第3話 ユキ
「なあ、この島には他に人はいないのか?」
『そうだね。お金持ちはアメリカにでもいったんだろうね。他の住民たちは島を離れて国防軍の基地にみんな避難したよ。まあ、アレに人間の兵器が通用するとは思えないけど』
「どうして君は逃げなかったんだい?」
『おいおい、ボクは精霊だよ。君はおかしなことを言うね』
精霊さんと話していたら、廊下からパジャマ姿のアデルちゃんが目を擦りながら立っていた。
「おじさん、誰と話してるの? もう寝ないとだめです」
リビングに座る俺にそう言うとそのままトイレに行ってしまった。再び廊下を通る際も彼女は精霊さんに気づいていないようだった。まさかね。寝ぼけてるんだろ。
『君はまだボクのことを信じていないのか? 彼女に人の姿を見せるのは力を使うんだよ。だからボクに気づかなかったんだよ』
「はいはい、承知しておりますとも精霊様」
俺はお姫様にそうするように胸に手を当てて恭しくお辞儀をする。
『もう! これだから日本人の鈍感系というやつは困る』
何だか怒ってるようだ、やはり俺はこの設定をまだまだこの先要求されるのだろうか。
「あの、精霊さんって呼ぶのもあれなんで、そろそろ名前を教えてくれないだろうか」
この家は彼女の所有だということで、名前が分かりそうなものを探してみたが、不思議なことに何も見つからなかった。
「精霊に名前なんて無いよ。みんな精霊という存在だとしか思ってないし。それにボクは冬の精霊、死と停滞を司るんだ。誰が好きでボクに近づこうと思うんだい? ああ、あのバンシーとかいう死を伝える女の妖精とは関係無いよ。たまに君みたいに『見える』人がいて、よくそれと間違えられるけど心外だね。うんと、名前か……、何がいいかな。ねえ、君がつけてよ。イオリ」
ん? どうして俺の下の名前を知っているんだ。
苗字の『鈴鹿』はカワセさんもアデルちゃんにも教えたが、下の『伊織』は知らないはず。パスポートでも見たのか……。女の子みたいな響きでそっちで呼ばれるのは昔から好きでは無かったが、この精霊さんに呼ばれるとなぜか悪い気はしなかった。
「名前ねえ。珍しくここにも雪が降ったし、『ユキ』はどうかな? 冬の精霊さんの名前としても悪くないんじゃないか?」
『雪、ユキ。アクセントは前かな、ユキ……。いいね、気に入った。イオリは名づけの才能があるんじゃないか』
どちらかというとセンスは皆無だ。とにかく気に入ってもらえて良かった。でも、アニメやラノベだと精霊さんも名前持ちが多かった気がする。設定が甘くないかユキ。
名前がユキと呼びやすくなったせいか、俺もアデルちゃんも気軽に彼女に話しかけられるようになった。アデルちゃんはすぐにユキに懐いていたから、これは俺が距離を置いていただけのことか。
だが、これは仕方ないことだ。アデルちゃんがいてくれるからいいが、こんな美少女とひとつ屋根の下というのは流石におっさんとしては緊張してしまう。こんな世界が混乱している状況だが、何か間違いがあれば即通報、即逮捕だ。アイルランドの法律や条例がどうなっているか知らないがマズいに違いない。俺は気を引き締め直して生き残るためにできることを考えなければ。
「おじさん、独り言?」
洗濯物を一緒に畳んでいるアデルちゃんがそう言う。
「えっ?」
心の声が漏れていた?
「ジョウレイというのが何かは分からないが、ボクは人の空想から生まれた存在。年も君たちより遥か上のはずだよ」
いつの間にか背後にユキちゃんがいた。彼女にも聞かれていたのか。
「ユキお姉ちゃんは、お婆ちゃんなの? ユキお婆ちゃん?」
「アデル、そういうことにはなるのだが、それはちょっと傷つくな……。お姉ちゃんでお願いしたいのだが」
「うん、ユキお姉ちゃん!」
「やはり、そっちの方がいいな。それとイオリ、私の下着を力強く握りしめるのは困るのだが。そんなに欲しいのならあげてもいい……」
「はっ、いや。なんで俺はこれを持っているんだ!」
「おじさん、ダメ! 女の子の下着は私のたんとうなの」
俺の手にあった可愛らしいパンツはアデルちゃんに奪い取られてしまった。つい、出来心で手にとってしまった。変なことを考えなかったと言えば嘘になるが、ここは何とか凌がなければ。
「ああ、ちょっとお腹が……」
逃げた。そう俺はトイレへと逃げたのだ。別にあの二人は俺に対してキショイだとか変態だとか罵ることも無かったので、問題はないのだろうが俺の心が限界だった。
俺は少しトイレに引き籠ったのち、何食わぬ顔で彼女たちの元に戻った。洗濯物はすでに片づけられていた。二人は仲良くアニメの鑑賞中だ。
アイルランドは曇りの日が多く再エネでは太陽光より風力発電の比率が高い。だがそれだけで賄えるはずもない。はたしてこの電気はどこから来ているのだろうか。自家発電装置を探してみたが見つけられていない。ユキによると精霊さんの不思議パワーらしいのだが、やはり謎である。
テレビは国営放送が受信できていた。何かテレビライセンスなるお金を支払わなければならない国のひとつだったと思うが、精霊さんの収入源も未だ不明である。公共料金的なものも不思議パワーで何とかしているのだろうか。
「あの、何か新しいニュースはあったかな?」
二人は美少女戦士が悪と戦うアニメに夢中になっている。これはユキの秘蔵のDVD映像でありアイルランド当局はこういったものは放送しないはずだ。
「いや、いいです……」
ここで女子たちの機嫌を損ねるのは愚策である。俺は諦めて外に散歩に出ようと玄関に向かおうとした。
「ドイツもフランスも駄目だったようだ。おそらく生存者はゼロ。イギリス、そしてこのアイルランドも時間の問題だよ」
早い。思っていたよりも『黒の悪魔』の侵攻は進んでいた。ユキはアニメの中の美少女戦士が必殺技を繰り出すのを見つめながら、ただ何の感情も無く俺に事実を伝えてくれた。
「そうか……」
俺はそのまま外に出た。
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