第4話:人形祭り

「シェンジャ祭りだ!!」

ライテルはうれしそうに声をあげた。他の3人が顔をあげる。バザールの屋根の下で、ライテルが身を乗り出して遠くを見ていた。視線の先には、祭りの開催を知らせる踊り子たちの姿があった。リズミカルな音楽に合わせて、踊り子たちが優雅に舞う。ライテルもくるくると身を翻らせた。

「シェンジャ祭り、か。ザラスト教圏のお祭りだったね」

「そう!祭りの時期はグロワール、清蘭、スールエで違うけど、グロワールでは今が時期なんだよな!!」

「へえー、グロワールってこの時期にお祭りをするのね」

お客たちも、踊り子たちに目を奪われている。通りを往く踊り子を見て、衛士はふむ、と声を漏らした。

「シェンジャ祭り、名前は知っているけれど、この目で見るのは初めてだなあ」

「光煌はザラスト教の国ではないからな」

衛士のそばに、ユバが寄ってくる。

「もともとは、どういうお祭りなんだい?」

衛士がユバをそっと見下ろすと、ユバは頷いた。

「シェンジャ祭りは、ザラスト教における“聖火の祭り”だ。

 衛士さんも知っての通り、ザラスト教は聖なる炎に信仰を捧げる宗教だが、

 シェンジャ祭りは年に一度、その国の国王が聖なる炎に感謝を捧げ、さらなる繁栄を願う祭りのことを言う。

 どの国でも共通しているのは、国王が聖なる炎に感謝を捧げる儀式であることだが、細部は国によって異なっている」

ライテルがひょこりと顔を出す。

「そう!グロワールのシェンジャ祭りは11月の下旬から12月の頭ごろにやる、年末行事って感じなんだ。

 王城の庭や広場に生花をぶわあーって敷き詰めて、盛大にやるんだよ!!」

「その生花、お祭りが終わったあとは、ほしい人にくれるらしいわね」

「そうそう!王城が用意してる花で、それは税金で買ってるからって理由で、ほしい人にはタダでくれるんだよ」

「なるほど、華やかだねえ」

「グロワールのフラワーカーペットだな。私も過去一度見たが、一面に花が敷き詰められた王城の庭は圧巻だった」

故郷の祭りがほめられて、ライテルはうれしそうに頷いた。

「でさ、グロワールの祭りはもう1個独特なのがあってな。

 『人形祭り』ってのがあるんだ」

「人形?」

衛士が聞き返すと、ライテルはにかっと笑って頷いた。

「そう!グロワールではシェンジャ祭りで、長い間世話になって使えなくなった品物や古くなった人形なんかを、聖なる炎で燃やして天に送り届ける儀式をするんだ。

 そのでっかい炎の周りで、みんなで踊るんだよ!」

「もともとは昔のグロワール国王が、長い間世話になった人形を聖なる炎で燃やして、人形に感謝を捧げたという逸話から始まったといわれている。

 光煌でいう『供養』の概念と似ているだろう」

「なるほど、まさしく供養だね」

衛士がふむふむと理解を示す。踊り子たちの姿を見て、心なしか通り往くお客たちもどこか浮き足立っているように見えた。

「グロワールのお祭りは私も楽しみ!パーッと楽しみたいわね」

「その人形祭りでみんなで踊るのが楽しいんだよ!当日になったらみんなでやろうぜ!!」

ライテルは鼻歌混じりに、上機嫌な様子で言った。賑やかな行事が好きな男だ、今度の祭りも楽しみにしているのだろう。


そんな話をしていると、バザールにひとりのお客がやってきた。

「もし、少しよろしいですか」

美しい女性の声がした。そちらに視線を向けると、身なりのいい女性がひとり、不安そうな顔をして立っていた。後ろにはお付きらしい兵士がひとり。ローズベージュの上質なドレスを纏い、同じくローズベージュのハットには白い薔薇飾りがあしらわれている。そのふわりとしたエレガントな立ち振る舞いは、本来ならこの地区には姿を現さない上流階級の者であることを言外に示していた。

いちばん近くにいたセリンが声をかけた。

「いらっしゃいませ!何をお探しでしょうか」

女性はセリンの笑顔にほっと少し胸をなでおろした。

「私、シェリーナと申します。エレワ地区の者でございます」

シェリーナと名乗った女性は優雅にお辞儀をした。エレワ地区は王城区の隣に位置する一等地で、いわゆる高級住宅街であった。様子を見ていた衛士がふと兵士と目が合い、互いに会釈をした。兵士も弱くはなさそうだ。衛士は兵士の振る舞いをそれとなく見ていた。シェリーナが用件を切り出した。

「恐れ入りますが、こちらで人形を買い取りませんでしたか?」

「人形……ですか?」

セリンが3人の方を振り向く。人形を買い取ったという話は聞いていないが、3人の反応を見るに、このキャラバンで人形を買い取ったことはないようだった。

「そうですか……リフ・カーフィラにもないとなると……」

「人形をお探しですか?」

衛士がそっと話しかけると、シェリーナは困ったように頷いた。

「ええ。今度のシェンジャ祭りで、古くなった人形を処分する予定だったのですが、処分する前にその人形が行方不明になってしまって……

 お別れの前に髪を梳かしてあげたかったので、探しているのですが、どこを探しても見つからないのです」

「人形が、行方不明に……」

「もし窃盗だとしたら、古いけれど質のいい人形なので、どこかのキャラバンに売りさばいているかも、と思いまして、キャラバンをあたっていたところだったのです」

「そうでしたか……お人形の特徴を伺っても?」

「はい。ウェーブのかかった長い金髪に、緑色のドレスを着た女の子の人形です。

 アンティークで、ドレスも特注のものなので、売ればおそらく高値がつきます」

セリンがメモをとる。ユバも奥でその話に耳を傾けるが、他のキャラバンからもそのような話は聞いていない。キャラバンをあたっても望みは薄いだろう、とユバは内心で考えた。

「できれば取り返したいので、もしそのような人形を見かけたら、エレワ地区のエバンズ邸までご連絡いただけないでしょうか」

「承知いたしました。もし見かけましたら、お届けいたしますね」

セリンが人懐っこく笑うと、シェリーナは安心した様子で微笑んだ。

「お時間をいただいてありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします」

「ありがとうございました、またお越しくださいませ」

4人はシェリーナと兵士を見送った。通りに馬車を用意していたようで、近くに停まっていた馬車に乗り込んでいった。ライテルが頭の後ろで手を組んだ。

「エレワ地区のお客様が、わざわざこの通りに来るなんてな」

「このあたりには、あれくらいの上流階級の方は来ないわよね?」

「来ない来ない。あれくらいになると、御用達のキャラバンが御用聞きに行くんだよ。うちだって、御用聞きに行ってる家とかあるだろ」

「それもそうね。それでもわざわざ自分から足を運ぶなんて……」

「その人形のことが、よほど気にかかっているのだろうね。見つかるといいね」

衛士の言葉に、ユバも頷いた。


しばらく店を開けていると、小さなお客がやってきた。

「にゃーん」

白い毛並みのそのお客は、カウンターの隙間をすり抜けて、衛士の足元で腰をおろした。声を聞いた衛士が足元を見下ろすと、お客は笑顔でもう一声鳴いた。衛士は顔をほころばせた。

