方不明届の数が激増している。大人ではリリ地区やダルヤー地区の者が多く行方不明になり、子供では王城区を中心に全国的に行方不明者が出る事態となっている。軍は組織的な連続拉致の可能性もあるとして、調査を進めている』

「……なるほど。この記事の全てが『レイジーさま』ではないのだろうが、ただの都市伝説にしては実害が大きいな」

「そうだねえ。明らかに何者かが動いているように見えるね。光煌では昔から、似たような降霊術的な都市伝説が流行ることもあったけれど、ザラスト教圏ではどうなんだい?」

「うーん……オレが学校にいた時もたしかにいろんなのが流行ってたけど、そんな行方不明者とかが出るような感じじゃなかったなあ。だいたいは机の裏に好きな人の名前を書いて1年バレなかったら結ばれる的なかわいいやつだったよ」

「そういう平和なものであってほしいわよね……」

ユバは記事をしばらく読んで、ジマに向き直った。

「承知しました。ジマ様、軍が動いているなら、こちらは基本的には軍の仕事となります。国内の治安維持も軍の仕事になりますので、基本的には軍にお任せしてよろしいかと存じます。

 ジマ様とシター様におかれましては、その『レイジーさま』は絶対に実行してはならないことと、むやみにルイン地区へは近寄らないこと。そしてご友人が『レイジーさま』をやりたがるようなら、できる限り止めて差し上げた方がよろしいかと存じます」

「ですよね……わかりました!『レイジーさま』のことって、軍の人に話した方がいいですか?」

「ええ、ぜひ話して差し上げてください。重要な手がかりになるでしょう」

「わかりました!」

「ユバさんは、いっしょにはしらべないの?」

シターの舌足らずの問いに、ユバは少し申し訳なさそうに頷いた。

「キャラバンはあくまでも商隊、商人です。国で事件が起こってそれの解決に向けて動くのは、基本的には軍や冒険者の仕事なのです。私の方針としては、軍や冒険者の手に余るようなら手伝うこととしておりますが、基本的には軍の仕事である以上、彼らの仕事をとるようなことはできないのです」

ユバの言葉に、衛士も頷いた。

「人にはそれぞれ、役割があるんだ。ジマ君とシター君は、今は『学生』という役割を持っている。大人になって、自分のやりたい仕事ができるようになるために、知識をつけて勉強する大事な役割だね。そうして勉強しながら、自分のやりたいことを見つけて、大人になって『職業』という役割に就くんだ。ライテル君は踊り子、セリンちゃんは薬師、俺は教師、といった具合にね。それは、その人それぞれにやってもらう大事な仕事だ。それを他人が勝手に横から奪ってしまうのは、とても失礼なことなんだよ。劇ですでに王子様の役がいるのに、悪役の人が急に王子様の役をやり出しては、本物の王子様はどうしていいかわからなくなってしまうだろう?」

「おおー……」

ジマとシターは、衛士の話に納得したように頷いた。

「彼の言う通りです。我々はキャラバンとして、商人という仕事を全うします。もしも軍から『手伝ってほしい』と頼まれれば、それはもちろん対応いたしますが、基本的には軍の仕事なのです」

「そうなんですね……」

「我々リフ・カーフィラも、もうすぐ清蘭に発ちます。できることは少なくなりますが、軍から要請があれば、こちらとしてもできる限り対応しましょう」

「わかりました。ありがとうございます!」

ジマは頭を下げた。シターは衛士の顔をじっと見上げていた。

「……ねえ。オジサンって、先生なの?」

「うん?ああ、そうだよ。オジサンはもともと、光煌で先生をしていたんだ。光煌帝国はわかるかな?」

「えーっと……ずーっと向こうの国!!」

「そう、ここからずっと東の、海を越えた先にある国だ」

「光煌は学問の国と呼ばれる、学術が非常に栄えた強国です。彼はそちらで教師をしていたので、ひととおりのことはわかります。おふたりとも、もし学校の授業でわからないことがあれば、彼に聞くこともできますよ」

「えっ、いいんですか?!」

「おれも、オジサンとおべんきょーしたーい!!」

「うふふ、衛士さんったら大人気ね!」

「じゃあ、あのっ、教科書持ってきます!ギムナジウムの授業、ちょっと難しくて……!!」

「ああ、いいよ。俺でよければ見ようか。その前に、お昼を食べておいで」

「そうね、私たちもこれからお昼だから、午後からお勉強しましょうか」

「はーい!!」

「ありがとうございます!!じゃあ、いったん帰ります!!」

ジマとシターは席を立ち、お礼を言いながら玄関を出ていった。その背中を見送って、ライテルはため息をついた。

「……なーるほどね、都市伝説かあ……」

「行方不明になった子たちが心配ね。学校の環境ではよく流行る話ではあるけれど」

「そうだねえ。学校に行く年の子たちはそういうナゾに興味を惹かれるのもあるしね」

「ああ。それに実害が出ているなら、軍としても見過ごせないだろう。無事に見つかるといいが……

 ……ルイン地区、か。ルイン地区を出入りするなら、ギルバート様なら何かご存知ないだろうか」

「あー、そうだよな。あのおじいちゃんなら見かけてそう」

「でも、『レイジーさま』は午後4時44分、配達は昼間だ。ギルバートさんの配達時間とはズレているから、知らない可能性も高いだろうけれどね」

「ああ、たしかに……配達ルートもいつも一緒だから、何かあっても気付かないかも……?」

「ちなみにライテル君、『レイジー』という名前に心当たりは?」

「ないない。一般的なグロワールの男性の名前ってことしかわかんね」

「そうだな、光煌でいえば『さとしくん』のような一般的な名だな」

「だよねえ……」

衛士がため息をつく。ユバは気を取り直して、手を叩いた。

「まあ、考えても仕方ない。あとは軍がなんとかするだろう。行方不明になった方が無事に戻ることを祈ろう。

 ひとまず、昼食にしようか」

「そうね!ご飯にしましょ」

「そうだね。さて、じゃあちょっと片付けるか」

4人はテーブルを片付け、昼食の準備にとりかかった。


+++


翌日。バザールを開店してすぐ、見覚えのある老人がバザールを訪ねてきた。

「おはようございます、リフ・カーフィラさん」

配達員のギルバートだった。相変わらず朗らかな笑顔を浮かべて、今日も元気そうだった。ライテルとセリンはうれしそうに顔を綻ばせた。

「ギルバートさん!!」

「ご無沙汰しております!」

「やあ、お邪魔します。リフ・カーフィラさんがもうすぐ清蘭に発たれると聞きましてな。ご挨拶に伺った次第です」

「わざわざありがとうございます。先日はたいへんお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ。先日は本当にありがとうございました。

 あれから、私も坊ちゃまも元気にしております。危険もなく、安全に配達ができておりますぞ」

「それは何よりです。ギルバートさんもお元気そうでよかったですよ」

世話になった老人の元気な顔を見て、4人は朝からうれしくなった。ギルバートの笑顔を見て、ライテルはそうだ、とはっとした。

「ギルバートさん!そういえば、聞きたいことあるんですけど!」

「ふむ?」

「ああ、そういえば。『レイジーさま』……」

セリンも思い出した顔をした。ライテルは『レイジーさま』のことをギルバートに話した。

「なんか今、王城区の子供たちの間で『レイジーさま』っていう都市伝説が流行ってるみたいで。

午後4時44分にルイン地区の拝火神殿にひとりで行って、『レイジーさま、レイジーさま』って言って願い事を言うと叶えてくれるっていうやつなんですけど、やった人がみんな行方不明になってるって、学校とかで大騒ぎになってるみたいなんです」

「ほう、ルイン地区で……」

「ギルバート様、何かご存知のことはありませんか?配達の際に、子供などは見かけておりませんでしょうか」

ユバの問いに、ギルバートは唸った。そして、ゆっくりと首を振った。

「残念ながら、私はとくに見かけておりませんな。配達は早くに終えてしまいますので、すれ違っているかもしれませんな」

「そうですか……やはり……」

「……とはいえ、気になるウワサですな。うむ、もしよろしければ、確かめてみますかな?」

「おっ?」

ライテルが少し身を乗り出した。

「ルイン地区の地図は頭に入っております。拝火神殿はルイン地区のちょうど中央にある場所です。もちろんルイン地区なので、今は誰も住んではいないでしょうが、念のため何もないことを確認するのも良いかもしれません。私でよろしければ、案内いたしますぞ」

「いいんですか?」

「ええ、リフ・カーフィラさんにはお世話になりましたからな。これくらいでしたら、いつでも」

ギルバートは快く笑った。ユバは一瞬考えて、頷いた。

「では、お言葉に甘えましょう。いちおう軍にも連絡して、何事もないことを確かめに行くのもいいでしょう」

「オレも行くー!なんもないといいけど、なんか手がかりあればジマたちも落ち着くと思うしな」

「ああ。すまない、セリン、衛士さん、店を頼んでもいいか」

「ええ、いってらっしゃい」

「気を付けていっておいで」

ユバとライテルは身支度をして、バザールを出ていった。セリンと衛士がそれを見送り、バザールの営業に入っていった。


+++


ルイン地区は相変わらず、誰もいない。冬の乾いた風が通りすぎ、廃墟の広がる寒々しさに拍車をかけていた。軽く雪が積もっており、子供のものらしい小さな足跡が見え隠れしていた。

「……足跡……」

「やはり、『レイジーさま』か……」

「ふむ……心配ですな」

ギルバートはユバとライテルを案内しながら、迷うことなく通りを往く。ぼろぼろに崩れ落ちた建物をそれでも目印にして、正確に道を歩いていく。足跡は拝火神殿を探して右往左往していたようだが、ギルバートは足跡に惑わされずにまっすぐ拝火神殿へ向かっていった。

辿り着いた拝火神殿は天井が崩れ落ち、ただの瓦礫の山と化していた。残されたステンドグラスだけが寂しげに光を通し、瓦礫に色をつけている。瓦礫の間から、聖火をおさめる壊れた聖火台が覗いていた。

