第32話 白銀色の人形
――我慢しなくていいよ
誰かに言われた気がした。嫌なことは全て消し去って、全てなかったことにして、あたしはここから自由になって……
あたしを縛る全ての事柄はあたしの敵で、それを消し去る権利があたしにはあって……
虚ろになったあたしの意識は、そんな破滅願望にも似た衝動に支配されようとしていた。
もういいや! 全部めちゃくちゃにしてやる! そう思い立った次の瞬間――
――よく耐えたな蒼君
突然あたしの名を呼ぶ声。聞いたことのあるその声は何処から聞こえた?
分からない、でも確かにあたしの中から聞こえた気がする。
「い、今の声は!? な、何故あいつの声が聞こえたのです!? 確かに奴の、奴らの目はこちらを捉えていなかったはずなのに!」
「リリィ、あんたあいつのこと舐めすぎ。あんな
リリィと呼ばれた女性と、友達だと思っていたのに、あたしのことを利用していたというマリアが言い合いを続けている。
ふたりのいうあいつって誰? でも今聞こえたあの声は確かにあの人の声だった。
――蒼君、立ちたまえ
再び声が聞こえた。またもその声はあたしの中から。
いや違う、あたしの中からじゃない、そうだ、その声は――
――あたしの影から聞こえたのだ
そう思った瞬間、立ち上がったあたしの影から何かが出現した。音もなく、静かに、ただ静かに、水面からゆっくりと表れるかのように、でもその陰の
「君たちよくもまあ私をコケにしてくれたな。そして彼女に危害を加えてくれたな。その罪の代償を頂戴するとしよう」
そう宣言したなにか。
それは白銀色のなにか。立体菱形のボディと2本の円錐状の腕、立体菱形の上部に菱形十二面体。菱形十二面体の中心部には目のような球体がある。その白銀のなにかの頭上には不思議なことに、4つの立体球が浮かんでいた。
それを見たリリィは何かを察したかのように口を開いた。
「くそっ、あいつの人形だ。ね、ねぇ! メフィスト! 話を聞いて!」
「次その名で呼んだら無条件でお前を殺す。私は徳倉メルだ」
「わ、わ、分かったわ。メ、メル、は、話を聞いてちょうだい。わたくしたちがこのような行動をとったのには理由があるの! お、お願いだから話を聞いて……」
先程までの余裕ぶったリリィの表情が今では見る影もない。まるで大型の獣の前に対峙した小動物のように怯え、焦り、震え、狼狽え、絶望した様子の彼女は、必死になって目前の人形と呼ばれた何かへ慈悲を懇願している。
「くそっ、なんなんだこの物体は!? おい、お前ら、発砲許可する! 撃て!」
突然リリィの傍らに立っていた軍服姿の男達が拳銃構えた。この異常な空間に耐えきれなかったのか、それとも完全な想定外だったのか、銃口の向かう先は白銀色の人形。
「おい! お前たち止めろ! そいつに殺意を向けるな! 殺意に反応して対象へ攻撃する自動人形だぞ!」
余裕を失って表情が一変したリリィが男達に向かって叫ぶ。先程までのような何処かに気品の漂った口調ではない、言葉尻が何処となく下品な荒げた口調で。
「はぁ、私がこの子を操っているわけではないのでね、こちらはそこまでするつもりはなかったのだが、しょうがない……」
再びメル先生の声が聞こえたかと思うと、人形の頭上に浮遊していた立体球が男達に向かって飛んでいく。そして4人の男達の頭上にはそれぞれ4つの立体球が静止した。
「お前ら! 早く銃を下ろせ! 取られるぞ!」
「な、な、なに言ってる!? 取られるってなにをだよ!? こ、こんなことになるなんて俺は聞いてないぞ!」
迷彩服を着たおとこのひとりが叫ぶ。その叫びが終わるのと同時に立体球は男の頭の中へと沈んでいった。音もなく、血が出ることもなく、水面にゆっくり沈んでいくかのように。
――あっ、あっ、あっ、あっ……
「君たちはこの子に殺意を向け過ぎたみたいだね。そこで大人しく事の顛末を見守っていれば被害を被ることもなかっただろうに。まぁ己の浅慮を呪いたまえ」
他の3人の男達の頭にも同様に立体球が沈んでいく。
これは先生がやっているの? この人たちはどうなってしまうの? まさか、死んじゃうなんてことないよね? ダメだよ? 人は簡単に死んでしまう。
クラブハデスでの出来事がフラッシュバックする。あたしの前ではじけ飛ぶ沢山の女の子。血しぶきが舞い散り、臓腑がはじけ飛ぶあの地獄絵図。
もうあんなのは沢山だ。
「先生! メル先生! 止めて! 許してあげて! 自分が痛いのは嫌! だけど他の人が痛い思いをするのも嫌なの!」
思わず口に出た言葉。あたしのことを拉致したり酷いことをした人の仲間なのかもしれないけれど、何も死んで償わなければいけないような罪じゃない。こんなことで殺されてしまうなんて絶対あってはダメだ!
あたしが叫んでほんの数秒後、男達に沈んでいった立体球はゆっくりと体内から浮かび上がってきた。どうやら彼らは許されたらしい。
「蒼君は優しいね。自分がこんな目に遭ったというのに情けをかけるだなんて。君たち、彼女に感謝したまえ。今回はこの子へ強制停止をかけた。だが次はないぞ。拳銃を仕舞いたまえ」
その言葉を聞き、ゆっくりと拳銃をホルダーに戻す男達、助かったといっても明らかに全員の目の焦点が合っていない。直立状態ではあるものの、震えて、今にもその場にへたり込みそうだ。
「メ、メル、温情をかけていただいて感謝するわ。こんな子たちでもわが社の大事な社員ですので。この子達は何も盗られていないということでいいのかしら?」
「あぁ、盗る寸前で停止したからね。多分掴みはしたからしばらくは安静にさせたほうがいいだろうがね」
「わ、分かったわ。忠告感謝するわ。それでわたくしはどうなるのかしら? ゆ、許してもらえるのならこれまでどおりの付き合いをお願いしたいのだけれど」
メル先生とリリィがなにやら会話をしているけれど、会話の内容は全く分からない。盗る? 掴む? なんの話をしているのか、只なんとなく直観で、とても物騒な話をしているんだろうっていうのは分かった。どんな意味なのか聞きたいようで、聞きたくない。
「まぁ直接的に蒼君に危害を加えるつもりはなかったようだからね。今回は特別に大目に見よう。だが次はないぞ。もし今回のような素振りを一度でも見せたら、強制的にお前たち全員を停止する。分かったな?」
「わ、わ、分かったわ。もちろんあなたたちへの敵対行為なんてしないわ。これはわたくしだけでなく、観測器全体の意思よ」
「ならば許そう。あぁ、そうだ、ひとりだけ、いや、ふたりか、ふたりだけ観測器の意思に背いて動いている奴らがいたな?」
白銀色の何かとリリィの視線が一点に集中する。
その先にはマリアがいた。
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