「おやおや、いらっしゃいませ。かわいらしいお客様だね、何をお探しかな?」

「にゃーん!」

衛士が指を差し出すと、お客はすんすんと指のにおいを嗅ぐ。そして、すいーっと指に頬をすりつけた。そのまま衛士が頭を撫でると、ごろごろと喉を鳴らした。

「あらあら、衛士さんをご指名かしら。かわいいわね」

他の客を見送って手が空いたセリンが、小さなお客を見下ろした。お客は尻尾をピンと立てて、笑顔でセリンに返事をした。

「たしか、今朝の白身魚の切り身がまだ余ってたね。あれをあげてもよければ、ひとつご馳走しようか」

「そうね!お持ちしましょ」

セリンがるんるんと上機嫌に借家へ入っていく。ほどなくして、小さな皿に切り身を盛って戻ってきた。セリンはそのまま、皿を衛士に渡した。

「はい、衛士さんがあげた方がお客様も喜ぶわよ」

「はは、そうだといいねえ」

衛士はそのまま、お客に皿を差し出した。お客は目をキラキラさせて、うれしそうに切り身を見つめた。

「どうぞ、お召し上がりください」

そう言ってお客の頭をひと撫ですると、お客は衛士を見上げてうれしそうに一声鳴いた。そして切り身に口をつけ、美味しそうに食べ始めた。商品を見ていた別のお客が、その様子を微笑ましそうに見ていた。

「リフ・カーフィラは猫ちゃんのお客さんにも優しいのねえ」

「うふふ。衛士さん、猫ちゃんのお客様に好かれるんですよ」

「あらあら、それはステキねえ。猫ちゃんもお目が高いわね」

女性2人でにこにこと、切り身を食べるお客を眺める。やがてお客が切り身を食べ終えると、口元を掃除して、衛士に「にゃーん!」とお礼を言った。


+++


翌日。朝、リフ・カーフィラの4人はいつものように朝食をとっていた。パンとスクランブルエッグ、サラダ、ベーコン。そのそばには白い味噌汁がちょこんと添えられている。光煌の出身で、今まで和食を中心に摂っていた衛士が、洋食続きでストレスにならないようにと、必ず1品は和食を入れるのがリフ・カーフィラのルールだった。ユバやライテルも味噌汁の優しい味を気に入り、セリンは味噌の美容効果に着目して、4人とも丁寧に出汁をとった味噌汁は喜んで飲んだ。

「お味噌汁っていうのはいい料理よねえ。お腹にも優しいし、香りもいいし」

「光煌人はこの味噌汁の出汁の香りでお腹がすくんだよねえ」

「あー、なんかわかる気がする。この独特な香りはたしかに腹が減る」

「光煌の食も清蘭に負けじと美味しいからな。国の特色がよく出ていて、私は好きだ」

4人で、温かい味噌汁を啜る。かつおと昆布の出汁が優しい味わいを作り、白味噌の甘味がふんわりと広がって、光煌人でなくともほっとする心地を覚える味わいだった。


朝食を味わっていると、にわかに外が騒がしくなった。まだ朝も早いのに、窓の外では大勢の人が集まっているようだった。

「あら、何かしら」

「まだ朝市の時間だよな……?港とかならわかるけど、ここは港じゃないし」

「何か事件でもあったかな?」

「オレ、ちょっと見てくるよ」

ライテルが立ち上がり、様子を見ながら外に出る。窓の外で、近くの人に話しかけているのが見える。しばらく話していると、ライテルは頷いて、借家に戻ってきた。手には新聞を持っていた。

「号外だってさ」

「号外?この朝早くから?」

「そうそう。ほらユバ」

ライテルがユバに新聞を渡す。隣でセリンが新聞を覗き込むが、清蘭漢語以外はわからないセリンには、新聞の文字は読めなかった。それに対して、語学力に長けるユバは各国の文字を読むことができる。新聞を読んで、ときどき小さく頷いた。

「……なるほど。たしかに大きな事件だ」

「なになに?なんだったの?」

ユバはテーブルに新聞を広げて、言った。


「このグロワールの各地で、石化した人が見つかった、という事件のようだ」


セリンと衛士は驚いた顔をした。

「石化?」

「ああ。軍のフラワシによれば、石化は魔法の一種のようで、国内のフラワシにはこれを治せる者はいないそうだ。

 被害に遭った人はグロワール国内で10数人発見されている。地図上では、これといった共通点はないらしい」

「魔法の一種……ユバ君の魔法では治せそうかい?」

「いや、私も自信はない。たしかに私は治癒の魔法は使えるが、石化を解くのは治癒とはまた別の魔法だ。私では役に立てないだろう」

「ユバにも使えない魔法はあるのね……」

「近くの人にも話を聞いたけど、石化した人はみんな、昨日の夜までは普通に生活してたんだって。

 それが今朝起きたら石になってた、って話みたいだ」

「なるほど。事件の発覚から記事になるまでがずいぶん速いね。これがグロワールの最新技術、ということなのかな」

「軍も記者も朝からたたき起こされて大変だろう。……石化、か……」

記事を読みながら、ユバは少し考える。

「無事に解決するといいわね」

「…………そうだな」

朝食を摂り終え、それぞれ片付けに入っていった。


+++


今日もバザールは盛況で、様々な人が買い物に来る。リフ・カーフィラが来たとウワサに聞き、遠くの地区から時間をかけて買い物に来る人もいた。

今日のお客たちの話題は、石化した人の話で持ち切りだった。魔法を使うネズミの仕業だとか、森に住む魔女がもたらした呪いだとか、様々な憶測ともいえないウワサが飛び交っているようだった。

それらに耳を傾けつつ、リフ・カーフィラは今日も営業する。と、ひとりの女性がバザールにやってきた。商品を並べていたライテルが顔をあげる。そこには、青いドレスを纏った令嬢が、血相を変えて立っていた。