「……やっぱ、何もないな」

「ああ。この瓦礫に人が埋まっている様子もない」

「ふむ……やはり都市伝説なのでしょうかなあ。それにしては……」

「ええ、それにしてはあまりにも……ん?」

ふと、ユバは辺りを探索する足を止めた。ライテルも振り向くと、顔を強張らせる。ギルバートはきょとんと首をかしげた。

「……わかるか、ユバ」

「ああ。いやな臭いがする」

「臭い……?」

ギルバートはくんくんと辺りの匂いを嗅いだ。雪のしんとした澄み渡る香りがするばかりで、ギルバートは何も感じなかった。しかし、ユバは顔を歪めた。

「……これは……」

「……人の肉の、腐ったニオイだ」

「な、なんと……?!」

ギルバートは驚いて目を丸くする。ユバは注意深く辺りを見渡した。と、瓦礫の向こうに穴を見つけた。地下へ向かう階段が見える。臭いはそこから漂っているようだった。

「……地下だ。ライテル、警戒を怠るな」

「了解。ギルバートさん、ちょっと待ってて。危ないかも」

「わ、わかりました……!」

ギルバートに地上で待っていてもらい、ユバとライテルは慎重に階段をおりる。その先には1枚の木製の扉があった。古びて少しヒビが入っており、そこから臭いが漏れているようだった。ユバはドアノブに手をかけた。

「……カギがかかっているな」

ユバは鍵穴に左手をかざす。鍵穴からパキパキと氷が現れ、鍵穴に合った鍵の形に固まった。

「ユバの前じゃカギも意味なしってな。お前、盗賊になれるぜ」

「商人が盗賊になるのは縁起が悪いな。……いくぞ」

鍵を開け、扉を開く。腐臭がむわりと顔にかかる。その先に広がっていたのは、大小の人間。人間の、死体の山だった。

「―――――っ?!」

「う、っわ?!なんだよこれ!!」

ライテルが驚いて声をあげる。ギルバートが上から不安そうな顔で見ていた。

「ライテル、すぐに軍に通報!軍を呼んでくれ!」

「はいっ!!」

「人間の死体が山になっている!ギルバート様、見ない方がいい!」

「な、なんですと……!!」

ギルバートは顔を青くした。ライテルは風のような速さで駆け、軍に通報しに行った。

ユバはその場から動かず、死体をよく観察した。死体は大人から子供まで幅広いが、子供が多いようにも見受けられる。腐食して溶けている死体も多い。身元の確認には、骨が折れるだろう。

ふと、体が溶けている1体の死体が目に留まった。上半身が裸のその死体は、溶けた胴体の皮膚の間から、何か鈍色のものが覗いていた。

(……?)

袖で鼻を覆い、顔を近づけてよく見ると、それはどうも機械のように見えた。体内に、機械が埋まっている?

「こっちです!!」

ライテルの声がした。数人の足音がばたばたと駆け寄ってくる。軍が到着したようだ。ユバは地上に戻り、軍に事情を説明した。


+++


「うわあ……とんでもないことになったわね……」

軍からのひととおりの事情聴取を終え、ユバとライテルが借家に戻った頃には、もうバザールの営業は終わっていた。セリンも衛士も心配していたが、無事に戻ってきたふたりを見ると、ほっとした顔をした。夕食を食べながら話された昼間の事情に、セリンも衛士も顔を歪めた。

「すまない、食事中にする話ではなかったのだが……」

「いや、それは気にしなくていいよ。それにしても、機械が埋まった死体か……また妙な状況だね」

「『レイジーさま』の神殿の地下に死体の山なんて、いかにも物騒じゃない……『レイジーさま』をした人が、その地下に積み上げられたとか……?」

「ない話じゃねーよな……軍の人も顔真っ青にしてたよ。吐きそうになってた」

「あの状態では、無理もないだろう……しかし、もし仮に『レイジーさま』を実行した人が死体になっているとしたら、やはり人間か魔物が関わっているということになる」

「うん、ただの都市伝説ではなくなってしまうね」

ポークソテーを咀嚼して飲み込み、ユバは口を開いた。

「事情聴取のあと、軍から『レイジーさま』の調査を依頼された。第一発見者というのもあるが、ジマ様やシター様、ギルバート様の話を軍に伝えたところ、自分たち軍よりも我々の方が情報を集めやすいと判断したようだ。軍は他の事件も多く担当している、おそらくこの事件の細部まで手を回すことができないのだろう」

「軍の仕事は激務ですものねえ。それで遅くなったのね」

「軍からの依頼となると、バザールはどうしようか。明日は営業日だけれど」

「バザールは、明日は閉店しよう。そろそろ在庫も少なくなってきた、ひととおりのお客様に売ることもできただろう。明日はバザールに連絡先の貼り紙をして、至急の際は訪ねてもらうようにしておこう」

「調査を優先するのね、了解」

ごちそうさまでした、とセリンは手を合わせる。お茶を飲んで、一息ついた。ユバは隣のライテルに顔を向けた。

「ライテルは、リリ地区に知り合いはどの程度いる?」

「ん?そうだなあ、それなりにいるとは思うよ。昔の職場だった酒場のマスターとか、宿舎の踊り子とか。実科学校の同級生なんかも探せばいるって感じかな」

「わかった。では、明日はこうしよう。

 まず、ライテルはリリ地区で『レイジーさま』について聞き込み。新聞によれば、大人の行方不明者はリリ地区とダルヤー地区を中心に出ている。ライテルはそのうちのリリ地区で、『レイジーさま』について聞いてみてほしい。主な内容は、誰がどの程度『レイジーさま』を知っているか、出所はどこか、いつから出たか、といった具合だ。その他気になることがあれば、些細なことでも掘り下げてほしい」

「ほーい、了解」

「衛士さんはダルヤー地区だ。ついでにそろそろ仕入れの時期だから、いつも通りワインやオリーブオイル、スールエのコーヒー豆などの仕入れの予約をして、その時に業者から『レイジーさま』について聞いてみてほしい。内容はライテルと同様。その他気になることがあれば、衛士さんの判断で行動してほしい。仕入れ表はあとで渡そう」

「了解、わかったよ」

「セリンは私とともに軍へ行こう。遺体の検分を今日中に行うと言っていたから、明日になればある程度の結果は出るだろう。軍に記者が来ていれば、記者からも話を聞きたいところだな。その後はジマ様とシター様の学校へ行き、情報を集めるとしよう」

「そうね、了解!お供しまーす」

「ぱっと見た感じでは、遺体に外傷はなかったが、遺体は遺体だ。人の命が関わっている。各自、調査は慎重に。危険を感じたらすぐに報告すること。衛士さんは緊急時にもし頼れるなら、猫の力も借りてくれ」

「了解!」

「御意」

「はいっ!」

方針を固め、それぞれ夕食を終えて片付けに入っていった。


+++


翌日。ライテルはさっそく、リリ地区を訪れた。鞄の中には、ユバから配られた軍からの依頼状。これがあれば、軍からの依頼として怪しまれずに聞き込みができる。ライテルは歩きなれた道を進んでいた。

リリ地区は貧民街だ。建物はどれも古くぼろぼろで、窓にはヒビが入っていたり、防犯のために塞がれたりしている。道にはゴミが散乱し、家を持たない者たちがみすぼらしい格好で路地裏に座り込んでいる。その中で、一般的とはいえ身綺麗な格好をしたライテルは目立っていたが、本人もリリ地区に慣れた人間なので、スリに盗まれる隙のひとつも作らなかった。

ライテルは、ひときわ目を引く大きな建物の扉をくぐった。酒場の看板がかかっていた。朝の酒場なのでまだ営業していないが、扉をくぐればその先には、口ひげを生やしたマスターがワイングラスを磨いていた。

「おはよー、マスター。わりーな、営業してねーのに」

「おや、ライテルじゃないか!久しぶりだねえ」

マスターはライテルの姿をみとめると、ぱっと顔を明るくした。

「リフ・カーフィラで忙しくしているようだったから、顔を見なくて寂しく思っていたところだよ。よく来てくれたねえ」

「ごめんごめん、やっぱり砂漠を越えるキャラバンにいると、なかなか来れなくてさ」

「そうだろうねえ。ご家族は元気かい?君は本当に苦労していたからね」

「おかげさまで、ふたりとも元気にしてるよ!あのろくでなしの父親とも離婚して、ふたりでのんびり暮らしてる」

「おお!それはよかったねえ!そうか、やっと離婚できたか……これでやっと、落ち着いて暮らせるね」

マスターは、久しぶりに会ったライテルの近況に喜んで笑顔を見せた。自分が貧しい時にも、ずっと気にかけてくれたマスターだ。ライテルはその気持ちをありがたく感じた。

「それで、今日はどうしたんだい?この朝っぱらから来るということは、飲みに来たわけじゃないんだろう」

「うん、今日は仕事で来たんだ。あとで宿舎にも顔を出したいんだけど……まずは、これを読んで」

ライテルは、軍からの依頼状をマスターに見せた。マスターは手を止めて、依頼状を熟読する。時折頷きながら読み終わると、ふむ、と息を吐いた。

「なるほど、『レイジーさま』か……それでここに来たんだね」

「うん。マスター、この酒場で『レイジーさま』って、聞いたことある?」

「ああ、あるとも。まあ、ひとまず座りなさい。紅茶でも飲もうか」

「わー、ごめん。ありがとう、忙しいのに」

「いいんだよ、他ならぬ君の仕事の手伝いだ」

ライテルは近くの席の椅子を引いて座る。リリ地区の酒場だけあり、古びて少し薄暗く、壁のあちこちに客が投げたワインの染みがこびりついている。テーブルや椅子もぼろぼろで、ヒビが入ったり欠けていたり、ガタガタと揺れたりしていた。マスターは少し古びたカップに紅茶を注ぎ、輪切りのレモンを添えて、ライテルに差し出して座った。リリ地区では紅茶にレモンを入れるのが贅沢とされていた。一等地のエレワ地区などでは、紅茶にレモンを使うのは香りを妨げるためマナー違反とされるが、リリ地区に住むマスターなりの、ライテルに対するもてなしの気持ちである。ライテルは礼を言い、ありがたく紅茶にレモンを浸した。

マスターは話を切り出した。

「さて、『レイジーさま』だが……この酒場で言われるようになったのは3カ月くらい前だね。あれはよく覚えているよ。いつも安酒ばかり飲んでいたお客さんがひとりいたんだけど、彼が3カ月前、急に高価なワインをたくさん頼むようになってね。

 いい仕事でも見つけたのかい、と聞くと、『レイジーさま』からたんまり金をもらった、というんだよ」

「『レイジーさま』から?」

「ああ。どこから聞いてきたかはわからないけれど、彼は昼間から酒を飲んで酔った勢いでルイン地区に行って、そのまま『レイジーさま』を実行したらしい。願いは『500万リュースくれ』と言ったそうだ。

