第2話 志岐谷蒼
あたしの名前は
4か月前に短大を中退して現在一人暮らし。1か月前からとある病院の受付嬢に就職した。
家族はお父さんとお母さん、そして姉ふたり。あとは兄がふたりいた。
心細い初めてのひとり暮らしで時折送られてくる、遠く離れた場所に住んでいるおばあちゃんからの贈り物は、毎回短い手紙と沢山の農作物やお菓子で満杯だった。
今回も当然そんなあたしの心をあったかくしてくれる、おばあちゃんの愛情がいっぱい詰まった段ボールだと思っていた。でも……
「え、え、なに? なんなのこれ? と、扉? ていうか、おかしいでしょ!? 扉だけが見えるんですけどぉ!」
1K6畳のあたしのお城の中心に扉が見える。なにこれ幻覚?
とりあえず掛けていた眼鏡を外してみる。
眼鏡を外して裸眼で見てみると……
「あ、あれ? なんにもない? どゆこと? 意味がわかんないんですけど」
そしてもう一度眼鏡を掛けて同じ場所を凝視する。
「あ、ある…… 扉がある」
ありました。やっぱり扉がありました。
意味が分からない。そもそもそこにあるのは扉だけ、枠もなければ当然壁だってない。本当に扉だけがそこに立っている。
どうしたものか…… 開けたい。何故か? だって気になるから。きっと誰だって目の前に扉が突然現れたら開けたくなるだろう。
でも何故だか嫌な予感がする。開けたらよくないことが起こりそうな不確かな予感……
そんなことをひとり考える、いくら考えても答えなんて出ない、埒が明かない。そうすること数分……
突然――
――開けますか? →YES →NO
「はっ!? え、え、なにこれ? え、字が見えるんですけど……」
突然視界に映し出された文言。一瞬なにが起こったのか理解が追い付かなかったけど、これってもしかして某有名野球選手も使ってるとかいうスマートグラスってやつ?
一旦眼鏡を外してまじまじとソイツを見てみたけれど、どこをどう見てもアナログなただの眼鏡にしか見えない。電子機器が内蔵されているようには見えないのだけれど。
「あ~! しゃーない! 決めたっ!」
あたしは眼鏡を再度装着し、意を決して扉に手を掛けた。
「答えはイエスよ!」
イエスと答えると、勝手にイエスの部分が太字でハイライトされている。すごい! 声に反応したのか、思考に反応したのかわかんないけど、とにかくすごい! 最先端!
「う~ん、やっぱなんか怖いな、でも……」
深く考えても答えは出ない。うじうじ悩むくらいなら自分の好奇心を信じてみよう!
あたしはゆっくりとドアノブを回し、扉を引く。
扉を開いたその先、扉の向こうには――
――街があった……
◇
「え…… う、嘘でしょ…… ど、どーなってんのよ」
開いた扉の先には街があった。沢山の建物、高層ビルや公園、自販機なんかが見える。街っていうかかなりの都会、それも大都会、多分。
あたしの住んでいる街は田舎というほど田舎ではないけれど、都会と言うほど都会でもないという中途半端な街。そこに住んでるあたしからすれば、今見ている風景はもう大都会も大都会と言わざるを得ない。
そしてふと空を見上げると月が青い。なにあの月、とっても綺麗。
とりあえずドアノブは握りしめたまま扉を一歩跨ぐ。
今は10月、今日は日曜、時刻は現在午前7時。でも扉の向こうはやたらと寒い。そして薄暗い。どうなってんの? 意味が分かんない。
とりあえず両足を謎の街へ踏み込んだけど、ドアノブはまだ手に持ったまま。
「これってドアを閉めたら帰れなくなっちゃうなんてことないよね? そんなことになったら嫌なんですけど……」
そんな時あたしは閃いた!
ドアになんか挟んでおけばいいのだ! そうすればドアを閉めずに街の様子を観察することができる! あたし超頭いい!