「お、恐れ入ります。こちらは、リフ・カーフィラのバザールでしょうか?!」

その少し焦った様子に、ライテルは少し驚きながら応対した。

「は、はい。そうですけど、どうかしましたか?」

「そ、そうですか!では昨日、シェリーナという女性がこちらに伺いませんでしたか?!」

「えっ?」

ライテルがもう少し驚く。奥からユバが寄ってきて、女性に優雅にお辞儀をした。

「お客様、ご来店ありがとうございます。リーダーのユバと申します。

 シェリーナ様というお客様をお探しですか?」

「は、はい!す、すみません、ちょっと落ち着きます……」

青いドレスの令嬢は少し顔を背けて、すー、はー、と深呼吸をした。ライテルがおろおろと、女性とユバの顔を交互に見る。

やがて女性がひとつ長く息を吐くと、少し恥ずかしそうに目を伏せた。

「と、取り乱してしまって申し訳ございません。私、エレワ地区のシフルと申します。シェリーナの婚約者です」

シフルと名乗った女性はドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀をした。ユバも改めてお辞儀を返した。同性同士の結婚は、今は珍しい話ではない。100年ほど前はタブーだったが、今ではどの国でも当たり前のことだった。シフルは用件を切り出した。

「実は、今朝……シェリーナが石化しているとの報せを受けまして……」

「えっ?!」

ライテルが驚いて声をあげる。ユバもあまり顔には出さないが、内心は少なからず驚いていた。

「エバンズ邸へ向かったら、寝室でたしかに、シェリーナが……石に……

 それで、何か手がかりがないかと、残された日記を見たら、リフ・カーフィラを訪ねたと書かれていたもので、

 何かご存知ないかと思ったら、いてもたってもいられなくなってしまって……」

「……そうでしたか……あの方が……」

ユバは痛ましく思う気持ちをそのまま顔に出した。国内のフラワシでは、治せる者はいない。大切な婚約者に不治の不幸が舞い降りて、正気ではいられないのだろう。

それを思うと、ユバも心が痛んだ。ユバはそのまま返事を返した。

「……申し訳ございませんが、シェリーナ様と石化を結ぶ、直接の情報はございません。

 日記にも書かれていたかもしれませんが、シェリーナ様がお越しになったのは、行方不明になった人形を探してのことでした」

「人形……」

セリンがメモを持って、ひょこりと顔を出した。

「ウェーブのかかった長い金髪に、緑色のドレスを着た女の子のお人形だそうです」

それを聞くと、シフルは考え込んだ。

「マリーちゃんが、行方不明に?たしかに、今度のお祭りで処分するとは言っていたけど……」

「マリーちゃん、ですか?」

セリンが聞くと、シフルは頷いた。

「シェリーナが探していたというそのお人形は、名前を『マリー』といいます。

 マリーちゃんは話によれば、シェリーナが生まれた時から一緒にいて、とても大事にしていた人形だったということです。

 でも、最近マリーちゃんにもいろいろガタがきていて、腕も回らなくなったし、体もあちこち古くなってヒビが入ったりしていたので、

 結婚を機に休ませてあげようと、今度のお祭りで処分することになっていたのです。

 それが、行方不明に……?それは初めて聞きました。窃盗かしら……」

「そうでしたか……シェリーナ様も、そのようにお考えでした。そして窃盗なら、どこかのキャラバンに売りさばいているかもと思い、当店をお訪ねになったのです。

 しかし、他のキャラバンからもそのような人形を買い取ったという話は聞いておりませんので、望みは薄いかと」

ユバがそう事情を話すと、シフルはうーん、と顔を曇らせた。

「そうだったのですね……マリーちゃんのことは気になりますが、それ以上にシェリーナの石化が……

 そうだわ、リフ・カーフィラさんなら、あるいは……」

シフルはひとつ頷いた。

「ウワサによれば、リフ・カーフィラさんには力の強いフラワシ様がいらっしゃるということですね。

 国内では治せるフラワシはいないということですが、リフ・カーフィラさんなら、何かわかるかもしれません。

 お願いします、この石化事件について、調べていただけないでしょうか」

シフルがそう願うと、セリンとライテルは目を見張った。2人の背後ではお客の相手をしながら、衛士が注意深く耳を傾けている。ユバは難しい顔をした。

「……たしかに、当キャラバンにもフラワシはおります。私です。

 たしかに私は治癒の魔法は使えますが、石化を直接解除することはおそらくできません。

 石化を直接治療することは、難しいかとは思いますが……」

「そうですよね……でも、それでも、何かせずにはいられないのです。

 せめて原因や、何かできることがあれば……シェリーナとの式は来週なのです。

 治すことはできなくても、せめて何か手がかりを見つけたいのです。お忙しいとは思いますが、どうかお手伝いいただけないでしょうか」

シフルはそう懇願する。そこまで言われてしまっては。ユバとしても断る理由はなかった。

「……承知いたしました。そういうことでしたら、私どもでよろしければ、お手伝いいたします」

そうユバが頷くと、シフルはほっと笑顔を見せた。

「ありがとうございます!バザールのお休みは明日ですよね。ではお休み中におそれいりますが、その時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「承知いたしました。では本日は営業をさせていただき、明日、調査を開始いたします」

その場で諸手続きを済ませ、調査の依頼を正式に承る。契約書の控えを持ち、シフルは少し元気が出たように笑顔を見せた。

「私ひとりだけでは、気が狂いそうでした。一緒に調べてくださる方がいるというだけでも、落ち着けます」

その表情に、セリンはうんうんと頷いた。

「そうですよね、ひとりは心細いですよね。私どもでよろしければ、一緒に調査いたします。がんばりましょう!」

「はいっ!!」

シフルは笑顔で頷いて、礼を言ってバザールを去っていった。ライテルはひとつ息を吐いた。

「思いもよらない仕事が入ったな」

「ああ。しかし、今後被害が広がる可能性も充分ある。我々にできることがあるなら、力になろう」

「そうね!」

ユバの言葉に、セリンもライテルも笑顔で頷いた。


お客の相手が終わって手が空いた衛士にも、依頼の内容を共有する。ひととおり話を聞いた衛士はううむ、と唸った。

「これは難題だねえ。石化の術の類は光煌でも聞いたことがない。情報を探すにも骨が折れるだろうね」

「治せずとも手がかりだけでも、ということだったが、できるなら治療がしたい。結婚式は来週だとおっしゃっていた、なんとかそれに間に合わせることができれば……」

「そうだね、ベストな形におさめることができればいいね……ん?」

小さな気配を感じて、衛士がふと背後を振り返った。そこには先ほどまで衛士が座っていた椅子があり、その椅子の上と足元に1匹ずつ、猫がいた。椅子の上には、白黒模様の大きな体躯の猫が1匹、座って衛士を見上げている。足元には、昨日切り身をご馳走した白猫が、キリッとした顔で同じく衛士を見上げていた。