 その時、背後から人の気配と、声がしたらしい。声は『わかった。君の願いを叶えよう』と言ったという」

「……マジ?誰かいたの?」

「聞いた話ではあるがね。彼は驚いて、しばらく固まっていて、その間に気配は消えてしまったそうだ。やっとのことで振り返っても、誰もいなかったそうだよ。

 そして翌日、朝起きてみると、リビングのテーブルに大きな宝箱が置いてあった。それを開けると、500万リュースの札束がぎっしり入っていた……」

「……そのお客は?」

「それが、今は店に来ていないんだ。最初2日くらいは高い酒を浴びるように飲んで豪遊していたけれど、それっきり、ぱったりと店に来なくなってしまってね。心配になって店の踊り子たちに尋ねたら、どうも彼は行方をくらましたようで、見かけなくなったと言っていたよ。それっきり、今も店には来ていない」

「……きなくせーな」

「ああ、きな臭い。軍に届け出をしようにも、彼には家族がいなくてね。もとより、リリ地区は人さらいなどの犯罪の巣窟だ、軍もそうそう手出しはできない。おおかた豪遊しすぎて、盗賊たちに身ぐるみを剝がされてそのままどこかで殺されたのだろうとは思っていたけれど……こうして『レイジーさま』の話を聞くと、怪しくなってしまうね」

「マスターは、そいつの住んでるところはわかんないんだっけ。名前とかはわかる?」

「そのお客の名は『ダンザ』だ。リリ地区の者ではあるが、住所はわからないね。家は持っていたはずだけれど」

「ダンザ……オレが知らないってなると、2年くらい前から来てたお客?」

「そうだね、去年から3カ月前まで、毎日のように来店していたよ。君がリフ・カーフィラに入って宿舎を抜けた1年後に来たお客だ。もともとは写真機の部品を作る職人だったみたいだけど、酒癖が悪くてね。職場で酒を飲んで従業員を殴りつけて、クビになったと話していたよ」

「なるほど、それで職をなくしてリリ地区に流れ込んだってか」

「そういうことだ。写真機の職人なら、けっこういい職だったと思うけどね」

「うん、最新技術の職だよな」

ライテルは真剣な表情でメモをとる。それを見て、そうだ、とマスターが席を立った。

「宿舎の踊り子たちを呼んでくるよ。彼女たちもお客さんとよく接するから、何か聞いているかもしれない」

「いいの?ありがとう!助かる!!」

「いいよいいよ、君の話を聞いて会いたがっていた新人の子もいるしね」

そう言うと、マスターは店の奥へ向かっていった。ライテルが話をまとめてメモしていると、ほどなくしてぱたぱたと、数人の駆けてくる足音がした。

「ライテル!!」

「きゃあ、ライテルだわ!!やだ、久しぶりじゃない!!」

「先輩、ご無沙汰してます!!」

「うわー!!みんな久しぶりー!!」

若い男女が数人、店のホールに入ってくると、ライテルはなつかしい顔ぶれに立ち上がった。昔、ライテルがリフ・カーフィラに入隊する前、この店の踊り子として踊っていた時の同僚や後輩たちだった。皆一様に安っぽい、ぼろきれのような冬服を着ていたが、皆元気そうにしているようだった。

「元気そうだな、ライテル!以前より顔色もよくなったじゃないか」

「本当、前はあんなに痩せてて心配だったけど、今はとても健康そうに見えるわ」

「え、マジ?ごめん、なんか心配かけてて」

「お前は人がいいからなあ、ここのみんなで心配してたんだぞ、これでも」

「リフ・カーフィラのウワサは聞いてるわよ!本当にいい職場についたわね!」

「このリリ地区でも、リフ・カーフィラがグロワールに着いたと聞いた時はウワサになっていましたよ!ライテルさんが帰ってきた!って、みんなでこっそり見に行ったりしてました」

「なんだよ、声かけてくれればよかったのに……って、そうもいかないか」

「そうだぞ、お前はリリ地区の人間だけど、もうリフ・カーフィラの一員でもあるからな。リリ地区の民はお前を応援してる、俺らがうかつに話しかけたら“リリ地区の人間と話してる”って、評判が下がりかねないしな」

「あなたが頑張っているのは伝わってきているから、私たちもいつでも応援してるのよ」

同僚たちの言葉に、ライテルは圧倒される。リフ・カーフィラに入隊したことで、もう「貧民」ではいられなくなってしまった。それを少し寂しく感じていたが、リリ地区の者たちは、皆自分を気にかけてくれているようだった。それが、少しうれしかった。

「さて、あんまり再会を喜んでもいられないわね。ライテルはお仕事で来てるんですものね」

「そうそう、『レイジーさま』だったな」

踊り子たちは椅子を持ってきて、それぞれ席につく。ライテルも頷いて、改めて座り直すと、男性の踊り子が話しだした。

「ダンザさんの話は聞いたか?」

「うん、今マスターから」

「そうか。そのダンザさんに『レイジーさま』のことを話したお客さんがいたのは覚えてるぜ」

「えっ、本当?」

ライテルは身を乗り出した。

「ああ。ダンザさんが『レイジーさま』を実行する1週間くらい前だ。リリ地区の人間にしては小奇麗な格好をした紳士が来店してな。変わったお面のようなものをつけていたよ。顔全体を隠すタイプで、顔はわからなかったが、服装は紳士の格好だった。

 この店ではそれなりにいいワインを注文したから、グラスを運んで行ったら、俺と隣に座っていたダンザさんに、『少し話に付き合ってくれるかね』と言ったんだ」

ライテルは頷いてメモをとる。この酒場の踊り子は、踊らない時は店のウェイターや接客なども務める。ライテルも経験があるので、とくべつ違和感のある話ではなかった。踊り子は続けた。

「その時に、『君たちは、レイジーさまという伝説を知っているかね』と。午後4時44分にルイン地区の拝火神殿にひとりで行き、『レイジーさま、レイジーさま』と唱えて願い事を言うと叶えてくれるという。俺は相槌を打つだけでとくにコメントはしなかったんだが、ダンザさんはガハハと笑って『そんな都合のいいのがいたら、500万リュースくらいポンと渡してほしいもんだな』みたいなことを言ったんだよな」

「なるほど……それで、ダンザさんは『レイジーさま』を実行した」

「ああ。あとはマスターから聞いたとおりだ。俺たちも気になっていろいろ聞いてみたが、それっきりダンザさんを見かけた人はいない」

「その仮面のお客様も、彼が接客した一度きりしか訪れていないわ。お客様だから名前もわからないし……でも服装や立ち振る舞いからして、リリ地区の人間ではないはずよ」

「そのお面って、どんな感じかわかる?」

「ああ、細かな模様が施されていて、そこまでは再現できないが……こんな感じだったな」

踊り子はライテルから渡されたメモに絵を描いた。彼はもとより観察眼も鋭く、記憶力もいい。すらすらと描きあげた面の絵は、グロワールでは見かけないオリエンタルなデザインだった。面全体がやや赤めの色をしていたようで、「Red」と注釈が書かれる。額に黒くて丸いマークが描かれていたようだが、そのデザインだけは思い出せないようだった。

「おー、絵が上手い。……なるほど、なんか清蘭っぽいデザインだな」

「そうねえ、ちょっとグロワールのテイストではないわね。スールエ風でもないし、どちらかといえば清蘭とか光煌にありそう」

「リフ・カーフィラに、清蘭と光煌の方がいるだろう?彼らに聞いてみるとわかるかもね」

「ああ、そうだな。セリンなら何か知ってるだろうし、セリンが知らなくても衛士さんなら何かわかるかも」

マスターの言葉に、ライテルは頷いた。描いてもらった面の絵を、大事に鞄にしまった。

ふと、後輩の踊り子が、不安そうに話し出した。

「その紳士が『レイジーさま』の話をして、ダンザさんが『レイジーさま』に成功したものですから、酒場のほとんどの人がそのウワサを聞きつけて、『レイジーさま』を実行しに行ったんです。『レイジーさま』は“ひとりで”ルイン地区に行くとされていますが、複数人で行ったお客様もいるようで……でも、誰ひとり、戻ってきていません」

「そう。それから一時期、この酒場も少し寂しくなったのよ。前は飲んだくれでいっぱいだったのに、お客様が半分くらいに減った時期があったわ」

「マジか……」

ひととおりのメモをとり終えて、ライテルは考え込んだ。『レイジーさま』の話をしに来た謎の紳士。彼は何者なのだろう。踊り子が描いたこの面の絵が、何か手がかりになるといいが。

「『レイジーさま』の話は、この酒場を出てリリ地区中に広まっているようだよ。『レイジーさま』に願えば大金が手に入るとあっては、飛びつかない人はいないだろうね」

「そうだな、リリ地区の人間にとっては喉から手が出るほどほしいものだしな」

「『レイジーさま』に関連する悪徳商売を働く人間もいるらしい。ルイン地区に行かなくても『レイジーさま』に願える方法があるから情報料をよこせ、みたいな」

「ぜってー詐欺じゃんそれ」

「そういうのが横行するのがリリ地区ならではって感じよね……まあでも、調べるなら気を付けてね。リフ・カーフィラは強いとは聞くけれど、あなた戦闘は苦手だったでしょ」

「そうなんだよな……ほかの3人がアホみたいに強いからオレが足引っ張ってる感あって……」

「人がいいんだよなあ、ライテルは。なんだかんだ言って、お前は踊り子として踊ってる時がいちばん幸せそうだよ」

「ねえライテル、忙しいとは思うんだけど、ちょっとでもいいから時間ない?レッスンしてほしいわ」

「あ、あの、ボクも!ライテルさんに、稽古つけてほしくて!!」

踊り子たちが申し訳なさそうに頼んでくる。ライテルは喜んで頷いた。

「もちろん!情報のお礼ってわけじゃないけど、オレにできることならするよ。この酒場には世話になってるしな」

そう言うと、踊り子たちは顔を輝かせた。

「わあっ、ありがとう!!あなたのダンスはファンも多かったわよね、なつかしいわ」

「ありがとうございますっ!!よろしくお願いします!!」

「それじゃあ、お昼はうちで食べていきな。用意しておくよ」

「ごめんマスター、何から何までありがとう!」

ライテルはが礼を言うと、踊り子たちはライテルを引っ張って稽古場まで引きずるように案内していった。


+++


ダルヤー地区は、いわゆる港地区である。ここから船を出して南下すると、スールエ首長国の港に着く。グロワールとスールエの間は海があり、砂漠を越えずとも交易ができるため、新米の商人やキャラバンはグロワールとスールエの交易を担って資金を貯めるのである。

ダルヤー地区、港付近には今日も朝どれの魚や各種交易品の屋台が並ぶ。屋台の色とりどりの賑やかな屋根が、道行く人の目を楽しませる。衛士が息を吸うと、冬の香りに混じって潮の香りが爽やかに肺を満たした。

