第8話 「口裂け女」

 

 その日、僕らはこんな噂を耳にした。

  『学校の帰りに、通学路のどこかで女の人が電柱の方を見てたたずんでいる。その人に声をかけてはいけない』

って。


  話をしてくれたるいちゃんは、僕らにそんなことを言って、真剣な顔をした。

  「どうして声かけちゃいけないの?」

  正直に健太が訊く。るいちゃんは、少しためらった後に、顔を僕らの近くに寄せて来た。

  ドキドキしている僕を見て、

  「迷ってるんじゃないかって声かけたらね、その人、こんなこと言うんだって」

って言ったんだ。


  「何?」

  顔が赤くなってやしないだろうか、と思いながら訊くと、るいちゃんは少し笑って、

  「あのね、『あたしきれい?』って聞いてくるんだって、後ろ向いたまま」

って答えた。不思議そうに見る僕らにもう一回笑うと、「その人、大きなマスクしてるんだって。そんでね、何回か『あたしきれい?』って訊くんだって。きれいだよって答えたら」って、意味ありげに区切ったんだ。

  「何だよ、最後まで言えよな」

  健太が文句を言う。

  僕は何とも言えずに曖昧に笑って先を促した。


  「その人、マスク取ってこう言うんだって」

  るいちゃんが、マスクを取る真似をする。それから「『これでも?』ってにんまり笑うんだって」ってニッコリ笑った。

  るいちゃんは不気味に笑って見せたつもりなんだろうけど、それが何だか逆に可愛く見えちゃって、健太と2人で顔を見合わせちゃった。

  るいちゃんは、僕らがデレってなったのに気付いたみたいで、真剣になって頬を膨らませる。

  そんで、僕と健太の頭を均等に叩いてから、

  「その人、口が裂けてるんだって。昔、整形手術で失敗しちゃって、それからずっとそんな顔なんだって言ってた。時々忘れた頃に現れては子供達を連れてくんだって。もしかしたら、さきちゃんも――」

って言った。


  「対策とかないの?」

って健太が珍しく言った。まともなこと考えるようになったんだなって思ってたら、「そのお姉さん、きれいなんでしょ?」なんて言う。

  るいちゃんが少し困った顔をして、健太から僕に視線を向けて来たけど、僕に言われても分からないから首を振った。

  「きれいじゃなくなったから、子供達に声かけてるんじゃないかな?」

  るいちゃんは戸惑ったままそう言った。そう言って、「知らない人に声かけちゃいけないんだって」って締めくくったんだ。


  でも、るいちゃんが言ったことが気になったのか、健太が放課後僕に言って来た。

  「なぁ、帰りに通学路にお姉さんがいたら声かけてみようぜ?」

って。好奇心旺盛なのはいいんだけど、それで失敗することだってあるのにって思ってたら、健太がるいちゃんを誘った。

  知らない人に声かけちゃいけないんじゃなかったの? 

  僕のそんな心の声を無視して、2人は楽しそうに通学路を歩く。


  と――。

  電信柱の陰に隠れるようにして、女の人が立っているのが目に入った。

  ドキリとする僕を尻目に、健太が声をかけた。

  「あの、どうかしたんですか?」

  その人は振り向いて僕らを見た。

  ――大きなマスクをしていた。目も心なしか血走っているように見える。

  大きな目が僕らを見下ろして、そんでにんまりと細められる。

  「あたしきれい?」

って訊いてきた。少し甲高い声で。

  ビックリして逃げようと後退った僕らに、その人はもう一回おんなじことを訊いてきた。

  「あ、あの、あのっ!」

  僕達を食べてもおいしくないですっ! って叫んだ健太に、その人は堪えられなくなったように笑い始めた。


  「――口裂け女の話でしょ?」

  女の人がそう言う。頷くと「あたしも知ってるのよ。有名な都市伝説だしね。今君達が来たから、丁度いいから脅かしてやれって思ったんだ。あたし、花粉症なのよね。こんな姿知ってる人に見られたくないからさ、隠れてただけなんだけど」って砕けた口調で言った。

  「そうなんですか?」

  「うん。周期的に噂になるみたいね。あたしも君達と同じくらいの時に耳にしてさ、帰りとかすんごく怖かったもん」

  僕の問いにその人は答えた。そんで、「さ、暗くなる前に帰った方がいいよ。お母さんだって心配するからね」って柔らかく言って、僕達のランドセルをそっと押した。

  手を振って、僕らは家路に着いた。


  でも、僕は見ちゃったんだ。

  角を曲がるとき、お姉さんがマスクをちょっと外したのを。

  その口元は、耳まで裂けて――、その唇がぬらりと赤く光って、そしてにんまりと半月状に動いたのを――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る