「おや、お客様が……」

衛士が猫の方に向き直ると、ユバははっと思いついた顔をした。

「……いや、衛士さん、もしかしたら」

「そうよ。この猫さんたち、衛士さんの話を聞きたそうな顔をしているわ」

ライテルが猫の方を見ると、あっ、と声を漏らした。

「この白黒!見たことある!この辺りのボス猫じゃないか?」

「にゃあ」

ライテルの声に、白黒の大きな猫は低く返事をした。大きな目で衛士を見上げている。敵意はなく、衛士にじっと注目しているように見えた。

衛士は少し考えて、ふむ、とひとつ頷いた。

「……わかった。君たちに何か心当たりがあるなら、ぜひとも一緒に調べてほしい。

 ただし、危険を感じたら、すぐに逃げるんだよ。いいね」

衛士は2匹の猫の前に膝をつき、2匹の顔を見て言った。2匹の猫はそれを了承するように、にゃあ、と返事をした。その返事に、衛士はそっと微笑んだ。

そして衛士は、シェリーナの石化とマリーの行方不明の話を、2匹の猫に話して聞かせた。


衛士は、猫に好かれる。

単に猫に好かれて猫が寄ってくるだけではない。自分たちが困っていると、気が付けばこうして身近で猫が待ち構えている時があった。そういう時に、困っていることを猫に話すと、猫もその話を理解して、一緒に事件を調べてくれた。そのようなことが、過去にたびたび起こっていた。猫の導きが解決の糸口となったこともよくある。もしかしたら今回も、猫たちしか知らない何かがあるのかもしれない。衛士の気持ちとしては、親しい猫たちを危険に晒したくはなかったが、文字通り猫の手も借りたい状況の時は、素直に猫たちを頼りにした。そして猫たちも、衛士の気持ちに応えるように、毎回成果を出していたのだった。ユバたちが話しても意味がない。猫と話すのは、衛士でなければできないことだった。


「…………目標は、シェリーナさんの石化の解除。それが難しいなら、石化についての情報を少しでもつかむこと。

 もし何かわかったことがあったら、すぐに俺を呼んでおくれ。いいね」

「にゃん!」

「にゃあ」

白猫は元気に返事を返し、白黒の大きな猫はゆったりと低い声で返事をした。白猫は任せろと言わんばかりに、その目にやる気をたたえていた。2匹の顔を見て、衛士は微笑んで頷いた。

「俺たちも、明日から調査に入る。頼んだよ」

そう言って、猫たちを軽く撫でる。2匹ともゴロゴロと喉を鳴らし、挨拶のように一声鳴くと、ダッと勢いよく走り去っていった。その様子を見て、セリンが微笑んだ。

「昨日のお客様、衛士さんが困っているのを見て、ボスを連れてきてくれたのかもね」

「ああ、頼もしい限りだ」

「衛士さんが来てから、猫たちもオレらの仲間みたいになってるよな」

「はは、そうだねえ。ありがたいことだよ」

去っていく猫たちを見送って、衛士はそっと微笑んだ。


+++


翌朝。リフ・カーフィラはエレワ地区のエバンズ邸へと足を運んだ。

シフルの案内で寝室に通される。広い寝室の一角、開かれたクローゼットの前で、1体の女性の石像があった。

「……これは……」

「ひどいものだね……」

その石像に、4人は言葉を失った。先日会った女性が、驚いたような表情でこちらの足元を見て、そのまま石になっていたのだった。

「朝、お部屋を開けたら、このような状態だったそうです。いつ見ても、痛ましい……」

シフルが沈痛な表情で俯く。セリンが心配そうに、その顔を覗き込んだ。

「ともかく、見てみようか」

「ああ」

「シフルさん、机とか見ても大丈夫ですか?」

「ええ、どうぞ。何か手がかりがあれば……」

衛士とユバは石像に近づき、セリンは開いたクローゼットを覗き込む。ライテルは書き物机の上を調べ始めた。


「シェリーナ様、失礼いたします。お身体に触れること、お許しください」

ユバは石像に一礼し、石像の手にそっと触れる。そうして意識を集中させると、ひとつ頷いた。

「……やはり、ニセモノなどではない。これは本当に、人間が石になっている……

 この状態でどこかが欠けると、その部分は永久に失われるだろう。石化が解けるまで、管理は厳重に行った方がいいな」

「なるほど。……ふむ……」

衛士はシェリーナの顔をよく観察した。そして、ゆっくりと石像から後ずさり、部屋の入り口まで下がった。セリンが首をかしげた。

「衛士さん?」

「……衛士さんの考えていることはわかる。シェリーナ様の視線が気になるのだろう?」

「視線?」

シフルが聞き返すと、衛士は部屋の入り口に立ったまま頷いた。

「ああ。どう見てもシェリーナさんは、この位置にいる何かを見ている。

 それも、人間でいえば『足元』を見ている。人間を見た時の視線ではないね」

「と、いうことは……」

「……この部屋に何かがあって、それは人間ではなかった……?」

「……その可能性はあるだろう。衛士さん、壁と床をよく調べてくれ」

「了解」

衛士は近くの壁の前に膝をつき、痕跡を探し始めた。

ユバはその場に座り込むと、カバンから白い布と丸い石のようなもの、そしてタロットカードを取り出して床に並べた。中央に布を敷き、タロットカードの束を手に取って宙に浮かべる。カードの束が宙に浮き、そのまま1枚1枚が浮き上がってユバの周りで回転し始めた。ユバが目を閉じて、自分の周りで回転するカードを左手で引き、その図柄を見て布の周りに置いていく。その様子を、シフルは興味深そうに見ていた。

「……フラワシ様の“占い”ですか?」

「そうですよ。ユバは占いができるフラワシなので、何かを調べる時にはこうして占いをすることもあるんです」

「まあ……フラワシ様の占いを、この目で見ることができるなんて…………」

小声で問いかけるシフルに、セリンも小声で返す。どこか神秘的な力を感じるその光景に、シフルはしばし見入っていた。

カードを引き終わると、回っていたカードはひとりでにユバの右手隅へ集まり、束になってそのまま動かなくなった。

ユバは布の上に置いた青い石を左手にとり、その石を握りしめて少し魔力をこめると、布の中央からその石を落とした。石は布の中で、衛士のいる方向に転がっていき、そこから弧を描いて布からはみ出て、逆方向に転がって止まった。

