5-数年後

      *



 外でセミが鳴いている。窓から見える青空は、まるで嵐の去ったあとみたいに澄み渡っていた。冷房の効いたリビングで、椅子の背もたれに寄りかかってぼんやりと外を眺めていたら、急かしい足音で修司がキッチンに現れた。彼は上半身裸の姿で、肩にタオルを掛けている。キッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出し、軽快にプルトップを開ける。部屋が薬品臭いようで、修司は鼻を動かした。


「ごめん、忘れてた、換気扇をつけて」


 朝好は早めに終わらせようと、テーブルに置いたアクリルキーホルダーの裏面に、マニキュアのトップコートを塗った。修司が換気扇を付けてくれたから、


「ありがとう」


 と、返した。


 朝好の声を聞いた修司が缶ビールに口を付けながら、こちらに近寄ってくる。


「なにしてんの」


 彼の方に振り返ると、背後に修司が立っていた。朝からシャワーを浴びた彼は、朝好の手元にチラリと視線をやる。


 成人式の日に朝好の親と顔見せを済ませて、その年の四月に二人で同棲を始めた。いまは二人が就職してから数年たつ。朝好はもう数えきれい程、修司に抱かれた。ベッドの中で明るい話とか暗い話を彼の口から聞いた。謎を解くように、お互いに徹夜で語り明かしたこともある。休日にソファで寝っ転がっているときや、買い物の帰り道でも、彼はどんな暗いことでも、朝好の話を聞いてくれた。話を聞くときの彼は朝好の胸の底までのぞくような、そんな執念深い目をしていた。


 朝好の手元には、高校の卒業式で修司からもらったキーホルダーが透明の膜を張って、窓の外からの光でキラキラしている。


「剥げてきたから、これ以上絵が消えないように、こうやって塗り直しているんだ」


 修司が後ろから、椅子ごと朝好を抱き寄せ、朝好の胸に手を掛けてきた。今日も髪を乾かさなかったようで、彼が動くと水滴がぽつぽつと朝好の頬に、テーブルに落ちる。


「新しいのを見つけるから、そういうのはあとにしろよ」


 無事にマニキュアを塗り終えた朝好は、修司が早々に道具を机の端に追いやるのを黙って見届けた。あとで棚にしまおうと考えていたら、彼が朝好の頬に何度も口づけを降らす。それがくすぐったくて彼から身を離したら、彼の目が不機嫌な色を漂わせた。


「新しいのもほしいけど、これは大事にさせて」

「なんで」


 もしかして甘えたいのかな、と見極めてやろうとじっと見つめ、修司の手に自分のを重ねた。


「だって、修司から初めてもらえた宝物だから」

「そうか、仕様がないな、朝好がそんなに頼むんだからな、聞かないとお前がかわいそうだ」


 修司は昔よりふてぶてしくなった。


「うん、ありがとう」


 それと同時に、こちらが困るくらいに甘くなった。


「ほら、それよりも俺をかまえ、お前を命がけで愛してるんだからな」


 そう、言った修司は美しく、まばゆい光に満ちていた。



  終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初恋はおしまい 佐治尚実 @omibuta326

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