「『レイジーさま』ねえ……胡散臭い話だよなあ」

行きつけの仕入れ業者に仕入れの予約をしつつ、衛士が話を聞いてみると、業者の男性はため息をついた。

「このあたりでは、有名な話なんですか?」

「まあ、そうだな。このあたりの奴らはだいたい知ってるだろう。漁師たちはバカげてるって言ってるけど、小売商人なんかはちょっと興味深そうにしてるな。実際に行った奴もいるらしいが、そういう奴らはこぞって行方不明ときたもんだ」

「なるほど……今も行方不明者が出ている……?」

「ああ、最近だと1週間前くらいに『レイジーさま』やってみようかなって言ってたやつがいたな。そいつもまだ戻ってきていない。

 そうそう、その『レイジーさま』だが、今でこそみんな行方不明になってるけど、最初は戻ってきたやつがけっこういたらしい」

「ふむ?」

業者は屋台から外へ出て、遠くの建物を指さした。海に面した住宅街に、ひときわ大きなグロワール風の屋敷があった。

「あそこに、でっかい屋敷が見えるだろ?あれは去年くらいに『レイジーさま』のウワサを聞いて実行した奴の家なんだ。それまではちっこい家に住んでたのが、『レイジーさま』に頼んだら、この家が手に入ったってやつさ」

「ふむ……その方は今も、あのお屋敷に?」

「それが、いないんだよ。奴は去年、『レイジーさま』に『豪華な家で暮らしたい』って願ったらしい。そして翌日、目が覚めたらあの屋敷のベッドで寝ていて、家の権利書なんかの書類があった。ぜんぶ自分の名前になってて、法的にも自分の持ち物になっていたって話だぜ。代金もぜんぶ支払い済みだったってさ。

 だが、それから3日くらい経ってから、そいつを見かけなくなったんだ。どこ探してもいなくてさ、家族もいたんだけど、家族全員いなくなって、今あの家はもぬけの殻なんだよ」

「なるほど……」

「軍の依頼状を持ってるなら、あの家のことも調べられるかもな。軍に問い合わせて、家を調べてみるのもいいと思うぜ」

「ええ、そうしましょう。ありがとうございます」

業者は衛士からメモを借り、屋敷の住所を書いて渡す。衛士はそれを受け取ると、礼を言って、改めて仕入れ内容の確認をした。


軍から許可を得て、衛士は軍の担当者とともに屋敷に入る。無人の屋敷は埃っぽく、人の気配もなく寒々しかった。調度のいい家具は全て寂れて、少し色あせてしまっている。その埃や汚れの向こう側の装飾は、かつてはそれなりに煌びやかな屋敷であったことを想像させた。

「1年間ほったらかしにされただけのことはありますね」

「ええ、今は不気味な屋敷です。夜にはこの屋敷から異音がするとのウワサもあり、定期的に軍が様子を見ているのですが、どうも海から来たゴーストがときどき住み着くみたいで、そのたびに退治しているんです」

「なるほど、それは大変だ……うかつに解体するわけにもいかないですしね」

「ええ、いちおう個人の所有物なので、解体もできなくて……」

「所有物……所有権といえば、この家の権利書類はどうなっていますか?」

「軍の方で保管しています。こちらです」

屋敷を歩きながら、担当者は衛士に書類を渡す。衛士が目を通すと、たしかにこの家の権利者らしき名前が書かれている。別の書類を見ると、不動産取得税および贈与税の納付通知が目についた。

「……税金、か……さすがにこの屋敷の規模ですから、すごい金額ですね」

「ええ。今まで小さな家に住んでいた一般人が、この額の税金を支払えるとは思えません。

 しかもこの場合、屋敷は現物を贈与されており、この家の主人は金銭を受け取っていませんから、支払いはかなり難しい」

「そうですね。不動産取得税は不動産の所持者、贈与税は受け取った側が支払いますから、どちらもこの家の持ち主が支払うことになりますね。

 『レイジーさま』に願って家を手に入れたはいいものの、こういった税金が払えずに夜逃げした、というのも充分考えられるけれど……」

「ええ、我々も最初はそう考えました。しかし、あの遺体の山が発見された今となっては、別の意味合いを考えてしまいますね」

「全くですね。この書類の情報、メモをとっても?」

「ええ、構いませんよ。軍からの依頼ですから、現物が見たくなりましたらいつでもおっしゃってください」

「ありがとうございます」

衛士はさっとメモをとり、屋敷の中をひととおり見て回る。屋敷の中は荒らされた様子もなく、綺麗に掛け布団のかけられたベッドには、ふんわりと埃が積もっていた。食器も綺麗に片付けて仕舞われており、何かが盗まれたり足りなくなったりした様子もない。日記の類もなく、屋敷の中にはこれといった手がかりはなかった。


+++


王城区の軍署に向かうと、すでに担当の者がユバとセリンを待っていた。依頼状を見せて本人確認を行い、応接室へ案内される。国内の殺人事件などを扱う2名の担当者が応接室に入り、ユバとセリンに敬礼した。

「リフ・カーフィラ殿。このたびはご協力、感謝いたします」

「おはようございます。よろしくお願いいたします」

担当のふたりは向かいのソファに座り、持ち寄った資料をテーブルに広げた。

「さて、さっそくですが……遺体の状況は、ユバさんもご指摘のとおり、全ての遺体に機械が埋まっている状態でした」

「機械は心臓や各消化器官にあたる場所……いわば腹の中ですね。腹の中に内臓の代わりに埋め込まれている状態で、最新の魔法科学の技術が使われているとのことです」

「魔法科学……」

セリンがピンとこない、といった様子でぽつりとつぶやくと、ユバがセリンに視線を向けた。

「魔法科学は『全ての人をフラワシに』というスローガンのもと、グロワールで研究されている最新の学問だ。生まれついた魔力のない者でも魔法が使えるように、機械の技術で炎や雷をおこしたり、重い物を運んだり、といった研究がされている。我々の周りでは写真機がそれにあたるな。グロワールの写真機は最新の魔法科学の結晶だ」

「ええ、魔法科学はグロワールが誇る最新の科学です。学問という点では、学問の国である光煌帝国に劣りますが、光煌の民は新しいものをイチから発明することが難しい国民性でもあります。全く新しい技術を発明する力は、昔からグロワールが盛んに振るってきました。グロワール王室もそれを誇りにしていて、グロワールは国を挙げて魔法科学技術の発展に力を入れているんですよ」

「なるほど……そうなんですね。そんなステキな技術が、こんなことに使われるなんて……」

「ええ、全く残念なことです。いま魔法科学の専門家が、遺体に埋まった機械を分析していますが、今のところ、どのように作用するかはわからない状態です」

担当者の説明に、ユバは少し考えた。

「……ご遺体ですが、脳の状態はいかがでしたか?」

「脳ですか?脳は……解剖記録には、とくに何も書かれていませんね。とくに異常はないと思われます」

「ふむ……だとしたら、妙ですね。

 一般的には、人の感情や考えは、心……心臓が扱うと考える人が多いですが、きちんと人体を研究した人間なら、感情や思考は脳が司ることを知っているはずです。脳をいじっていないとするなら、思考を操ることが目的というわけではなさそうだ……」

「なるほど、たしかに……医療的な知識は、まだまだ医者や研究者の持ち物ですからね」

「ええ、グロワールでは印刷が進んで知識の大衆化が進んでいますが、医療分野は専門性の高い領域ですから、まだまだ一般の方には浸透していない知識や技術と考えられます」

「となると……やはり、魔法科学の関係者を洗うのがいいでしょうか」

ユバは頷いた。しかしそうなると、グロワールの場合は幅が広すぎる。魔法科学の研究所は各所にある、それをひとつひとつ洗っていては、また『レイジーさま』の犠牲者が増えるのは止められないだろう。そこまで考えて、ユバはふと思い立った。

「体内の機械ですが、商標は刻印されていましたか?」

「商標?」

「商標……ですか?」

セリンと担当者は首をかしげた。

「ええ。商標とは、その商品を作ったメーカーが刻印するトレードマークやロゴといったもので、その商品がどこで作られたかがわかるように刻印するものです。

 キャラバンにも、商標はあります。リフ・カーフィラの場合は、こちらです」

ユバは左手の中指にはめた指輪を外して、軍に見せた。青い宝石をはめる台座に、翼と、グロワール人には見慣れない花のような意匠があしらわれている。

「商標はどこの国でも、商品を作ったメーカーが必ず刻印するよう法律で定められているはずです。もしその刻印がない場合、商人の常識では、その商品は『裏社会に流れた』商品であることを指します。裏社会では表の人間に足取りを追われないように、商標を消すのです。もしその照会がまだであれば、機械の商標を探して照会すれば、重要な手がかりになると思われます。機械そのものになくても、部品まで分解して精査すれば見つかる可能性があります」

「なるほど……!盲点でした」

軍の担当者たちはユバの言葉をメモにとった。さすがは各国を渡り歩くキャラバン、その経験は何物にも代えがたい。担当者たちは舌を巻いた。

「さっそく、機械を調べてみましょう。おふたりも、よろしければご協力をお願いします。

 軍ももろもろ手が足りず……申し訳ございません。こういうことは下手に冒険者に頼むよりも、キャラバンに依頼した方が機密を守ってくださるところもあり……」

「いえ、我々にできることでしたら協力いたします。たしかに、個人の冒険者はときどき機密を吐いてしまう人もいますからね」

「そうなんですよね……冒険者も玉石混交で……リフ・カーフィラ殿の方針には感謝しています。ではさっそく、機械を見に行きましょう。こちらです」

ふたりはユバたちを案内しに立ち上がった。ユバとセリンも、ふたりについていった。


2階の資料室へあがると、そこにはたくさんの捜査記録などの各種資料が綴じられて保管されていた。壁一面に並ぶ本棚には事件ごとに資料がまとめられ、古いものほど奥に仕舞われている。紙の香りが充満しており、ユバはどこか落ち着くような心地を覚えた。

軍の担当者のひとりが奥の机に案内し、もうひとりが証拠品棚から機械を取り出して、そっと机に置いた。人の臓器を模したような、四角い箱のような機械からパイプやチューブがのびた、少し不気味な見た目の機械であった。

「遺体のうち1体に入っていた機械です。他の機械も、おおよそ同じ仕組みと思われます」

「なるほど。触れても?」

「ええ、どうぞ」

ユバは許可を得て、慎重に機械を手に取った。分厚い本1冊分ほどの重みがある。箱のような機械、パイプ、チューブなどひととおりを観察したが、商標は見つからなかった。

「……やはり、見つからないですね。分解しましょう」

担当者が工具を持ってくる。捜査のために分解するのは軍の仕事である。担当者はユバから機械を受け取り、取りつけられたネジを回して機械をそっと分解した。からくり仕掛けの精緻な中身が露わになり、その部品をひとつひとつ抜いていく。ユバはその部品ひとつひとつから、魔法の力を感じた。