「どう?」

セリンがユバの占いを覗き込む。ユバは少し考えて、難しい顔をした。

「……何者かの妨害を受けている。侵入者はいま衛士さんのいるあたりから入って、そのまますぐに出ていったようだが、部屋を出てからの痕跡が追えない」

「ええ?そんなことってあるの?」

「ああ。衛士さんのいるあたりに魔力の反応がある。相手はフラワシか、魔の者である可能性が高いだろう。

 気になるのは……魔力のサイズが、いやに小さいことだな。小さいが、ネズミよりは大きい……」

「ふむふむ……」

セリンがメモをとる。ユバが占い道具を片付けていると、机の上を見ていたライテルがとことこと寄ってきた。

「シフルさん、すいません。日記を見せてもらったんですけど……」

「ええ、構いませんよ。手がかりがあるかもしれませんし」

「ありがとうございます。で、ここなんですけど……ユバも見てくれない?」

ライテルが座っているユバの隣に膝をついて、日記を見せる。ユバもシフルに目配せをして許可をとり、日記を見せてもらう。

そこには、こう書かれていた。


『この部屋からタカタカと、小さな足音がする。ネズミかしら』


「……やはり、小さな何かが侵入しているようだな」

「でも、ネズミじゃなさそうだよな?」

「ああ、ネズミではないだろう。大きなネズミでも、魔力反応を見ると明らかにネズミより大きい。占いによれば体長は…………およそ30㎝だ」

「30㎝……」


衛士がふと、声をあげた。

「……ん?ユバ君、ちょっと」

ユバが振り向く。衛士が壁の前に手を差し出して、怪訝そうな顔をしていた。

「どうした?」

ユバが立ち上がり、衛士の方へ向かう。衛士は顔をあげると、自分の手のひらを指した。

「ここを見ておくれ。何か長い糸が、壁に埋まってはみ出ている」

ユバがその場に座り込み、衛士の手のひらをよく見てみる。手のひらの上には、たしかに何か糸のようなものが乗っていた。糸は壁へと向かっており、まるで壁から生えているかのように先端が壁に埋まっていた。糸はウェーブがかかっており、まっすぐな糸ではない。色は無色のようにも見えるし、金色のようにも見えた。いずれにせよ、色の薄い糸であった。

「……これは……」

「……床からの高さは約1尺、およそ30㎝だね」

「マジ?やっぱり30㎝くらいの何かが……?」

「30㎝って……このくらい?」

セリンが両手で長さを示す。衛士もそれに頷いた。ユバは糸の埋まった壁を手で触れた。

「……ここからわずかに、魔力の反応がある。おそらく魔法を使って、30㎝の何かがこの壁をすり抜けた。

 この糸は、おそらくその何かの『毛』と見た方がいいだろう。すり抜ける際に、毛が1本、壁に埋まったのだ」

「なるほど。でも、毛としてもけっこう長いね。生き物だとしても、けっこうふかふかした生き物……」

「そんなの、いた……?」

「聞いたことねーな……」

衛士も立ち上がり、今まで出会った魔物たちの記憶を漁り始める。30㎝程度の体長で、そんな毛深い生き物などいただろうか。

ふと、衛士が隣のユバを見る。ユバはシェリーナの顔を見て、何か考え込んでいた。

「……ユバ君はどう思う?」

聞いてみると、ユバは少し唸って、口を開いた。

「……これは、私の直感でしかないのだが……」

「どうかしましたか?」

「……妙だな、と思いまして」

ユバはシフルに視線を向けた。

「あの、シェリーナ様の表情。30㎝の何かにたしかに驚いている、のですが……

 あの表情から、恐怖が感じられないのです」

「ううん?」

ライテルが首をかしげた。ユバが全員に説明する。

「もし仮に、シェリーナ様が見たものがシェリーナ様にとって“知らないもの”“初めて見るもの”だった場合、もっと恐怖を感じる表情でもおかしくないと思ったのだ。

 たとえば部屋でネズミを見た時、ぎょっとするような、僅かな恐怖を感じるような表情をするだろう。

 しかし、このシェリーナ様からは恐怖を感じない。

 なんの根拠もない主観だが、もしこれが正しいとしたら、シェリーナ様が見たのはシェリーナ様にとって“知っているもの”“恐怖を感じないもの”ではないかと思ってな」

「シェリーナ様が、恐怖を感じないもの…………?」

セリンも考え込んだ。女性の部屋に入り込んで、恐怖を感じない、30㎝くらいのもの?全員で考えていると、ふと衛士が顔をあげた。


「……この毛……まさか、“マリーちゃん”……?」


その言葉に、全員がはっと顔をあげた。

「た、たしかに、アンティークの人形なら約30㎝だ!」

「マリーちゃんの髪の毛!!たしか、金色のウェーブっておっしゃってたわ!!」

「ま、マリーちゃんはたしかに、このくらいの大きさです!!」

シフルがマリーのサイズを両手で示す。それを見て、ユバも衛士も頷いた。

「ユバ君、人形がひとりでに動き出す魔法は?」

「ある!そのような魔法を使う魔物も存在する。

 この毛がマリーちゃんのものなら、十中八九そいつの仕業だ!」

「そ、そんなのがいるのか?!」

ライテルが驚いた顔をする。ユバは確信をもって頷いた。

「『クルーク』。生ける機械とも呼ばれる、機械部品の集合体だ。このグロワールでのみ存在が確認されている。

 クルークは意思を持つ機械。一説によれば、ザラスト教の悪神アルワムが機械部品に心と魔力を与えて、自らの配下にしたといわれている。人を襲う魔物だ。

 クルークなら、人形を動かして配下にすることも可能だろう」

「なるほど!相手が見えてきたわね!!」

セリンが拳をたたく。その隣で、ライテルが首をかしげた。

「……なあユバ。そのクルークってのは、石化をすることもできるのか?」

「……いや、その話は聞いたことがない。私も正確な知識があるわけではない、今わかっている情報を、いちど調べ直した方がいいだろう」

「なるほど。クルークは機械の魔物、機械が発明されたのはつい最近だ。100年も経っていない。機械の技術はグロワールでもまだ新しい技術だ。

 当然、クルークも最近現れた新しい魔物、ということになる。まだ生態もよくわかっていないだろう、最新の情報を仕入れる必要があるね」

「調べものね!みんなでクルークのことを調べましょう!!敵の情報はあるに越したことはないわ!!」

「わ、私もお手伝いします!!すごい、この部屋の情報からそこまで辿り着けるなんて……!!」

シフルが感激して笑顔を見せる。もしかしたら、結婚式に間に合うかもしれない。そんな期待が顔を輝かせていた。その期待を受けて、ユバは方針を固めた。

「では、ライテルとセリンはギルドで司書からクルークの情報をもらう。

 私と衛士さんは図書館で書籍をあたろう。シフル様も、図書館での調査をお願いいたします。

 調査項目は、クルークの目撃情報、今わかっている限りのクルークの戦闘スタイルや特性、撃退方法。その他些細な情報も漏らさないこと」

「了解!」

「了解」

「わかったわ!」

「承知しました!!」

「先が見えてきたな。絶対に、結婚式に間に合わせよう」

ユバの言葉に、全員で声をあげた。



調査のあと、シフルの邸宅で待ち合わせた。シフルの家で昼食をご馳走になったあと、食後のお茶を飲みながら、取り寄せた情報を全員で共有した。

「クルークはやはり、グロワールでしか確認されていない魔物だということだ。グロワール北東の山に出没するという」

「北東の山……あっ、そこって……」

「ライテル君は心当たりがあるかもね。そこは使えなくなった機械部品の不法投棄場になっているそうだ。

 おそらくそこに捨てられた部品が命を持った。そして、部品を捨てに来た人を襲っているそうだね」

「最初の報告は30年ほど前。やはり近年新しく生まれた魔物のようだな」

「こっちもいろいろ仕入れてきたわよ。人を襲う魔物ということで戦闘は避けられないみたいだけれど、戦闘スタイルとしてはパワー重視。

 魔力で動く機械の体は決してつかれることがなく、斬りつけても機械の部品だから、すぐに再生するそうよ」

「なるほど、ダメージはほとんど通らない……か」

「そうだな。それにパワーは機械のそれだ、人の力では押し負ける。まともに当たれば、命に関わる」

「でも、弱点もあるわ。機械だから一定のスピードでしか動けないみたいで、踊り子のようにリズムを掴める素早い相手は苦手だということよ」

「なるほど、それはいいことを聞いたな。戦闘になればライテルを主軸に動くことになるだろう」

「へへっ、任せとけって!

