第5話 春の精霊に

 何事もなかったかのように青空が広がっている。


 あの『黒の悪魔』もどこにも見えない。ユキも……。


「お姉ちゃん……」


「そうだよ、アデルちゃん。精霊の、ユキお姉ちゃんが悪い悪魔をやっつけてくれたん、だ、よぉ……。うっ」


 涙が止まらなかった。アデルちゃんの前で大人げなく俺は大泣きした。そして二人で涙が枯れるまで泣き倒してやった。


 喉も涙も枯れはてて、俺はフラフラと立ち上がる。


「おじさん、元気出して。私も頑張るから」


「ああ」

 

 何が、死ぬ最期までかっこいい大人をだ。アデルちゃんの方が百倍しっかりしてるじゃないか。彼女の小さな手が俺を支えてくれる。どうやってもこの胸に空いた大きな穴は埋められそうにない。つい、溜息が出てしまった。

 

 でも、こんなんじゃユキに申し訳が立たない。俺はアデルちゃんに向けて全力で笑顔を作ってみせる。


「うーん、まだまだです。お家に戻ったら鏡の前で練習です」


「は、はい……」


 必死で口角を上げる俺の前には、アデルちゃんの模範的な120%の笑顔があった。女性というのはこんなに幼くても、とても強いのだと思い知らされた。

 



 


「お帰り! アデル。それにイオリ」


「へっ!? な、なんで……」


 扉を開けた先にいたのは、間違いなくユキだった。


 俺は、彼女にとても強くそしてしっかりと抱きしめられる。ユキの華奢でその柔らかい身体に甘い香り。これは幻なんかじゃない。本物のユキだ。彼女の熱い体温が服の布を通して伝わってくる。


「お姉ちゃん!」


「ごめん。気づいたら家のベッドの上にいたんだ。外に出てみたら君たち二人が号泣しているじゃないか。何というか、もう出るに出られなくなってだな……。君たちの帰りをひとり寂しく待っていたんだ。やっぱり、ひとりというのは嫌なものだな」


「ああ、生きてた……。ユキが」


 彼女を抱擁する腕に力が入る。


「ちょ、ちょっと苦しいよイオリ。何だかこのまま押し倒されそうな勢いだ。まあボクは大歓迎なのだが、アデルが見ているし、それは教育上よろしくない」


「あっ、ごめん……」


 俺は慌てて離れる。


「いいのです。アデルはお目々を閉じていますから」


 アデルちゃん、それは、薄目を開けて見ているというのではありませんか?


 ユキはそれをみて噴き出して笑う。


「でも、どうなってるんだ? ユキが『黒の悪魔』と一緒に消えてしまったように見えたんだが」


「女神様のお声が聞こえたんだ。それによるとボクはイオリの愛の力で生まれ変わることができたらしい。なんと、ボクは『春の精霊』になったのだよ。どうだい? 可愛さ大幅アップではないかな?」


 ユキはくるりと一回転してみせる。もう疑いなく彼女は、可愛い精霊様だ。


「ユキ、双子の妹がどうとか言ってなかったか?」


「ああ、あれは嘘だ。季節の精霊はボクだけだ。ボクの能力から女神様があなたはまるで冬の精霊ねって言われてから、あっちの世界で千年ほど、そう名乗ってたんだ。春の精霊はボクの妄想の中の可愛い妹だよ。友達も居なかったし……。まさかボクがその春の精霊になれるなんてね。これも君のお陰だ。大好きだよイオリ!」


 俺は頬にキスされてニヤけてしまう。それをジト目で見るアデルちゃん。


「やっぱり、ユキお婆ちゃんだったんだ。お婆ちゃん大好き!」


 悪い顔をしたアデルちゃんに抱きつかれて、苦笑いするユキ。


「あの、アデルさん。ぜひともお姉ちゃんに戻していただきたいのだが……」


「駄目でーす。今日一日はユキお婆ちゃんと呼ぶのです。私たちを心配させた罰なのです」


「そ、それは……」


 さすがの春の精霊様もアデルちゃんには敵わないようだ。ユキはその罰を渋々受け入れていた。おれも調子に乗ってお婆ちゃん呼びをしたら、思いっきり蹴られた。痛かった。痛かったが、なぜかとても嬉しかった。


「もう、あんなモノは出てこないんだよな。これから生き残った人類で復興を目指すって感じだな」


「そうだね、おじさん! がんばらなきゃ」


 アデルちゃんが元気な声で言う。

 

「うーん。そのことなんだが……」


 腕を組んで黙り込むユキ。


「どうしたんだ?」


「女神様が君に会いたいんだって。ぼ、ボクの花婿さんに挨拶をとかナントカ……」


 顔を真っ赤にしてそう言うユキ。後半は良く聞き取れなかった。女神様というのが俺をあっちの世界に招待してくれるらしい。


「も、もしかして、い、異世界に行けるってこと? ユキ、やっぱりそこは剣とか魔法の世界で、魔物とかがいたりする、ファンタジーな世界なのか?」


 彼女は、俺が興奮気味に言うのを呆れた顔で見ている。


「おおむね間違っていないな。世界の状況を思えばこっちも安全とも言いきれないし、食料の問題も。アデルちゃんの今後のことを考えても向こうに移った方がいいと、ボクは思う。それにイオリを狙ってる連中がこれで終わるとは思えない」


「えっ! 私も行っていいの?」


 アデルちゃんが歓喜の声を上げる。


「もちろんだ。アデルをひとりにするわけがなかろう」


 それを聞いて飛び跳ねるウチの小さな妖精さん。



 世界からあの『黒の悪魔』が消えたことは、アイルランド国営放送も伝えていた。


 数日してインターネットも繋がるようになり、人類は大きく数を減らしながらも生存者は世界にまだいることが分かった。あの『黒の悪魔』は人間だけを消滅させていたようで、各種インフラや建物、自動車などの機械、そして家畜などの動物たちも無事であった。


 しばらくは人的な不足をどう補うかが課題であるが、ネットの書き込みを見ても珍しく前向きな言葉が多く見られた。『黒の悪魔』の正体は不明なままであったが、日本に向けられていた疑いは晴れたようで、世界が団結して前に向かおうとする動きが多く報じられていた。


 

 二ヶ月後、俺たち三人はそんな世界の明るい未来を願いながら、いよいよ異世界に旅立つのだった。

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