第18話 三途の川
カタカタ……。
カタカタカタカタ……。
何かがぶつかり合うような乾いた音が耳元で絶え間なく鳴っている。
――何だようるさいな。こっちは寝てるんだから静かにしろよ……。
騒音に起こされた俺は顔をしかめながらまぶたを開けた。
すると目の前に飛び込んできたのは、鼻がくっ付きそうなほどの近距離から俺の顔を覗き込む複数のガイコツだった。
「う、うわあっ!?」
俺は叫びながら慌てて飛び退いた。
起き上がった俺を見てガイコツ達は互いに顔を見合わせて口を動かす。
上顎と下顎がぶつかってカタカタとまた音が鳴った。
状況はさっぱりわからないが、とにかく逃げなければ。
反射的にそう思って立ち上がろうとしたところ、体重をかけた途端に地面がぐらりと揺れた。
「う、うわあっ!?」
俺はバランスを崩して派手に転がる。
ガイコツ達はそんな俺を不思議そうに見つめ、何を慌てているのかとでも言いたげに首を傾げた。
てっきり俺を食うか何かするつもりだと思ったのだが、どうもそうではないらしい。
しかしそれならこのガイコツ達は何なんだ?
俺が戸惑っていると、ガイコツ達の背後から声がした。
「おいおい、やっと起きたと思ったら暴れ出すとか勘弁してくれよ。船が引っくり返ったらどうすんだ」
気だるげな感じの男の声だった。
ガイコツ達に遮られているため姿は見えない。
ただ俺はその男の正体よりも男が口にした単語が気になった。
「船?」
薄暗くて気付かなかったが、確かにここは船の上のようだ。
十人くらいが座って乗れそうな大きさの、木でできたシンプルな感じの渡し舟。
俺がいたのはそんな船の船尾側だった。
先程立ち上がろうとしてバランスを崩したのはどうやら体重を掛ける位置が悪かったためのようだ。
しかしそれを理解すると俺は逆に混乱した。
確か俺は黄泉の国の中枢にいたはずだ。
それがどうして船の上にいるのか。
ここはどこだ? 戦いはどうなった?
もう一度船の上を見回すが、エマやゴエモン、そして邪神もここにはいないようだ。
「ここは一体どこですか? どうして俺はこんな所に――」
俺は急いで尋ねようとした。
だが男はそれを遮って呑気に言う。
「うんうん、まあその辺は気になるだろうねえ。でもさ、物事にはまず順序ってものがあるだろうよ」
「順序?」
「そちらのガイコツ君たちにお礼を言いなよ。放っておけばいいものを、川上から流れて来たお前さんを苦労して引き揚げて今の今まで介抱してくれてたんだぜ? ガイコツ君たちの話じゃあ、お前さんはどうも彼らの恩人ってことらしいが」
「介抱してくれた? ていうか恩人って……」
俺は困惑してガイコツ達を見た。
するとガイコツの一人が前に出て丁寧に礼をする。
その仕草を見て俺は思い出した。
このガイコツ達は小鬼に襲われていたのをゴエモンが助けたガイコツ達のようだ。
正直見分けは付かないが、あの時と同じく人数も五人だし多分間違いない。
「あの時の方々だったんですね。ありがとうございました。悲鳴なんか上げてごめんなさい」
俺は頭を下げた。
ガイコツ達は嬉しそうに歯をカタカタ鳴らした。
それから後ろにいた一体が進み出てきて、手に持っていた物をこちらに差し出してくる。
何だろうと思いつつ受け取ると、それはお面と携帯電話だった。
エマから借りたひょっとこのお面と俺の携帯電話である。
「こいつらも拾ってくれてたんですか。本当にありがとう」
俺はもう一度礼を言った。
川を流れていたと聞いたが携帯は壊れてはいないようだ。
するとまたガイコツ達の向こうから男の声がした。
「へえ、意外と素直で礼儀正しいじゃないか。感心感心。おじさんそういう若者は好きよ」
俺はガイコツ達の間を通り抜けて男の方へ歩いて行った。
男は船の船首であぐらを掻きながら釣りをしていた。
ボサボサの髪に無精髭の痩せた中年男で、ローブのような黒い服を着用している。
全体的にくたびれた印象というか、疲れた顔をした男だった。
釣り糸を川に垂らしたまま男はこちらに顔を向けた。
「お前さん、名前は?」
「白山和希です。それであなたは……」
「その名前からすると日本人か」
「え? ええ、そうですけど」