 で、クルークには体のどこかに『核』があるんだってさ。その体のどこかにある核がちょっとだけ光ってて、そこを壊せば倒せるって話だぜ」

「核の位置は常に動いているそうだけど、動くスピードが一定だから、核の場所によっては追跡が可能だそうよ。

 だから核さえ見つけられれば、倒せる確率はぐんと上がるわ」

「クルークだって対策をしている、核は相手から見えにくい位置に置くだろうね」

「うん。もし核を見つけたら、クルークのデカさや核の位置の深さによっては、セリンか衛士さんに武器を借りるかも。短剣じゃ刺さらないかもだし」

「それは構わないわよ。その時は言ってね」

「ああ、ライテル君の判断に任せよう」

「りょーかい!」


情報をもとに作戦を立てていると、ふと食堂の窓から小さく音がした。

「ん?」

コツコツ、コツコツ。小さな何かがぶつかる音がする。その方向を向くと、1匹の白猫が窓に向かって頭突きをしていた。

「まあ、こんなところに野良ネコ……」

シフルが驚いている横で、4人ははっとした。

「何か見つけたのかも!」

「シフルさん、ここの窓開く?!」

「え、ええ、開きますが……」

「窓を開けてください。中には入りません!」

「は、はい!!」

シフルが慌てて窓を開けると、猫は「にゃん!!」と元気よく鳴いた。すかさず、衛士が応対する。

「何か見つけたのかい?」

「にゃん!!」

猫は衛士の羽織の裾をくわえると、ぐいぐいと引っ張った。

「何か見つけたっぽいな!」

「そうだね。わかった、すぐに向かおう。このお屋敷の入り口は向こうだ、そこで待っていておくれ」

「みゃっ!!」

衛士が指示を出すと、猫はすぐに屋敷の入り口まで走っていった。その様子に、シフルは目を丸くした。

「……猫に、人間の言葉が通じるのですか……?!」

「衛士さんの特技ですよ」

ユバがそう微笑みかけると、すぐに気を引き締めた。

「シフル様は、しばらくお待ちください。片付けてまいります。

 みんな、いくぞ!」

「はいっ!!」

「ああ!!」

「了解」



屋敷を出ると、そこには何匹かの猫が衛士たちを待っていた。リフ・カーフィラが出てくると、猫たちは道案内をするかのように4人を先導した。

向かった先は、王城区を通った先の森だった。クルークが出るとされる山はここから東の方にあるが、猫たちは森の中をどんどんと進んでいく。

「森の方に行ってる……?」

「猫たちのことだ、何か見つけたのだろう。信じていこう」

「了解!」

背の高い木々が鬱蒼と生い茂る、静かで薄暗い森だった。それでも適度に管理された美しい森だが、奥の方はまだまだ手付かずで、奥へ行けば行くほど雑然としてくる。落ち葉の香りが強くなり、木と土の香りが辺りを満たしていた。

足元に気をつけながら慎重に歩を進めると、ふと猫たちが唸り出した。

「フーッ……」

「ウルルルルル……」

その先を見ると、ぽっかりと開けた広場の奥に、灰色の山ができていた。それは機械部品の山だった。古びて曲がり、打ち捨てられた部品たちが、しんと静かに、そこに山を作っていた。

「こんなところに……」

「ありがとう。みんなは下がって。あとは俺たちに任せてくれ」

「みゃん!」

猫たちは衛士の言葉を受けて下がっていく。ユバたちが身構えていると、部品の山から声がした。


『…………ニンゲン』

『ニンゲンだ』

『ワタシたちをコキつかう人間』

『こらしめなきゃ』

『フクシュウしなきゃ』


ガラガラと音を立てて、機械部品たちがひとりでに動き出す。どこからともなく部品が飛んできて、集まり、集まり、むくむくと大きくなり、ひとつの体を作り出す。それは機械部品が集まった巨人だった。上半身だけが地表から出たような姿だが、それでも地表から出た体長は5mほどもある。目のようなランプが爛々と輝き、部品でできたこぶしをぐっと握りしめた。

「くるぞ!」

「さあ、かかってきなさい!!」

「全員、回避に専念!相手をよく観察して核を探せ!ライテルは身を隠して相手の行動のリズムを掴め!」

「了解!!」

「りょーかいっ!!」

「わかった!」

ライテルは木の上に飛び乗って身を隠す。セリンはいつでも槍をとれるように身構え、衛士は後ろを振り返った。そこには猫たちが唸りながら待機していた。

「みんな!相手は予想以上に大きい、もっと遠くに避難するんだ!」

「にゃー!!」

猫たちはだっと走り出し、森の出口の方角へ向かって距離をとった。連絡役なのか、1匹だけ、衛士が切り身をあげた白猫が残った。白猫は衛士のそばに控えた。

「にゃん!!」

白猫は衛士のそばで身構える。衛士は敵から目を離さずに言った。

「俺も可能な限り守るけれど、自分の身は自分で守るんだよ。いいね!」

「にゃん!!」


クルークがこぶしを勢いよく突き出した。狙いはセリン。セリンはクルークのこぶしをよく見極め、横っ飛びに回避した。突き出されたこぶしは、その先にあった木々を思いっきり殴打し、貫通した。そのまま何本もの木を木っ端微塵にし、殴り倒していった。衛士はその様子をよく観察した。殴る瞬間、部品たちが腕に集中し、体が小さくなる代わりに腕が長く大きくなっていた。しかし、頭の大きさはほぼ変わっていない。衛士が全員に叫んだ。

「みんな、相手は攻撃の時に、腕に部品を集めているようだ!しかし、頭の大きさがほぼ変わっていない!」

「了解!頭をよく確認するぜ!」

「わかったわ!!」

「助かる!」

頭の大きさがほぼ変わっていない。腕に部品を集めて攻撃力を上げるなら、頭の部品も寄せ集めるはずである。それでも頭の大きさがほぼ変わらないというとは、つまりそこに核がある可能性が非常に高いことになる。