部品を抜き、ひとつずつ観察する。やはりどの部品にも、商標は刻印されていない。この事件には裏社会が関わっていることは明らかなようだった。やはりないか、とユバがため息をつくと、セリンがふと声をあげた。

「あら?ねえユバ、これは?」

「?」

ユバがセリンの手元を覗き込む。セリンの手にはひとつの大きめの歯車があり、セリンが指をさしたそこには、たしかに小さなマークのようなものが刻印されていた。

「……あった!よくやったセリン、これが商標だ!」

「え、本当?!やった、見つけちゃったわ!!」

「見つかりましたか?!」

軍の担当者は色めき立った。捜査の方針が絞れた!希望を見つけた表情になった。

しかし、ユバはその商標を見て、首をかしげた。

「……どういうことだ?このマークは……」

「何か、お心当たりでも?」

「ええ……このマークを使っているメーカーは『トーマス』というのですが、トーマスはリフ・カーフィラの取引先のひとつです。主に写真機の部品を製造するメーカーで、トーマス自体は裏社会の店ではないはず……」

「そうなの?私たちの取引先なら、裏社会の人じゃないわね。キャラバンは新しい相手と取引をする時は、お互い裏社会の人間じゃないことを確認しあうものだし」

「むむ……妙ですね。となると……」

「……トーマスが裏社会の者ではなくても、その取引先の中に闇の者がいる可能性も……?」

軍の言葉に、ユバは頷いた。

「それはあると思います。トーマスを訪ねて、この部品のことを聞いてみましょう」

「わかりました。使いを出します。リフ・カーフィラさんが向かうことを、こちらから先に伝えておきましょう」

「ありがとうございます、助かります。念のため、この機械をお借りしても?」

「ええ、どうぞ。といっても証拠品なので、お手数ですが私が同行させていただくことになりますが」

「もちろん、構いません。よろしくお願いいたします」

軍とユバたちは挨拶を交わし、機械を持って軍署を後にした。


+++


「おーっすユバ、進捗いかがですかー」

「ははは、一部の人には心臓に刺さる言葉だね」

軍署を出てトーマスの工場に向かうところで、ライテルと衛士がやってきた。ふたりを案内するように、何匹かの野良猫たちが先導していた。どうやら猫たちに頼んで、ふたりの居場所を突き止めてもらったようだった。

「ありがとう、みんな。また今度、お礼をするからね」

「にゃーん!」

衛士は膝をつき、猫たち1匹1匹にお礼を言った。猫たちはうれしそうに衛士に撫でられたあと、ほくほく顔でその場を後にした。

「あら衛士さん、相変わらずの猫モテっぷりね」

「猫くると『あっ衛士さんだ』ってわかるからいいよな」

「うーん、あの子たちも好意で手伝ってくれているわけだからね……」

「ああ、今度しっかりとお礼をしよう。それで、どうだった?」

「いろいろ仕入れてきたぜ!えーっと」

ライテルと衛士は、それぞれ仕入れた情報を話した。『レイジーさま』を実行して戻ってきた人間がいたこと、その戻ってきた人間も、いつの間にかいなくなっていたこと。ライテルは踊り子が描いたお面の絵も見せた。それを見て、3人ははっとした。

「これ、清蘭のお面だわ」

「ああ、これは光煌のものではないね。清蘭の、それもよくない類の面だ」

「そうね、これはザラスト教の悪魔を清蘭風にデザインしたお面よ。清蘭では赤は縁起の良い色だから、一見お祭り用のお面みたいに見えるけど」

「なーるほど?じゃああの紳士は服装こそグロワール人っぽかったらしいけど、清蘭の人間の可能性も……?」

「あるだろうな。わかった、これからあの機械のルートを辿る、ふたりも来てくれ」

「了解」

「ほーい!」

ユバはこれまでの軍での話を共有しながら、トーマスの工場へ向かっていった。


工場へ行くと軍の使者が待機しており、ユバを見つけると中へ通した。ユバたちには見慣れた顔の工場長が、いつも通りの笑顔で出迎えた。50代ほどの、いかにも職人といった雰囲気を醸し出す、片眼鏡をかけた男性だった。

「おお、リフ・カーフィラさん。このたびは調査ご苦労様です」

「トーマス様、お世話になっております。お忙しい中、お時間をいただきます」

「いえいえ、軍とリフ・カーフィラさんの頼みですからな。ささ、おかけくだされ」

工場長は応接スペースへ一行を案内した。軍の担当者もその席につき、持ってきた機械を広げた。ユバが話を切り出した。

「今回伺いたいのは、こちらの機械についてです。先ほど軍の方からお話があったかもしれませんが、先日の事件で遺体の体内に埋まっていたもので、その部品のひとつに、トーマスさんの商標が刻印されていたものです」

「なるほどなるほど……ちょっと、機械を拝見しても?」

「ええ、どうぞ」

軍から許可を得て、工場長は機械を観察する。分解された機械の動作などを確認し、しばらく機械を見て、ふーむ、と唸った。

「こういった動きをする機械の部品発注は、直接は受けていないですな……通常、機械部品は完成品の設計図ができてから、どのように動くかという想定を先方から聞いたうえで部品を製造しますので、それがないというのは……1件しか心当たりがありませんな」

「どこか、そういったところが?」

「ええ、『フォンセット魔法科学研究所』という取引先でしてな。どういうわけか、こちらに完成品は一切見せずに部品だけを大量に発注してくるんですよ。額がいいので引き受けているのですが……この部品の特徴からしても、フォンセットさんに納品した部品だと思われますな」

「……フォンセット……」

ユバとライテルが少しだけ顔を歪めた。

「……ユバ、オレなんか、嫌な予感がする」

「ああ、私もだ。工場長、恐れ入りますが、フォンセットさんとの契約書を見せていただけますか」

「え、ええ、わかりました。少々お待ちを」

工場長がいったん席を立つ。衛士がふたりの方を見た。

「何かあったのかい?」

「あれ、衛士さん知らない?グロワール語読めるよな?」

「いや、衛士さんが知っているのは現代の標準語だけだ。これはグロワールのネージュ地区あたりの昔の方言だ、知らなくても無理はない。

 『フォンセット』はおそらく造語だが、少し綴りを変えた『フォンセ』はネージュ方言で『闇』を意味する。リリ地区のあたりでも昔、似たような言い方はしていたから、ライテルは心当たりがあったのだろう」

「なるほど。きな臭くなってきたねえ」

「前から気になっていたけど、私たち、裏社会と戦うハメになるのかしら……」

「裏社会の組織は、規模によっては我々4人では手に余るからね。その時には、軍との連携も必要でしょう」

衛士が軍の担当者に向けてそう言うと、担当者も頷いた。

「ええ、大きな裏組織が関わるなら、王子殿下の決裁が必要です。王子殿下の決裁次第で動くことになるでしょう」

やがて、工場長が契約書を持ってくる。ユバはそれを受け取ると、最後のページの著名欄を確認した。そして、息を呑んだ。

「これは……!!」

「えっなに?」

「何かあっ……えっ、これって……!!」

「……とんでもないのが出てきたねえ」

「な、何かあったのですか?」

ライテルと軍の担当者はよくわからない顔をしている。ユバとセリンは緊迫した表情で、衛士は若干顔を引きつらせている。気を取り直したユバが、ライテルと軍に説明した。

「……こちら。この印章をご覧ください」

「印章……ですか?」

「グロワールじゃ、印章なんて使わないよな?なんでこんなところに印章が?」

「ああ、通常、契約の際には代表者のサインが使われる。一般的には、契約書など重要な書類に印章を使うのは光煌の民だけだ。うちも、衛士さんの印章で領収書を切っている。

 しかし、これは光煌の印章ではない。この龍のマーク……これは『黒龍』という、裏社会でもとびきり大きな組織が使う印章だ」

「な、なんと?!」

工場長は腰を抜かした。自分の店の取引先に裏組織がいるとあっては、店の信用に大きく関わってしまう。おそらく、これが裏組織であると知らずに契約してしまったのだろう。ユバは内心で頷いた。

「『黒龍』は各国に根を張る巨大な清蘭マフィアで、本拠は清蘭にある。グロワールやスールエではあまり知られていないが、清蘭および光煌の民や、清蘭まで行けるキャラバンなら知らない者はいない。

 殺人、密輸、人身売買……裏社会を牛耳る、いわば『闇の女王』だ。本気で動けば4国でさえ制圧できるほどの力はあるだろう」

「そ、そんな組織が……」

「黒龍のボスは『琳芍蓮(りん しゃくれん)』という清蘭人の女性だ。この『琳』という字が、代々黒龍のボスに与えられる名だからという理由で、清蘭と光煌では名前にこの字を使うのは禁じられているんだよ。裏社会の者だと誤解されてしまうからね」

「マッジかよ……とんでもねーな……」

ユバは契約書をめくり、文面を確かめた。

「……ここに、メーカーの商標を消すよう契約書に明記されている。しかしトーマスさんは最近、工場長が代替わりした。その際に引き継ぎが漏れて、通常通り商標を刻印してしまったのだろう。

 とはいえ、このヒューマンエラーのおかげで、黒龍が関わっていることが判明した。この契約書があれば、黒龍の関連は疑いようもない。早急に、王子殿下への報告をお願いします」

「しょ、承知しました!大事になってきましたね……」

軍が緊張したような表情をする。ユバも頷いた。

「我々ももうすぐ、清蘭に発ちます。もしこちらでお手伝いすることがありましたら、お早めにお申し付けください」

「承知しました!すぐに王子殿下に報告します」

軍の担当者は敬礼し、トーマスから契約書を借り受ける。リフ・カーフィラは王子殿下への報告用に、『黒龍』について知っている限りの情報を記した資料を作成するよう命じられた。


+++


2日後。リフ・カーフィラの面々は、聖グロワール王城を訪ねた。

聖グロワール王城はいくつもの尖塔が立ち並ぶ壮麗な城で、白い外壁に青い尖塔の屋根、聖グロワール王国の国色でもある空色の旗がはためく、見るも壮大な城である。王城前の庭には、庭師によって美しく整えられた幾何学模様の植え込みや、ピンクや白の薔薇が咲くアーチなどが芸術品のように植えられている。今日もたくさんの庭師が植え込みの手入れを行い、花壇に咲く花々に肥料を与えていた。