そうと決まれば話は早い。一旦部屋へ戻り、ドアストッパーに良さそうなものを探す。しばらく探すと丁度いいブツを発見した。
「これだ! 漬物石!」
前におばあちゃんから送られてきた漬物石。あたしは漬物なんか漬けないし、なんなら漬物自体そんなに好きじゃないのに、何故だか送られてきた。捨てるに捨てられないので、ずっと取ってあったのだ。ようやくコイツが役に立つ時がきた。
おばあちゃん、この時の為にコイツを送ってくれたんだね。ありがとうおばあちゃん。
何キロあるかは分からないけど結構重い漬物石を両手に抱え、お尻でドアを押さえ、後ろ向きで扉の向こう側へ入っていく。
慎重に、ドアをうっかり閉めないように、扉の丁度いいところに漬物石を設置した。
「よっし! オッケ! これで帰り問題解決! じゃあちょっくら謎街探検にでも洒落こみますか!」
意気揚々と手を腰に当て、扉から背中を離した瞬間――
――ガシャンッ!
は? え、え、う、嘘でしょ?
急いで振り返り扉に目をやると、漬物石の分だけ開いていたはずの扉が閉まっていた。
やばい、これはやばい。なんで閉まった? 足元を見てみると置いてあったはずの漬物石はない。割れたわけでもなく、転がったわけでもなく、そこには漬物石そのものがなかった。
「ど、どうしよう…… 帰れなくなっちゃった……」
途方にくれるあたし。あたしはこれからこの得体の知れない謎街で一生暮らしていくの? はぁ、こんなことなら扉なんて開くんじゃなかった。
どうすればいいのか全く見当もつかないけれど、とりあえずドアノブが回るかどうかだけ試してみるか。大抵このパターンだと絶対開かない。これでもし開いたらお笑いだ。
――ガチャッ
「開くんかーい!!」
どうやら扉は普通に開くみたいだった。こちらから見える扉の向こう側は、あたしの居城のIK6畳一間。よかった、あたしの絶望はどうやら杞憂だったみたいだ。
扉が自由に開け閉めできることを確認したので、とりあえず街の探索に出かけることにした。現在地、というかそもそもここがどこの街かも分かんないけど、とにかく今あたしの目の前にはお店があった。
「あ、これってケーキ屋さんかな?」
お店の看板には『gâteau du pillard』と書いてある。お店の名前だろうか? うん、読めない。
う~ん、甘~い香りがお店の外まで漂ってくる。お店もお洒落な外観をしているし、ちょっとお邪魔してみようかな?
「ごめんくださーい! あ、あり? 店員さんいないのかな?」
お店の中を見渡してみても、店員さんらしき人はひとりもいない。どうなってんの?
ただお店に入ってすぐショーケースが目に飛び込んできた。色とりどりの美味しそうなケーキたち。
「うわ~! めちゃくちゃ美味しそう! あっ! お財布置いてきちゃったや。まぁいいか。とりあえず色々見てからあとでお財布取りに帰るかぁ」
どのケーキにしようか迷っていると、ふと普通のケーキ屋さんとは違う点に気が付いた。
「あれ? これってこっち側から取れるようになってるじゃん。え、セルフ?」
このケーキ屋さんのショーケースは何故だか知らないけど、お客さん側から商品が取り出せるように配置されていた。
そしてふとショーケースの一番上の棚には、何故だかお洒落な内装には不釣り合いな招き猫とホワイトボードが設置されていた。
ホワイトボードにはとある一文添えられていた。
――ご自由にどうぞ
(え、嘘でしょ?)
色とりどりのケーキをよくよく見てみると値札がない。でもショーケースの上にはトングとトレイが配置されていた。
「これで取れってこと? う~ん、でもなぁ……」
さすがに勝手に取るのは道徳観が許さないっていうか、いくらご自由にどうぞって言われてもなぁ。
どうしよっかなぁ。とりあえず一旦帰るか。
怪しすぎるケーキ屋をバックに、あたしはおなかを撫でた。
「はぁ、ハラへった。今日まだなんにも食べてないや」
超美味しそうなケーキたちに後ろ髪をひかれながら、あたしは踵を返し、店内から立ち去ろうとした――
その時――
「え、なにこれ? 視界が……」
――真っ青だ
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