ユバは左手を構え、魔力を高める。ゴロゴロ、空から雷鳴が鳴り響く。白猫が空を見上げると、空が一気に曇りだし、真っ黒な雲が局所的にこの森の上空に巻き起こっていた。

そしてユバは、左手を勢いよくクルークめがけて振りかざした。それと同時に、轟音とともに巨大な稲光がクルークに直撃した。あまりの轟音と強い光に、白猫がきゅっと目と耳を伏せる。辺りが一瞬真っ白になり、雷鳴の反響が辺りに木霊する。強い光に一瞬目を閉じた衛士とセリンが、光が収まり目を開くと、視界の真ん中でクルークが地面に伏せて、びりびりと痙攣しているように見えた。部品の動きが止まっている。体表に電気が走り、部品たちが動こうとしても動けない、ぎこちない音を立てていた。

「ショートした!」

「雷に弱いか……!」

「さすが、ユバの魔法は一級品だな!」

「どうやら雷で足止めができそうだな。衛士さん、頭を斬り落とせ!!」

「了解!!」

衛士が地を蹴って駆け出す。クルークは電撃のショックで動けない。あっという間に距離を詰め、刀を抜いてその首めがけて一閃した。部品たちが斬り裂かれ、支えをなくした頭がぼとりと体からこぼれ落ちる。頭はなおも頭の形を保っており、それが人の首を連想し、少し不気味にすら見えた。

切り口に核は見当たらない。衛士はさらに頭を斬り、半分に割った。ごろりと半分に割れた頭の片方の切り口に、淡く光る何かを発見した。

「―――あった!」

衛士がそのまま、光る部品に刀を突き立てようとした。ライテルが鋭く叫んだ。

「衛士さん、回避!!」

「!」

咄嗟に横に飛び、身を翻す。間近で轟音と、機械の擦れる鉄の香りが掠めた。クルークの腕が、衛士めがけて飛んできていた。すんでのところで回避できたようだった。

斬り落とした頭がふわりと持ち上がり、体と合体する。ショートから立ち直ったクルークが再生した。何事もなかったかのように、リフ・カーフィラに狙いを定めていた。

「ああもう、せっかく核を見つけたのに!」

「任せな!リズムは掴んだ、あとは核を追跡するだけだ!」

「頼んだよ!!」

クルークが腕を振り上げ、手を大きく開く。開いた手に部品が集まり、手がみるみる大きくなっていく。ライテルは木の上から、その様子をよく観察していた。ひとつの部品の動きを追跡してみると、機械の部品は体にくっついている限り、体を離れることはない。手を大きくする時に体から離れて直接手に加わるわけではなく、体の輪郭に沿って、まるで血液が流れるように、体をなぞるように所定の位置を移動していることがわかる。

(ということは―――)

先ほど見つかった核は、体内のどこかを流れている。先ほど頭から入った核は、今どこにあるだろう。

手がだんだんと大きくなり、体がみるみる小さくなっていく。体を構成する機械の部品は数が限られており、総数は変わらないようだ。どこかから部品が飛んできて、大きくなる様子もない。

ふと、大きくなる手のひらに、きらりと一瞬、何かが光った。核の光だ。その位置は、手のひらの真ん中だった。見つけた。核はすぐに手のひらの中に入った。ライテルは叫んだ。

「セリン、槍貸して!!ユバ、もう1発いけるか!!」

「はいっ!!」

「承知!!」

クルークが力強く腕を振り落とし、一帯を薙ぎ払おうとする。その直前、巨大な雷光がクルークを貫いた。クルークが再びショートし、大きな手が力を失いずしりと倒れる。

木の上から姿を現したライテルがセリンから槍を受け取り、その太い手首の上に飛び乗った。

「見つけたぜ、ここだ!!」

そして、手の付け根の中央めがけて、まっすぐ槍を突き立てた。クルークの体がびくりと跳ねる。その後、クルークの体が一瞬輝き、その光が水のようにはじけて消えた。それと同時に、クルークは力を失い、ざらざらと音を立てて巨人の形が崩れていった。体が溶けるように機械部品が崩れていき、あとにはただの部品の山だけが残った。

「……倒した?」

「みたいね……!」

機械の部品は、もう動く様子はない。静まり返った森の中、避難していた猫たちがそろりそろりと戻ってくる。

ライテルが槍を引き抜く。と、驚いて声をあげた。

「えっ?これって……!」

「どうした?」

ユバが歩み寄る。そして、その槍の先に刺さったものを見てはっとした。セリンと衛士も視線を向ける。ライテルが刺した核、それは1体のアンティークの人形だった。長いウェーブの金色の髪に、緑色の美しいドレスを着た女の子。それは「マリー」だった。

