2-再会

 関東近郊で生まれ育ち、都内の大学に進学した朝好の日常は、とても困ることや、すごく楽しいこともなかった。一人暮らしを初めてからは、好きなときに好きなことをできるようになった。これと言った不満はない。それなのに、いつも誰かの不在を強く感じていた。

 冬から始めたアルバイトの帰り道、自転車で走らせていたら修司のことを思い出す瞬間が増えた。修司からもらったご当地キャラクターのキーホルダーが、朝好の家の鍵と一緒にポケットに入っている。角を曲がるとキーホルダーがカチャリと鳴る。そうしたら、修司の笑った顔や、冷めた顔が脳裏に浮かぶ。記憶はぼやけているのに、彼の執拗な視線を浴びたときの高揚感だけは鮮明によみがえる。

 そんなことを考えながら、東京の暗い空を見上げる。この空を修司も見ているのだろうか、なんて陳腐な妄想で彼の不在を埋めようとした。日に増して、胸の中の空洞は大きくなった。修司のいない世界で息を吸っていたら、自分が臆病な子供になったみたいに不安でいっぱいだった。


 二十歳の集まりと題した式に出るため、朝好は地元に戻った。着慣れないスーツで挑むが、玄関を出て早々にコートの下に隠した。どこか気恥ずかしさとむず痒さで、居たたまれない気分だった。

 その日、朝好の視界にくもり空が広がっていた。地元の町を離れてから、もうすぐ二年がたつ。実家には新年くらいしか帰らなかった。それでも両親を心配させたくない思いが残っていたから、成人式が行われるこの日に帰省した。自分の律儀な性格を恨んだり後悔したりしていないと言えば嘘になる。

 親の顔を見たら帰ろう、と会場までの道のりをバスに揺られて、車窓を眺めた。高校の頃に自転車で走り抜けた小道が目に入る。右側に回転寿司屋があり、左の空き地の細い道は神社の参道だった。奥に進むと背の低い鳥居が見えて、ほこらにはいつも花が生けられていた。雨の日は薄暗くて不気味だったのを鮮明に覚えている。

 アニメのキャラクターでラッピングされたバスが、大通りを走る。道路の両脇に全国チェーン店が立ち並び、朝好は地方都市特有の素っ気なさを感じて胸焼けした。それは、駅前のコーヒーショップで注文したホットココアの味だった。甘党の朝好は、ホイップクリームとチョコレートソースとパウダーを追加し、底に沈殿したドロリとしたものまで飲みきった。そのせいでいまは眠気すら感じる。


 車体が揺れて窓に頭を打ちそうになったから、朝好は頬をつねった。高校卒業から見る見るうちに身体は痩せていき、薄い皮を引っ張る感触に目がうつろになる。

 今のところバスの遅延ないし道も渋滞していない。このまま行けば会場前のバス停に予定通り着く。その頃には、午前の成人式の入場が始まっているはずだ。同級生と顔を会わすことはあれど、声を掛けられる確率は低いと想定する。それを見越しての行動だから、流れていく鈍い色の景色をぼんやりとした頭で見つめた。


 会場前でバスを下りて式典に向かった。参加者のほとんどが既に入場済みで、まばらに散らばっていた人が入場口に吸い込まれていく。朝好も彼らに紛れた。


 一時間後に式が終わり、朝好は一目散に会場を出た。その時にはもう雨がしとしと降っていた。朝好はこれ幸いにと、灰色の折りたたみ式傘を手提げ鞄から出し、空に向けて開いた。こうすれば誰とも顔を合わせない。そう思っていたのに、このままバスで帰ろうとしたのに、停留所でバスを待っていたら、聞き覚えのある声を耳にした。


 修司だ。


 声の聞こえた方角に顔を向けると、元クラスメイトの男女四人と修司が目に入る。黒い傘を差し、灰色のスーツと黒のロングコート姿の彼はまるでモデルみたいだった。彼はキザなくらいに大人の服装が似合っている。雲の上に隠れた太陽の光が彼にだけ降り注いだみたいに、彼の姿だけが発光する。久しぶりに会った彼は、憎ったらしいくらいに神々しかった。

 そのまま朝好は立ち止まって、修司に見とれていた。もっと彼を見たいと生け垣から離れたら、晴れ着姿の女性の傘とぶつかる。朝好のコートの胸元に水滴がかかる。


「すみません」


 胸元を拭きながら朝好は軽く頭を下げるも、向こうはもう背を向けていた。晴れ着が汚れていないことを願い、朝好は細く息を吐いた。


 ふと、懐かしい熱を頬に感じる。周囲を見渡して発信源を探したら、修司と視線がぶつかる。彼は大きく目を見開き、まるで幽霊でも見るみたいに朝好を注視した。それは熱く、決してブレることのない鋭い光線のような眼差しだった。


「野崎くん」


 朝好は昔のように修司を呼び止めた。彼は群れを離れて、一目散に朝好の元に近寄ってくる。

 修司は怒ったような泣きそうな顔で、朝好の頭からつま先までにらみ付けた。彼の視線が肌に焼き付き、じりじりと頬を焦がす。そんな顔をされたら、彼への未練が口まで溢れ出してしまう。

 それを吐き出したら、きっと泣いてしまうから、朝好はまばたきをしなかった。これはただの初恋ではない。愛そのもので、修司に片思いをしているのだ。


「お前さ、相変わらずだな」


 修司の声はしゃがれている。酒や煙草のせいではない、彼は目を真っ赤にして涙が零れるのを押しとどめている。朝好は、どうして彼がそんな顔をしているのか知りたかった。


「野崎くんは相変わらずかっこいいね」

「そんなの分かっている、それより、人を呼び止めてなんだよ」


 駅やバス停、カフェに向かう人の流れの邪魔にならないよう、朝好は生け垣に寄った。朝好が話そうと口を開いたら、


「野崎、この後の同窓会に行こうぜ」


 と、後ろから元クラスメイトが修司を呼んできた。


 同窓会、そんなのが開かれるなんて朝好は聞いていないし、もちろん呼ばれてもいない。こういうとき自分も行きたいと手を上げたら、彼らは連れていってくれるのだろうか。恐らく断れるだろう。それに、学校で目立たない生徒だった朝好のことなんか、誰も覚えていないに決まっている。現に彼らは朝好を前にして、朝好の名を呼ばないし、気にも留めない様子だ。朝好は彼らの名を一人ずつ覚えている。フルネームだって言える。

 それでも、あの頃も、いまも、彼らと馴染む気はさらさらない。賑やかで目立つ彼らを見下したいわけではない。ただ単に自分は一人でいることが好きなだけで、人と同じ歩調ではしゃいだり息を吸ったりするのが下手なだけだ。朝好は自分の希望通りに過ごせているのだから、彼らに文句なんて言う筋合いはない。


 それでも、修司が現れたから、彼が自分を見てくれたから、自分の殻を破りたくなった。ただそれだけのことだった。

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