グロワールは花の国、かつては植物もまともに育たない土地だったといわれているが、ザラスト教の開祖ザラストが神の言葉を聞き、グロワールに聖典をもたらすと、一帯が花で埋め尽くされたという伝説が残されている。今日も王城の花は瑞々しく咲き誇り、庭師の注いだ水を受けてきらきらと花弁を輝かせていた。

依頼状を門番に見せると、担当者に取り次がれ、城内へと案内される。重厚な扉をくぐった先のエントランスホールには豪奢なシャンデリアが照らされ、視界の中央には大きな噴水とともに、やはり花が活けられている。噴水を囲うように上へと続く曲がり階段が伸びており、その足元は白い大理石の上に真っ青な絨毯が敷かれていた。視界の奥の壁には現国王の肖像画がかけられ、城内の各所には鎧や壺、石像などの様々な美術品が飾られていた。

担当者に案内されながら、ユバが仲間たちの様子をそれとなく観察する。セリンと衛士はとくに緊張した様子もなく、落ち着きつつも興味津々そうに各所の美術品などを見ていたが、ライテルはどこか緊張した面持ちで、少し萎縮しているようにも見えた。

ユバはそっとライテルに近寄り、声をかけた。

「緊張しているか、ライテル」

ライテルはびくりと肩を震わせて、その後苦笑しながら息を吐いた。

「いやあ……緊張するだろ。王城の中なんて、一般のグロワール人は入れないわけだし」

「まあ、そりゃそうよねえ。私だって清蘭王宮に入る!ってなったら緊張すると思うわ」

「この国の民だからこそ緊張するんだろうね。無理もないことだと思うよ」

「うん……大丈夫かなオレ、礼儀作法とかわかんないし……」

ライテルが不安を吐露すると、ユバは優しく微笑んだ。

「普段のお客様と同じように接すればいい。これからお会いする王子殿下も、きっと我々の普段の姿をご覧になることをお望みだろうからな」

「そうだね。この前のシェンジャ祭りでも、王子殿下はリフ・カーフィラの様子を気にしていたという話だったから、普段通りにしていればいいと思うよ」

「そうそう、迷ったらユバか衛士さんの真似をしておけばいいのよ!私だってグロワールの正式な礼儀作法って言われたらわかんないわ」

「セリンちゃん、俺たちに投げるのかい?まあいいけれども」

茶化すセリンに苦笑する衛士の普段通りの対話を見て、ライテルは少しほっと息を吐いた。少し、緊張がほぐれたようだ。ユバは頷いて、担当者に続いて曲がり階段をのぼっていった。

担当者は城内2階の少し奥まったところにある、作戦会議室へ一行を案内した。大きな両開きの扉の前に立つと、担当者は扉をそっとノックした。

「王子殿下、失礼いたします。リフ・カーフィラ殿をお連れいたしました」

「ああ、お通ししてくれ」

扉の奥から、若く凛々しい男性の声がした。担当者が扉を開け、一行を中へ誘導する。リーダーのユバがまず一礼し、室内へ入っていった。続けてセリンがぺこりとお辞儀をし、衛士は入り口で軽く会釈をして、最後にライテルが衛士の真似をして軽く頭を下げて入室した。

作戦会議室には大きな木製の丸テーブルが設置され、その周りを囲うように大勢の軍人が着席している。彼らは軍人の中でも一定の地位にいる者たちだろう、その佇まいからは、それなりの地位にいる者のオーラを感じさせた。

そして上座には、鎧を纏ったひとりの若い男性が座っており、リフ・カーフィラが室内に入ると席を立った。それに合わせて、着席していた軍人たちも席を立つ。男は肩まで伸ばし整えた金髪に切れ長の碧眼、凛々しい顔立ちに確かな品格を感じさせる、王の風格を持っていた。

彼はリフ・カーフィラの姿をみとめると、両手を広げて微笑んだ。

「リフ・カーフィラ殿。此度は『フォンセット魔法科学研究所』の取り締まりにご協力いただき、感謝する」

会議室まで案内した担当者が、男を手で指して紹介した。

「聖グロワール王国第一王子殿下であらせられる、リーヴェラ・エイル・グロワール様でございます」

紹介を受けると、ユバは改めて一礼した。

「リーヴェラ王子、日頃より我々リフ・カーフィラを気にかけてくださり、感謝いたします。リーダーのユバと申します」

「大清蘭王国より参りました、セルリタと申します」

「唐沢 衛士と申します」

「ライテルです」

リフ・カーフィラがそれぞれ名乗ると、リーヴェラ王子は4人ひとりひとりと握手を交わした。ライテルは自分にとって雲の上の存在である王子殿下と握手を交わし、どこか現実味のない顔をしていた。

リーヴェラ王子はリフ・カーフィラの面々を眺め、どこか感激したような表情で言った。

「このような場面でなければ、両手をあげてリフ・カーフィラ殿との対面を喜んだところだ。

 話は聞いている。スノーベア事件を筆頭に、様々な事件において国に貢献してくれているリフ・カーフィラ殿には、私の感謝の言葉程度では足りないほどだ。

 此度も我が軍の力不足により、協力を願う形になり申し訳ないが、ぜひともその力を貸してほしい。よろしく頼む」

「こちらこそ、王子殿下からそれほどのお言葉をいただけるとは、身に余る光栄でございます。我々にできることがございましたら、何でもお申し付けくださいませ」

「うむ、感謝する。では、席についてくれ。これより、取り締まり会議を開始する」

「失礼いたします」

軍人たちがリフ・カーフィラに一礼して着席し、リフ・カーフィラも4人分用意された席に座る。リーヴェラ王子の隣にユバが座る形となり、リーヴェラ王子はよほどユバを気に入ったのだろうと衛士は内心で微笑んだ。自分たちのリーダーが王子殿下に評価されることは、純粋にうれしかった。

「では、まずフォンセットの位置から確認しよう。フォンセット魔法科学研究所は、わが国北東のヴァイス地区の奥地にある」

リーヴェラ王子が、テーブルに広げた大きな地図の上に駒を置く。その場所を見て、ライテルは「あれっ」と声をあげた。

「ここって、クルークの生息地……」

「ああ、たしかに。機械部品の不法投棄場があるところだね」

「うむ、我々も確認した。まさにその不法投棄場のすぐ近くに、研究所が建っている。部品の不法投棄も、おそらくこの研究所の仕業だろう。

 まずは取り締まりにあたり、この建物の大まかな間取りを把握したい。リフ・カーフィラには占いができるフラワシがいると聞いているが、間取りの占いは可能だろうか?」

リーヴェラ王子がリフ・カーフィラに視線を向けると、ユバが軽く手をあげた。

「はい。フラワシは私です。

 たしかに間取りの占いは可能ですが、フォンセットは黒龍の一部、フォンセットの中にもフラワシがいる可能性があります。その場合、過度に突っ込むと占いを勘づかれて逃げられる可能性もございます」

「ふむ……なるほど」

リーヴェラ王子は少し考えたが、すぐに頷いてユバに指示を出した。

「ではユバ殿、間取りの占いを頼む。ひとまず、相手に勘づかれないギリギリの範囲内で占ってみてほしい」

「承知しました。

 それと、私がフラワシであることは、作戦上必要な場合を除き、この場だけの機密事項にしていただけますと幸いです」

「うむ、約束しよう。では、頼む。

 皆の者、フラワシによる占いだ。しかと見よ」

ユバは占い道具を出すと、一息つき、意識を集中させた。ユバの周りでカードが宙を舞い、くるくると回転する。ユバが目を閉じ、そのカードを1枚引いては絵柄を確認し、手元の紙に図面を描いていく。軍人たちは、貴重なフラワシの占いの場面を、息を呑んで見守っていた。ユバは透視でもしているかのように、すらすらと図面を描き上げていく。

すると、ユバがはっと息を吞んだと同時に、衛士が勢いよく席を立ち、刀に手をかけた。衛士の座っていた椅子が派手な音を立てて転がっていく。軍人たちも、ライテルもセリンも驚いて衛士を見た。衛士は刀に手をかけたまま、慎重に辺りを警戒している。ユバは片手で頭をおさえると、衛士に声をかけた。

「衛士さん、よく気付いた。大丈夫だ、ここに敵はいない。刀をおろしてかまわない」

「……平気かい?」

「ああ、大丈夫だ。これは、向こうからの“挑戦状”だ」

衛士が一息ついて、戦闘態勢を解く。殺気をおさめ、自分が転がした椅子を元に戻す姿を見て、軍人たちも安堵のため息をついた。リーヴェラ王子はユバに尋ねた。

「ユバ殿、ミスター・衛士は……」

「衛士さん……唐沢 衛士は光煌が誇る剣豪で、僅かな気配も敏感に察知します。

 私が占った際、フォンセットからの『挑戦状』を受け取りました。その気配を察知して、敵と判断したのです」

ユバは衛士に向き直った。

「衛士さん、驚かせたな。よく気付いてくれた、さすがだな」

「いや、何事もなくてよかったよ。それで、結果はどうだったんだい?」

衛士は何事もなかったかのように、すとんと席に座る。ユバは頷いて、その場にいる全員に結果を示した。

「まず間取りからいうと、フォンセットは3階建てで、地下があります。

 この地下の間取りを占おうとすると、フラワシによる強力な防御壁に当たりました。おそらく地上階よりも地下に重要なものがあるか、地下に清蘭本部への逃げ道があると推測されます。

 リーヴェラ王子、駒を」

「うむ」

ユバはリーヴェラ王子から駒を借りると、ルイン地区の拝火神殿のある場所に、駒をひとつ置いた。

「また、この研究所の地下から、ルイン地区の遺体発見現場につながっていることがわかりました。

 おそらく研究所で人体実験を行い、その失敗作をこのルイン地区に運んで処分していた、

 あるいは『レイジーさま』を実行しにきた者を、このルイン地区の拝火神殿から研究所へ連れ込んだ時に利用したと考えられます」

「なるほど、地下か……では作戦の際は、地下を重点的にあたるとしよう。

 して、『挑戦状』というのは?」

ユバは頷いた。

「はい。フォンセットから受けた『挑戦状』についてですが、結論から言えばこちらの占いは勘づかれてはおりません。これはフォンセットを占った者に自動で送られる挑戦状で、フォンセット側は誰に挑戦状を送ったかは把握できない仕様になっております。つまり、フォンセットを占うフラワシに公開しているものとなります。

 その中身は……地上2階の実験室で、手術台の上に固定した被害者の腹を捌き、内臓を取り出し、その中に例の機械を埋め込んでいる映像でした……」

その場にいた軍人たちが、顔を青くした。その映像を直に見たユバも、少し顔色を悪くしていた。しかしユバはすぐに気を取り直して、顔をあげた。

「どうやらフォンセットは、この人体実験を通して何かを成そうとしているようです。地上階にはとくに防御壁は張られておらず、資料室などの場所も判明しました。私見ですが、フォンセットは自らを占う者たちに、何かを伝えようとしているように感じました。こちらが、占いの結果です」

ユバは完成した間取りをテーブルに差し出した。1階がエントランスや会議室、2階が実験室や資料室、3階が所長室となっているようだが、地上階よりも地下の方が、規模が大きなように記されていた。

リーヴェラ王子は間取りを見て、頷いた。

「うむ、なるほど。ユバ殿、さすがは噂に聞く強いフラワシだ。これほど精度の高い占いができる者は、国内にもそういないだろう。感謝する」

リーヴェラ王子はユバに礼を言うと、軍人たちに向き直った。

「では諸君!これより組み分けを行う!

