第4話 黒の悪魔、襲来
相変わらず、海からの冷たい西風は強く吹いていた。空も灰色。時折パラパラと降ってくる雨にも慣れてしまった。カワセさんの墓に手を合わせた後、いつものように海岸まで足を運ぶ。
正直、何とかなるとは思っていない。『黒の悪魔』が何なのかは不明だが、俺たちが助かる見込みは無い。ここから先に逃げようにも船が無い。この島に渡ってくる時に使ったボートはもう無くなっていた。誰かに持っていかれたのか、流されたのかは分からない。ひとりで確認しに来たときのその喪失感は大きかった。もうこの島から出られないのだ。
「ああ、死にたくないな」
岩に打ちつける波を見ながら呟く。彼女たちの前では、いい年した大人が弱音を吐くことができないので、墓の下のカワセさんか海に向かってぼやくようにしている。俺にできる唯一の精神安定の方法だ。死ぬ最期までかっこいい大人でありたいと願う。
「うぉーーーーーーっ!」
腹の底から叫ぶと、ちょっとスッキリした。
再び俺は来た道を引き返す。
鳴き声とともに大量の鳥が群れをなして東の空を覆うのが見えた。渡り鳥にしては騒然とした感じで北西の方に向かっていく。この方角はアイスランドとかグリーンランドだろうか。
「何だアレ? おい、もしかしてあれが……」
鳥たちはアレから逃げていたのだ。俺は二人のいる家へと急ぐ。
間違いない『黒の悪魔』だ。
「ユキ、アデル!」
二人も異常に気づいたのか家の外に出て、真っ黒に染まっていく空を見上げていた。
「おじさん、空が……」
「イオリ……」
ユキがアデルちゃんの手をしっかりと握ってくれていた。
「ユキ、怖いのか?」
彼女の脚が分かるくらいに震えているのが分かる。
「うん……」
俺は初めてユキの女の子らしい姿を見た気がして、思わず抱きしめてしまった。
「おじさん、私も!」
アデルちゃんの抗議の声が上がる。
「もちろん、アデルちゃんも。でも、怖くないのかい?」
俺にギュッと抱きしめられて、ご満悦のアデルちゃん。
「だって、ユキお姉ちゃんは精霊さんだから。あんなのやっつけてくれるって、さっき言ってたんだよ」
「そうか」
ユキは自分も怖いはずなのに、アデルちゃんのために励ましてくれていた。俺は……。
空にはさらに黒い何かが広がり、辺りは夜のような暗さへと変わっていく。世界が終わるというのはこんな感じなのだろう。抗う気持ちすら起こさせない、何か世の中の悪意がすべて煮詰められたような気配が辺りを覆っていく。
俺は情けない大人だ。明確に感じる死の気配にもう心は折れてしまっていた。彼女たちに掛けられる希望の言葉なんて出てこなかった。できれば苦しまずに死ねるのなら、この子たちもまだ……。
「イオリ、いま君から流れてきた感情は……。それを私は受け取ってもいいのだろうか?」
ユキがまっすぐ俺を見て聞いてきた。その言葉に俺は驚く。
「ん? えっと、それはだな」
俺の感情というか気持ちをユキは読み取ったのか?
震える少女を落ち着かせるためというより、あれは俺の愛情表現だった。初めて彼女を見た時から好意を抱いていた。好意というよりもこれは恋だ。年の離れた少女にそんな気持ちを持ったことを必死で否定しようとしていたのだが、そうしようとすればするほど、彼女への想いは強くなっていった。
だから、さっきのあれは……。
つい、愛しくて抱きしめてしまったのだ。
「言葉にして伝えて欲しい。私にとっては大事なことなんだ」
ユキは真剣な顔で、俺をじっと見つめていた。
「えっと……」
こんな死の迫る状況なのに、必死で言い訳を考えている自分に気づき、おかしくなってきた。どうせ死ぬなら正直に打ち明けるのもいいかもしれない。でも、おっさんになっても告白するというのは緊張するな。
「す、好きだ。俺は初めて君を見た時から……。不思議なんだが、ずっと君に会うためにこれまで生きてきたんじゃないかって思うんだ」
俺の言葉にユキは大きく目を見開いた。
そして彼女はゆっくり目を閉じる。
「ありがとう」
彼女の身体が優しい光に包まれていく。あまりに幻想的なその姿に俺は言葉を忘れて見ていることしかできなかった。
「お姉ちゃん!」
ユキがアデルちゃんの手を離すと、彼女の身体はゆっくりと宙に浮かび始めた。
『イオリ、私はあなたに隠していたことがあります』
そのまさに精霊と言わんばかりのユキの美しい姿と声に、俺は頷くことしかできなかった。
『私はあの黒い悪魔がこの世界に現れることを知っていました。そしてこの島にあなたが来ることも』
さらに彼女の身体は上昇する。
『人間が黒の悪魔と呼ぶアレは、ずっとあなたのことを探していたのです。アレにとってあなたは特別な人。そして私たちにとっても……。私はあなたを守るために別の世界から遣わされた冬の精霊。アレと同種の死と停滞の力を持つ私が選ばれたのは運命なのでしょう。まわりから忌み嫌われていた私にも活躍の場が、いえ、あなたの役に立てる日が来たことを私は嬉しく思います』
「な、何をする気だ!」
『アレは私と同種の性質を持ちますが、神より与えられた聖の力により相殺することができます。私自身を神への贄として捧げることで、魔神にも等しいアレを討ち滅ぼすことができるのです。愛という気持ち、それを教えてくれたイオリに感謝を。とても良いものですねこの感情は、最期に知ることができて本当に……良かった』
「待て、行くな。ユキーーーーっ!」
彼女は闇の空の中へ吸い込まれて、消えてしまった。
もう、俺の手は彼女に届かない。
空に向かって手を伸ばすことしか俺にできることは残されていなかった。
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