第17話 邪神

「ここが黄泉の国の中枢……?」


 目的地へ足を踏み入れた俺は思わず呟いた。


 理(ことわり)とかいう重要な物が保管されていた所、と聞いていたので、俺はてっきり宝物庫のような部屋を想像していた。

 しかしそこに待ち受けていたのは俺にとって見覚えのある光景だった。


「ここ、うちの近所の空き地じゃないか……」


 忘れるはずもない。

 俺の実家の近所にある、俺が物心ついた頃からずっと放置されていた空き地だった。

 ゴエモンとの散歩の時に良く通りかかり、時々忍び込んで遊んだりもした思い出深い場所の一つだ。


 どうしてあの場所がここにあるんだ、と俺は思った。

 しかも空を見上げれば雲一つない晴天。

 俺たちはまだ洞窟の中にいたはずなのだが……。


「ここは決まった形を持たない場所なんだ」


 いつの間にか大人の姿に変身したエマが横に立って言った。

 俺は怪訝な顔で尋ねた。


「形を持たない場所?」


「そうさ。訪れた者の記憶に合わせて様々な幻を見せる場所。だからゴエモンちゃんから離れないようにしてね。もし迷子になったら永遠に出られなくなっちゃうから」


「あ、ああ……」


 足元を見るとゴエモンが「ヘッヘッヘッ」と舌を出して俺を見上げていた。

 俺はゴエモンに笑いかけ、それから携帯に目をやった。


 コメント欄は意見が錯綜していた。

 遊園地が見えるという者もいれば湖が広がっていると主張する者もいる。俺の部屋が晒されている、と騒いでいる者もいた。


 どうやらエマが言う通り本当に人によって違う場所に見えるらしい。

 だとすると「迷子になったら永遠に出られなくなる」というのも冗談では無いのだろう。

 俺は少し背筋が寒くなった。


「問題の邪神はどこにいるんだろう」


 俺は改めて辺りを見回したがそれらしいものは見えなかった。

 するとエマは前方をじっと睨み付けたまま言った。


「すぐそこにいるじゃないか」


「え? ……あっ!?」


 エマの言葉で気が付いた。

 むしろ今までどうして気付かなかったのだろう。

 誰もいないとばかり思っていた空き地の中央に、猫背で髪の長い着物姿の何者かが立っていた。


 ほどんど骨同然に痩せ衰えており性別は判然としない。

 こちらを向いてはいるものの目は虚ろで微動だにせず、俺たちに気付いているか以前に意識があるのかも疑わしい。

 ただし口からは何やらネバついた黒い液体を絶えず垂れ流し続けており、時折ゴポゴポと音を立てていた。


“あれが邪神?”


“気持ち悪い……”


“てかあれ生きてるの……?”


「思ってたよりも酷い事になってるね」


 エマが言った。

 どことなく憐れみの色が混じった言い方だった。


「あれはどういう状態なんだ?」


「黄泉の国を完全に掌握するために理を自分の中に取り込もうとしたものの逆に理に取り込まれた、という感じかな。要するに調子に乗りすぎたのさ。神とはいえ単身でそんな事を企てればこうなるに決まっているのに」


「死んでるのか?」


「いや、かろうじてではあるけれどまだ生きてるみたいだ。あの口から洩れてる黒いのが理なんだけど、あれを全て吐き出させればまあ助かるんじゃないかな。つまり当初の方針通り殴り飛ばせばいいって事には変わりないんだけど……ただ、少し妙だね」


「何が?」


「近くに他の神の気配を感じない。こいつの暴走を疎ましく感じていたのは私だけじゃないんだ。大半は無関心だったけど、いくらかは止めよう動いてたのもいたんだよ。だからこいつがこんな大人しくなっていたのなら、私達がここへ辿り着く前に手を下している神がいても不思議じゃないはずなんだけど――」


 エマがそこまで言いかけた時だった。

 何の前触れもなく邪神の姿がフッと消えた。

 そして次の瞬間いきなりエマの目の前に現れたかと思うと、エマの両腕に掴みかかった。


「!?」


 エマは反射的に掴まれた腕を振り解き邪神へ向けて岩の柱を出した。

 柱は見事に命中し邪神の身体は弧を描いて飛んでいく。


 しかし地面に落ちる間際、まるで空気に溶けるようにまたフッと消えてしまった。

 俺は慌てて辺りを見回したが邪神の姿はどこにも見当たらない。


“なに今の”


“ゾクッとした”


“怖い”


「……こりゃあ不味いね」


 エマが言った。

 その声にはこれまでのような余裕が全く感じられなかった。

 俺は尋ねた。


「どういう事なんだ?」


「冗談で邪神と呼んでいたけれど、どうやらあいつは本当に邪神になってしまったらしい。本人の意識が残っているかは知らないけれど、今のあいつの身体は完全に理に操られている」


「理って意思があるものなのか?」


「一般的な意味での意思というよりはコンピュータのプログラムに近いかな。黄泉の国という世界を管理するために存在していた代物だからね。今のあいつの目的は恐らく黄泉の国を今以上に拡張すること。そのために他の神を取り込んで糧にしようとしてる。さっきの手つきはそういう感じだった」


 そう言いながらエマは掴まれた自分の腕を俺に見せた。

 そこは邪神の手の跡が火傷のようにただれてくっきり残っていた。


「じゃあ他の神の気配がないって言うのは……」


「既に取り込まれちゃったって事だろうね、多分」


 エマが言い終えたのとほぼ同時に、エマのすぐ背後に邪神が現れた。

 だがエマはわざとそこに出現するように誘い込んでいたらしい。

 狙いすましたように岩の柱が叩き込まれ、再び邪神の身体は宙を舞った。


「こうなってしまったらもう殴り飛ばすだけじゃ解決にならない。悪いけど理もろとも一度消滅してもらうよ」


 エマは邪神にそう告げ、指をパチンと鳴らす。

 追加で何本か岩の柱が地面から飛び出したかと思うと、それらは自在に折り曲がって邪神を挟み込みそのままそのまま潰そうとした。

 しかし邪神はまたしてもフッと姿を消して全く別の場所に現れる。


「チッ、ちょこまかと……」


 さらなる岩の柱で追撃を試みるが、ひたすら邪神が逃げ回るため決定打を与えられない。

 ただ、戦況はエマのほうに分があるように見えた。

 配信による影響なのだろうか。


“神様頑張れ!”


“そこだ!”


 効果があるのか分からないが俺は声援になりそうなコメントを選んで読み上げた。

 するとその矢先、一本の柱が邪神の顔面にクリーンヒットした。


 これはさすがに効いたらしく邪神が明らかにバランスを崩す。

 いいぞ、と俺は思った。このまま押し切れば行けるかもしれない。


 だが、その矢先だった。


「グガアアアァァァ……!」


 邪神が黒い液体を撒き散らしながら突然唸り声を上げた。

 すると空き地に見えていた空間全体に亀裂が走り、ガラスのように砕け散る。


 何が起きたのかわからなかった。

 ただ俺は気付いた時には足場もない真っ暗闇の中に放り出され、知らぬ間に意識を失っていた。

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