第2話 冬の精霊さん
『あの子は?』
「泣き疲れて寝ちゃったよ。両親が亡くなってからずっと祖父のカワセさんが面倒を見てたんだ。唯一の身内がいなくなったんだ、仕方ない」
俺は半日かけて掘った穴にカワセさんを埋葬した。その上に木を組んだ十字架を刺してある。彼はキリスト教徒だったので、分からないなりにそうしてみた。ここでは珍しい雪ももう止んでしまい、地面はもとの色に戻っている。
『ひとりでお墓を作ったんだ。キミにしては頑張ったじゃないか』
冬の精霊さんがそう言う。キミにしてはって何だよ。
「アデルちゃんも泣きながら手伝ってくれた。精霊さん、人が死んだら魂は天国に行っちゃうんだよな?」
『どうしてそんな当たり前のことを聞くんだい?』
「精霊だという君には申し訳ないけど、実は俺そういうの信じてないんだ。そう思いたいっていう気持ちは分からなくもないんだけど」
『典型的なニホンジンだね。神様もたくさんいて、至る所に神社やお寺があるのにそんなに信仰心が篤いわけじゃない。初詣や合格祈願みたいなときだけ都合よく祈ってるみたいな』
「まあ、否定はしない。でも、台所にもトイレにも神様を設定するのが日本人だから、精霊さんにも寛容だから心配しなくていいよ」
『たしかにキミ達はケルトの民とも精神性は近いのかもしれないな。ボクとも気が合いそうだね。でも、天国はあるんだ。そこは譲れないよ』
「もちろん宗教観や信念を否定する気はないよ。逆にそういうのを持ち続けている人を尊敬したいくらいだし」
アイルランドはたしか妖精の国だったか……。これは家主さんの趣味に合わせないと。
『ああ、女の子が起きたようだね。こっちに来る』
精霊さんはアデルちゃんに向かって手を振っている。姿を消す気は無いようだ。というか無理だし。アデルちゃんも手を振り返している。しっかり見えてますぜ、精霊さん。
「ねえ、おじさん。このお姉ちゃん、だれ?」
「冬の精霊さんだって。あのお家の持ち主さんだよ」
「そうなんだ。お邪魔してます、精霊さん。えっと、英語の方がいいのかな?」
「いや、問題ないよ。ボクは日本のマンガやアニメで言葉を学んだんだ。せっかくだから日本語がいいな。キミは見た目はフランス人だったか、父か母の血が濃かったのだな。東洋系には見えないぞ。その見た目で完璧な日本語とは本当に驚かされるよ」
「トウヨウケイ? 日本語はママから教わったの。パパから教わって、フランス語も英語も話せるけど日本語の方が好き。音が可愛いから」
「それは同感だな。ちなみにアニメは好きかな? 実は日本から取り寄せたものがいくつかあるのだが」
二人はすぐに仲良くなったようで、日本のアニメの話で盛り上がりながら俺を置いて家に戻ってしまった。
「これは助かる」
正直、小学生くらいの女の子と何を話したらいいのか、十分おっさんな俺には想像できなくて困っていたのだ。アデルちゃんの元気な笑顔を見られて本当に良かった。
カワセさんとアデルちゃんとは、フランスの港湾都市ル・アーブルで出会った。ドイツで製薬会社の駐在員として勤務していた俺は、日本から発生したという謎の『黒い悪魔』という災害のせいで国外脱出を余儀なくされた。いわゆる人的な風評被害である。
日本の大都市を襲った『黒の悪魔』は中国、ロシアに広がりヨーロッパにも到達しようとしていた。発生地の日本からのすべての連絡が途絶え、同様に中国、ロシアも国家の機能を停止してしまったようである。
ネットにも何かに人々が襲われ消失する動画が上げられていたようだが、フェイクなそれも無数に登場することで正確な事態は全く分からなくなっている。日本に基地が置かれていたアメリカも未だ沈黙を貫いている。唯一信憑性の高そうな巨大企業の衛星画像は、『黒の悪魔』の言葉通り地表を真っ黒に覆っていたのだった。
意味の分からない不明なものへの人々の恐怖は、まず海外で生活する日本人たちに向けられた。日本の例の原発が原因だとか、秘密裏に世界を征服するために研究されていた生物兵器が暴走したのだとか、あり得ない妄想を理由に攻撃された。文字通り、暴力や殺人事件が多発したのだ。
本社との連絡も取れず、息を潜めて引きこもっていたドイツのアパートは、武装した若者たちに襲撃された。日本贔屓だった大家さんに知らせてもらえ無ければ、どうなっていたか分からない。俺はフードつきの上着にサングラスとマスクといった見るからに怪しい姿で脱出した。
東洋人というだけで中国人も韓国人も関係無く被害に遭っていた。世界的な不景気も影響していたのかもしれない。職にありつけない若者たちの不満は残念なことにアジア人たちに向けられた。日本の文化とかに理解のありそうなフランスへ何とか逃げ込んだのだが、状況は似たようなものだった。
『黒の悪魔』の侵攻はヨーロッパにも迫り、ポーランドやチェコにまで達しているらしいことをフランスの国営放送が伝えていた。富裕な人々を中心に国外脱出を図る動きも増していた。海を隔てたアメリカ大陸を目指す人々が多く、飛行機のチケットは取れない。それならば船と考えたのだが、皆考えることは同じだった。
そんな時に出会ったのがカワセさんとアデルちゃんだった。アデルちゃんの両親は頻発していたフランスの爆破テロの犠牲になり、すでに亡くなっていた。そしてカワセさんは高齢で末期のガン。孫を連れてアメリカを目指していたのだが、彼が日本人であることを理由に乗船を拒絶されたのだ。先に乗船拒否されて途方に暮れていた俺が見つけた久しぶりの同郷、仲良くなるのに時間は掛からなかった。
結局、俺たちがたどり着いたのはこのアイルランドの西の端、今は誰もいないイニシュモアだった。
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