「なら仏教っぽい感じで説明してやれば分かりやすいかね。ここはいわゆる三途の川って呼ばれる場所だ。そして僕は三途の川の渡し守の一人。名前はそうだな、水先とでも呼んでもらおうか」
「水先さん、ですか」
「うん水先。それで僕は今お仕事の最中でね。そこにいるガイコツ君たちはこっち側へ来て間もない霊魂の御一行だったんだが、彼らを天国へ連れて行く途中だったんだよ。途中ではぐれちまって小鬼に喰われそうになってた所を君に助けられたそうだけどね。……どうだい、ここまでは理解できたかな?」
「ああ、まあ、はい……」
俺は曖昧に頷いた。
頭の中にいくつか疑問符が浮かんだが、男が話している内容自体はわかる。
「水先さんの話は何となくは分かったんですが……結局どうして俺はこんな所にいるんですか?」
エマ達と共に中枢へ辿り着き、邪神に遭遇。
あと一歩という所で邪神が何かをして自分が真っ暗闇に放り出されたのは覚えている。
それから何がどうなって自分は三途の川にいるのか。
エマとゴエモンはどうなったのだろう。
しかし水先は俺の問いに対しただ苦笑いを返した。
「そりゃあ僕のほうが聞きたいよ。見たところお前さん、まだ死んでない現世の人間だろう? なんでったってこんな所で川遊びなんかしてたんだい。それにガイコツ君達が言うのが本当なら、随分前から黄泉の国をうろついてたって話じゃないか」
「それは……」
俺は言葉に詰まった。
一体どこから話せばいいのだろう。
そもそも黄泉の国へ来てからの出来事は理解し切れていない部分の方が多いのだ。
すると水先は言った。
「ああ別に焦らんでもいいよ。どうせ時間はたっぷりあるんだ。おじさんはいくらでも待ってあげるから落ち着いて頭を整理するといい」
「でも俺は時間が無いんです。一緒にいた仲間とはぐれてしまって……そうだ、ひょっとしたら俺みたいに川に落ちたのかもしれない。急いで探さないと――」
「いやだから落ち着きなって。その仲間っていうのはどんな奴らで何人いるんだい?」
「ゴエモンとエマの二人です。ゴエモンっていうのは俺の飼い犬だったんだけど今はミミックで、エマはゴエモンをミミックに変えて俺を黄泉の国へ呼んだ神様で……」
俺はそう言いながら自分でも支離滅裂だなと思った。
しかし水先は眉一つ寄せることなくふむふむと頷いた。
「へえ、神様に呼ばれてこっちの世界へ来たと。つーことはやはり例の理(ことわり)のトラブル絡みかね」
「知ってるんですか?」
「そりゃ理の件はうちの職場でも話題になってたからな。生者が紛れ込んで来るかもしれねえからうっかり川を渡らせないようにしないとって。しかしエマ、か。そんな名前の神様いたっけな? エマエマエマ、エマエマ……。あー、ひょっとしてあのお方のことか?」
「知ってるんですか?」
「多分ね。犬を箱に変えたってのが本当なら間違いない。俺ともちょっと縁のあるお方だよ。ただそうすると俺も他人事じゃない。悪いが何があったのか詳しい事情を話してもらえるかい。正確でなくてもいい、お前さんが自分の目で見たままを順番にゆっくり言ってくれればいいから」
「わかりました」
エマとゴエモンの安否は気になったが、どうやら水先は協力してくれるつもりのようだ。
それならちゃんと情報交換をした方がいいだろう。
俺は水先に促されるままにこれまでの経緯を説明した。
朝起きたら押し入れにゴエモンがいた所から始めて、中枢で邪神と対決して真っ暗闇に落ちるまで。
俺の話を聞きながら水先は次第に顔を険しくしていった。
そして俺が話し終えると、顔に手を押し当ててがっくりと首を垂れた。
「あー……なるほどね。ようやく原因がわかったわ」
「原因?」
「実はこの船さ、ちょっと前から立往生してるんだよ。ガイコツ君達を天国へ連れて行くってさっき言ったけど、肝心の天国の場所がわからなくなっちまってね。まあだからこそお前さんを引き上げて介抱する暇もあった訳だが」
「ええと……どういうことですか?」
俺には水先が何を言いたいのかわからなかった。
すると水先は大きく溜め息をついてから言った。
「お前さんが寝てる間の出来事なんだけどな。この世界、滅んじまったんだ」
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