マリーの人形がひとりでに動き出す。槍に貫かれたまま、ばたばたと四肢を動かした。

「ちょっと!レディに何するのよ!!」

「えっ?!あ、ご、ごめん!!」

ライテルは咄嗟にマリーを引き抜いた。マリーはそのまま部品の山に着地して、よろよろと立ち上がった。

「あーあ、せっかくアルワムからもらった魔力が切れちゃったわ」

「マリーちゃんが……動いてる?!」

セリンが声をあげる。マリーは表情を動かさず、口だけを動かした。

「まだちょっと魔力が残っているもの。もう戦うだけの力はないけど」

そう言うと、マリーはため息をついた。

「全く、リフ・カーフィラってのがこんなに強いとは思わなかったわ。フラワシがいるなんて反則よ」

「……。失礼、マリー様。こたびの石化事件は、あなたが?」

ユバがマリーの前に膝をついて尋ねた。マリーは観念したように頷いた。

「そうよ。私がやった。もう魔力もなくなったから、みんなの石化も、元に戻ってると思うけど」

「いったいどうして……」

衛士が聞くと、マリーは俯いた。

「……お祭りを、止めたかったの」

「お祭り?」

「今度のシェンジャ祭り。……私だけじゃないわ。部品の山を探してみて」

「……?」

セリンは気になって、部品の山を漁ってみた。掻けども搔けども部品の山だが、ふとそこに、かわいらしいものが姿をあらわした。

「あら、これは……」

ススを払ってその顔を見ると、かわいらしいクマのぬいぐるみだった。古びたぬいぐるみは、どこか悲しそうな顔をしていた。

その他にも、ネコのぬいぐるみ、ティーカップとソーサー、小さな人形、人型の駒など、機械部品の山には似つかわしくないものが次々と現れた。

「これは……」

集めた人形類を1体ずつ並べていると、マリーがそっと呟いた。

「……これは、私たちの『反乱』だったの」

「反乱……?」

その言葉を聞いて、衛士ははっとした。

「……そうか、『人形祭り』……古くなった人形は、処分されてしまう……」

マリーは、そっと目を伏せた。

「……みんな気付いていないけど、人形だって生きてるの。

 いつでも持ち主と一緒にいて、一緒に毎日を過ごしてるんだよ。いつも、持ち主を想っているの。

 私たちは、処分されたくない。まだ生きていたい、まだ持ち主と一緒にいたいの。

 どんなに古くなっても、持ち主とずっと一緒にいたい。だから、こんなお祭りなんか、なくなってしまえばいいと思って」

セリンは言葉を失い、つらそうな顔で俯いた。

「そう思っていたら、悪魔の神様が力をくれたの。『この力を正しく使えば、持ち主とずっと一緒にいられるよ』って。

 それは石化の魔法だった。持ち主を石化して、その魂を連れて行けば、ずっと一緒にいられるよって……」

「…………」

衛士は目を伏せた。生きていたいという気持ちは誰にでもある。その気持ちは、人形であっても変わらないのだろう。人形祭りは、人形たちにとっては「死」の祭りなのだ。人間たちの手で殺される祭り。それを嫌だと思う気持ちは、当然の感情のように思えた。

町の方から、足音がする。何匹かの猫に導かれて、シェリーナとシフルが駆け寄ってきていた。

「マリーちゃん……!!」

マリーはゆっくりと顔をあげて、シェリーナを見た。

「……シェリーナ。どうして?どうして私を処分しようとしたの?

 古くなった私は、もう価値がない?くたびれた人形は、処分された方がいい……?」

「マリーちゃん……そんなことは……そんなことはないわ。あなたは今でも、とても大切な、私の家族よ。

 ごめんなさい、あなたがそんな風に思っていたなんて……」

「……そうだね。人形は喋れないから、シェリーナが知らなくても無理はないけれど。

 でもね、私はずっと、シェリーナと一緒にいたかったよ」

人形はそっと、涙を流した。魔法の力で紡がれた、それは感情の象徴だった。

「たしかに、こんなボロボロじゃ、シェリーナの家にはいられないね。

 でも、それでも、私はシェリーナと一緒にいたいよ。

 お願い、シェリーナ。おそばに置いて。クローゼットの隅にでも、入れてもらえればいいから。

 私はもうボロボロだから、お世話もしてくれなくていい。私を忘れて、放置していてもいいから。

 それでもいいから、処分はしないで。私はまだ生きていたい。だって、あなたが生まれた時から、私は一緒にいたんだから」

「マリーちゃん……!!」

シェリーナは涙を流しながら、マリーの体を抱きしめた。マリーは小さな短い手で、シェリーナをそっと抱き返した。

「……覚えてて。人形はいつだって、持ち主と一緒に生きてるんだよ」

「ごめんなさい……ごめんなさい、マリーちゃん……!!」

シェリーナはしばらく、マリーを抱きしめて泣きじゃくっていた。シフルとセリンが、目に浮かんだ涙をそっと指で拭った。


「……シェリーナ。私とあなたが話せるキセキも、ここまで」

シェリーナがそっと体を離す。

「私の魔力が、もうすぐ切れる。ここで、お別れだね」

「マリーちゃん……」

シェリーナはマリーの手の甲にキスをした。

「マリーちゃんを処分するなんて、私がどうかしていたわ。

 私の方こそ、お願い。ずっと私と一緒にいて。これからも、一緒に」

涙を拭ってそう言うと、マリーはそっと微笑んだ。

「……ありがとう」


ふと、猫たちがリフ・カーフィラに歩み寄る。その口には、笛などの小さな楽器がくわえられていた。マリーが口を開いた。

「ねえ、踊り子さん。最期に、わがままを言っていい?」

「ん?」

ライテルが顔をあげる。


「踊り子さん。あなたの踊りで、わたしを送って。炎に焼かれて死ぬくらいなら、踊り子さんの舞で逝きたい。

 おねがい。わたしの魂を、どうか、天まで」


マリーはぽつりと、そう願った。猫たちの楽器は、そのためのものらしい。リフ・カーフィラは4人で視線を合わせ、そっと頷いた。

「……わかった」

ライテルが頷くと、マリーはうれしそうに笑った。セリンが並べた人形の1体を手に取って言った。

「この子たちにも、見せてあげましょう。この子たちもそれぞれ、ご主人にこめた気持ちがあるでしょうから」

「ああ、そうだな」

ユバも頷いた。その場にいる者は全員、人形たちを拾い上げて、部品の山に立てかけた。人形たちはまるで観客のように、ステージとなる広場に顔を向けられた。

ステージの中央で、ライテルが優雅に礼をする。衛士が笛を奏でると、ライテルは静かに踊り出した。シェンジャ祭りで踊られる、グロワール人なら誰もが知っている踊り。衣装の装飾がひらり、ひらりと踊り、見る者の視線を引き寄せた。並べられた人形たちから、どこかうれしそうな気配を感じた。マリーは踊り子の舞を、眩しそうな目で見ていた。

「ああ やっぱりきれいだなあ」


やがて、人形たちの体が淡く光に包まれた。ライテルが踊るにつれて、その白い光は人形の体からふわりと浮き上がり、そっと空へ昇っていく。ライテルは踊りながら、その光を見ていた。この踊りの最後の振り付けは、祈るように手を組んだあと、右手を空へ振りかざすものだった。今までは何の気なしに踊っていたが、そうか、と内心で頷いた。

(これは、人形たちの魂を天へ届ける舞なんだ)


「……シェリーナ」

マリーから浮き出た光が、ふと声を発した。

「結婚、おめでとう」


曲が終わりへ向かっていく。ライテルが祈るように手を組むと、光が一層強くなった。リフ・カーフィラが奏でる楽器の音色とともに、右手を高く、空へ掲げる。魂たちは、その手に合わせて、飛ぶように空へと昇っていった。魂は流れ星のように軌道を描いて、空の青さに吸い込まれていった。

マリーは力をなくして、部品の山の上でうなだれた。そこにあったのは、もう動かない、ただの1体の人形だった。



白く澄み渡るチャペル。その中央に敷かれたヴァージンロードを、2人の花嫁が歩いていく。会場を拍手が包み込む。ふたり腕を組み、ともに祭壇まで、ゆっくりと歩を進める。美しいふたりはどこか緊張していながらも、堂々と前を見ていた。ふたりの白いウエディングドレスがきらきらと美しく輝く。きれいに毛並みを整えた猫たちが、行儀よく座りながら、その様子をきらきらとした目で追っていった。

ふたりが祭壇の前に着くと、客席にいた参列者たちが全員起立する。その中には、リフ・カーフィラの姿もあった。チャペルに、讃美歌が響き渡る。その客席の最前列、シェリーナの母のとなりの席に、1体の古びた人形が座っていた。彼女もまた、白いウエディングドレスに身を包み、讃美歌をその身に浴びている。その顔は、どこかうれしそうに笑っていた。

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