 まずはアパト!貴殿の班はルイン地区の拝火神殿から進軍せよ!そこから地下を通じてフォンセットへ向かい、退路を塞ぐのだ!」

「はっ!承知いたしました」

「続いてドロア、イアルド、カイヤ!貴殿らの班は地上階の捜査にあたり、職員の逮捕と資料の押収、被害者が生きていれば救出にあたれ!証拠品を押収し、世間に『レイジーさま』の危険性を周知させる大切な任務だ。戦闘も充分に想定される、慎重に、かつ迅速に任務にあたるように!」

「承知しました!」

「その他の班、およびリフ・カーフィラ殿は、私とともに地下を取り締まる!地下の規模は未知数だ。戦闘の際は極力職員たちを生かして捕らえよ!しかし、やむを得ない場合はこの限りではない。皆、自分の命を最優先に行動するように!」

「はっ!!」

「御意!!」

「承知いたしました!!」

「リフ・カーフィラ殿は、私と行動を共にしてほしい。トーマスの契約書によれば、フォンセットの所長の名こそがレイジー、世間に広まっている『レイジーさま』の正体だ。

 彼奴はおそらく地下にいる。地下で何が待ち受けようとも、必ずレイジーを逮捕し、グロワールに巣食う黒き龍を駆逐しよう。どうか、私とともに戦ってくれ」

リーヴェラ王子はそう言って、ユバに右手を差し出した。ユバはその手を、たしかに握り返した。

「承知いたしました。我々リフ・カーフィラ、お供いたします」


+++


会議室に集まった軍人たちは直ちに部下を集め、作戦を説明し、出陣の準備にとりかかった。王城区広場に軍人たちが列を成し、その先頭でリーヴェラ王子が馬に乗る。リフ・カーフィラの4人は、王子の両隣を固めるように、2人ずつそばについた。

リーヴェラ王子率いる軍は、大通りをゆっくりと闊歩し、フォンセット魔法科学研究所へ向かっていく。その様子を、大勢の人が道を作りながら見送った。ライテルはその群衆の中に、リリ地区の酒場の仲間たちの姿を見つけた。酒場のマスターと踊り子たちが、ライテルの視線に気づいて大きく手を振る。ライテルは心からの笑顔を返すと、気を引き締めて行進に続いた。

軍の行列は、やがて研究所の前に辿り着く。フォンセット魔法科学研究所の門には、すでに数名の兵士が待機しており、リーヴェラ王子が馬をおりると、馬を預かって引き下がった。

リーヴェラ王子は、黒い屋根をかぶった研究所の建物に歩み寄り、その門を勢いよく開いた。

「動くな!聖グロワール王国軍である!!

 王国の名において、この研究所を取り締まる!抵抗する者に容赦はせぬ、大人しく投降せよ!!」

広いエントランスの受付には数人の女性、階段からは何人かのスタッフらしき人物が、それぞれ武器を携えていた。どうやら投降する気はないらしい。リーヴェラ王子は号令をかけた。

「総員、かかれ!!」

軍の兵士たちは雄叫びをあげ、抵抗の意思を見せるスタッフたちの取り締まりにかかった。ユバはリーヴェラ王子に続いて、地下へ続く階段へ向かいながら、それとなくスタッフたちを観察する。地上階のスタッフの中に、フラワシがいる気配はない。地上階の取り締まりは、兵士たちに任せておけば大丈夫だろう。ユバは念のため、リーヴェラ王子に声をかけた。

「殿下、地上階にフラワシはいないようです。力の強い者は地下にいる可能性が高い、気を引き締めてまいりましょう」

リーヴェラ王子は、その言葉を受けて頷いた。

「うむ、承知した。報告、感謝する」

そして、地下へ向かう兵士たちに命じた。

「これより地下を取り締まる!予定通り、抵抗する者は極力生かして捕らえよ!!」

「はっ!!」

兵士たちは威勢よく返事を返し、斥候の班が最初に地下への階段を降りていった。

と、斥候の班員たちが階段を降りきり、地下の様相を見たと同時に、さっと顔から血の気を引かせ、戦意を喪失したような悲鳴をあげた。

「う、うわああああああああああああああっっっ?!?!」

「ひいっ……!!」

その悲鳴の直後、斥候の兵士たちは、地下から飛んできた巨大な炎の玉に焼き焦がされた。人の肉の焼ける臭いが、様子を見ていたリフ・カーフィラ、リーヴェラ王子の鼻を掠める。すかさず、ユバが叫んだ。

「魔法だ!私が先に行く!!」

そしてユバは、さっと左手を振りかざした。リフ・カーフィラやリーヴェラ王子、地下へ向かう兵士たちの前に、一瞬、魔法でできた丸い壁が現れる。それはすぐに輝きながら消えていき、兵士たちは思わず目をこすった。

ユバはリーヴェラ王子に振り返った。

「殿下、魔法が確認されました。ただいま、魔法防御壁を全員に張りました。これである程度は、ダメージが軽減されるでしょう。

 これより私が先頭を行きます。殿下はライテルに続いていただけますか。ライテル、しんがりを頼む」

「りょーかいっ!!」

ライテルは両手に短剣を構えて、戦闘態勢に入った。リーヴェラ王子は、ユバの言葉に頷いた。

「うむ、承知した。ユバ殿、くれぐれも注意して地下へ臨むように」

「承知!衛士さん、セリン、続いてくれ!」

「御意」

「了解!!」

衛士はいつでも抜刀できるよう刀を構え、セリンは槍を手に頷いた。ユバは一瞬、左手の指をこめかみに当てて目を閉じたが、すぐに頷くと、階段を駆け下りた。衛士が素早くそれに続き、その後をセリン、ライテルが追っていく。リーヴェラ王子がライテルに続いて階段に足をかけたところで、ユバは階下に広がる光景を見て、息を呑んだ。

そこは、幅、奥行きともに30m、高さ5mほどはある広い部屋だった。その部屋の奥に、巨大な肌色の丸いものが鎮座していた。

その丸い物体からは無数の人の手と足が生え、いくつもの誇大化した眼球が至るところに埋まっている。人の口の形をしたような穴が各所に空いており、人を3人ほどは食べられそうなその空洞の中からは無数の人の顔が埋まっているように見えた。埋まった顔は皆一様に苦悶の表情を浮かべており、不気味な低い唸り声をあげていた。思わず一瞬立ちすくむユバの肩越しにそれを見た衛士は、顔を引きつらせて冷や汗をかいた。

(―――バケモノ!!)


無数の巨大な眼球はまっすぐにユバに狙いを定め、口から巨大な炎の玉を吐き出した。炎の玉はまっすぐユバに向かって飛んで行く。ユバは部屋に入り前進しつつ、左手を胸の前に掲げた。魔法の防御壁が光り輝き、炎の玉を打ち消した。衛士たちがユバに続いて部屋に入る。リーヴェラ王子と軍の兵士たちは、鎮座する丸いバケモノの姿に絶句し、顔を青くした。

「な……なんだ、これは……!!」

「ま、魔物……?!いや違う、バケモノ……?!」

兵士たちがバケモノを見て、半ば戦意を喪失しかけた声を出す。リーヴェラ王子を守るように前に出たライテルが、青ざめながら身構えた。

「なっ……んだよ、これ……!!」

肌色の丸いバケモノは、いくつもある口を開けて、低くおぞましい雄叫びをあげる。そのあまりに不気味な響きに、一行は怯んで立ちすくんだ。

ふと、丸いバケモノの背後から、ひとりの人間の男が姿を現した。眼鏡をかけた、いかにも研究者といった出で立ちのその男は、狂気に歪んだ笑みを浮かべて、眼鏡の位置を直した。

「王子殿下。ようこそ、我が研究所へ。

 フォンセット魔法科学研究所、所長のレイジーと申します」

レイジーと名乗ったその男は、右手で優雅にお辞儀をし、グロワール式の礼を見せた。リーヴェラ王子は鎧の内側で冷や汗をかきながら、努めて冷静な声で問いかけた。

「……貴様がレイジーか。答えよ、貴様はここで何をしていた」

「もちろん、研究ですよ。このレイジー、そして『黒龍』が望む、最強の兵士の研究をね」

「……なんだと?」

レイジーは両手を広げ、朗らかな笑顔で口を開いた。その顔は、まさに狂気に満ちていた。

「我らが崇める闇の女王、『黒龍』が望む最強の兵士!

 それは機械のように、死ぬことなく永遠に戦い続ける人間の創造!!

 人間の思考と不死身の肉体を持った、全く新しい生命体!!それこそが、『黒龍』の望みなのです!!

 女王は4国の掌握をお望みだ、それには王室が、王宮が、軍が邪魔になる。

 わざわざ出向いていただいて、感謝いたしますよ、王子殿下。

 貴殿の命を頂戴できれば、グロワールは黒龍の手に入る!!」

「そのために作ったのが……このバケモノだというの?!」

槍を構えながら、セリンが叫んだ。努めて冷静に、湧き上がる怒りを抑えようとしていた。

「バケモノとは心外だね、お嬢さん。

 この『イデア』は何よりも美しい、最強の生命体だというのに」

「『イデア』……?」

「そうとも!この『イデア』は幾多の実験を乗り越え、ようやく生まれた、初の成功個体だ!!

 人間と同等の思考を持ち、さらに最新の魔法科学技術による強力な魔法も扱える!!

