第55話 母

 俺は魔王の前に浮かんでいる。まわりには無数の妖精さんたちの群れ。不思議なことに妖精たちは魔王に対して敵意は持っていないようだ。魔王の近くでも楽しそうに飛び回っている。


「ああ、やっぱり。あなたはあの方だったのね……」


 魔王は攻撃することなく俺が上がってくるまで静かに待ってくれていた。


「そうみたいだね。精霊王にしがみついていた君を見たのが初めてだったようだ」


 記憶の中の可愛らしい女の子の姿が魔王に重なって見える。対決するつもりだったのだが、そんな気持ちも霧散してしまった。

 

「ええ、覚えてるわ。私は闇属性の精霊、悪魔なんて闇の世界の住人だし下に見てたのよあの頃は。大好きな精霊王様をきっと騙してるに違いないって無理やりついて行ったの。それなのに私ずっと震えてたのよ。おかしいでしょほんとうに。怖くて怖くて仕方なかったのよあなたのことが」


「し、失礼な……。俺だって先代の魔王と一緒に君を笑わそうと頑張ってたんだけどな」


 俺はガサツな先代魔王と必死に機嫌を取っていたっけ。


「ええ、それも覚えてるわよ。でもね、あなたのことを探ろうとして心の中を覗いたのが失敗だった。底なしの闇。あれが『奈落』ってやつなのは子どもの私でも分かったの。そんなモノを抱えた奴が普通に笑ったり会話したりしている。きっと、その不自然さが気持ち悪くて仕方がなかったのね」


「そうなの? 自分では分からないんだが……」


『奈落』なんて言われてもそんなもの知らないし、俺にもそんなものを抱えてるなんて自覚はない。


「いいえ、薄々は自分でも気づいていたはずよ。だって天界を何者も住めない場所にしたのはあなたじゃなかったかしら? 同族を殺し、神族を殺し……。精霊王と一緒に見ていたの。人界まで滅ぼそうって勢いだったから心配したのよ。ああ、あのときは先代魔王もいたわね」


「……」


 あの記憶の空白は……。


 本気で思い出そうとすれば思い出せることを実は知っている。でもそれは見たくないものだということが分かっていたから本能がそれを拒絶した。

 

「結局あなたは逃げた。世界を滅ぼしかねない自分のことを忘れるために人界に。それも世界を越えて転生した。でも、運命のチカラなんてものがあるのね。この世界に二度も帰ってきて二度も私の前に立っている。ああ、私の前には三度目かしらね」


 それも知ってる、俺は逃げたんだ。直接言われるときついものがある。彼女が言うように俺がこの場所にいるのはそういうことなのかもしれない。


「運命って……。あっちの世界にまで手を出したのは俺を呼び戻すためだったんだろ?」


「ええ、賢者だったあなたをだけどね。一応教えておくけど誰も殺してないわよ。異空間に隠しただけ。あなたたちがこっちにきたのを確認してから、ちゃんと元の場所に帰しておいたわよ。そのせいで大混乱してたけど、あとのことまでは知らないわよ」


 マジか。俺の家族も会社の同僚も無事。良かった、本当に。だが……。


「その前の決戦のときも?」


「もちろんよ。私は魔王もやってるけど元々精霊だし。あのときあなたは死んじゃったから知らないわね。クー・フーリンはブーディカがどうしてもっていうから、こっちで復活させたけど。他の英雄さんたちにはお願いして遠い別の土地で新たな生活をしてもらったわね。魔王には悪評が必要なの、先代みたいに優しかったら舐められるのよ」


 おい、俺があそこまで苦しくて痛い思いをしたのはなんだったんだ……。それに……。


「先代の魔王は……」


「彼が死んだのはあなたのせいかもね。私の夫、精霊王も……。あなたが逃げて【世界の意志】の理想は歪められたわ。この世界を統一支配しようなんて愚かなものに成り下がった。あの神父が立て直すまでに随分時間が掛かったの。それが間に合わなくて二人とも世界の脅威として粛清されちゃったわ。神父とあの木の精霊のフリをしていた悪魔女には悪いけど、今回のは私の個人的な復讐よ。それにあんな組織、トップが変わったらまた何をするか分かったものじゃないでしょ?」


 たしかに親友たちの死は俺のせいだ……。

 

「だが、ユキのために君がうごいていたのも事実だろ」


「……。さあ、なんのことかしら。あれは出来損ない。私にとって娘でも何でもないわ」


「本当はユキに会いたかったんだろ。向こうの世界でもユキが命がけで突っ込んで行ったときも助けたじゃないか。彼女の光の精霊の力の覚醒を促したのも君だろ。拐っていった後も自分の魂を削ってあの力の成長を促したのも分かってる。実は君の状態はかなりマズいことも……、俺には見えている」


「はぁ……。私は、あんたにあの面倒な子をなすりつけて旦那の元に行きたいだけなの。魔王ってね、悪い奴じゃなきゃならないのよ。誰にでも分かりやすいくらいに。じゃないと、正義の勇者や英雄が育たないの、あなたなら分かるでしょ!」


「いや、俺には無理だ」


 なんだよそんな設定、分かりたくもない。そんなもの認められるかよ……。


「あんな兵器で死ぬんじゃ足りないのよ。次の英雄様が現れて人々が物語を紡ぎたくなるくらいの美談が必要なの。あなたがその役割を担うの、分かる? あなたが英雄様で私が魔王様なの! とっとと私を殺しなさい!」


「できない」


「ああもう! あの馬車ごと消し去るわよ! これならいいでしょ! さあ、大事な子猫ちゃんが死んじゃうわよ! いい! いいのね!」


 魔王が馬車に向けて右手をかざす。彼女の手が震えているのが分かる。

 

「……」


 魔王の無理やり大きく見せていた魔力の揺らぎが大きくなっている。魂の灯が今にも消えそうになっているのも俺にははっきり見えている。


「そんなへなちょこな攻撃があんなとこまで届くわけないじゃないか……」


 俺はすっと近づいて彼女を優しく抱く。


「この棘の縛りも君の消えてしまいそうな意識を保つためなんだろ……」


 涙が止まらない。


 

 なんて不器用な魔王だ。


 なんて不器用な母親だ。



「お母さん!」


 異変に気づいたユキがこちらに手を伸ばして飛んでくる。ユキの胸の銀色のペンダントが淡い光を放つ。




「ごめんね……。あなたになにもしてあげられなくて……」


 魔王の胸にも同じ銀色のペンダントが光を放ちながら現れた。


 


 その小さな光は強烈な光と変化し魔王を中心に周囲を包み込み、音も消え、そして何も見えなくなった。

 

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