第4話 友情

 大好きな子が居たんだ。

その子は女の子だった。可愛い可愛い女の子。


 宇月ひなのは、大人しくてどこまでも純粋な子だった。

彼女と私は小学校が同じだったんだ。好きになったのは小学三年生の時、理科の芋虫を観察する授業があった日だった。


 班に一つ配られる、芋虫が入った皿。

もしアゲハチョウの幼虫だったら、私だって流石に嫌がっていたのかもしれない。

でも観察するのはモンシロチョウの幼虫だった。

小さい緑色の幼虫は可愛かった、毒々しい色をしている訳でも攻撃してくる訳でも無いから。


 しかし虫嫌いの宇月は泣いていた。

幼い顔に似合わない静かな涙を流している彼女を見て、私は心臓が脈打つのを感じた。何故か分からないけれど、周囲の女子が夢中になっている男性アイドルよりもずっとずっと宇月の泣き顔が魅力的に見える。

性癖という言葉は便利だ。


 彼女が好きだった、心の底から。

付き合っては別れる周りのカップルを見て私は心のなかで嘲笑っていた。

くだらない。どうせなんとなくで好きになって付き合ったのだろう。


 振られたのに涼しい顔をする友達の顔を見ると笑いそうになってしまう。

性格が悪いのは分かっている、けれど仕方ないのだ。面白いのだから。


 あんなに好きだ好きだと騒いだ癖して、振られた途端好きじゃなかったけど付き合ってあげたんだよ、とでも言いたそうな顔をする。

所詮振られた屈辱を守るプライドに勝てないくらいの『好き』だったんだ。

彼女等の無理してつくった顔がそう物語っていた。


 私は振られたらしばらく病んでしまうと思う。

きっと涙を流す暇は無い。汚い感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていくから。

だからこそ私は告白なんて馬鹿な真似はしない。

男でも好きな人なんて出来た事の無い宇月に、女子の私を好きになるなんて不可能に近いと分かっていたから。


 これが叶わない恋なら私はせめて彼女の隣に一生居たいと思った。

だから宇月と同じ中学校を受験した。


 もし宇月が私が生きる為に欠かせない、彼女の為に尽くす事を喜べる、そんな命綱のような存在だったとするならば、私は中学一年生の春に死んだ。


 宇月に彼氏が出来た。

受験勉強をしに通っていた塾で出会ったらしい。

照れながらそう話す彼女を見て私は吐き気を催した。


 その時私が肌で感じた全ては、言葉で表現出来ないししたくもない。


 一ヶ月程後の事だった。

その日、私は黒瀬賢人に初めて話しかけられた。

直後に家に連れて行かれるとまでは思っていなかったものの、彼の話し方というのは他の男子と違って下心丸見えという訳では無いのに、何だか分かりやすかった。

だから、話していくうちに何となく彼の考えている事は分かったけれど、こんな爛れた関係になるとは思ってもいなかった。


 関係に不満は無かった。

彼は凄く繊細な人間だと思うから、二年前も今も。

どこまでも可哀想な人なんだ、だからは私は彼との関係を切れなかったし切りたくもなかった。

他の男と関係を持つ事だって多々あったし、それに対しての不満も無かった。


 彼と話していると別世界を見ている気持ちになる。

天井を見つめながらぽつぽつと語る黒瀬の話は支離滅裂で、たまに何を言っているか分からないくらい謎に満ちている。


 そんな事出来るわけ無いじゃん、と言ってしまいたくなるような事を当たり前かのように話す。

周りが思っているよりもずっと弱い人なんだ、彼は。

恋とは程遠い感情だった、慈悲に近いかもしれない。

私は彼の隣に居てあげようと思った。


 しかし私は唐突に彼との関係を切った。

きっかけはまた、一人の女の子だった。


 好きになった人が宇月しか居なかった為気づかなかったものの、私はどうやら惚れやすいらしい。

放課後見てしまったんだ。

水着を着てプールの前に立つ樋口里菜りなを。


 そういえばいつも樋口は私と見学しているけれど、泳げるのだろうか。

少し気になって外から見ていると、樋口は小さな音を立てて飛び込んだ直後に顔を出した。

必死そうにプールサイドに上がると、一人で泣き始めたのだ。


 そこにそれを見ていた女教師が駆け寄り、何かを話し始めた。

樋口は泣きながら教師の言葉に頷く。

そのまま自分の身体を撫でながら樋口は教師と共に去ってしまった。


 私って単純だ。

心臓が身体から飛び出そうとしているように脈打ち、顔から湯気が出そうなほど興奮しているのを感じる。

彼女、凄く可愛い。


 翌日から私は樋口を目で追うようになり、たくさんの事が分かった。

例えば、肌が綺麗な事。

笑顔は可愛らしいけど、笑い方が独特な事。

跳び箱が跳べずにいつも座る事しかできなくて、毎回恥ずかしそうに周りを確認している事。

グリーンピースを食べる時は不味そうな顔をする事。


 知れば知るほど底なし沼にハマっていくようだった。

いつの間にか宇月は私の中で大好きな人から親友に変わっていた。


 どうやら宇月は彼氏と別れたらしい。

無理やり嫌なことをされた、と泣く宇月を見て可哀想、と真っ先に思う。

興奮しなかった。ただただ同情の気持ちで一杯になった。

それがきっかけで男が苦手になった宇月を見て、複雑な気持ちになる。


 二年後だった、樋口に私の気持ちが伝わったのは。

プールから顔を出す彼女は泣き顔ではなくて笑顔だったけれど、私はそれを残念とも思わなかった。むしろ、心から愛おしいと感じた。

宇月の泣き顔が『性癖との合致』だとすれば、いつか見た樋口の顔は『きっかけ』だと、そう心から信じられる程に、私は樋口が好きだったし愛していた。


 宇月に対する未練というのは塵程も無かった。

男が苦手になってしまった彼女には新しい彼氏が出来たらしいし、宇月の笑顔を見れば心から安心する。

私は男なんて好きになった事が無いため宇月の気持ちは分からないし、宇月が幸せになれる保証も無い。


 でもふと彼女の幸せそうな顔を見ると黒瀬を思い出すのだ。

何度だって迷うことなく言える、あれは恋ではない。

でもきっと私が男でも好きになれたなら、彼に恋をしていたと思う。

それくらい黒瀬は弱くて脆くて、私は彼のことを守ってあげたいと思っていたから。

宇月にもそれくらい大切な人が出来たのかな、と思えば心配なんて感じなかった。


 誰かがそれを友情と名付けた。

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僕らは日焼け止めが塗れない 有くつろ @akutsuro

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