 幾多の人間を合成して作った素体に、生命維持に必要な機械を埋め込むことで、永遠に動き、戦い続ける!まさに最強の生命体なのだよ!!」

レイジーは晴れやかな笑顔で声高に叫んだ。その姿は、まるで自分の崇高な持論を展開する高貴な政治家のようでもあり、その様がかえって、見る者に狂気を感じさせた。

イデアが、低い唸り声をあげる。苦痛に満ちたその声に、衛士がぎりりと歯を食いしばりながら呟いた。

「……人間と、技術に対する冒涜だ……!!」


「さあ、イデアよ!!お客人たちをもてなして差し上げなさい!!」

レイジーがリーヴェラ王子を指して叫ぶと、イデアはひときわ大きな雄叫びをあげた。球体の身体から生えた無数の手や足を動かし、身体の向きを変え、いちばん大きな口がリーヴェラ王子に向くように向き直った。そして、無数の手足をしゃかしゃかと気味悪く動かしながら、リーヴェラ王子めがけて突進してきた。

兵士たちが前に出て、リーヴェラ王子を守るように武器を構えてとびかかる。イデアは走りを止め、身体から生えた無数の手を触手のように伸ばし、何人かの兵士を捕らえる。腕や頭を掴まれた兵士たちは、何かを叫びながら必死に抵抗した。しかし、掴まれた状態ではうまく動けず、拘束を解くことができない。イデアの手の力は強く、掴んだ兵士たちをそのまま口へ運ぼうとする。

ふと、兵士たちの目の前を、赤い影が風のように通り過ぎ、イデアの腕がすぱっと斬れた。斬れた腕は力なく兵士たちの身体から崩れ落ち、イデアは痛みで苦悶の声をあげる。兵士たちが影を目で追うと、そこでは着地したセリンがイデアに向き直り、槍を構え直していた。槍の穂先からは、イデアの赤い血が滴っていた。

「油断しちゃダメよ!掴んでくる腕に注意して戦いましょ!!」

「ありがとうございます!!」

「感謝します!!」

兵士たちはセリンに礼を言い、再び武器を構え直した。

別の兵士たちが剣や槍でイデアの身体を傷つける。身体の表面は人肌のように柔らかく、肉を斬り裂く感触も、人を斬った時のそれだった。兵士たちは『人を斬る』という感触に、思わず一瞬すくみあがった。

イデアが口から炎の玉を吐けば、ユバが魔法の防御壁でそれを防いだ。先ほど兵士たちが傷つけたイデアの傷口はみるみるうちに再生し、セリンが斬り落とした腕も、すっかり元の姿に戻っていた。戦う兵士たちの表情に、ためらいの色が見えた。本当に、このバケモノを退治していいのか?自分たちは、人を殺すことにならないだろうか?その恐怖で、攻撃がいまひとつ冴え渡らないように見えた。

ユバはひとつ頷いて、リーヴェラ王子のもとへ駆け寄った。

「リーヴェラ王子、提案があります!衛士さん、来てくれ!!」

衛士は自分に伸びてくる触手のような腕を斬り落としながら、イデアの様子を見ていたが、ユバの声に刀を納め、ユバのもとへ駆け寄った。

「どうなされた、ユバ殿」

リーヴェラ王子は、ユバを見下ろして問いかけた。ユバは衛士がそばに来たのを察すると、リーヴェラ王子に進言した。

「おそらくイデアは、体内の機械を壊さない限り、無限に再生し続けます。

 このままではジリ貧です。一斉攻撃を仕掛け、イデアが弱った隙に、真っ二つに斬り裂くのが良いと思われます。衛士さん、できるな」

「ああ、お任せを」

ユバの信頼に応えるように、衛士は迷いなく頷いた。それを見て、リーヴェラ王子も決意を固めた。

「うむ、進言感謝する!ではミスター・衛士、頼んだぞ」

そう言うと、リーヴェラ王子は兵士たちに号令をかけた。

「諸君!!イデアに一斉攻撃を仕掛けろ!!イデアを弱らせ、回復の隙を与えるな!!一気に仕留めるぞ!!」

リーヴェラ王子の勇ましい声に、兵士たちは士気を高めた。兵士たちの顔からためらいの色が消え、彼らの表情からは徐々に勇気がにじみ出る。イデアを倒す。その意志が兵士たち一人ひとりに宿り、兵士たちは自然と、声高らかに叫んだ。

「おおーーーーーーーーーーーーっっ!!」

その声を受けて、セリンは炎の玉を避けながらニッと笑った。

「いいじゃない、やる気が出てきたわね!!」

「一斉攻撃だな、了解!!」

ライテルも短剣を構え直し、素早い動きでかまいたちを発して、自分に伸びてくる腕を斬り落とす。ライテルとセリンはそのままイデアに接近し、息を合わせて目と口の間の一点を集中して攻めた。肉が細切れになってぼろぼろと崩れ落ち、そこから真っ赤な鮮血がどくどくと流れ出る。イデアが苦悶の声をあげる。その深い傷口が、ふとパキリと音を立てて凍り付いた。

ユバが左手を構え、魔力を高める。同時に、叫んだ。

「全員、下がれ!!」

その声を受け、全員がイデアから一歩下がる。その次の瞬間、イデアの真下の床から灼熱の火柱があがり、イデアを焼き尽くした。火柱の轟音とともに、イデアの悲鳴が木霊する。イデアはその場で悶絶し、手足をばたばたと動かしながら焼かれていく。人の肉の焼ける嫌な臭いが、部屋中に充満した。

やがて火柱がおさまると、イデアは力なくずしりと地に伏せた。全身が焼け焦げて黒くなり、ぶすぶすと煙をあげる。大きな口から、真っ黒な煙をげほりと吐き出す。ライテルとセリンが一点集中で攻めた箇所からは、体内の機械の表面が顔を覗かせていた。

衛士がひとっ飛びで、イデアとの距離を詰める。刀を抜き、一閃。イデアを斬り裂いた。

イデアは削られた傷口から真っ二つに斬られ、切り口からずるり、と身体が重力に従ってずり落ちていく。衛士が刀を納めると同時に、斬られた身体の上半分がでろりと床にしなだれ落ちた。切り口からは真っ二つになった機械が覗き、精密に作られたそれはパチパチとはじける音を立てたあと、勢いよく爆発した。

ユバが防御壁で全員を爆風から守る。爆発がおさまり、煙が晴れていく。兵士たちがイデアのいたところを見ると、そこには爆発して粉々に散った肉片と、機械の欠片が散らばっていた。

レイジーはそれを見て、顔を真っ青にしてがくがくと震えた。力なく膝をつき、そんな、あり得ない、と、うわごとを繰り返す。リーヴェラ王子が彼の手に、捕縛用の縄をかけた。

「聖グロワール王国軍の名において、貴様を逮捕する」


+++


フォンセット魔法科学研究所は、軍の取り締まりを受け、検挙、そして閉鎖に至った。

研究所では、『レイジーさま』の儀式を行った人々を捕らえ、その内臓を抜き出してイデアに食べさせ、内臓の代わりに機械を埋め込むことで不死の兵士を作ろうとしていた。その膨大な数の死体や資料が押収され、非人道的な実験の全貌は、記者たちの号外を通じて瞬く間に国中に広まった。人々は、何気ないおまじないから行われていた凶悪な実験に恐怖し、王城区の学校に通う子供を持つ親たちは、子供たちにおまじないの恐ろしさを、口を酸っぱくして伝えた。

同時に、リーヴェラ王子の意向で、検挙にあたってのリフ・カーフィラの活躍も、号外に事細かに記された。王子や兵士たちの証言からまとめられた武勇伝もまた国中を駆け巡り、リフ・カーフィラの借家には、感謝の手紙やファンレターじみた手紙がどっさりと届けられた。リフ・カーフィラの面々はその一通一通に目を通すと、大切に木箱にしまい込んだ。

後日、リフ・カーフィラは王室に呼び出され、リーヴェラ王子より感謝の気持ちを込めた表彰盾が贈られた。式典には王城の兵士たちが集い、王子から盾を受け取るユバの姿に、全員が惜しまず拍手を送った。リフ・カーフィラには多額の報奨金が支払われ、また、今後のグロワール王国内における諸税の減税も約束された。

ユバはその賛辞をありがたく受け取り、報奨金は4人で相談のうえ、一部をジマとシターの孤児院に寄付、残りは全てライテルの実家に寄付することにした。ライテルは最初こそ遠慮していたが、ユバに説得され、最後にはありがたく受け取った。


12月の半ば。リフ・カーフィラは仕入れた商品を荷車に詰め、ラクダにつなげた。グロワールでの商売を終え、砂漠を越えた先にある、大清蘭王国へと旅立つのだ。

旅立ちの日はリーヴェラ王子の意向で大々的に報じられ、大勢の国民が見送りのために、国境門の前に集まった。ジマとシター、ギルバートとシャルル、シェリーナとシフル、マリー、リリ地区の酒場の面々や、トーマスなどのいつもリフ・カーフィラと取引をしている業者、様々なお客たちが集まり、その中心ではリーヴェラ王子が、リフ・カーフィラが荷造りを終えて表に出るのを待っていた。

やがて、リフ・カーフィラの4人がラクダを率いて表に出ると、見送りにきた国民たちの大きな拍手と歓声がリフ・カーフィラを包み込んだ。リーヴェラ王子がユバに歩み寄り、ユバもまた、リーヴェラ王子と対面した。

「リフ・カーフィラ諸君。諸君の滞在中、わが国は諸君に大いに助けられた。改めて、礼を言わせてほしい」

「リーヴェラ王子、お見送り、ありがとうございます」

「諸君のおかげで、黒き龍はこの国から去った。今後、グロワールはさらなる平和と発展を手にするだろう。

 リフ・カーフィラには感謝してもしきれない。またグロワールに立ち寄った際は、ぜひその腕を振るい、市場を盛り上げてくれ」

「ありがたいお言葉の数々、光栄です。今後とも、皆様のお役に立てますよう、精進してまいります」

「うむ!」

リーヴェラ王子とユバは、改めて握手を交わす。そして互いに名残惜しそうに手を離すと、リーヴェラ王子は国民たちに声をかけた。

「リフ・カーフィラが出立するぞ!!諸君、盛大な拍手を!!」

砂漠へと向かう門が開かれ、国民たちが大きな拍手を送る。その拍手と、飛び交う賛辞の言葉を背に受けながら、ユバが先頭を行き、ラクダを率いて門を出て行く。ライテルとセリンは国民たちに大きく手を振り返しながら、衛士は穏やかな笑みを浮かべて、国民たちに見送られながら、王国を旅立っていった。


前の列で見送っていたジマは、砂漠へと向かっていくリフ・カーフィラに、割れんばかりの声援を送った。そして、門が閉じられてその背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと、その姿を目に焼き付けるように、最後まで目を離さなかった。

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