第31話 我慢しなくていいよ

「連れてきたぞ。俺たちの仕事はこれで終わりだな。報酬はいつもの口座に頼む」

「えぇ、もちろんよ。ご苦労様……」


 あたしは13階のとある一室へと連れてこられた。そこには椅子がひとつ。


「お嬢さん、手荒な真似をしてすまなかったな。俺たちはここまでだ。では」

「俺たちを恨まないでくれよ」


 黒服の男ふたりはそう言って、あたしの頭をポンポンと叩き部屋から出ていった。


「えぇと、志岐谷蒼さんでよかったかしら。ごめんなさいね、急に来ていただいて」

「は!? 急に来ていただいてって! あなたたちが勝手に連れてきたんでしょ!」


 椅子に座らせられたあたしの前には女性がひとり、そしてその脇には軍服を着た男性が4人。こいつらの目的が全く読めない。あたしを攫うのにあんな大掛かりなことをして、一体なんの意味があるっていうの? そもそもよく考えたらマリアちゃんが目的なら彼女ひとりでいる時に攫ったほうが効率的だろう。

 あたしを攫った理由はなに?


 ――あっ……


「ここに連れてこられた理由、察していただけましたか?」


 あたしが他の人と違う、他の人にすることができないものをあたしだけができる、その為に必要なアイテム……


 ――眼鏡、ですか?


「うふふっ、察しが早くて助かりますわ。そのとおりです。アレはあちらとこちらを繋ぐもの。本来なら使用することすら禁忌。アレは然るべき場所で、然るべき処置を施し厳重に保管すべきものなのです。志岐谷様、お分かりいただけますよね?」

「な、なに言ってるの!? あれはゲームの筐体でしょ!? そりゃユーザー登録があたしになってて他の人に使えなくしちゃってるのは悪いって思うけど、でも! ここまでされる謂れはないわよ!」

「は? あなたは何を言っているの? ゲーム? あぁ! そういうことですか。なるほど、彼からはそう聞かされているのですね。えぇ、大丈夫ですよ志岐谷様、そのユーザー登録とやらはわたくし達の方で解除しておきますから、あなたは何も気にする必要はございません」


 彼女の言ってることはにわかには信じられない、でも彼女が言ってることがもし本当だとしたら…… あたしは今後あのゲームから解放される。

 きっとこの人が突然家に来て、ゲームの筐体を渡してくださいと言ってきてもあたしは多分渡さないだろう。でも、ここまで大掛かりな拉致を計画し、実行した彼女の本気は伝わってくる。その方法が良かったのか悪かったのかは別にして。


「そしてもうひとつ、あなたの左目、どうですか? よく見えていますか? 見えていませんか?」

「え、なんでそのことを知ってるんですか? いえ、確かに前より見えづらくなってはいますけど……」

「うふふっ、わたくし達は大抵のことならなんでも知っているのですよ。もし志岐谷様さえよければその眼の治療も、わたくし達が無償でさせていただきます。視力も以前と同じくらいには回復しますよ。如何します?」


 うぅ、さすがにこれは少し心が揺らぐ。実際生活に支障が出始める程度に左目の視力が低下している。きっとこれを治療しようとすればかなりの金額がかかるだろう。

 保健適用の効かない治療が必要になったとしたら100万単位を要求されてもおかしくない。あたしには金がない。メル先生から仕事もしていないのにお給料はいただけるけど、それもそんなに多くない。とにかくあたしは金がない。


「あの、それって本当ですか? 本当にあの筐体をお渡ししたらあたしを解放して目の治療も無償でしてくれるんですか?」

「えぇ! もちろんです! なんなら毎月いくらかをあなたの口座に振り込ませますよ。そうすればあなたは今後の生活の心配をすることなく、一生働かず暮らしていけますよ」


 あたしの中の天秤は今大きく傾いている。実際これはあり得ないような甘い提案、二つ返事ではい分かりました! って答えたいって気持ちがある中で、なんだろう、危険だ! やめとけ! って叫んでるあたしもいる。なんだろうこのモヤモヤは。

 そんな晴れない心の中に、ふとひとりの女性の顔が浮かんだ。


「そうだ! マリアちゃんは!? マリアちゃんはどうなったんですか!? 返事をする前にマリアちゃんに会わせて! これだけは譲れない!」


 そうだ、マリアちゃんは何処へ連れ去られたの? もし今回の拉致のターゲットがあたしだとしたら、あたしはマリアちゃんを巻き込んだことになる。マリアちゃんの無事を確かめないことには話を続けるわけにはいかない。


「あぁ、あの子、あの出来損ないですか? あの子はミネルヴァと共謀して勝手な行動をしていたので処分いたします」

「は、処分? あなたなに言ってるの? なによ処分って」

「いえ、言葉のとおりですが、なにか?」


 彼女の言動に背筋がぞっとする。うねりのない艶やかなストレートの金髪を靡かせて首を傾かせる碧眼の女。あたしなにかおかしいこと言っちゃいました? みたいな表情をしてあたしが何か言うのを待ってるのか。何故だか知らないけどだんだんと腹が立ってきた。


「処分とか物騒な言葉を軽々しく使わないで! とにかくマリアちゃんに会って、マリアちゃんの無事を確認できなければこの話はお終い! あたしは家に帰る!」

「おやおや困りましたね。こちらとしてはなるべく穏便に事を済ましたいのですが。仕方ありませんね……」


 彼女は座っていた椅子から立ち上がり、隣にいた男達になにか話しかけている。なに? あたしに何かするつもり? あぁ、どうすればいいの? 手足を縛られたりはしてないけど、あたしはこいつらの制止を振り切ってここから逃げ出せる? どれだけシミュレーションしても成功するイメージが浮かんでこない。


「志岐谷様、分かりました。今マリアをここへ連れてきます。それでよろしいですか?」

「え!? は、はい。お願いします」


 おぉ! 何故だかいいほうに予想を裏切った! マリアちゃんに会える、会って謝らないと。巻き込んじゃってごめんねって。


 しばらくして男に両脇を抱えられマリアが連れてこられた。顔にはアイマスクと口枷がはめられて、見るからに痛々しい姿がそこにあった。


「なんて酷いことしてるのよ! は、はずしてあげてよ!」

「はぁ、注文の多い人ですね、まぁいいでしょう、はずしてあげて」


 女はそう命令すると、脇を抱えていた男はマリアの拘束を解く。

 視覚と声を解放された彼女は一息置いてから叫んだ。


「おい! リリィ! てめえなんてことしてくれるんだ!? どういうつもりだ!? なんで私にこんなことをする!?」

「マリア、それはあなたが一番よく分かっているでしょう? ミネルヴァと共謀して私利私欲の為に志岐谷様を利用しようとした。その報いですよ」

「私利私欲!? 私はそんなことはしていない! 観測器の為だけに生きている私がそんなことするわけがない!」


 ふたりが会話している。お互いにまるで旧知の仲のように……

 いや、どう聞いてもふたりは知り合いだ。どういうこと? なんでふたりは知り合いなの?

 それにマリアちゃんがあたしを利用? 


 無関係だと思ってた、巻き込んでしまったと思っていた彼女はどうやら無関係ではなかったらしい。

 あたしが一方的に、勝手にだけど、信じていたものに裏切られた。その事実に打ちのめされたあたしの心の中で、声にならない誰かの声があたしに呟く。


 ――我慢しなくていいよ……

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