第9話 おしゃれなアンクウ

「うっ、う……」


「ユキお姉ちゃん……」


「ま、まあ。そういうこともあるよな……」


「ごめんなさい」


 泣きそうな顔のユキ。目の前は廃墟というより、すでに空き地になっていた。城を離れて薄暗い森に入ったところにそれはあった。もう、千年以上帰っていないのならこうなることも予想できたはずだが……。精霊さんの時間感覚はちょっと違うのだろうか。辛うじて石の柱が表札みたいなものでユキの所有地だと分かる。


 【冬の精霊のお家です。よく来てくださいました。歓迎しますよ】


 ん? 読めるんだけど、俺。これは柱の下から上に読む。たしか似たような遺跡と文字がイニシュモア島にもあった気がする。向こうでは理解できなかったのに。これはオガム文字だったか。


「私は大丈夫なのです。だから元気出して、お姉ちゃん」


「久しぶりにお客さんを我が家に招けると思ったのに……」


「えっと、城に戻るか?」


「いや、それはできないよ。あそこでのボクの立場が良くないのは、キミも気づいただろ。皆、ボクを避けるんだ。キミたちにも迷惑がかかるに決まってる」


 もしかして、ユキはこっちの世界ではいい思い出がないのでは。


「あっ、そうだ! アンクウさんのところに行こう。彼は親切でおしゃれさんなのだよ。グルメだしね。きっとボクたちを歓迎してくれるさ」


「ほう」


「でも、勘違いしては駄目だよ。ボクは浮気なんてしないキミの理想のお嫁さんなのだからね。彼は友達だよ。ト、モ、ダ、チ」


 いや、気にならなくはないのだが。俺に会う千年も昔のことに嫉妬するような度量の狭い男ではないと思う。



「ねえ、ユキ。随分とお城から離れた気がするんだけど」


 何だかどんどん寂しげな場所に向かっている気がする。既にアデルちゃんは俺の背中に乗せられて眠っている。さすがに再び迷うことはないと願いたい。例え迷ったとしても空よりも広い俺の心で受け止めよう。


 道すがら、アイルランドでみたのと同じような景色だと感じる。時折見える遺跡っぽいものも同じに見える。あの不思議な渦巻き模様、死と再生、破壊と豊饒を象徴しているとかナントカ。向こうからこっちに渡ってきた人たちが作ったのだろうか? それとも逆にこっちから向こうに。そんな古代のロマンに想いを馳せていると。ユキの声がした。


「居た! あれがアンクウさんだよ」


「ひえっ!」


 背中のアデルちゃんが起きたのか、小さく悲鳴を上げる。その気持ちよく分かる。俺なんて驚きすぎて声すら出なかった。


 大鎌を持った骸骨さんが荷馬車でゆっくりこちらに向かってくる。つばの広い帽子を被り黒い外套を着ている。おしゃれさんと言えなくもない。さすが異世界、早く慣れなくては。


「おーい!」


 ユキが手を振りながら叫ぶと、それに合わせて大鎌が揺れる。


「アンクウです。死神なのです。フランスの教会でアンクウのレリーフを見たことがあるのです」


 俺の背中から降りたアデルちゃんは、もう冷静に分析している。恐るべき順応力。


「ヨク、来タナ、冬ノ。オマエノ気配ヲ感ジタノデ、久シブリニ外出シタ」


 この死神さんは引き篭もりらしい。だが、言葉も話せるのか何処から声が出ているのか不明ではあるが。


「ボクも久しぶりにこっちに帰ってきたんだけど、お家が無くなっててさ。びっくりだよ!」


「フフッ。相変ワラズ抜ケテオルノダナ、冬ノ」


「ああ、知らなかったよね。ボク、『春の精霊』になったんだよ。それに名前ももらったんだ。ユキだよ。お空から降ってくる雪のユキ。いいでしょ?」


「ソウカ、良カッタデアルナ。確カニ、死ノ気配ガ和ライデオル。死ヲ尊ブ我ガ言ウノモナンデアルガ、コレハ祝ワネバナランノ」


「やった! やっぱりアンクウは話が分かるね。嬉しいよ」


 そこから俺たちはアンクウの荷馬車に乗せられて進む。彼の家に向かうようだ。馬車を引くのは普通の馬で、乗る前にアデルちゃんに撫でられて嬉しそうに頭を下げていた。


「おおっ、これは!」


「凄いよね、大きなお屋敷。アンクウは何故か昔からお金持ちなんだ。どうやって稼いでるのか教えてくれないんだけどね。この荷馬車も金ピカの豪華なのにすればって言ったんだけど聞いてくれないんだよ」


「コレハ我ノオ気ニ入リデアル。ソレニ初心ヲ忘レヌ事モ大切デアロウ。『初心忘ルベカラズ』ダ。イオリ殿ノ国ニ『世阿弥』トイウ者ガ居タデアロウ。友人デナ、彼ガ言ウニハイクツニナッテモ初心ナル未熟ナ状態ヲ忘レルナトイウ事ラシイ」


「あっ、私も知っているのです。お爺ちゃんに教わりました。能楽で有名な世阿弥の言葉です。『花鏡』の奥段に書かれているのです」


「へ、へえ……」


 教育熱心だったんだな、カワセさん。というか薄々気づいていたが、この子賢すぎる。しかし、この死神さん何故俺の出身まで知っているんだ。


 目の前には、まるでフランスのヴェルサイユ宮殿のようなお屋敷があった。美しい庭園も見える。あれは使用人? よく見ると仕立てのいい服を着たスケルトンたちが庭の手入れなどをして働いている。も、もう驚いたりしない。だって、アデルちゃんが骨っぽい人たちに元気よく手を振ってるし。


 俺たちは荷馬車を降りると、骨っぽい執事さんにお屋敷の中に案内された。

 


 

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